幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 ラボ国際交流について
Welcome!
~Lobo Mase Party 2005~
What's Labo? <~私がラボで学んだこと>

①ラボ歴12年(入会:小2→国際交流参加:中2/カンザス州→シニアメイト:高2→大学生活動:大1~大2/コーチ2004黒姫サマー→ラボ卒業:大2)


素足で舞台に立つ感覚は今でも忘れられない。
首にまとわりつく熱気とは裏腹に、ひんやりとした床の冷たさ。思い出しても格別なものである。
 
 ラボを始めていいかげん経つまで、私は声も身体も気も小さい子供だった。
 パーティで活動する時も、壁に張り付いてばかりいて、自分の意見を言うことなんてまずなかったし、ひと言セリフを言うのにも恐ろしいほど緊張した。
 それが楽しいと感じるようになったのはいつからだったか。
 たくさんの人に出会い、たくさんの歌や物語に触れながら、物事を深く考えることを学び、それとともに、こんなふうに壁に寄り掛かってばかりでは自分の考えや気持ちなど、誰に伝えることもできないのだと知った。
 そして、そうやって作り上げたものを、また多くの人に見せる快感を知った。…これはクセになった…。
 気付けばかなりの年月を、このへんてこりんな活動に浸かりながら過ごして来た。

 今、日常において、社会の中で大切な数多くのものを、私はラボを通して学んできたのだと実感している。
 知らない人に何かを伝える時はどうしたらいい?小さい子と話す時は?年上の人と接する時は?大勢で何かに取り組む時に大切な事は?今私のすべき事は何?私にできる事は何?この人は何を思っている?自分は何を感じている?
 パーティ活動、キャンプ、国際交流、高学年活動、地区活動や支部活動の様々な実行委員、大学生活動、コーチ活動…
 思い出すのは長いラボ活動の中の様々な場面である。
 
 もう広いホールの舞台に立つ機会などほとんどないが、私にとって、毎日が素足で舞台に立つ気分である。いや、気分的にはその前の切羽詰まったリハーサルと言ったところか。
 これもまたクセになりそうな予感がする。

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<私がラボから学んだこと>

②ラボ歴12年(入会:小2→国際交流参加:中2オハイオ州→シニアメイト→高1・高2→ 大学生表現活動:大1~大2→ラボ卒業:大2→アメリカ留学)


 ひとの交流術。ひとことで言えばこんな感じか。パーティ活動で異年齢と接し、キャンプでは遠い土地の人達と出会い、国際交流では異文化の人々とふれあった。生まれたときから成人するまで甲府にずっと住んでいた私が、こうした事を通してかなり広い視野を身につけることができた。
「人は他人を知って、やっと、自分を知ることができる。」えりかせんせいから教えてもらった事のひとつだ。まさに、この言葉どおりに私は今まで生きてきた。たくさんの人たちと出会い、心の底からぶつかり合ってきたからこそ、自分というものも見えるし、他人の事も分かる。それぞれ、人には個性があることを知っているから、あからさまには否定したり、ある形態に収まらないものを切り捨てたりしたくはない。人それぞれの個性を尊重することができるようになって、更に視野が広くなったと思う。

 国際交流。今でも私はアメリカのホストファミリーと、受け入れをしたオーストラリアンと交流をしている。アメリカには2回遊びに行った。はじめて行ったときから7年後に1回、そしてまたその7年後に1回訪ねた。最初に行った時はわけも分からずすぐに1ヶ月がすぎていった。そして2回目、このとき私はアメリカの語学学校に留学していたので現地で飛行機のチケットを取り、クリスマスを一緒に過ごした。教会でハンドベル演奏を見たりして、本場のクリスマスを体験できた。冬のオハイオを体験するトコができた(かなり寒かったが…)。3回目に行ったときはホストに子どもが生まれていた。「今度は陽子の旦那さんと子供もつれておいで」とホストファミリーに言われ、今はその約束に向けて目下努力している。
オーストラリアンとは手紙でやり取りしていたのだが、去年の冬、彼女が新婚旅行で日本に来た時に再会を果たした。旦那さんと一緒に家を訪ねてくれて、家族みんなで喜んで迎えた。10年以上も前に1ヶ月しか会っていないのにずっと続いている国際交流。“ラボで出会った人達”と言うより“そう言えばきっかけはラボだったよね”というくらいまで関係は発展している。これからもずっと交流は続いていくだろう。こんな素敵なきっかけをくれたラボに感謝!

 テーマ活動には鍛えられた。まず、30分のものを作り上げるまでにいろんなドラマがある。ひとつの場面を作るのに1日中考えてそれでも決まらなかったり、ちいさな子をいかにして物語りに引き込もうかと思案したり、1人で空回りしてそれでもまとまらずに、どうしたら良いか分からなくなって先生にあたったり(あの時はすみませんでした…)。そして何より、発表のその瞬間に身に付けられるもの、度胸!これは経験したものにしか分からない。一発勝負。ものすごい緊張感の中で臨機応変にしかし自分の役割に自信を持ち、そして他に目を配りながら30分の発表を無事に終える。社会に出てから痛感したが、この経験がかなり役立っている。マニュアルだけで仕事が成り立つ訳ではない。いかに臨機応変に対応できるか。これはやろうと思ってすぐにできるものではない。学生の頃にこんなにプレッシャーのあるプロジェクトを何回もやる人はそういない。そしてこんなに達成感のある舞台を踏む機会もラボなしでは考えられないだろう。

昔大学生活動の仲間が言っていた、「ラボは餌を自分でとりに行くサファリパークだ」と。“大自然(実社会)に見えて実は守られている。でもご飯(楽しみ)は自分で得なければならない”という意味だ。テーマ活動、シニアメイト、国際交流、カレッジ活動、大学生表現活動、コーチ、実行委員。餌はたくさんある。でも誰かが与えてくれるわけではない。自分から取りに行き、戦い、努力して得られるものだ。そして一回り大きくなっていく。たくさんの動物達と出会い、別れ、学び、教え、たくさんのことを吸収していく。ラボという安全な囲いの中でいつか外に出る時のために、知らないうちにサバイバル術を身に付けているのだ。ラボにはたくさんの活動がある。パーティ活動だけでも多くの事を得られるが、ラボの醍醐味は高学年からの活動だと思う。
まず、シニアメイト。普段の生活で何十人もいる異年齢で初対面の人間達を一つにまとめる事があるだろうか?しかも高校に入ったばかりの年齢で。見た感じ、4日間を仕切れば良いと思うがそれには相当の準備期間を設けなければいけない。テーマ活動の導入方法を考えたり、ソングバーズの教え方を研究したり、野外活動のコースを把握したり、4日間のスケジュールを組んだり…。当日までにやることは山ほどある。そして始まったらそれをキャンパー達にいかにうまく伝えるかを考えて4日間を過ごす。姉妹ロッジのシニアメイトと打ち合わせしたり。スケジュールの変更をしたり、キャンパーを盛り上げたり。睡眠時間は1日3時間ほどだが、それでも気合が入っているため、目覚ましの音5秒ぐらいで飛び起きられる。そして毎日朝のミーティングにたろう丸まで行くのだ、眠い目をこすりながら。
そしてそこにいるのは更に上を行く大学生コーチだ。朝から晩まで常時高いテンションでシニアメイトをサポートしてくれる。キャンパーはシニアメイトがキャンプを引っ張っていってくれると思いがちだが、実は一番キャンプ漬けの日々を送っているのは、彼ら、コーチなのだ。コーチはシニアメイトに輪をかけて入念な準備をしなければならない。準備の為にラボセンに通い詰め、シニアメイト研修ではカリスマオーラを出すくらいインパクト大。キャンパーがシニアメイトを参考にするように、シニアメイトはコーチを見てキャンプを作っていく。こうしてシニアメイトにとってコーチは永遠の憧れになるのである。
山梨にも高学年活動、というものがある。高学年活動は地区ごとだが大学生表現活動になると支部ごとの活動になる。コーチはラボセンに通い詰めなければならないので、山梨の短大に行っているわたしにはできなかった。しかし、大学生表現活動は週1回くらいなので1年間だけ参加した。そこで得る物は山梨には無いものばかりだった。人数こそ少なかったが、皆、大学生になってもテーマ活動がしたいとあって、心の持ちようが違うのだ。本当にテーマ活動がやりたい人たちばかりなので、面白いほど深くテーマ活動が掘り下げられていく。“誰かがセリフ覚えてこない”とか“あのグループをどうやったら物語りに引き込めるか”なんて余計な気は使わずに、自分の思っている事だけをぶつければ良い。そんなシンプルな場になっているのだ。最後に一度は経験しておいた方が良い場所が、この大学生表現活動だと思う。

最後に、現役の皆さんへ。ラボにはたくさんの活動がある。パーティ活動だけでなく、ぜひ、いろいろな活動に参加して欲しい。これらをせずにラボを終えてしまうのはあまりにももったいなさすぎる。まずはシニアメイト、そして、大学生になってもコーチやカレッジ、表現活動等続けていって欲しい。年代があがればあがるほど、やりがいのある活動に出会える。そして大切な出会いもたくさん待っている。やればやるだけのめり込んでしまうかも知れないが、それだけ魅力的なものなのだ。そしていつかその経験をもって社会に出た時に、他の人とは明らかに違う自分の個性に気付くと思う。また、ときどき、思い出したようにテーマ活動がしたくなると思う。そしたらOB発表という枠が君を待っている事だろう。(私も待っている)
ラボをやってきた12年間で学んだ事、人との交流術。もちろん英語も学んだが、それ以上に大切な、英語で話す内容の事まで学んだ。うわべだけの英会話じゃない。「ことばがこどものみらいをつくる」のスローガンどおりに私の未来はつくられていった。ありがとう、ラボ。そして、ありがとう、えりかせんせい!!!

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<出会い 成長 これから>

③ラボ歴11年(入会:小3→シニアメイト:高1・高2→国際交流:高2→ラボ卒業:大2)


私がラボに出会ったのは今から・・・そう、18年ほど前のことだ。
友人のヨーコがクリスマスパーティーで英語劇の発表をするから来て欲しいと、招待状を渡した。
そして私はもう一人の友人と一緒に出かけた。

初めてみた間瀬パーティー(当時は望月パーティーだったが)の発表は南公民館(太田町公園にあるあれだ)の会議室の一室。
20畳ほどの少し暗い部屋と長机とパイプ椅子のそこはお世辞にも素敵な空間とは呼べなかったが。
それでもその空間に私はときめいた。
とにかく楽しかったのだ。
パーティーゲームやソングバーズももちろん楽しかったのだが、何より初めて見たテーマ活動に感動をした。
『トムソーヤの冒険』
たった10人程度のその発表に私はとてもドキドキして、気がつくと手に汗を握っていた。
そこにヨーコをはじめ小学校で仲の良かったカズミやアッコがいて発表しているということにも、興奮はしていた。

・・・・それを上回る感動。

道具や背景のない劇。知識のない私にはそれがどうしてなのかはわからなかったが、それでもそこにいかだが見えたし、船も見えた。
トムもカッコいいと思ったし、ハックも面白かった。
とにかく素晴らしかったのだ。
発表が終わってもどこか放心していたように思う。
まわりの拍手に気がつかされて慌てて拍手をした。

そのときに見た、3人の友人の顔がいまだに忘れられない。
恥ずかしげで、それでいて誇らしげで、満足げな、とてもいい笑顔だった。

その笑顔に惹かれるように私はラボに入会した。
それはラボに出会ってたった10日後のことだ。

今思い出してもそのときの自分の情熱には驚かされる。
それまでの私は自己主張というものが出来なかった。(まぁ、誰も信じてはくれないが。)
どこか自分自身で諦めてしまい、感情を押し殺してしまうところがあった。
習い事も自分から言い出したことは一度もなく、ただ与えられた日常をこなしていたに過ぎない。
その私がラボから帰ってきたその日に母に言ったのだ。

『ラボをやりたい。』・・・・と。

その日あったこと、ヨーコがどんなにすごかったか、テーマ活動がどれほど素晴らしかったかを熱っぽく延々と語った気がする。
母はとても驚いていた。普段うちでは無口な私が自分から何かをしたいと初めて言ったからだ。
だからだろう、年が明けてすぐに私をえりか先生の下へと連れて行ってくれた。

そこから私のラボとの人生が始まった。

あの憧れの舞台。
当時はまだフラットの発表で今に比べればおかしなものだが、それでも嬉しかった。
私はテーマ活動が何よりも好きだ。
何かを作り上げていくことの素晴らしさ。
テーマを研究し、考え、表現することの感動。
苦しかったことも確かだ。
自分たちより上級生がいなくなって、自分たち中学生が最上級生になったときは本当に苦しかった。
それでも、仲間たちと友人たちとそれを乗り越えてきた。

だからこそ、楽しかった。

きっとラボに出会わなけば、今の私はいない。
ラボに出会い、ラボによって成長させられ、そのことが今の私を形作っている。
英語力は残念ながら幼少の頃よりやってきた方々に比べれば微々たるものだし、自慢できるのは多少発音がいいことと、英語に臆病にならずに伝えようと思えることぐらいか。
それでも一番の財産は私の思考だろう。

物事を深く考えること。
物事の本質を見逃さないようにすること。
自分の意見をはっきり述べること。
表現することは楽しいということ。

これらは機会がなければなかなか養える感覚ではないし、その機会は残念ながら今の日本にはあまりない。
だが、ラボはそのチャンスを与えてくれた。
私はバイタリティーと行動力に優れていると私を知る人は頷くだろうが、それらはラボが私に教えてくれたものだ。

諦めなければ叶わない望みなどない・・・・と。

だから行動に移せたのだ。
間瀬パーティーから飛び出して高学年活動、シニアメイト、国際交流。
色々な経験をして、さまざまなことを吸収してきた。
でも、ベースにあったのは間瀬パーティーで、そこの仲間だった。
私を暖かく包んでくれる場所なのだ、間瀬パーティーは。

私はここでたくさんの友人と出会い、共に成長してきたと自負している。
そしてその友人と共にこれからも成長し続けるのだろう。
これからも楽しみだ。

今年、晴れて娘をラボに入会させる予定だ。
夫が18年間お世話になっていた(夫もラボっ子)愛知の藤井パーティーへ。
親子2代で同じティーターに教えて頂くことになりそうだ。
今度は子供にラボの素晴らしさを伝えたいと思う。
最後に、
私にラボを教えてくれたヨーコ・カズミ・アッコ。
私をここまで成長させてくれたエリカ先生。
いままで出会ったたくさんのラボっ子と事務局の皆様方。
心より感謝いたします。ありがとうございました。


******************

④ラボ歴7年<茨城で入会:中1→国際交流:高2→ファミリーキャンプ・シニア:大1→ラボ卒業:大2>

私が間瀬Pにお世話になったのは 茨城から山梨の短大に入った時の2年間でした
中1の夏からラボに入った私は 小さい頃からラボをやっている仲間がとても大人でカッコ良く思えました 内気だった私は「長野のキャンプなんて恥ずかしくて行けない!」と思っていましたが 行ってみたら楽しくて楽しくて 毎回のようにキャンプに行くようになっていました! そんなキャンプや国際交流を通じて「まだまだラボでやりたい事がたくさんある!!」と山梨へ来てもラボを続けたいと希望したのです 
その当時 先生は3歳と生まれたばかり赤ちゃんを抱えてラボ活動をしていました!! 今私には3歳の娘がいますが 家事、育児をしながらのラボ活動なんて‥ えりか先生はなんてパ・ワ・フ・ル!!
それから山梨には大学生ラボっ子が1人もいず 私が初の大学生ラボっ子と知った時にはちょっぴり戸惑いました が 間瀬Pには 私よりもずっと大人で ずっとしっかりした高校生のあっこ、ゆり、ようこがいて 間瀬Pを引っ張って盛り上げてくれていたので すっかり頼ってすっかり安心してしまいました 幼稚園生、小学生、中学生のみんなも「ちょっこ、ちょっこ」と慕ってくれていました ありがとう!!
そして間瀬Pには兄弟姉妹が多かったのが印象に残っています 「毎日子育てしているお母さんは凄いな」と思っていた事を記憶しています 当時の私は「私も4人位子供が欲しいな」と思っていましたが 実際1人育てるのにも大変な思いをしています 「たくさん欲しい!」のは気持ちだけになりそうです‥

  10周年の時には東京支部の発表会にエントリーするのに 一番小さい3歳と一番年上の私 という年齢差がありながらも そしてお母様方も一緒に みんな真剣にテーマ活動に取り組んでいた事を思い出します 愛宕山自然の家での合宿、上手くいかずに何度も話し合ったり 涙したりした事、発表会に出られると決まった時の事、思い切り発表会に臨み 他のP にも勝るとも劣らず発表が出来、東京に山梨間瀬Pの名を残せた事‥ なかなか出来ない 凄くいい経験をさせてもらったなぁ‥と感謝です  
 
  短大を卒業して地元茨城に戻り 保育園に勤めましたが 私はなんてラッキーなのでしょう!! なんと その保育園で その年度から ラボの先生を講師として迎え ソングバードやお話を園児たちと一緒に楽しむ事が出来たのです! 父兄から「ラボって何?」の質問にも動じる事なく答えられました! 今までやってきたラボがここまでたくさんの人に知ってもらえる というのと 就職してもまたラボに触れられるというのとで 本当に感激しました

 私の娘にもそろそろラボの楽しさを伝えていきたいと思っています やはりラボに入ってどんどん世界を広げていってもらいたいのです 内気で恥ずかしがりやだった私に 仲間と一緒にステージに上がる事によって度胸がついた というように それぞれ個々の持ち味を生かしたり、苦手な事を克服したり、またみんなで協力したり、自分の意見を言って時にはぶつかり合ったり‥ そんな事が出来るラボ 英語の楽しさ、お話の楽しさは勿論 ラボは人間としてとても大きく成長出来る場、チャレンジしようという気持ちを引き出し それを大きく育ててくれる場 ではないかなぁ と思っています

 えりか先生、ちょっこの事をいつも笑顔で暖かく見守って下さってありがとうございました!! この20年は大変な時期の年月だったのではとお察しします プレッシャーもあったかと思います でもそれだけ先生にとってこの20年と間瀬Pは大きな大きなタ・カ・ラ・モ・ノですね!!
 そして 2年しかいなかった私に 20周年の連絡をして下さってありがとうございました!!(みんなもね!) 不思議なもので 連絡を頂く2,3日前に「ありさちゃん、たいがくんはいくつになったのかなぁ」と指折り数えて考えていたのです テーマ活動を一緒にやったみんなの顔も浮かんできていました 山梨と茨城 遠いのに 何か通じるものがあるのですね 本当に不思議‥
それに山梨も茨城も同じ東京支部という事なので また東京などで発表会にエントリーする時には 是非声を掛けて下さい 今後の間瀬Pも見せて下さい!!

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⑤間瀬パーティー20周年によせて」~ピーターパン~
(ラボ歴6年)

 間瀬パーティー20周年、おめでとうございます。
私も本当に嬉しいです。ラボとの出会いは、えりか先生との衝撃の出会いでした。
小学校2年生くらいだったと思いますが、陽子、あっこと一緒に下校しようとしたときにえりか先生が校門のところに立っていました。何が衝撃だったか・・というと、その美しさです。今までに見たことがないくらいの美人!!英語に興味があった・・というよりは、えりか先生の美しさにひきつけられてラボっ子になったという感じです。
えりか先生のご自宅でのスタートでした。よく、「Hokey-Pokey」やりましたね。
だんだん、仲間が増えていくのも楽しみでした。私は中学2年生くらいでラボを離れてしまったので記憶も曖昧だし、これからがラボっ子の醍醐味を味わえるというところでの退会は今になってもとても残念に思います。ただ、本当に楽しかったこと、たくさんのことを学んで、得たことだけは確かです!少ない記憶のなかでも特に思い出にのこっているのは、「ピーターパン」の発表です。どなたか覚えていらっしゃいますか?
ピーターパンの役の私は発表会の前に学校で怪我をして人差し指の骨にヒビが入ってしまいました。病院の先生が気を利かせて鉛筆を持ちやすいようにと指を曲げた状態で固定してくれました。クライマックスで高々と手を上げて前方を指さす場面があったのですが、おかげで曲がった指のピーター・・。フックをやった方が良かったかな・・?
それから、乙女高原に行ったこと。なんだかとても古い小屋で「怖~い話」しましたよね?
あの小屋からロッジに帰る帰り道のことをなぜだかよく覚えています。発表会の前は戦いでしたね。当時、「読む」ということがまだできなかったので、ガチャガチャ何度もラボ機を止めながら聞こえた音を単語帳に書いて一生懸命覚えました。ワフ家も楽しかったです。
「朝ご飯?!ヒョェ~」は忘れられません。どうやらこの台詞を自分でも知らないうちにつぶやくことがあるらしく、ラボっ子でない夫が初めてワフ家を聞いたとき「これかぁ・・朝ごはん?!ヒョェ~って・・」と言ったのには驚きで、どんなに自分がラボ大好き!なのか改めて確認した出来事でした。ラボで国際交流に参加したり、シニアメイトをやったりしてみたかったなぁ・・。繰り返しになりますが、本当にそれがとても残念です。
 そして、何より感謝していることはえりか先生のような素敵な大人に出会うことができたこと、それからかけがえのない仲間がたくさんできたことです。小さなお友達や、優しいお兄さん、お姉さん、それからキャンプに行けば全国のラボっ子と知り合うことができ仲良くなれる。普通の生活の中ではなかなかあらゆる世代の子供たちが一緒に何かに取り組むなんて経験はできませんよね。そんな経験はきっと今の私を作るうえでとても大切な役割を果たしてくれていると思います。それぞれが大人になって、それぞれの生活がある中で、今回こうして間瀬パーティーの20周年の記念に再会して同じ時間を過ごせることが本当に嬉しくてたまりません。これがラボなんですね。本当に素敵ですね。
 あの校門の日から20年が経ちました。私も母親になりました。今は引越しした関係で退会してしまいましたが、2年ほど前に娘が一度ラボっ子の仲間入りをしました。
ラボ機はCDにかわりましたが、あの頃と全然変わらないえりか先生と、あの頃と同じメロディーにあわせて楽しそうに踊る娘を見たときには、本当にじ~~~んと熱いものがこみ上げてきました。そして、親としてぜひ子供たちにはラボで私と同じように素敵な時間を過ごし、たくさんのお友達に出会い、貴重な経験をたくさんしてもらいたい!!と強く願いました。ラボハットをかぶって元気にラボランドへ出かけていく娘と息子の背中を見送る日がくるのがとても楽しみです。そして、きっとみんな同じだと思いますが、こんな素敵な世界に送り出して見守ってくれた両親には本当に感謝しています。
 えりか先生、20年間、ラボっ子の私たちからは想像もできない、計り知れないご苦労もあったことと思います。とても、とても感謝しています!!とても・・とても・・
ラボを私たちに紹介してくださって、時には厳しく、でもいつもは暖かく見守り、導き続けてくださって本当にありがとうございます。
 ラボが私の原点です!!


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