2011年6月26日
Labo奥野P.合同Big Labo・3回目
“John Manjiro Was Here”―『ジョン万次郎物語』
Voyage Two -航海記 その2 Discovering America -「アメリカ」の発見
6月26日(日)午後4:00~6:00 ローラの家にて
①アメリカへ、万次郎のおどろき
・マサチューセッツ州のニューベッドフォードってどこだろう?
・捕鯨基地
・可動橋(a sliding bridge)
・樽
・教会(Church)、市庁舎(Town Hall)
②アメリカの生活
・学ぶ-航海術、測量、天文学、数学、歴史
・人種差別、自由と平等
③1846年5月~1849年9月まで、3年間の航海
・フランクリン号で出航-喜望峰からインド洋、太平洋、グアム、マニラ、ホノルルへ
・ウミガメのスープ、万次郎大彗星を見る。
・再びホノルルへ、寅右衛門、伝蔵と五右衛門と再会(重助病死)
④1849年 ゴールドラッシュ
・49er miner として600ドル稼ぐ(日本へ帰る資金)
・“Oh, Susanna” おー、スザンナの歌が流行
⑤帰国(1851年2月)
・ホノルルへ、伝蔵と五右衛門の3人で日本へ(寅右衛門はホノルルに残る)
・船を購入、(アドベンチャラー号)
・夢は…「日本でクジラを捕る!」「母に会いたい!」
・万次郎23才、10年が経っていた!
・ホイットフィールド船長への手紙
*上記のテーマ学習をしてから、航海記その2に関連したところの「ジョン万」カルタをしました。 それから、“Oh, Susanna”の歌も皆で歌いました。 替え歌になっているのに気づきましたね。
*新刊「ももたろう」の鬼ヶ島の場面も動いてみました。
「まちがい探し」のプリントも楽しくやってもらいましたよ!
益々聴き込みが進むと嬉しいです!!!
2011年5月22日
“John Manjiro Was Here”―『ジョン万次郎物語』 合同Big Labo・2回目
5月22日(日)午後4:00~6:00 2丁目集会所にて
*航海記その1―“Drifting Toward the Southeast-黒潮に流されて”より、
ライブラリーを聴いて、次の質問について調べたり考えたりしてみよう!
①万次郎はどこで生まれたの? Where was Manjirou born?
②どうして漂流してしまったのかな? 大冒険の始まり The Start of an Adventure
万次郎が漂流したのは、何才だったでしょう。
万次郎・まんじろう( 才)の時です。
あなたは今( 才)です。
③鳥島ってどんな島かな? Torishima Island
④万次郎さんたちはどんな生活をしていたのかな? サバイバル生活 Survival
⑤ジョン・ハウランド号ってどんな船かな? The John Howland
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☆22日今日はYuちゃんとAS君がローラの家に30分前に来て打ち合わせ、4時から集会所で会場準備をした。
まずは、ソング担当MYとMI
・London Bridge ・Peter's Hammer ・If you're Happy ・Row row row your boat でアイスブレイク!
・テーマ活動1つ目は“MOMOTARO”です。
担当はSA, MY, LI の3人から、小学生たちが描いた「桃太郎」の絵を紹介、解説タイムとした。
なんとか全員で動いてみた。
*桃と川の表現
*雉、さる、いぬ、桃太郎、鬼、子供たちに分かれて動いていた。
・テーマ活動2つ目は“ジョン万”です。
担当はASとYHの2人です。ある程度まかせてみた。
登場する人物と生き物もを名前を書いたものを見せながら確認する。
実際に動き始めて、分かったことはまだイメージが共有できていない中でも何かしら声かけしながら動いていたので、なんとかCDを聴いている子からまとまってきた。 まだまだではあるのですが、、、
・テュータータイムをもらって、テーマ学習をした。
①から⑤を確実にしておきたかったのでプレゼンした。
ホイットフィールド船長、万次郎の切りぬきの写真なども見せたりした。
ジョン・ハウランド号、とうくろうの写真も同様。
また“John Kanakanaka”(労働歌)を歌ってみた。 繰り返しの部分は皆で楽しくすぐに歌っていた。 その部分の絵本を開いてクジラの油を取る仕事の事を話すことが出来た。
・最後に“ひとつしかない地球”を手話付きで歌う。 東日本の被災した人たちへの応援歌にもなるので、支援を続けようという話をして終わりにした。
2011年 4月17日
“John Manjiro Was Here”―『ジョン万次郎物語』 奥野P. 合同ラボ・1回目
・奥野パーティ今年のトライアルとして毎月1回の合同ラボをします。
理由は3つ、一つは大きな縦長のグループ活動から見えてくるものが多くあるからです。 2つ目は、新刊ライブラリーに触れる機会を増やして深く考え「言葉の気づきを互いにやりもらい」してもらおうと思うからです。
そして3つ目は「ジョン万次郎」のメッセージがラボっ子たちにとって、生涯のキーワードとなると確信するからです。 随分強気な良い方ですが偽りのない気持ちです。
・漂流という過酷な運命にであった万次郎は、ホイットフィールド船長に認められアメリカに行くことになります。 初めての国で、今でこそホームステイや留学という言葉がありますが、寺子屋に行ったこともない万次郎にとっては、読み書きも満足に出来なかったと思います。 ですからアメリカで高いレベルの教育を受けられたことは万次郎にとってとても幸運でした。 素直に好奇心旺盛で学びたいという気持ちは誰よりも強かったのでした。 万次郎は挑戦者のごとくあらゆることを吸収していきました。 そして10年経った頃には、万次郎は立派な漁師となっていました。 日本にいるお母さんに会いたい気持ちが沸々とわいてきたのです。 万次郎の功績はこの時期、開国を迫られていた日本にとっても大きな影響を与えたと言うことです。
万次郎についてのある本は、タイトルとして“See, Sea, She”と書いてあります。
See! (見る)世の中をよく見る。
Sea! (海) 航海から学ぶ。
She! (母) 母=故郷に帰る。
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*航海記その1―“Drifting Toward the Southeast-黒潮に流されて”から
“ 10 about John Mung”-次のクイズわかるかな?
ライブラリーを聴いたらすぐにわかりますよ!
①これはいつ頃のおはなしかな?
②土佐は今の何県になるかな?
③万次郎は何才で舟に乗ったのかな?
④土佐から舟に乗ったのは5人います。誰でしょうか?
⑤遭難してたどり着いた鳥島では何を食べていたのかな?
⑥島の生活も5カ月、誰が助けてくれたのかな?
⑦捕鯨船て、何をする船かな?
⑧英語はどうしてわかったのかな?
⑨どうしてジョン万って呼ばれるようになったの?
⑩万次郎はアメリカで何をしたいと思ったのかな? |