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40周年シンポジウムに向けてのレポート 12月21日 (木)
中部40周年シンポジウムに向けて、テューター全員がレポートを書こうという課題(最終研修)のお達しがありました。ラボの言語習得のプロセスを、子どもたちの活動の様子の記録を用いて、三段論法で証明する、という課題である。

本来、テーマ活動とは、感じたままに動いたり、発したりしているもの。それを、どう、言葉(記録)で切り取れという言うのだう????

チューターに求められる感性とは、子どもが感じていることを一緒に共感できる、感性だと思っている、いくら、言葉で切り取っても、その資質は養えるものではないのでは????

命を感じる瞬間は、命を宿したものしかわからない。理屈ぬきで同じ空間に身をおき共に動き感じることである。

と、常々思って子どもたちとラボの活動をしてきた私に、とても重い重い課題ではあるが、お役目上、地区の皆さんにやらせなくては(!?)いけない苦しさ。。。。

そこで、デジカメでビデオを90分ほど撮れるものを首からぶら下げ、撮りながら子どもたちとやってみた。

最近、観にいったブロードウエイミュージカル『レント』からヒントをもらい。(本物のほうが迫力ありますが、DVDも出てますから、ご覧あれ)

なんだか、無理やりな結論づけしたレポートになり、言葉でラボを説明する難しさに、さらに打ちのめされている自分である。。。。
シンポジウムのしょっぱなに、子どもたちのテーマ活動の発表を観てもらえば、もう、それは、百聞は一見にしかず、なのにな~
ハ~(ため息)

******************************

「体ごと表し・イメージをめぐらせ・思考しながら蓄積される言葉」

 単に英単語や英語のフレーズを机上で文字で記憶した言葉は、記憶と言っても脳の表層に一旦、仮におかれた、というものでしかない。人間が言葉を獲得していくということは、たとえ、どんな小さな単位であろうとも人との関わりのある社会の中で育まれていくものである。このことを語る時に、狼に育てられた子どもが発見された話は、あまりにも有名である。
 
 人との関わりの中で、様々な状況において何度も繰り返され、その意味がインプットされる、そんな母国語獲得の過程が、追体験できる環境を子どもたちに用意してあげれば、第二言語のより自然な習得は可能である。ここで、私ははっきりと可能であると断言したい。その答えは、実は私の中にあるからである。
 
 私は7歳から、今から語るラボパーティの活動の中で、英語に触れてきた。触れてきたと言うより、物語を体ごと、言葉(英語、日本語)丸ごと、身をおくことで、皮膚の細かな穴から吸収され、細胞ひとつひとつに沁み込んだ、という感覚である。
 "Although,of course, I don't believe it."
「と言っても、そんなこと信じちゃあいませんがねぇ。」
と、おっしゃる声が聞こえてきそうですが…

この台詞は、今私がパーティの子どもたちと取り組んでいる“Puss In Boots"『ながぐつをはいたネコ』の物語の中の、ネコが、自分の何倍もある大きな山男の城に行き、変身できる魔法を言葉巧みに、山男に使わせ、最後には、ネズミに変身させ食べてしまう、というくだりの台詞であるが、今、私がこれを書いているときにも、書きたいことと、ピタリと当てはまる言葉が頭の中に流れてくると、このように、あえて、思い出すという作業をすることなく、すらすらと出てきてしまう。しかも、インプットされた状況と同じく、英・日で、しかも場面、音楽つきで、頭の中にリフレインするのである。
 
 話が、自分の頭の中におきたことに、それてしまいましたが、子どもたちが、ラボパーティの活動の中の様子をお見せしたいと思います。

<長靴をはいたネコに取り組む子どもたちの映像>

 これは、「ながぐつをはいたネコ」の物語を英日で取り組んでいる子どもたちの様子である。グループ構成は、年長2人、1年生3人、2年生2人、4年生1人である。物語CDを流しながら、子どもたちはそれまでに、話し合って決めてきたように動きながら、自分が言うことになっている台詞を口々に発している。発表会10日前である。
 
”Make me a pair of leather boots" 「私に皮の長靴を作ってください。」
のネコの言葉に隠されている意味、は他の大きなこのグループでさんざん話あわれてきた。中高生のグループでは、この物語を通して猫という生き物が、知恵を使って、身分の違いや、貧富の差を乗り越えて、自由に知恵を使って自分の道を啓いていく様子を表したい、と、かなり物語のテーマ性を、頭で考え、みつけようしていた。主と使用人という身分をひっくり返し、自由を私にください、という意味があるのでは?という話し合いから、この台詞は、全員がみんなで、声をそろえて言おう、ということになっていた。そして、そう決まってから、全部のグループが合同で行う表現を創っていくときには、既に、そうやっていた。
 
 ところが、発表10日前に低学年のグループで通して動いてみたら、大きい子達のこだわって考えたことは、上手く伝わっていなかった。言うには言っているが、ネコが、ずっと計画の謀(はかりごと)をし、飼い主に皮の長靴を要求する、という風な言葉の発し方にはなっていないのだ。
 
 ネコの言葉になっているかどうか、口先だけで言っているか、生き生きと言っているか、を見分けるには、テューター自身も、何度も何度もCDを聴いて、子どもたちと一緒になって身体ごと、言葉ごと物語の疑似体験をともに共有していれば、わかってくることである。特に、年齢が小さな子どもたちのグループでは大切である。
 
 そこで、私は、もう一度、子どもたちに投げかけてみた。
「なんで、ネコは3番目の息子に皮の長靴を作ってくださいって頼んだんだと思う?」
1年男子「おしゃれだから」
1年女子「そう、かっこいいから」
4年男子「王様のお城へ行こうと思ってたから、ふかふかした敷物の上を歩くには、それが必要だと思ったから。」
T「ああ、泥がついて敷物汚すから?」
1女子「泥はくつにも付いているから、泥は関係ない。」
T「ああ、そうか、、」
1年男「やっぱり、お目通りを願ったんだから、ただのその辺の猫と違うって、とこをみせたかった。」
T「ふうん、おしゃれで特別なネコに変身するためか~。本当にそうなった?」
全員「うんうん、♪チャラららーん、てやるじゃん。」(と言いながら、ネコが長靴をはいて、ぐっとひきたった、というシーンをやってみる)
T「じゃあ、この "Make me a pair of boots."って、どんな風にネコは言うかな~?」

<それぞれが、"Make me a pair of boots" と、言いながら、くるくる回ったり、かっこいいポーズをしたり、表現も言葉もすっかり変わった様子が映像でも、よくわかる。>

 今まで話し合ってきたことが、突然、ぴたっときて、納得できた、という感じである。英語で言えば、make sense.体でつかんだ、という感じだろうか。
 
こんな風に、いくら発表会10日前で、言葉(英語の台詞)だけ、無理やりに覚えこませようと思っても、子ども、特に小さい子達には、イメージやら、ネコの気持ちやら、物語に流れているテーマが、自分の中に取り込まれ、ぴったりとこない限り、生きた言葉として発せられないのだ。
 一旦、子どもたちを、「教える、覚えこませる」事から開放して、この物語のネコのように、自由にさせてあげることで、子どもたちは、一生懸命に答えを見つけようとする。子どもたちの話し合いで、表現を決めていく、といっても、もし、その話し合いのときに、考えが深まっていない子がいたら、チューターや年上の仲間が、そうさせようとしても、うわべだけの言葉や、動きをなぞっているだけである。どの子も、よく考えた、という裏打ちされた答え(言葉と体と心が一致すること)に確信を持たなければ、本当に体ごと、その言葉は発せられないのである。
 こんな風に、一つ一つ子どもたちに一旦、丸投げして、上手く舵取りするのは至難の業である。

 時に、小さい子が大きい子に注文をつけ、大きい子が小さい子に教えられることもある。

ネコ役をやる中1の子が、
"I have a little fabvor to ask you" 『ちょっと、お願いがあるのですが、、、』
という、百姓たちに、土地の持ち主は息子、カラバス公爵のもだと、王様に向かって言わせようとする場面で、少し、強く怖い猫の感じで言っていたのを、聞いて、

小2の子:「ネコは、もっと、みゃあん、って感じで言ってほしい。」
中1の子:「わかってるよ。私もそう言いたいんだけど、日本語では、そういう風に言えても、まだ英語がちゃんと言えないから、、、家でちゃんと言えるようにしたら、きっと、そう言えるから、今度まで待ってて。」
小1の子:「そうそう、初めは、優しく、しごく丁寧に言って、後で、急に怖くてね。そうしないと、百姓は、ぶるぶる震えられないから。」
中1「わかってる。。。でも、まだ、英語でうまく言えないから、そういう風にできないんだよね~。」

 低学年であればあるほど、言葉が、物語のその場面のイメージとぴったりするように、言っていないと、違和感があるようだ。

 高学年になるにつれて、まずは、言葉を音声として一旦、取り込み、そこからイメージに近づけていく、(日本語→イメージ→表現→英語)という、プロセスを通して確認しながらインプットしていくようだ。時に、音声で取り込んだ英語をノートに書いて、CDと同じように発音できるようにしていく作業を、自分なりにやり始める。
 
 このように、低学年であれば、あるほど、体、イメージ、言葉(音声)は、自然と一体化したまま同時にインプットされて、年齢が上がるに連れて、それぞれの距離間(音声、イメージ、体での表現、物語のテーマ性、自分なりの感情などなど)を、自分なりの工夫をしながら、何度も繰り返し意識的に一体化させていく。
 
 この過程は、まさに母国語で思考するプロセスと同じであると思う。大人になるほど、表情と言葉と体がばらばらでも、やってのけてしまうことに、違和感を感じなくなっているのでは?でも、この違和感を、子どもたちは、ちゃんと、みやぶることもできる。
 
 ラボの言語習得法とは、膨大な時間がかかるが、一旦、表層ではなく、体ごと覚える記憶に仕舞われたものは、何十年たっても、必要な状況で、ぱっと取り出すことができる。ラボの活動の中で、蓄積されていく言葉の記憶の量は膨大なものである。
 
 縦長の仲間と物語りを共有しながら、体ごと表し、イメージをめぐらせ、思考しながら、蓄積されていく言葉の獲得の環境を与えてあげることを、ラボは40年間模索してきた。
 その成果を証明することも、膨大な子どもたちの事例を挙げる必要がある。なぜなら、単に英単語の量や、英文を話せるというような表面的な形に現れてくるだけでは、到底図れるものではないからである。
>>感想を掲示板へ
Re:40周年シンポジウムに向けてのレポート(12月21日) ・ >>返事を書く
がんこちゃんさん (2007年01月29日 23時59分)

こんばんは。はじめまして・・・今日の合同会議でお隣に座らせていた
だいていました美尾岐の近藤です。初めての合同会議参加で、雁さんの
ラボ、子供達の顔など思い浮かぶことなど無く(もちろんですが)組織
活動中心の内容に疲れ果てての帰宅となりました。テーマ活動の記述が
書けず、言葉の蓄積を体験していない私にとって、幼い頃から物語を通
して体験していく言葉の獲得、その過程を文字にすることは本当に難し
く、一部分の記録だけでは、あまりにも薄っぺらく空しくなります。国
分さんの文章からにじみ出る人間性にただただ感動して読ませて頂きま
した。お会いできて本当に嬉しいです。
Re:40周年シンポジウムに向けてのレポート(12月21日) >>返事を書く
おがちゃんさん (2007年02月04日 08時13分)

40周年でラボを「外部に発信する」というテーマに関して、説得力の
あるわかりやすいレポートだと感心して読ませていただきました。「小
学生年代における言語習得」に関して東京を含む4支部総会で事例交換
の機会があったので私もまとめてみました。私はまだまだ10周年を5
月に迎える新米ですが、とらえ方が重なっているところがあって、私の
とらえ方でそんなにぶれはなさそうだと読んだ後、正直心強く感じまし
た。このレポートを南東京地区研で明日みなさんにお見せしてもよろし
いでしょうか?よろしくお願いします。
Re:40周年シンポジウムに向けてのレポート(12月21日) >>返事を書く
さとみさん (2007年02月05日 23時14分)

おがちゃんさんへ

>40周年でラボを「外部に発信する」というテーマに関して、説得力

あるわかりやすいレポートだと感心して読ませていただきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お返事遅くなりました。

何か参考になるようでしたら、是非、どうぞ。
と言っても、子どもたちのラボの活動を通しての言語のインプットの仕
方を、どう分析すればいいのかは、試行錯誤です。

ひとりひとり、それぞれ、乱反射のようにアウトプットの表れ方も違う
し、多面的かつ、長期的なので、30才すぎて、深いところに入ってた
ものが、ふと出てきたり、(その頃には、本人は自覚がないかもしれま
せんが。。。)

多面的という意味は、キャンプや合宿や体験を通して言葉(コミュニケ
イション能力)を獲得していくことと、仲間とのテーマ活動や一人で楽
しんで聴く活動と、外と内との両車輪だから、どこに焦点をあてるかで
もレポートの作り方が変わってきますよね~。


まあ、ストレスたまったときも、アリスに
「あんたなんて、ただの紙切れじゃない!!!」
なぁんて、代弁させてお風呂で叫ぶと、すっきりするし、自分のスイッ
チがたくさんあるって、便利です。はい。

また、意見交換できたらって思います。
今後もよろしくお願いします。
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