幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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物語と生命よりすばらしいものが、この世にいくつある! 11月01日 ()
bfgb
霜月になった。
あまりおだやかでない秋だ。
政治的なはなしはこの日記にはなじまないので
極力書かないできたがそうもいっていられない状況だ。

たが、ラボにできることはこどもたちの希望を激励すること。
その武器はことばとこころ、物語と交流以外にない。
ここからぶれなければ、次の世界をつくりだす人材はきっと育っていくし
すでに育っている。
bfd
三澤製作所のラボ・カレンダーをめくる。
レオ・リオニLeo Lioniの絵本"FREDREICK"に題材をもとめた作品。
描いたのは関根由裕くん(小4/塩谷郡高根沢町・志度P)だ。
前月と前々月が超インパクトのある絵だったので
今月はほっとする感じだ。
生活に追われる4匹の野ネズミと「詩人」フレデリックが描かれている。
原作絵本のもつさまざまなメッセージを由裕くんなりに感じ取り
それをすなおに表現した潔さがきもちいい。
そのテーマについては後ほどふれるとして
彼の絵をじっくり見ていこう。
というのは、本人はかなり力をいれて描いているのに
※けして力んでという意味でなく、思いたっぷりにということだ
ちょっと見だけで、ふわっとした平坦な作品と断じてしまうことがよくあるからだ。
とくにこの物語の絵本はちぎり絵、はり絵でつくられているから
シンプルにデフォルメされた野ネズミたちや岩や植物が
一定の厚みとあたたかさをかもしだしているだけに
単に、「まねして塗り絵」をしようとすると
それこそ、のっぺらで奥行きも味もあまりないものになりがちだ。
だが、由裕くんの作品を昨夜遅くライブラリーを聴きながら眺め
また今朝、コーヒーをのみつつ朝日の自然光のなかで見ていたら
心がほぐされ、彼のこの物語への思いがじわじわと響いてきた。
おだやかな漢方薬といったら、あまりいいたとえではないが
たしかにじんわり効いてくる。
で、なんといっても色とタッチだ。
全体に使用している基本の色数は見ての通り多くはない。
だけど由裕くんは、ひとつの色を微妙な濃淡と
筆のタッチの強弱で多彩な印象に見せている。
画材は不透明水彩だから、濃淡は水のかげんだろう。
さらになんといってもタッチ、筆の運びがとにかくデリケートで
かつ力みのない自然な流れで変化がついている。
これは計算してやったことではきっとなく、
なにか鼻歌でも歌うようなリラックスさと
ものすごい集中が同居した「ゾーン」みたいな状態で
一気にしあげたのではないかと勝手に想像するのだ。
岩にしても背景のイエローにしても
もちろん野ネズミにしても
そうした濃淡やタッチの変化が細かくつけられているので゛
原作のちぎり絵の素材感にも負けない由裕くんの味がでていると思う。
『フレデリック』の物語については何度か触れたので
もうあまりテーマについてぐたぐだ書かぬ。
cs
でも、この物語は読み返すごと、聴き返すごとに多層的に感じる。
「ことばの伝達力と不能」「ことばの強さともろさ」
「詩人は職業か」「芸術と社会」「個性と孤立」「労働と芸術」
といったような、ときに相反し、議論をよびおこすテーゼが
つまっていることにどんどん気がつく。
以下、メモ的なアフォリズムとして列記
現実の野ネズミの寿命は人間のそれと比較すればきわめて短いが
もし、フレデリックがこの後、何年もそうであり続けられるのだろうか。
芸術はある意味で反社会的(社会を転覆するという意味でなく)
な性質をその本質に内包するものだ。
と、高校時代の恩師、故江頭昌平先生はいわれた。
詩人とは職業ではなく生き方である。
というこの物語の翻訳をされた谷川俊太郎氏はいわれている。
個性はときに孤立し、それでものびるのが個性か。
※これはぼくも同感で、「個性を伸ばす教育」などは
かなりイカサマっぽい。「伸ばしてあげなきゃなびない」
なんてのは個性ではない。
たたいてもさらに伸びるののが個性だと思う。
ただ、戦前、戦後も日本の教育は
「個性をふみつぶす」もしくは芽を摘み取り
平均的な兵士、平均的な労働者をつくりだすことに
力を注いだという悲劇。
「あのひとちょっとかわってる」の「ちょっと」は
かなりずれてるというマイナス待遇表現。
かわっているという意味では、
みんなだいたいおなじだがちょっとかわっているのに。
結局ぐたぐだ書いてしまったが
リオニの作品のライブラリーづくりは楽しかった。
『ひとあしひとあし』の冒頭にいくつかのヴァージョンがあることについて
ニューヨーク在住のリオニのお孫さんとメールのやりとりができ
たいへん激励されたこと。
そして『フレデリック』の英日対応で悩んでいたとき、
音楽担当の谷川賢作さんに相談したら
「父にきいてみますよ」とあっさりおっしゃってくださり
その数日後に俊太郎氏からラボのような新訳が
ファックスで届いたこと。
そしてリリース記念の賢作さんのコンサートを
四谷文化センターでできたこと。
まだまだあるけど。
ありがとうリオ・リオニ
bgbgr
武蔵学園につとめだしてはや半年が過ぎた。
今年の正月くらいまでは
まさか学校方針で仕事をするとは夢にも思わなかった。
日本の教育史をふりかえるなかで見えてきたものは多い。
特に戦後の単線型の教育の問題点。
基礎教養、リベラルアーツ教育の衰退。
おそまきながら公教育をまじめにとらえかえすなかで
ラボのような非公教育の意味もよりクリアになってきている。
sax
つい先日、秋篠宮の次女がICUのAO入試に合格したというニュースが流れた。
ひねくれていうわけではないが
ICUにとってはどうでもいいことで
皇族が入学しても大学の価値があがるわけではまったくない。
むしろ取材やセキュリテイなどでめんどくさいだけだ。
ただ、きちんと入試を受けて資格をみたしたのなら
ぼくがどうこういうことではない。

ただ、学習院にしてみればメンツまるつぶれだ。
このプリンセスのためにわざわざ教育学科を新設し、
さらに東大からぼくも敬愛する佐藤学氏を看板教授にひきぬいたのに
在学数か月で退学とはいささかやりすぎだと思う。

せめて学習院をでてから学士入学というてはなかったのかな。

さて、昨日はHalloweenであった。
ラボでもその名を借りた交流会が各地で行われているようだ。
そのことをくさすつもりは毛頭ないが、
ぼく個人としては「異文化の行事の取り扱い」については
慎重でありたいと思っている。
異文化に対してリスペクトし、その本質を学ぶのもラボだからだ。
とくに宗教に関係することがらについては
なおさらセンシティヴでありたいと思う。
さらに信仰に関わることは一層である。
信仰はindividualな心の問題であり土足でふみこんではいけないからだ。

昨日、Facebookでみなさんよくご存じの木島タロー氏が
Halloweenについてこんな一文を寄せていた。
彼は信仰者であり、ぼくは無神論者である。
だが彼の意見に同意してコメントを送った。
このことでラボのハロウィン行事をうんぬんいう気はないし
議論をしようとも思わないが
みんなの好きなタローくんの思いも知って
考えるきっかけにしてほしい。

まずぼくのコメント。
タローちゃん。まったく同感。
昨日渋谷にいたけど、
自己アイデンティティを確かめたい若者が
仮装することで自らをなんとか解放していた。
Halloweenはもはや商業的なinitiationになりつつあるね。
Happy Halloweenは言語矛盾だけど、
彼らにとってはhappyなのかも。
今日は万聖節。冬になっていくね。

以下木島氏の一文
ゴスペルとハロウィーンは相容れない。
基本的に教会ではハロウィーンは祝わない。
多くの教会では、悪魔崇拝に近い祭りだと考えられているからだ。
教会によって、関知しない、奨励しない、禁止する、非難する、
子供達にハロウィーンに対抗する
教会での楽しいイベントを提供する、
など態度は様々だが、
基本的に、ハロウィーンには関わらないという
態度のクリスチャンの方が優等生的な扱いになる。
僕自身は、何を祝っているのか分からないものは祝わない方なので、
ハロウィーンだから騒ぐとか言う事はないが、
年に一回堂々と仮装して歩ける日、
という発想は面白いものだと思う。
うちのムスメも本日は猫の耳をつけ
肉球のおもちゃがついた棒を振って友達と遊びにいった。
ちなみに、先日DUCで教会をおとずれた際、
牧師から、10月なので黒とオレンジで来ないか、と言われた。
おっと、ハロウィーンカラーじゃないよ、
ハーベスト(収穫祭)カラーだよ、との事で、
面白いものだと思った。
ゴスペルを指導する人々は、
少なくとも、ハロウィーンがゴスペルとは
相容れないことについて良く認識しておく必要がある。
知らずにまさか「ハロウィーン・ゴスペル」
みたいなイベントをやった日には大変だ。
それをアメリカのゴスペル人達が見たら多分、
僕がアメリカ人の友人がご飯に醤油をかけて食べ
それを日本食だと人に言っているのを見た時のような気分になるだろう。
P.S. さあDUCの、大阪 Black Music History は、,11/23。
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