幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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「こころ・からだ・ことば 序章」
                            渡邉 俊英氏のお話より

     ★★★★★★★★「一人で立てない症候群」★★★★★★★★

 巷では、コミュニケーションがどうのこうのという声をよく聞くようになりました。私は、そこには「携帯電話」という媒体が大きく関わってきていると思うのです。携帯電話は大変便利なものですが、コミュニケーションの分野では、大変大きな功・罪があると思います。
 NHKの番組で、作家の藤本義一氏が、こんなことを話していました。

 小学校の入学式の日に、式が終わって、こどもたちは全員お母さん方と離れ、教室に入りました。教室では、先生が1人づつ名前を呼びながらこどもたちの席を決めています。しばらくして全員の席が決まり、先生が「じゃあ、明日からみんなの席はそこよ」と言い、「ハーイ!」と元気良く子ども達が返事をした瞬間、1人の女の子の携帯電話が、これも元気に鳴り出しました。女の子はたいして驚きもせず、赤いランドセルから携帯電話を取り出し話し始めました・・・
 さて、ここで問題です。いったい誰からの電話でしょう?正解は、そう、お母さん。

 母 「今なにしてるの?」
 娘 「席が決まったとこ。」
 母 「○○ちゃんの席もちゃんとあった?」
 娘 「うん、ちゃんとあったよ!」
 母 「よかったわねぇ。先生は優しいの?」
 娘 「うん。」
 母 「そう。じゃあ、ママまだお外で待ってるから。」またあとでね。
 娘 「うん。じゃあね。」

 いかがでしょうか?うそみたいですが、本当の話なのです。昔なら全く考えられない話ですね。この母親の子どもへの距離の取り方、コミュニケーションの仕方は、明らかにおかしいと思いませんか?母親自身も、こどもから自立していません。いわば、1人では立っていられないのです。このような例は、親子関係だけでなく、中高大生や若者の中に、かなり蔓延していると思うのです。(もちろん、私にもその傾向はあります)
 しかも、携帯電話やポケベルの会話の内容は、ひどくどうでもいい内容のことが多いようです。「イマナニシテル?」「オハヨウ」など。
 なにか、みんなと同じことをしていなければいけないような、自信のなさのようなものを思わず感じてしまいます。だからこそ、プリクラがこれだけ流行っているのかもしれません。
 私は最初プリクラを、自分と誰かが移っているものを集めているのだと思っていました。しかし、よく聞いてみると違うのです。プリクラ・コレクションを見せてもらうと
自分と誰かだけでなく、友達と誰か、誰かと誰か、自分は知らないけど誰かと他の誰かなど、表向きには全く関係のない人のプリクラまで集めているのです。びっくりしました。自分は、こんなに友達がいるんだよ、これだけの人と関係があるんだよ、みんな私のこと知ってくれているんだよ、と無意識の安心感・自分だけ特別なのでなく、みんなと一緒にいられているという安心感がここでは働いています。このような所にも「1人で立てない症候群」のようなものがあるのではないでしょうか?
 今回は簡単な例を挙げましたが、携帯電話による害はまだまだあります。中高生たちが電話のかけ方を知らないのも、その一つです。私達は、友人や恋人の家に電話をする時、次のような言い回しを自然に覚えたものです。

 「☆☆さんのお宅でしょうか?わたくし、△△と申しますが、□□さんは
  いらっしゃいますか?」

 しかし、最近みんな携帯電話を持っているせいか、直接本人が出るので、いきなり「イマナニシテル?」の世界で会話が始まります。私達が覚えたような会話がなくても差支えがないのです。これでは、誰かを介する会話が覚えられません。自分の名を名乗らずに話し出すこどもの電話が多いなど、うまく自分を名乗れなくなってしまっているのが現状です。
 強引にまとめるようですが、このような状況が近頃のコミュニケーションの基本となってしまっているのです。

   ★★★★★★★★「こころ・からだ・ことば」の重要さ★★★★★★★★

 さて、そのような現状を省みると、今私達が大人としてこどもたちに出来ることは一体何なのでしょうか?一つだけはっきりいえることは、これらに負けないしっかりした人間を育てていくことです。さみしさに負けない自立心が必要です。しっかりと自分のことが表現できるこどもに育てることです。このためには、こころの教育の重要性が何よりも求められていると思うのです。
 そもそも、表現とは一体何なのでしょうか?それはつまり自分の心に写ったこと、思ったこと、感じたことを外に出す活動(expression)のことです。そのための方法は何でもいいのです。作曲家のように音楽にする人もいます。画家のように絵にする人もいます。ダンサーのように踊りにする人もいます。そして中でも一番多くの人たちは、「ことば」で表現してゆきます。しかし、これらは全て、「こころ」に感じたことを外の世界にだしているだけなのです。ということは、やはりその根幹にある「こころ」が重要なのです。何も感じない、何も思わなければ、どんなに豊かな才能があっても、どれだけことばを知っていても、まるで無意味になってしまいます。また、そのこころを育てることこそ、個性を育てることになるのです。こころで感じたことの違いこそが個性なのです。そして、心を育てるには、やはり物語の力は偉大だと思います。
 さて、「こころ」で思ったことを表現するには・・・と先ほど、いくつか方法を挙げましたが、その全てがというより、どんな方法をとっても、必ず「こころ」から出たものは「からだ」を通って表現されるものなのです。「こころ」と「からだ」は一体です。ここにこそラボのテーマ活動の意味や意義が大きく関与してくるのです。しっかりとした個性や表現がいま求められているならば、なおさらこの二つを共に育てていかなくてはなりません。「こころ」をともなった「からだ」の動きなど、学校ではもちろん教えてくれません。また、現在の段階では重要視すらされていないのがほとんどです。
 この部分を大事にしているテーマ活動がこどもたちに受け入れられるのは、こころの衛生上、もっともなことなのです。そして、「からだ」は私達が自覚しているよりも、「こころ」に従順で、その動きも意識下の全く自覚できないところで(神経系や脳細胞など)驚くほど密接な関係性を持っています。
 「ことば」は、様々な表現活動の中で、おそらくもっとも他者に分かりやすい、誤解の少ない表現方法です。音楽や絵に託された想いは、どうしても受け手によって捉え方が変わってしまいがちです。しかし、「ことば」は時に誤解やことばのあやに捉われることもありますが、一番身近な表現方法のはずです。そして「ことば」が表現である以上、「こころ」と「からだ」と当然密接な関わりがあるのです。そして、その三者がしっかりかみ合って出てくる言語表現こそが、本当のコミュニケーションのスタートラインなのです。
 以上のことを通して、やはり「こころ」「からだ」「ことば」というのが、非常に重要なわけを、少し読み取っていただけたでしょうか?自分の「からだ」の中で、この3つが意識化でき始めたら、きっと世界が変わってしまうくらいの、自分再発見ができるのです。だからこそ、テーマ活動といるのは面白いし、続けてゆかなけらばならない活動であると思うのです。
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