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Contradictoryなぼく 62の初心? Boiling Water! 03月31日 (火)
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桜隧道 2015

空までも薫る
息ぐるしいほどの
満開、満開、満開の下
ああ、きみは
なんどでも
そのたおやかな手をのばす
とどかないねと
つぶやいた声は
去っていった魂に
聴こえたのだろうか
そんなきみの今と
軍靴が遠音する
この国の明日を
思い出のように
花舞いかかる
桜隧道にひざまずき
ぼくはただ祈るのだ
※写真はICUの正門から教会までのマクリーン通りの桜並木。約600メートル。この道は中島飛行機研究所の試験用滑走路で、ぼくたちも滑走路と呼んでいたが、ここから実際に飛行機が飛んだ記録はない。
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lcd
3月31日のようす。今年はまたいけないので
体育科の高橋伸先生にいただいた。

ラボ・カレンダー卯月
食べることは生きる力の基本のキ
はせぺ1
午前五時、三澤製作所の
ラボ・カレンダーをめくった。
例によってフライイングである。
めざせ9秒台(意味不明)。

作品はエリック・カールの絵本
"The Very Hungry Caterpillar"
『はらぺこあおむし』に題材をもとめたもの。
ここでボケをひとつ。
「おっ、2時間ドラマの女王だね」
「なんで?」
「キャタピラなぎさ、なんちゃって」
「いいかげんにしなさい」

描いたのは貞苅依吹さん(小1/北九州市・北名P)。
たいへん申し訳ないが
姓名ともに正しく発音する自信がない。
おそらくは、「さだかり・いぶき」さんで
女性(ジェンダーは作品と関係ないこともない)だろうか。
さらに推理すると2月か3月生まれかな。

※だれかご存じの方よろしく

なんて詮索はともかく、
カレンダー登場キャラランキングでも
毎年上位をしめる「あおむし」の登場だ。
ぼくが現役でカレンダーを担当しているときにも
何百枚、いやそれ以上の点数の「あおむし」をみている。

この物語が刊行されたのは2000年の7月
『ハメルンのふえふき』に収録されている。
前世紀最後のラボ・ライブラリーだ。

あおむしのみならず、だるまちゃんや「かぶ」などの
人気キャラやテーマは
「すんごい作品」が既出しているので
入選はおろか1次選考を通過するのもたいへんだ。

今朝、カレンダーをめくるとき
絵のしたにあるタイトルとクレジットが目に入ったが
正直にいえば「あおむしか、どうかな」という
けっこうブラックな印象をもった。

だが、めくり終えて作品の全貌がみえたとき
思わず声をあげそうになるほど仰天した。

なんという力強さ、迫力だろう。
タッチは大胆でまよいがない。
ごちそうをまえにしたあおむしの
「ぜんぶたべるけんね」マックスパワーが伝わってくる。

このあとあおむしは
かげんをしらぬ一気ぐいがたたり
腹痛で苦しむ。

この過程は子どもにとってはリアルな問題だ。
子どもは幼いほど食べ物を自由に手に入れることができない。
「もうよしなさい」
「おかしはひとつだけといったでしょ」と
つねに保護者から制限をかけられ
かといって自力で贖うこともできない。

子どものときに
チョコレートを一箱食べてみたいとか
アイスクリームをバケツで食べたいとか
ケーキを全種類いっぺんに味わいたいなんていう妄想を
したことのない人はいないだろう。

でも、食べすぎておなかが痛くなるという経験も
少なからずあるはずだ。
too muchで痛い目にあい学習して成長するのは
子どもの特権だ。

この物語が子どもたちに圧倒的に支持されるのは
こうした子どもの生理に正直であり
子どもの身体を通過できるからだ。

依吹さんも、まさにこの絵を
身体を通して描いている。
そのタッチのはげしさだけでもすごいのだが
たぶん依吹さんは、そう大きなほうではない(想像だが)
と思うので、使用した画用紙は
肩幅より広いはずだ。

しかも画材はおそらくクレパスだろうから
これだけの面積を塗るのは
かなりの体力、とくに持久力が必要だ。
そして持久力は、体力のみならず精神力も要求する。

さらに、画材がクレバスかクーピーだとしたら
水彩のように色をまぜてつくることが困難だ。
それを重ねぬりをすることで
単なる「塗り絵」でない厚みと力強さが生まれた。

依吹さんの年齢でここまでやると
ラストのほうでは疲れてしまうのだが、
バランスもきちんとれていてすみずみまで
きっちりしあげている。

全体に大胆なのはすぐわかるが
細部はかなり繊細だ
夢中に描いてはいるが
どこかに冷静な目をもっているのではないか。

ピアニストは鍵盤を叩いている自分を
上から見ている自分がいるという。
信州鎌職人の名人、故中村与平さんも
「槌をふりおろす自分を見ている自分がおるよ」
といった。
おそるべし。
りせのりせ
この絵本がでたとき、
「いい絵本、わるい絵本」と区分けするのが
好きな絵本評論家たちから
「穴をあけたりして絵本じゅなくておもちゃ」とか
「ストーリィがない」
「ノンがみたいな絵」などといろいろ批判された。
しかし、世界じゅうの子どもたちが
『はらぺこあおむし』を支持した。

かりにおもちゃでもいいいじゃないか。
ちゃんとも物語だし
漫画(ではないが)のどこがわるい!

食欲は人間の欲のなかても
生命維持に直結する最重要のものだ。
人間はホモサピエンス・サピエンスと分類される
哺乳動物であるから
採集、狩猟をして食料を確保しなければ生存できない。
その後発達して農耕や牧畜などを身につけたが
採集と狩猟の安定度が増しただけで
基本はおなじである。

したがって人間の歴史は飢餓の恐怖とのたたかいであった。
飽食などとといっているのは、
20世紀後半以降のわずかな時間だ。
しかも、それも世界の人口のなかでは少数であり
今も飢餓におびえる人びと子どもたちが
とくに地球の南半分に多いことを
ぼくたちは認識しなければならない。

とくに生命体として不安定な幼いときほど
食べることは切実な問題だ。

日本でもかつて兄弟姉妹がたくさんいたから
おかずやおやつのの確保はきびしいあらそいである。

食べて、歩けて、眠れる。
人間にとってこれ以上の幸せしあまりない。
大病をするとそう思う。
くりかえしになるが
なかでも食べることはいちばんたいせつだ。

野生の力、生きる力が若い世代、幼い世代で弱体化しているという
懸念がいわれてかなりたつ。

たが、依吹さんのように
「たべちゃうぞ」パワーをこれだけ発揮できるのだったら
心配しなくてもいいのかと思う。

その力をうみだすひとつのきっかけに
このライブラリーがなったとしたら
プロデュースした側としてはうれしいかぎりだ。

続いての桜は、現在毎日出勤している
学校法人根津育英会武蔵学園にて。
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昨年4月1日に、縁あって
まさかの学校法人で記念室長なるものに就任してから
あっというまに一年がたった。
月日は百代の過客。通り過ぎたら帰ってこないのね。..
当初は体力、気力が週5日、朝から夕方までの定時労働、
しかも責任のある管理職が氏族的につとまるか不安だった。
しかし、生来の「なんとかなる」でスタートして
いきおいでここのできた。
みなさんのおかげである。
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桜武蔵1
3月24日に62歳になってしまった。
朝、5時45分に新聞をとりに外にでた。
花冷え。
天気予報に脅されて
念のためカウチンのカーディガンをはおったが
北からの風が意外にやわらかい。
相談役をおこさないように
キッチンでまずお湯をわかす。
紅茶か珈琲か少し惑う。

2005年の夏の終わり
午後の木漏れ日がゆれる
黒姫・仁の蔵のニコルさんの居間で
彼から紅茶の入れ方についてレクチャーをきいた。
その日、ニコルさんは寝起きがわるかった。
ぼくたちは約束の時間に尋ねたのだが
彼は夜に自分からでかけると勘違いしていたのだ。
ニコルさんはご存じの巨体をかがめながら
「うーん、おいしい鹿肉をもってラボランドにいこうと
思ってたんだよ」と
目をごしごしとこすった。
それでも、庭先の水風呂をあび
おみやげの清酒をうけとると
「これはまかせてください」とだいぶ起源がなおった。
ニコルさんは珈琲を飲まない。
酒は全種類うけいれるが
お茶といえば紅茶しかもミルクティーだ。
ここに暑いティーがあればニコルさんのご機嫌も
完璧になるはずだ。
すると手伝いきていたスタッフの女性が
「すみません牛乳がありません。
子どもたちがさっきみんな飲んでしまいました」
子どもたち? と思ったら
夏休みを利用して二コル夫人のご兄弟や
甥、姪が泊まりにきているという。
するとニコルさんは、かなりドスのきいた声で
「殺す」とつぶやき
悲しそうな顔になった。
それでも、
「ストレートでいいからお茶ちょうだい」と
ニコルさんはいい、こう続けたのだ。

「紅茶をいれるコツは、いろいろあるけれど
とにかくお湯の温度が大事だよ。
これがだめだと、どんなにいい葉でも
どんなに美しいカップでも興ざめ」
「ニック、お湯が熱くなければいけないということ?」
するとニコルさんは意外なことをいった。
「紅茶の本にはboiled waterを使えと書いてあるけど
それではだめだ」
びっくりして
「えーっ、じゃどうしたらいいんですか」
ときかえすとニコルさんはニヤリとわらって
「BOILING WATERさ」
そんななつかしいエピソードを思いかえしながら

アールグレイを入れる。
なんとかグラグラのお湯で勝負できた。
続いて相談役の常用薬を用意し
カップに湯冷ましをつくる。
そのころから、うすく音楽かラボ・ライブラリーを流す。
※今日は『ヒマラヤのふえ』
テレビもオンだが音声は消しておく。
そしてサラダと納豆とご飯150グラムという
おきまりの朝食をとりはじめると
相談役がおきてきた。
いつもなら、かるいおはようのあと
ぼくの向かいにすわり
すぐに血圧をはかり自分で記録するのだが
今朝は、定位置にこしかけるなり
小さなからだをさらに小さくして
「お誕生日、もおめでとうございます」と
頭をさげた。
桜武蔵2
母親に頭をさげられるのはせつないし恥ずかしい。
「もう、62だぜ。いまさら誕生日もないよ」
と、素直でない息子はしょうもないかえしをする。
でも、相談役は真顔で
「あんな大きな手術をして、今日までこれて
仕事までできるようになったんだから
めでたくはないでしょう」ときっぱり。
まったくその通りである。
でも、後でわかったことだが
14時間という手術時間の長さと
信じがたいほどやせてしまったぼくの身体
さらに
「腫瘍はすべて摘出したけれど
細胞学レベルでは再発や転移の可能性はわかりません」
という医師のことばから
相談役は覚悟をきめていたらしい。

もっとも、ぼくが回復するのに反比例して
慢性的に肺疾患を急に憎悪して
父がぼくの退院の2か月後に他界したたので
母親はストレスの連続だったと思う。

朝から、たいへん多くの方がたに
誕生日のメッセージをいただいた
こんなうすぎたないおっさんに
もったいないことである。

そして、やっとわかったのは
今朝の相談役のあらたまったあいさつは
今日まで生かされてきたことへの感謝、
そのパワーをあたえてくれた
多くの方がたの感謝とリスペクトを自覚しなさいという
メッセージだったのだ。

そんなことを
数時間たたないと気づかない
自らの蒙を恥じ入るばかりである。
世阿弥は『風姿花伝』の年来稽古条々なかで
五十有余、すなわち50代後半以降について
 
このころよりは、おほかた、せぬならでは、
てだてあるまじ。
※なにも演じないことしかない。
麒麟も老いては土馬に劣ると申すことあり。
※ときびしい
しかし
さり ながら、真に得たらん能者ならば、
物数はみなみな失せて、
善悪見所はすくなしとも、花は残るべし。
亡父にて候ひし者は、
※観阿弥のことだ。

五十二と申しし五月十九日に死去せしが、
その月の四日、駿河の国、浅間の御前にて法楽つかまつり、
その日の申楽、ことに花やかにて、
見物の上下、一同に褒美せしなり。
およそそのころ、ものかずをばはや初心にゆづりて、
安きところをすくなすくなと、
色へてせしかども、花はいやましにみえしなり。
これ真に 得たりし花なるがゆゑに、
能は、枝葉もすくなく、老木になるまで、
花は散らで残りしなり。これ、眼のあたり、
老骨に残りし花の証拠なり。

『風姿花伝』(「花伝書」という通称名はどうも誤称らしい)は
能の理論書であるが、
芸事全般の修行の哲学書でもあり
日本の美学の古典としても読める。
また、教育者、指導者のテキストとしてもすぐれていると思う。
さきほ引用した「年来稽古条々」は
年代ごとの修行の心構えについてふれているのだが、
幼い子どもに対する指導法などは
ラボにも通じるところがあっておもしろい。

世阿弥はさらに 35歳くらいまでが勝負だという。
この時期までにオリジナルなスタイルができていることがたいせつで、
40歳を過ぎたら技術的な上昇はのぞめないときびしい。
そして、45歳から50歳になれば、
もうあまり大きな役は演じてはいけない。
どんな名手も衰えていくから、
むしろ後継者の育成に力を注げと書いている。
そして、前述した ように50歳をすぎれば
「なにもしないこと」がベストだとさみしいのだが、
本当の名人ならそこに花はのこるとも続けている。
『風姿花伝』は 20年以上の年月をかけて編まれた。

人は成長するにつれて「子どもの愛くるしさ」
「若者のみずみずしさ」「成人の力強さ」などを次々に失っていく。
だがそれは、いずれもが試練の段階であり、
そのたびごとに新しい学びがあり、
そのたびごとに初心者として失敗したり恥をかいたりする。
それこそが「初心 忘れるべからず」の
初心であるとぼくは読む。

初心とは単に始めたときの心ではなく、
人生に何回か訪れる新しい試練やステージに向かうときに、
学ぶ者としての瑞々しい挑戦する精神であり
未熟を自覚するつらさなのだ。
昨年春、学校法人 という未経験の組織で、
歴史という未知の仕事に、
還暦過ぎにして向き合うことになったとき、
やっとその意味が半分わかった。
さきほど紹介した ように
世阿弥の父である観阿弥は、
死の2週間ほど前に浅間神社で奉納の能を舞った。

それは、しずかでおだやかで動きのすくない抑制のきいた舞だったが、
世阿弥はそこに積み重ねた芸がのこした残花を見た。
老木にも花はのこる。
それこそが世阿弥がめざした
修行の果てにたどりつくべき芸術だった。
さて、例によって えらそうなことをだらだらと買いだが、

タイトルにあげたように
自分のなかに存在する二律背反、矛盾は
若いときからかわらずに
心のなかの石ころのようにごろごろとしている。

やさしくありたい と思いながら
おどろくほど冷たい自分がいる。
強くなりたいと意 識しながら
逃げたい心がこわい。
繊細でいたいと願 いながら
基本は大雑把だ。

悟りの境地をめざしたいが
欲望には忠実だ。
みんなの幸せを祈 りながら
自分がかわいい。

人生はいつまでも たっても初心者だ。
ノルウェーの冒険 家、フリーチョフ・ナンセンは
「地球もまた一瞬のできごとにすぎない」といった。
たしかに宇宙史的 スパンでみれば
人間の一生など
10億分の一瞬であろう。
がんばってもせいぜい100年。
その短い時間のな かで
ないたり、笑ったり、怒ったり
愛したり、憎んだりする。
たかだか100年 以内。
そしてみんな時間の渦に消えていく。
むなしい?
いや、ぼくたちは、それを「生きる」というのだ。
それが人間の尊厳であり
それをおびやかすものに
ぼくたちはたちむかわねばならない。
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