幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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振り向きし 乙女の頬はもみぢして そは夕映えか初恋か  10月01日 (水)
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がらにもない歌をタイトルで読んだが
秋がゆっくりと確実に雲のように流れている。
空はいつのまにか高く。
夜やさしく、そして深くなった。
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
彼岸も過ぎて神無月である。
出雲大社のオオクニヌシのもとに全国の神がみが集い
縁結びのサミットをするという話は有名だが
じつはこの伝承は中世以降、出雲大社のスタッフたちが
プロモーションしてひろめたものだというのが定説のようだ。
で、神無月そのものの語源は諸説あって明確にはなっていない。

さあ、あざやかで力のある作品が目にとびこんできた。
ジェラルド・マクダーモットがコールデコット賞を授賞した絵本
“Arrow to the Sun”『太陽へとぶ矢』に題材をもとめた絵だ。
描いたのは堀部奈央さん(小4/徳島市・鈴江P)。

はっきりいって「好きな絵」だ。
基本的に絵は「好き嫌い」があっていいと思う。
さらにいえばその日の気分でかわったっていい。
美術館のピカソより、
友だちが5分で描いたリンゴの絵にいやされることだってある。

で、この作品のどこが好きなのかといえば
力強いけれど無理なく心にはいってくるところかな。
その要因にはいくつかあるが
まずは個性的な色づかいだ。
原画を見ていないので印刷のかげんもあるのだろうが
抑制がきいてどっしりとした重量感があり、それでいて暗くはない。
ふつうここにあるような色をもってくると、もっと沈んだ感じなる。
もうひとつは、というよりこちらのほうがだいじなのだが
全体のバランスのよさだ。
「おやなし子」すなわち太陽の子が試練としてたちむかう
四つのキバで彼をまちかまえるもののうち、
蛇、ハチの大群、そして稲妻が迫力に満ちて描かれているが
このおそろしいものたちの躍動感がすごい。
これだけの画面にこれだけの要素をおしこめると
「たた置いただけ」、すなわちテーマ活動でいえば
「語られているからとりあえずかたちをなぞっただけ」
みたいになりがちである。
しかし奈央さんは、みごとにこの怪物たちをいきいきと動かした。

色彩のところで書き忘れたが、
中央を横切る大蛇の朱色があざやかな印象と奥行きをつくり
稲妻のヤマブキがかった黄色と背景の闇の黒(濃淡、潤滑があるのも
すばらしい!)と
ハチの黄色と黒がすばらしいコンボになっている。

そして、これまた好きなのは太陽の子の低くかまえた
どうどうとした姿勢とするどい眼光もお気に入りのひとつだ。

10歳の画力としてはとびぬけていることはたしがだが
この絵をもっとも支えているのは
上記のようなスキルではなく
この物語への奈央さんの思いの強さだだろう。
『太陽へとぶ矢』を相当に聴き込み
はげしくインスパイアされているからこそ
この絵が描けたとぼくは思う。
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さて、この絵本のもとになった物語は
Native Americanの共同体Puebloの神話だ。
Pueblo を共同体と書いたのは、
そのなかに20を越える部族があるからである。
だからPueblo People、あるいはPueblosといういい方はあっても
プエブロ族というのは大雑把すぎる。
原画はNative Americanのアートによく見られる
モザイク調のデザインをベースにした
とても洗練されたグラフィックだ。

一方、この絵本は、後年、
Native Americanの研究者から批判を受けた作品でもある。
そのなかで重要なのは、Puebloには、
「おやなし子」非嫡子という概念は存在しないというものである。
ただ、これにも意見が別れるところがるので、
ぼくはこれ以上言及はしない。
いつもいうことだが
ラボ・ライブラリーは文化人類学の研究資料ではないので、
あまり歴史的整合性や時代考証にこだわり過ぎるとへんなことになる。
ただ、エスニックなストーリィをあつかうときは、
そのオリジナルの文化にリスペクトをもつことを忘れてはいけない。

もうひとつ、先住民に関する表現はその意味や成立も含めて
きわめて複雑な判断がせまられる。
いわゆるPC(バソコンではなく政治的に正しいの意)として
Native Americanということばが使用されただしたのは
じつは1960年代にさかのぼる。
アメリカ先住民の総称としてすつかり定着した感があるが
先住民最大の団体である
The American Indian Movement (AIM)
はNative Americanの呼称を拒否しており
1977年には国連にその旨を伝える代表団をおくっている。
彼らにいわせれば
「インディアンはたしかにインドの人という意味の誤った表現ではあるが
Native Americanといういいかたは
アメリカインディアンを名称ごと消滅させる一種の民族浄化」ときびしい。
さらに「Native Americanは内務省の出先機関が使用しはじめた用語で
インディアンからでたことばではない。合衆国の囚人としての先住民を
ひとくくりにした政治用語だ」と断定している。

たしかに彼らのいうようにNative Americanとして全部族せくくってしまうと
それぞれの文化の個性が埋没してしまう危険がある。
アメリカスタンダードがグローバルスタンダードになる危惧と同様に
多様性の否定につながりかねない。

たとえばよく知られたティピーは平原地方独特の住居であり
「Native Americanの典型的な住居としてのティピー」という
表現はまさにくくってしまったことによる誤りである。

アメリカのみならず世界各地、
たとえば中国にも54の先住民、少数民族がいる。
それぞれに独自の文化があることはいうまでもない。
だから、今回のように
それぞれの芸術などをとりあつかうときは
Puebloといった個別の名称を使用するのが
リスペクトというものだめろう。

一方で現代の人類、ホモ・サピエンス・サピエンスは
生物学的には一種であり、いわゆる人種は亜種にすぎない。
なんとなれば人類はすべせて交配か真能だからだ。
だから「人種問題」「人種差別」ということば言語矛盾であり
「人間どうしの問題」「人間どうしの差別」なのだ。

ただむしかえすようだが
physical anthropology 形質人類学的な学問的分類では
人種てきな表現をつかわざるを得ない。
そのなかでアメリカ先住民の多くは
およそ2万年前から1万年間かけて
アジアから南北アメリカにひろがった(古)モンゴロイドの
流れをくんでいる。

そう考えると、この奈央さんの絵も
遠いDNAで海のかなたとつながっている気がしてならない。
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すこしさかのぼるが
21日の日曜、秋の彼岸会の墓参をした。
本来なら中日に行くべきだが、
朝刊をとりに外にでたら巻雲が美しいので今日に変更。
巻雲、シーラスは不連続線あるいは不連続面の上部にできやすい雲なので、
二三日後には天気はくずれるからだ。
彼岸会の7日間のうち中日が先祖に感謝する日であ残りの6日は、
布施をする檀那などの6種の修養を積まねばならない。
ぼくなどは仏陀もドン引きする破戒人生なので
いまさら修養をつんでもどうにもならないが、
せめて墓参はしている
その6種の修養が六波羅蜜だが、
波羅蜜はサンスクリット語でもパーリ語でも
「到達」という意味だと宝仙寺の僧侶にうかがった。
ただし波羅蜜は中国語訳だが、
玄奘三蔵はインドから帰国後の作業のなかで波羅蜜多と改訳した。
で、こちらがより正確らしい。
そういえば般若心経は玄奘の訳だが、
たしかに出だしは般若波羅蜜多であるな。

春の彼岸はこれから暖かくなり、
新しい命が息づくときだから心がほっこりする。
比べて秋の彼岸は美しく玲瓏で切ない。
墓参では、5年前にぼくの病をもっていくように他界した父親と対話しにいく。
対話といってもぼくが一方的に報告するだけだが、
ときおりさっと風がぬけたり墓の後の木がゆれるくらいだ。
寺に着いたのは10時すぎだが(三澤制作所から徒歩5分)
空はますます高く、泣きたいくらい美しい。

その空のせいだろうか、いきなり父親のみらず、
ぼくが関わり、ぼくが学び、
そして彼の岸に渡った人たちへの想いがあふれてきて、
涙がとまらなくなった。でもそれはぼくへの叱咤と激励に思えた。
だから、ぼくは空に向かって花束をふった。

もう何度も何度も書いたが、
心のなかに生かしているかぎり人は消滅しない。
そのことからぶれないかぎり、
彼らが心にいるかぎり死に臨んでは
なに一つ携えてゆけぬ此岸の旅で幾度躓こうとも
ぼくは幾度でも立ち上がるだろう。

巻雲の彼方 旅する人に
花のオベイションく
Re:振り向きし 乙女の頬はもみぢして …
かせだまさん (2014年11月15日 18時41分)

ごぶさたしています。

先月のカレンダーのSENCHOさんの感想を

やっときいてみたくなり きてみました~~~。

毎月すてきなラボ・カレンダーでしたが

「太陽へとぶ矢」は、とっても大好きな絵だったので

とにかくひとり 見て楽しみたかったからです。

生き物のエネルギッシュな踊りのようで

そしてなんとなく ファンキーな主人公。

いいね!いいね!と。

かせだまは いつまで見(魅)入っておりました。

今月は、フレデリックになり あたたかな気持ちです~。

私が言うのもなんですが いつも素敵なラボ・カレンダーですね。

ありがとうございます!!
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