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母の日に寄せて 05月11日 (水)
母の日に寄せてといっても、過ぎてしまいましたが、普段お世話になりっぱなしの母について、感謝の思いとともに文字に残そうと思い立ちました。

my mother  母の写真です。当年とって73才。ご覧の通り、とってもおしゃれです。現役のキャリアウーマン。というとかっこいいのですが、自宅で洋品店を50年近く切り盛りしています。
おしゃれは、母の生きていく原動力のようなものだと感じます。顧客の体形から好きな色、デザイン、隠したい体の部分、よく似合う色、タンスの中にある所有の洋服など等、お客様のデーターが全て頭のコンピューターにインプットされているようです。
その上で、東京、名古屋と元気よく飛び跳ねて(?)仕入れにいくので、在庫はほとんど残らない、リスクなしのネットビジネス(?!)を展開しています。
お店には、様々なお客さんが集まってきます。洋服を買わないお客さんもたくさん来ます。銀行の外回りの人、店を閉めたお豆腐やさん、お惣菜を作りすぎて持ってきてくれるご近所の方、おしゃべりだけに寄る人、お茶菓子持参の人、、、
 
 この母の活力の源は、本人は気づいていないかもしれませんが、小さい頃聞いた青い目のお人形の話。

 戦争中、持っていた青い目のお人形は全部没収されて、学校の校庭に山と積まれ、子供達の目の前で燃やされたこと。お誕生日におばさんから頂いた、神戸生まれの、それはそれは素敵なドレスを着た、青い目のお人形が、無残にも炎の中に消えていった事が、いまだに脳裏に焼きつき、思い出すときがあると。いくら、アメリカと戦争をしていると言っても、お人形さんに何の罪があるの!!何日も何日も悔しくて眠れなかったこと。そのお人形さんのドレスの色、レースの素敵なこと、お靴の色、愛らしい瞳。
お人形で遊んでいた私にふと話してくれたその苦い思い出話と、今の自分と繋げて本人が意識しているかどうかは、わかりませんが、お客さんに素敵なお洋服を見立ててあげて、喜ばれることを何よりの幸せと感じている母の姿を、赤ちゃんの頃から見てきた私には、そう思えてなりません。

人とのつながり、人とのコミュニケーション、夢を与え合って生きていく場、振り返れば、母の店は、これらのことを私に教えてくれる学びの場であったのですね。

母の店の奥の部屋を借りてアナザーパーティを開かせてもらって、早、半年。気づけばラボっ子が12人から19人に増えました。人が人を呼ぶのでしょうか。
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Re:母の日に寄せて(05月11日) >>返事を書く
サンサンさん (2005年05月12日 13時10分)

人が人を呼ぶ。
お母様のお陰で、にぎやかなグループができているのですね。
そういう、さとみさんも人を呼ぶ、そんなテューターなのでしょうね。

青い目の人形のことですが、実は私の母は、幼い頃に沖縄で代表として
青い目の人形を受け取ったそうです。
その時の写真がいまでもあるんですよ。

武田英子著の「青い目のお人形は」という本がありますが、その中に母
の事が載っています。
71ページ。母は山川政子といいます。
その本はもう、ちまたでは見つからないと思いますね。

映画にもなったんですよ。

武田英子さんは沖縄までこられたのです。
沖縄の石垣島まで。
そして、母との対談の場面や、母が琉球舞踊を踊っている様子がテレビ
に映し出されていました。
まぁ、微々たる事ですが、「青い目の人形」でちょっと思い出しました
ので。

さとみさんのお母様、ほんとにすてきですね。
私の母も、肌は今でも私より、綺麗ですよ。
手入れが良いから。

お母様いつまでもお若く綺麗でご活躍されるでしょうね。
Re:Re:母の日に寄せて(05月11日) >>返事を書く
さとみさん (2005年05月13日 23時32分)

サンサンさんへ

「青い目のお人形」も時代に翻弄され、最後には濁流にのまれ、悲しい
運命をたどったのでしょうね。
そういう過去があり、今があることも、忘れてはいけないのでしょう
ね。
母のお店を通って、色々なお客さん(ほとんどは、ご高齢の母の顧客)
と、ちびっ子のラボっ子が楽しそうな会話を交わして入ってきます。
中には、
ーこのくらい小さい頃から英語をやったら、ぺらぺらだね~。
ー私達は、英語は敵国語だったんだからね~。
なんて、お母さん達ともちょっとした世代交流もみられます。

人間=賢くも愚かな生き物。でも、過去の過ちから学んでいかなければ
ね。
話は違いますが、今、中高生のグループで「きじむな」に取り組んでい
ます。英語よりも、沖縄なまりの日本語、難しい~!!
サンサンのお母さんは、純粋な琉球語を話されるのですか?
NHKドラマ「ちゅらさん」のおばあの沖縄訛りは、本当に暖かな感じでし
たね。沖縄のことを語ってくれる人、どこかにいないかな~、と探して
いるのですが、まだ見つかっておりません。
Re:Re:Re:母の日に寄せて(05月11日) >>返事を書く
サンサンさん (2005年05月23日 22時11分)

さとみさん

私の母は、琉球舞踊の師匠として、たくさんの弟子を持っていました。
それこそ、100人ほど。
だから、いつも家には大勢の人達が出入りしていて、ん、やっているこ
とは違うけど、家も大勢の人達が出入りするという点では似ているなぁ
と思います。

もちろん、琉球の方言を話します。
でも、私たちには両親がいわゆる標準語しか話さなかったので、私は方
言はわかりますが、話すことが出来ません。
悲しいことなんです。

私が方言を理解できるようになったのは、母がよく芝居を見に連れてい
ってくれたからです。
芝居を見ながら、今、こういったのよとか、芝居の展開を話してくれた
ので、次第に方言を理解できるようになっていきました。

「きじむなぁ」の方言は理解できます。
そのうちに、素語りをしてみたいなぁと思ったりします。

沖縄のこと、私は、離れて暮らしている年数の方が多いのであまりおは
なしできることはありませんが、私が母に聞いた話では、「きじむな
ぁ」は、みんなを守ってくれると言うことでした。

遅くまで海岸にいたりすると、帰るようにと促したり、道に迷ったら、
ちゃんと教えてくれたりとか。。。

決して、悪い魔物では無かったように記憶しています。
きじむなぁということばそのものは、お化けとか言う意味ではあります
が。
それはみかけがそうだから、でしょうね。

地域に沖縄出身の方はいらっしゃいませんか?
シャペロン合宿で、沖縄出身のテューターがいらっしゃいましたね。
でも、関西だったかな?
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