|
|
|
|
|
SB:韓国の歌「まるくまるく」SBかかりのYkがSBブックからえらんで、Ayちゃんがてつだって、みんなで踊る。 HappyBirthday!Ayちゃん!
「ギルガメシュ3話(?)ギルガメシュさいごの旅」:
ライブラリーにないけど、どうしても2話のつづきをテーマ活動してみたい!と熱望していた子供たちを信用して、「みんな、図書館で借りたり、以前に大山Pで洋書を購入して持っている人は、読んでくること」と、約束したが・・。一番真剣な目で熱望していた男の子たちが、しなけりゃいけないそのことを、していない!自分でおはなしをさぐっていく、考えてくることが、高学年のラボッコにとって、ラボがおもしろくなるかどうかのところ。受身でなく、自分達が自主的にラボをやる大切さを切々と説くテューター。ちゃんと、よんできて、考えてきた子は今日は得ることが多かったと思う。読まずに来たこたちには、家で再度よんでみることをすすめる。
たくさんのできごとが連なっている、このおはなし、でも全体を4つの部分にわけてみると、
考えやすいようだ。それぞれの部分でGが出会った人物、教えてくれたこと、どんな場所なのか?をみんなで話し合ってみる。絵をみながら、たくさんのことにきがつき、疑問に思うみんな。けわしい山、地底、砂漠、死の海・・みんなの体験したことのないおそろしそうな世界。
「ライオンの子をどうしてたすけたのかな?」「ウトナピシュティムって、ノアのことでしょ?」「ウトナピシュティムが神といっているのは、どんな神かな?この太陽かな?天使もいっぱいいるけど・・」「どの場面にも太陽神がずっといるね」「死の海の中に、若返りの草がある。そこだけ、その草のおかげで、生き物がいるんだよ、きっと。」「イシュタールはその若返りの草を食べて,脱皮してもとの姿にもどった。もっと、いじわるそう!」
みんなは「でも、エンキデュにまた会えてよかったね!]ここがこどもたちが一番ずん、ときた場面のようだ。
6年前、当時高校生だった今の卒業生が、このお話に音楽をつけ、4,5歳だったみんなに発表をみせていた。いわば、彼らの大切な置き土産を今日またたのしむことができる。今日一回だけでやるので、役ごとのセリフを書きぬいたものを各役ごとに確認したり、声にだしてよんだりして、テーマ活動をやった。音楽がとてもおはなしにあっていて、子供たちも、だんだんのってきた。死の海をこえるところ、死の海にとびこんで若返りの草をとってくるところ、イシュタールがひそかにちかづいて、その草をたべてしまうところ、が楽しかったようす。最後のウルクの壮大な城壁や町、塔はみえたのかな? 「その死後五千年ののちにも、・・ギルガメシュの名はいきつづけている」の最後のことばまでやって、終わる。五千年前に石版にこのおはなしが書かれて、それが今の自分達に伝わっている!ということが、しんじられない、というみんな。「それ、みんな作り事?」「ちがうよ、本当のことだよ、だって、神話だろ!」「本当にギルガメシュという人はいたの?」と議論。本当に楔文字でかかれていたこと、作者のゼーマンさんは、実際に残っている遺跡やレリーフを丁寧に模写して、そこから、想像とふくらませてこの絵本のつくったことなど。
ウトナピシュティムをやったYjが、「どうして、ギルガメシュができないようなことを試させたんだろう?いじわるなんじゃない?」それにUとIがとっさに「そうじゃないよ!死なない、ということができないからだよ。きがつかせたかったんだよ、ギルガメシュに!」「じゃあ、ないものをたずねて、Gは無駄なことをした?」「そうじゃない!だって、エンキデュに最後にあえたんだから、それをしなかったら、会えなかったと思う。」「Gがそのたびをしたって、ことも全部、みんなに覚えていてもらえる。自分のしたこと、行いが永遠にいきつづけるっていうこと。」
本当にこのことばがわかるのには、もう少し人生をあゆんでいかなければいけないかもしれないみんな。最後にTが、「イシュタールがGにし返しをしたときYou have nothing!おまえはすべてを失った(日本語訳にはない部分だが、あえて子供たちに問う)といっているけど、どういう意味?」「いまはまた、わが希望を殺した、といっているから、希望もなくなったということ?」「絶望ってこと?」「でも、ちゃんとそこにエンキデュがきてくれたよ!」「エンキデュが教えてくれた!」「エンキデュにあえてよかったね!Gには友だちがいるから!」
「これからみんなも、こんな希望を失ってしまうこともあるかもしれない、でも、絶望の次にも希望はみつかるかもしれないね。自分がちゃんといきていれば、それが自分を救ってくれるんじゃないかな?それをちゃんと、おぼえていてね。」
今回、子供たちと活動して、私は、5000年前の人が「生きること」の大切さをおしえてくれていたんだ、ときがついた。「死」について、「死を超える」ことの神話かといままで思っていたのに、これはとても新発見でした。ますます、このおはなしがライブラリーになってくれたらなあ、とおもいました。表面的な「癒し」の物語よりももっと、こどもたちにとって、もっと深いものがある!
|
|