幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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さよならだけが人生なんていわないさ。だからとりあえず前に! 11月30日 ()
師走である。
はじめに追悼をせねばならないのはせつない。
hihi
『ポアンホワンけのくもたち』の
「なんというゆうやけ」を描かれた元永定正先生、
『きてれつ六勇士』の破壊力ある絵で
ラボっ子を圧倒した赤瀬川源平先生につづき
『はらべこあおむし』『わたしとあそんで』などの
音楽を担当された越部信義先生も旅だた、れてしまった。

どうしたらいいのだろう。
のこされたぼくたち凡人はうろたえるばかりだ。

「前にすすむしかない」と先生たちの声がきこえてはくるが‥‥。

ハイレッドセンターというとぼけた名前で、
日本の前衛芸術をリードした高松次郎先生、赤瀬川源平先生、
中西夏之(『ながぐつをはいたねこ』)先生たちだが
とうとうセンターだけになってしまわれた。

越部先生は、スタジオでもほんとうにおだやかな方で
「サザエさん」や「おもちゃのチャチャチャ」など
多くの人びとに愛された名曲とともに、
そのお人柄も慕われた。
ぼく個人としては、「みんなのうた」の
「地球を7回半回れ」が大好きだった。
そのこと初めてお会いしたとき先生につたえると
「ぼくもあれは気に入っているよ」
とうれしそうにおっしゃられたのがなつかしい。
jjljlj
三澤製作所のラボ・カレンダーをめくる。
とうとう師走になった。
毎月、好き勝手に激励コメントを書いてきたら、
あっという間に今年もあとひと月になってしまった。

この春からは学校法人で記念室長などという
なにか博物館館長のようなフルタイムの仕事についたので、
フリータイムがずいぶんへったが、
このカレンダーの絵についてだけは続けてきた。
もともとこのカレンダーの活動は、
ラボっ子の描画活動、絵を書くという表現行動を激励しようぜ! 
ということではじまった。
だから「ぼくはなんでこの絵が好きなのか」を書くことで、
ちょっとでも励ましになったり、
なんかへんな絵、幼稚な作品としてしか感じない人に
「へぇーっ」といって子どもの絵に
少しでもあたたかい関心をもってもらえたらと思って、
あえて「読みたい人だけ読めや」という
えらそうな態度で綴ることにしたのだ。

さて、本年最後の作品は12月はThe March of Jizo
『かさじぞう』に題材をもとめたものである。
作者は宮川祐輔くん(小3・坂出市/小口P)。
一昨年も書いたが、とても有名なむかしばなしであり、
それゆえにバリアントがいっぱいある。
地蔵の数も六地蔵(六道衆生の救済)が多いが、
五体や七体もある。
さらに御礼に来る地蔵もふつうはこの作品のように
全員で豪華絢爛にやってくるが、
代表一体だけというのもあるし、
食べ物やお宝のかわりにおじいさんとおばあさんを
極楽に連れていってしまうという驚くべきエンディングもある。
joj
この物語もカレンダーの応募テーマとしては大人気だが、
いつも思うのは、雪降りしきる夜の描写がすてきなことだ。
原作の本多先生の青もすばらしいが、
宮川くんの深い青と白い絵の具を吹き散らしたような
雪の描きかたにやられてしまった。

余談だが、青は日本人にとってはとってもたいせつな色だ。
昔からその種類も多い。青、藍、群青、浅葱、浅縹(あさはなだ)、
瓶覗き(かめのぞき・手ぬぐいにつかわれる。
「瓶覗きの手ぬぐいそれときって」=樋口一葉「われから」)など、
これらはほんの一部だが、
日本人は青の微細なちがいにそれぞれ名称をあたえて
ちゃんと生活のなかで区別していたのだ。すごいなあ。

英語でも「スカイ」「プルシャン」「ターコイス」「ネイビー」
「マリーン」「インディゴ」「ウルトラマリン」などと山のようにあり、
ウエストミンスター・プルー、アイスランドブルー
なんてのも含めて100以上もある。

ちなみに母校ICU(秋篠宮の次女がAOで合格して話題だが、
たがいの個性を尊重する風土なのでお姉さんのときもそうだったが、
どうということはない。
たぶんのびのびと学問に集中できるだろう。
入学おめでとう! Welcome to ICU 以上! だとみんないっている)
の旗の色はUnited Nation Blueであると、
日比谷潤子学長からおききした。

宮川くんの青でハッと思い出しのは
1973年、フランソワ・トリュフォー監督の映画「アメリカの夜」
(La Nuit américaine, : Day for Night)である。
ぼくがちょうど大学2年のときの作品だが、
映画を愛する人におくる映画づくりの苦悩とすばらしさを描き、
オスカーの外国語映画賞を受賞した。

アメリカの夜とは、カメラのレンズに
赤や黄色などの暖色系の色をカットするフィルターをつけて
「夜の場面を昼間に撮影する」テクニックのことだ。
カラーになる前のハリウッドで開発されたので、
この名前がある。
だからアメリカでは「アメリカの夜」とはいわずDay for Night と呼ぶ。
現在ではカラー、さらにデジタル化によりほとんど使用されない技だが、
コアな映画通によると注意してみているとたまにあるそうだ。

もちろん、リアルな夜はこうした人工のあかりのない昔の村はずれなら、
基本的には真っ暗なはずだ。
しかしそれでは絵にならない。でも雪降りしきる夜を描きたい。
宮川くんの作品は、なにより「アメリカの夜」の濃い青によって、
地蔵がゆく夜の深さと闇をしっかりと伝えている。

しかし、このように茶色、グレー、ダークブルーという色で
かなりの面積をとると、全体が暗く沈んでしまうので、
物語の大団円があまり明るくない印象になってしまいがちだ。

そうさせずに、なにか希望に近い明るさを感じさせるのは、
なんといっても地蔵たちの福に満ちた表情とイエローオーカー
(土からとった顔料なので自然であり、どんな色ともあう)の荷台と、
その上の米や魚などのギフトの暖色である。 

さらに荷台の位置が中央ではなくやや左によっていて、
黄金比に近いバランスになっているのもきもちがいい。
もっこふんどしの地蔵はセンターではなく、
にぎやかしのサイドに立ち位置をとっていておもしろい。
 
でもしつこいようだが、やっぱり夜の青と雪がすごい。
なんど見ても、微妙かつ絶妙なグラデーションがかっこいい。
単純な「塗り絵」にしたらこうはいかない。

ラボっ子の『かさじぞう』の絵はいつも、
雪の夜を描いているのにあたたかい。
それは子どもたちの心の温度そのままなのだろう。
ラボっ子が育んでいる「シェアする、わかちあう精神」の
あらわれなのだと確信する。

そのシェアは、単に物質だけでなく、
互いの違いを認めあう「価値のシェア」でもある。
世界も物語も解釈や正解はけしてひとつではない。
正解・不正解で二分されがちな公教育、
とくに教科の「こなし」に終始しがちな義務教育にはなじみにくい部分を、
ラボのような非公教育は責任をもって担わなければならない。

年の終わりの絵に、この物語を選んだのは
季節感はもちろんだが、
そうしたラボの社会的責任への決意だとうけとりたい(いいすぎかな)。

地蔵は本来は末法の世(まさに今)、
56億7000万年後にあらわれる弥勒の前に人びとを救う菩薩だ。
一方、この物語の地蔵は「なまはげ」などのように
年の暮れなどに遠くから幸をとどける
「まれびと」であるともいえる。

世界も日本も、残念ながら今年もまた血と涙を忘れることはでなかった。
いや、状況はますますきびしいというべきだろう。
その年もまもなく終る。

宮川くんの絵は、はげしく引っ掻いたような雪と
深いアメリカの夜の青で、世界を覆う夜の深さと寒さを警告しながらも、
地蔵のおだやかで諭すような笑顔と
ゆっくりたがたしかな足取りで、
希望があることを、希望をすててはいけないと語りかけてくる。
地蔵様、お願いです。来年こそおだやかな凪を世界に!


ここからはおまけ「トンチン」の意味がわかります。
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タイトル下ならぴに上の写真は濯川(すすぎがわ)といって、
この春から勤務している武蔵学園の中央を流れる小河川だ。
このところ小中学生の郊外学習による見学が多く、
みんな珍しがって写真を撮る。
取材にきた「週刊ポスト」の編集者もイラストレーターも
「校内に池のある学校は数あるけれど
川が流れている学校はなかなかない」といっていた。

現在は水源が限られているため、循環方式で水流量を保っている。
大正11年の旧制武蔵高校開設当時は川の周辺は田畑があったため、
あぜ道の脇を流れる小川といったような風景が想像される。
この川の歴史は古く、元禄9年(1996)に
江戸の下町の上水として武蔵丘陵の背を開削された千川上水に由来する。
その農業用の分水であった。

濯川は学園を東西に流れ、学園を南北にほぼ二分している。
中学生のころはザリガニを釣ったりもしたアホだったが
最近になって濯川のおもしろさがわかってきた。
昼休みに岸辺を散歩するのが楽しみである。
やっとそのくらいには大人になったのだろう。

濯川の名は旧制高校時代に名付けられたが、
その由来は中国紀元前3世紀、楚の詩人屈原の詩である。
滄浪之水清兮 可以濯吾纓 滄浪之水濁兮 可以濯吾足

そうろうのみずすまば、もってわがえいをあらうべし、
そうろうのみずにごれば、 もってわがあしをあらうべし 

屈原 「漁父」(楚辞 巻七)

※追放された屈原が沼沢地で漁父に出会い、処世について問答する。
屈原は潔白な生き方を貫こうとするのに対して、
漁父は世の清濁に応じて生きなさいという。
滄浪は揚子江の支流漢水の下流の名。纓(えい)は冠のひものこと。

おまけのおまけ。
憂国の詩人屈原は汨羅江(べきらこう)に入水するが、
この川は洞庭湖=トンチンフーに注ぐ長江右岸の支流。
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