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「4月25日」




僕は彼女を愛していた。
唯、それだけのことだ。
さして、多くの思い出があるわけでも、
さして、多くの言葉を交わしたわけでもない。
でも、僕は昔から彼女を深く愛していた。

血だとか、そういうコトはあまり関係ない気もするし、
とても関係がある気もする。
でも、あってもなくても、まぁどうでもいい。
唯、愛していた。
それでいい気がする。

4月25日になるかならないか。
ちょうどそんな時だった。
携帯電話が鳴って、
僕の中で、彼女は一つの過去になり、
永遠になった。
ばあちゃんが死んだ。

そして、4月25日。
僕は鹿児島にいく。


僕の名前は、ばあちゃんに付けてもらった。
なんだか、釈然としないが、
女の子が生まれると勝手に決め付けていた両親は、
男の子の名前を考えていなかった。
そこにひょっこり僕が生まれ、
なんだか知らないけど、ばあちゃんが名前を考えることになった。
だから、兄貴には親父の文字が一つ与えられているのに、
僕には、母ちゃんの名前も、
親父の名前も一字もない。

「進治」
・・・進んで治す。
・・・進んで治める。

両親曰く、医者か政治家になって欲しいと付けられたらしいが、
今思うと、ばあちゃんが付けたにしては、
ひどくテクニカルな名前だ。
ばあちゃんは、ひどく哲学的な人だったのだ。
まぁ、ひどく粗野なもので、哲学と呼べるような「おしゃれさ」は全くなかったけど。
でもだから、もしかしたら僕の名前にも、もっと深い意味もあったのかも知れない。
ばあちゃんならありえる話ではある。
でも、そういえば自分の名前について聞いたことはない。
聞いとけばよかったかなぁとも思うが、
まぁ、意味なんてどうでも良い気もする。
僕はこの名前を気に入っている。

別に、どうってことない名前だ。
苗字と組み合わされば、さらになんてことはない。
なんせ、地元の市議会議員に同姓同名がいるくらい、
なんてことない名前だ。
でも、何てことない名前も、
なんてことなくない人が考えてくれたなら、
なんだか崇高なものに見えてくるのは、
芸術でも、デザインでもそうだし、
世の中そういうものだと思う。

今まで言ったことがなかったけど、
ばあちゃん・・・。
僕はこの名前気に入ってるんだ。
あなたが付けてくれたという、一点において。

ばあちゃんはとても勝気な人だった。
毎日タバコを1箱以上は吸い続け、
なんの根拠もなく「緑茶を飲んどりゃ関係ない。」と豪語するほど、
勝気な人だった。
記憶の中のばあちゃんは、いつも「若葉」をプカプカしている。
そんなばあちゃんも病気には勝てず、
二年もほど前だったか、タバコをやめたという、話を聞いた。
やめたのか、やめさせられたのかは詳しくは知らないが、
多分やめさせられたんだと思う。
もしかしたら、みんなにはやめたと言って、
影で吸っていたのかもしれない。
ばあちゃんならありうる話だ。
なんてたって、ばあちゃんは勝気な人だった。
病気になり、入院し、余命を告げられても、
病院は嫌いだと、抜け出してしまうような、
勝気な人だったのだ。
タバコくらい吸っててもなんら不思議はない。

ばあちゃんに最後に会ったのは、確か五年くらい前だったと思う。
正確に言うと、覚えているばあちゃんはということだが・・・。
僕は極度に、もの覚えが悪いのだ・・・。
昔のことはどんどん忘れていく。
最近までは、そんなのもまぁいいかなとか思っていたけど、
歳を重ねれば重ねるほど失っていくものが多く大きくなり、
改めたいと思うようになった。
だが、そうもうまくは変われないので、
周りの人間にかわりに覚えといてくれと頼もうと、
自分勝手なことを決意している。

そんな僕でも、きっと死ぬまで忘れられないということもある。
五年前の鹿児島旅行のばあちゃんと僕との風景は、
まさにそういうものだと思っている。
それが僕とばあちゃんとの一番の記憶・・・。

恐ろしく田舎の、バラ屋のコタツ。
コタツ仲間のばあちゃんと僕。
「緑茶を飲め。緑茶を飲め。」と、
僕の湯のみにお茶をどんどん注ぐばあちゃん。

そんな風景・・・。

ばあちゃんは、よくしゃべる人だったが孫とはそんなに話さない人だった。
なぜなら、ばあちゃんが人と話すことの殆どは説教に近いもので、
でも、孫には一切説教とか、教訓じみたことを言わない人だったのだ。
そうすると、しゃべることがなくなってしまう。
だから、そのコタツの風景も殆どしゃべった記憶はない。
ただ、ばあちゃんは、
高校生でタバコを燻らす僕を怒るでもなく、諭すでもなく、
「緑茶を飲め、緑茶を飲め。」と、
どんどん僕の湯のみにお茶を注いでいた。

孫には、なんだか照れているような、そんなところがあった。
特に僕にはそういうところがあったような気がする。
僕は、ばあちゃんの愛した人、つまりじいちゃんに似ているらしい。
金山を探して家庭をあまりかえりみない奔放な人だったらしいので、
微妙な気分だが、なんだか似ているらしい。
それが、ばあちゃんの照れに関係があったのかは全くわからないけど。

会話もなく、コタツの中、二人でのどかにタバコを燻らし、
ばあちゃんはとりあえず少し照れていたんだと思う。
それでも、孫と話そうと、
説教という会話しかできないばあちゃんは、
孫にできる精一杯の会話として、
「お茶を飲め。」と連呼していたんだと思うんだ・・・。

僕はそんな不器用な優しさをひどく愛したのだ。
・・・ありがとうね、ばあちゃん。

これが、僕とばあちゃんの一番の記憶。
一番の接点は、布団で寝ずにコタツで寝ること。
それと、ヤナギって名前には似合わない強情な人だったから、
医者にも政治家にもならなかった僕と同じで、
名前にはそぐわない人生を生きた人。
それに、不器用だってこと。
大切なのは、
僕は、ばあちゃんを愛しているってこと。
死ぬまで、忘れられないでっかい人だったってこと。
あなたは、僕の永遠だってこと。



ばあちゃん、お茶飲むよ。
死ぬまでちゃんと、緑茶を飲むよ。
だから、ばあちゃんと同じように死ぬ少し前まではタバコを吸わしてね。
そんで、死んだらまた一緒にコタツでタバコを吸おう。
ばあちゃんのことだから、
地獄だろうが、天国だろうが、コタツは用意されてるだろ。
なんだか、とっても楽しみだ。
おいしいタバコになりそうだね。
きっとまた、話すことはそんなにないんだろうね。
だから、僕は死ぬまでは緑茶を飲むけど、
死んだら飲まないようにしとくよ。
じゃないと、ばあちゃんがしゃべるコトがなくなっちゃうもんね。

1年後か、10年後か、20年後か、明日か明後日か、わからないけど、
ばあちゃんと同じだけ生きても70年後。
とにかく、いつかそっちに行くから、
そしたら、一緒にタバコを吸おうね・・・。
「緑茶を飲め。」って言ってね・・・。

じゃ、ばあちゃん、しばらくじゃぁね。



2006年4月25日 日本上空にて。    高橋進治
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