幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 '12黒姫キャンプ
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・ ① 全グループの共通おたより
 ②「7月の活動予定」
Welcome!
木村文枝パーティ 佐須小学生グループ母 大澤 彰子

 私は、幼児期に英語教育の必要はないと考えてきました。

自分自身は、特に親や人から言われたわけではなく、自分の意志でアメリカに
一年間ホームステイをしながら公立高校に通い、イギリスにも短期留学し、
大学では英米語学科に所属し洋書屋でアルバイトをしながら言語学を学び、
就職しても英語が飛び交う職場にいました。
ですから、自分の経験から、本当に子供が英語を好きになり、
興味を持つようになれば、大人になってからでも自分の意志で勉強し、
いくらでも英語で話したり、書いたりできるようになると
考えていました。子供に英語を押し付けることは無意味です。それよりも、
幼児期に必要な「教育」はむしろ母語である日本語だと思います。

英語とは、他国の人が話す言語であり、文化です。
日本人の子供にはまず、母語である日本の言葉、文化を根付かせることが
大事だと考えます。
では、日本の「文化」って何?と漠然と頭に浮かぶのは、
偉大な作家によって作られた絵画?文学作品?音楽?日本舞踊、茶道、国技である
相撲?と、いろいろありますが、
実はその根底にあり基礎にあたるものは、日本の独特の生活様式であったり、
四季の美しさ、代々受け継がれる伝統行事や母の味覚にいたるまで、
それは、
子供の頃からとても近くにありながら誰もが気づかないうちに自分自身の内に
確立していくアイデンティティです。そして、もちろん言葉もその1つで、まずは
その母語を理解し、大切なのは感覚的に幼児期に染み込ませる。
それが、鷲津さんのおっしゃるイギリスで言うところのマザー・グースに
あたると思います。
現在のイギリスではマザー・グースが根付いていると言われ、イギリスでの
母語教育の大変さ、力の入れ具合が日本とは違うと言います。
日本では、いわゆる「英語教育」に躍起になり、
本当に大切な母語教育を忘れてしまっているのではないでしょうか?


 では、日本人にとってのマザー・グースとは何でしょうか?私は、NHK教育テレビで
放送されている「にほんごであそぼ」にでてくるような、わらべ唄であったり、
「じゅげむじゅげむ」や「風にも負けず」や、五七五で成り立つ俳句など
そういうものだと思います。マザー・グースのように詩集として確立されたもの
である必要はありません。
本文の「ことばの感覚、リズムと身体」の部分にスキップの話がでてきます。
「日本の子供はスキップが下手で、幼稚園で教えて
もらわないとなかなかできるようになりません。
向こうの子供はだれでもスキップをする。スキップというのは子供がはねることを
いうんだから。
ナーサリー・ライムとわらべ唄で同じような遊びの形態のものが
たくさんございますが、日本のわらべ唄はどれをみても、たとえ言葉がはずんでいても、歩きしかない。」
私は、それを良い悪いの問題ではなく単に文化の違いだと思います。
本文でも「農耕の民の身体文化」とありますが、英語の詩では韻を踏み、
リズミカルであることが重要視されていますが、日本人になじむのは、
「韻を踏む」ことよりも、五七五の美しさ、百人一首のような流れるような
穏やかな響きです。
それは
西洋の「跳ねる」ような「動」の文化と比べて、「流れる」ような「静」の文化
なのです。どんなに英語を勉強し理解して、英語圏の人と友達になれるほど英語が
喋れるようになったり、マザー・グースのような詩を理解しても、私たちは自分の
身体に染み付いた、五七五に代表される日本の文化を愛してやむことはできません。
日本人の子供は五七五を身を持って学び、静の文化を根付かせ、自分を発見し、
初めてスキップの楽しさを知るべきです。

ここまで書いてから、「では、なぜ私は子供にラボをやらせているのだろう?」と
考えました。
私は、子供に英語を教えるためではなく、ラボ独特の異年齢で
かかわり、1つのものを協力して作り上げていくというシステムが、子供の真の
人間形成に役立つと考えたのです。ところが、ラボを知れば知るほど、
ライブラリーで流される英語と日本語の美しさに感心し、その目的は
人間形成だけではないと実感するのです。

大事なことは、「英語教育」の取り入れ方です。本文で和田さんが述べて
いらっしゃいます。「物語をたっぷり聞くという環境をどう作ってあげられるのか。
その環境づくりが大人の役割。教え込むというよりも、子供は自分でつかみとって
いく環境だろうというふうに思われます。」

念頭に「自分の意志で誰にも指図されることなく留学した!」と偉そうに
書きましたが、実は、よく考えると自分自身子供の頃から周りに英語環境が
ありました。父はジャズが好きで、居酒屋で知り合ったアメリカ人と家族ぐるみで
付き合ったり、母は英文科卒で、オーストラリアの留学生を短期で受け入れたり
していました。小学校では一年生からネイティブの先生と、歌を歌ったり手遊びを
したり、ハロウィンがあることを知り、父の日や母の日にはカードを手作りしたり、
ですからどちらかといえば、「授業」というよりも自然に「環境」があったように
思います。確かに「自分の意志で英語が好きになった」のですが、それはその
「環境」を考えるとあまりに自然な成り行きだったのです。

子供の可能性を広げてあげるのは親の役割だと思います。ですから、幼児期に
「英語教育」は不要ですが、環境を作ってあげることは大事だということです。
そしてそれと同時に日本の文化を生活の中で染み込ませてあげることです。
シンチンガーさんは本文で「例えば『ドイツに実際に行ってみると、日本のことを
やっぱり考えました』と言う学生さんが多いです。新しい世界、ほかの世界への扉を
開くと同時に、自分の内面というか、自分のいる文化への扉を開くことにもなる。
外国語を習うというのは、コミュニケーションのツールとしての言葉を習うという
ことだけではありません。文化を知ったりすることによって自分を反省する、自分の
ことについて考える良いチャンスになる」と書いていらっしゃいます。私はその逆も
言えると思います。最初に自分の文化を知り、なおかつそこにある環境によって、
他国にも興味を持ち理解しようという気持ちになるのです。外国人になることが
私たちの目的ではないのです。他国語を学ぶことの究極の目標は、まず自分を
発見し理解し、初めて相手を理解し認め合うことだと思います。それが真の
コミュニケーションであり、これからの将来を生きる子供たちに必要なことだ
と考えます。
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