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ラボ事務局員ジェりーフィッシュさんのHPのページ『平知盛』より『子午線の祀り』に関するレポートをお借りしたものです。


『子午線の祀り』について 梶原申けるは,「けふの先陣をば景時にたび候へ」.判官「義經がなくばこそ」.「まさなう候.殿は大將軍にてこそましまし候へ」.判官「おもひもよらず.鎌倉殿こそ大將軍よ.義經は奉行をうけ給たる身なれば,たゞ殿原とおなじ事ぞ」との給へば,梶原,先陣を所望しかねて,「天性この殿は侍の主にはなり難し」とぞつぶやきける.判官これをきいて,「日本一のおこの物かな」とて,太刀のつかに手をかけ給ふ.梶原「鎌倉殿の外に主をもたぬ物を」とて,是も太刀のつかに手をかけけり.(『平家物語』下.巻十一.鷄合壇浦合戰. 日本古典文学体系32 岩波書店 1959)  木下順二には,『彦市ばなし』,『山脈』,『夕鶴』,『オットーと呼ばれる日本人』,『沖縄』という代表作と並んで『子午線の祀り』という知盛を主人公にして書き下ろした戯曲があります.なぜ,木下順二は『平家物語』の中で敢えて知盛を選んだのでしょうか. 調べてみれば,『平家物語』は灌頂巻を別とし,巻十二の中で,知盛が登場するのは,六之巻の橋合戦からであり,そして十一之巻半ばで死んでしまいます.確かに端役ではありますが,平家滅亡のクライマックスを最後まで生き切るのは知盛唯一人と言えます.『子午線の祀り』(S54.2.20.初版.河出書房新社)の後記3(「どうやって書いてきたか」78年9月.素顔)に,石母田正(日本古代・中世史研究者)の『平家物語』(岩波新書)に知盛についてのことが割かれており,それに影響されたことが述べられています.また後記2(「二つの旅 ―『子午線の祀り』を書き終えて」78年2月.毎日新聞)には,『子午線の祀り』の残り3分の1ほどを書きあぐねていた頃,訪中し,北京で買い求めた毛沢東の漢詩(『毛主席詩詞墨迹』)によって助けられたことが,記されています.このことはわたしたちに多くのことを示唆しています. 戦後日本の成長の中で,戦前・戦中の教育や国体を擁護するように受け取られてきた文学は,民主主義運動の名のもとに封印されていました.そんな中で戦前・戦中にあったような古典回帰,在りし日の保田與重郎をはじめとする日本浪漫派ように,また貴種流離譚めいたヒーローとして,なぜ知盛を復活させたのかということです. 確かに文学史的意義も前章で扱ったようにあるのでしょうが,それ以上に歴史に素材を求めたギリシャ悲劇やシェイクスピアなどが念頭にあったことでしょう.石母田正という古代・中世史の研究者の説く魅力的な知盛に戯曲家として興味を持たぬはずがありません.そしてそこには,日本人のオリジナルな悲劇・喜劇を両方併せ持つ一大叙事詩があったのです.石母田正の文章を引いてみましょう. 「見べき程の事は見つ,今は自害せん」という智盛の言葉は,平家物語のなかで,おそらく千鈞の重みをもつ言葉であろう.彼はここで何を見たというのであろうか.いうまでもなく,それは内乱の歴史の変動と,そこにくりひろげられた人間の一切の浮沈,喜劇と悲劇であり,それを通して厳として存在する運命の支配であろう.あるいはその運命をあえて回避しようとしなかった自分自身の姿を見たという意味であったかもしれない.智盛がここで見たというその内容が,ほかならぬ平家物語が語った全体である.(岩波新書.1957) また,1978年1月『文藝』誌に掲載された『子午線の祀り』は,1949年4月,人民解放軍が南京を占領した時の,時代の証人である毛沢東の眼(「天若有情天亦老=天若しこころあらば天もまた老いん」)を借りて,大自然の非情に立ち向かう人間のドラマを書いたのです. ライブラリーにはこの部分はありませんが,『子午線の祀り』の大切なシーンを構成する所なので,ご紹介しましょう.壇ノ浦の合戦を明日に控えた知盛が船上で,今は殺されている「影身」のスピリットと,満天の星の下でことばを交わすシーンです.少々長い引用になりますがこら堪えてください. 知盛 あの星から眺めれば,いつか必ずそうなるはずの運命の中へ,ひと足ひと足進み入って行くわれら人間の姿が,豆粒ほどの人形の動きのように見て取れるのかも知れぬ. ― 星々にも情があらば,それを哀れと思うか,健気と思うか ― 影身 星々に情などございますまい. 知盛 なに? 影身 情ありませんからこそ星々は動きを乱すこともなく,あのようにいつまでも老いず静かにめぐっているのでございましょう. 知盛 星は静かにめぐっている.だが影身よ,わが心は修羅だ.われらうつそみの人間たち,あすはただ無益な首の取り合いへと,無二無三に突き入って行かねばならぬ. 影身 あの北斗の剣先は,万劫の過去から尽未来際,十二の干支を順々に,狂うことなく尾差しながらめぐっている ― そうおっしゃったのは,新中納言さま御自身ではございませんか.大自然の動きは非常でございます. 知盛 人の世の営みとはかかわりもないことといいたいのか! 影身 非情なものに,新中納言さま,どうぞしかと眼をお据え下さいませ.非情にめぐって行く天ゆえにこそわたくしたちたまゆらの人間たち,きらめく星を見つめて思いを深めることも,みずから慰め,力づけ,生きる命の重さを知ることもできるのではございませんか. 知盛 (ほとんど慟哭する) 影身 (すがるように,やさしく知盛を抱く)新中納言さま,人の世の大きな動きもまた,非情なものでございます.非情の相を,新中納言さま,どうぞ,どうぞ,しかと,しかと,眼をこらして見定めて下さいませ. ― (だんだんに姿が薄れ,消えて行く) 知盛 (やがて消え去った影身へ,その姿なおあるが如くに) ― 影身よ ― そうか ― 非情の相を ― しかと眼をこらして ― 見定めよとか. ― われらたまゆらの人間が,永遠なるものと思いを交わしてまぐあいを遂げ得る,それが唯一の時なのだな,影身よ. ― 劇的ということ 新中納言「見るべき程の事は見つ,いまは自害せん」とて,めのと子の伊賀平内左衞門家長をめして,「いかに,約束はたがうまじきか」との給へば,「子細にや及候」と,中納言に鎧二領きせ奉り,我身も鎧二領きて,手をとりく(ン)で海へぞ入にける.…(中略)…海上には赤旗あかじるしなげすて,かなぐりすてたりければ,龍田川の紅葉ばを嵐の吹ちらしたるがごとし.汀によする白波もうすぐれなゐにぞなりにける.主もなきむなしき船は,塩にひかれ風にしたが(ッ)て,いづくをさすともなくゆられゆくこそ悲しけれ.(『平家物語』下.巻十一.内侍所都入. 日本古典文学体系32 岩波書店 1959) 「見るべき事の程は見つ」は,一族の繁栄,栄華を欲しいままに生き,兄重盛の死後,坂を転げ落ちるように,父清盛の奇怪な死,そして都落ち.知章を見殺しにし,海上を彷徨い,阿波民部重能の裏切り,そして海上の儚き藻屑と散っていく一族の没落の最終地点まで,知盛はしっかりと眼を見開き,運命に抗し生き続けたのです.では主人公の知盛の劇的なるものとは,PoliticianからStatemanへと変貌するなどという解釈上のことがらではありません.自分の運命から逃げることなく,緊張感を保ちながら,それも積極的に生きようとする知盛の生き様にこそ,劇的なるものがあるのです. 木下順二が追いかけ続けた劇的なるものとは,人間の成長に必要となる転機を誘発するような日常的な出来事から離陸し,「理想とするものに近づこうとすればするほど遠ざかってしまう」ような,大きな力と抗うこと,それをドラマと言っていたのです.劇的ということ,ことばを変えればそのままテーマ活動と同義になるのではないでしょうか? なぜならテーマ活動は人間の力を超えたもの(物語)と緊張関係を持ち対峙する(生きる)こと以外にないからです. 「見るべき程の事は見つ」は,木下順二風に言えば,抗い生きるべき程のドラマは生きた,ということになるのでしょう.これを聞いて冥界の作者はどんな顔をされていることでしょうか? ラボライブラリーの『平 知盛』は,『子午線の祀り』とは随分違いますが,『子午線の祀り』なくして『平 知盛』はありませんでした.群読など,テーマ活動に新たな表現形式を教えてくれたのも,『子午線の祀り』に携わった方々のおかげです. 何時の日にか,『平家物語』で行間を埋めたテーマ活動・『平 知盛』をこどもたちと一緒に創ってみたいと思っています.そして,「と平家物語には書いてある」ということばを頼りに,これからも座右の書として『平家物語』を読んで行きたいと思っています. (『玉筋魚』第1号:2002年5月20日発行より) Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All right reserved. ------------------------------------------------------------------------------
ありがたいことに、長年ラボライブラリー制作に関わってこられたGさん(S氏?)より書きこみをしていただきました。私のもってるものは悲しいかな乏しい知識ゆえ、色々な方のお力を頂戴して、子ども達の協同作業(掘り下げ、練り上げ、重ね合わせ、創り上げる)の材料にさせていただきたく思います。実際にライブラリー制作にご尽力を尽くされた氏の生のお声がきかれるのも、このITプログラムならではの賜物。嬉しい限りです。


どういう経緯でそうなったのか,これをラボでつくろうというとき,木下順 二氏に使用許可をもらいに東京・本郷(千駄木)のお宅にうかがいました。ほ とんどそのときの記憶はないのですが,庭が草ぼうぼうに荒れていたことと (さとみさんのお庭のようにきれいじゃなかった),通された書斎いっぱいに 馬に関する本がぎっしりあったことのみは,やけに印象的です。  「子午線の祀り」ほかの彼の著作物はSテューターほかにお譲りしてしまっ て民話集以外には手許に残っておらず,はっきり確かめようがないのですが, この作家がどうして知盛を舞台に乗せようとしたのか,そのことを考えたこと があります。平家物語の全体を通してみると,知盛はそんなに重要な存在では ありませんよね。壇ノ浦の戦いは源平の運命を決する歴史的な戦いであったと はいえ,その戦いを書こうと思うなら,この人物よりは戦略の天才である義経 を描くほうがカッコいいに決まっています。そこじゃないんですよね,彼が書 きたかったのは。「見るべきほどのことは見つ」といってこの主人公は死んで いきますが,まさにそこ。非情な宇宙の運行の中で人はどう生きるかを追究し ようとした作ではなかったか。  子午線の視点に立って,人間の知力や想像力をもってしてはどうにも手の届 かないもの,大きく高い宇宙の運行というものがあり,そのどうにもならない 流れに沿って人間は歴史をつくっていくものなんだ,…そんな彼の歴史観,運 命観を表現するものじゃないかと思うのです。  ラボの子どもたちの活動のなかで,ぜひそのあたりのことも探っていってみ てくださいませんか。永遠なるもの,人間の力を超えるものと,たまゆらなる 人間存在との緊張関係,対立関係のなかに潜む宇宙の本質というようなこと


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