幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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文月一日に 水無月のおもひ / 学問と芸術、そして表現は常に自由でなければならない 07月01日 (水)
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水無月のおもひ

木漏れ日に目覚めたのですか
やわらかな風に誘われたのですか
息苦しいほどの緑の葉の上で
口笛をふいていますか
せせらぐ小川の岸辺の
薄暗い木の根っこで
ひざをかかえていますか
小道の先でぼくや
ぼくじゃないだれかを
まっていますか
それとも
ほくが届きそうで届かない
ぼくのうしろの少し高いところで
ぼくといっしょに
この美しい午後に微笑んでいますか
どこにいるんですか
いつまでいるんですか
もうかえるんですか!
tgh
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
※今回は作品の情報がないとわかりづらいので
最初に少し説明があることをおことわりしておく。

文月である。1年の折り返しだ。
ゆうべ事務所のカレンダーをめくって、しばらく呆然とした。
一瞬、なんの物語かわからなかったからだ。
まさかSongbirdsから? Three Little Speckled Frogs?
だとしても絵柄があわない。
カレンダーの絵でその出典となった物語が即座に理解できないのは
はじめてのことなのでショックだった。
どんな場面かをちょっと考えることはよくあるが
本歌のラボ・ライブラリーがわからないことはなかった。

で、タイトルを見て「そうか」とわかった。
描き手の川野空(小4/佐賀市・高崎P)くん
(男子だと思うけど、ちがったらごめんなさい)が
題材もとめたのは
The Well Of The World’s End という
ジョセフ・ジェイコブズが編纂したイギリス昔話の1編だ。
「えーっそれしらない」という人のために
この絵の話をするまえに少しフォローしておこう。

ジョセフ・ジェイコブズは『3びきのコブタ』『ジャックと豆の木』
『くるりんぼうず』『猫の王』(以上SK10)、はたまた『トム・ティット』
『三人のおろかもの』(以上SK22)などの昔話が
ラボ・ライブラリーに収録されており、
その作品数はグリム兄弟についで多い。

じつはラボ・ライブラリーが独自の0.5インチ・アナログテープだった時代、
SK11(現在は欠番)というラボ・テープがあった。
それがジェイコブズのEnglish Fairy Talesを収録した
『イギリス昔話集』だ。
このテープはジェイコプスの原作をほぼそのまま音声収録したもので
英語のみで日本語はなく、テキストも英語だけであった。

その少し前の1974年12月に
SK10の『ジャックと豆の木』がリリースされており、
これはジェイコブズの原文の特徴をいかしながら
現代英語に再話したものだ。
しかし、なぜこの直後、ほぼ同時期にEnglish Fairy Tales
が刊行されたのかはわからない。
ぼくが制作にきた1986年には、
すでに言及した事務資料はなかった。
当時の機関誌にはおそらく記述や告知があったと思う。

その後、1990年にラボの物語がCD化されるときに、
このEnglish Fairy Talesはそのリストからはずれた。
理由としては、英語のみのライブラリーが
日常のパーティ活動としてとりあげられることは稀なことが
まず第一にあった。
English Fairy Talesは、中高生のグループで
自分たちで日本語をつくったりといった
チャレンジ的な活動に用いられていることはあったが、
ラボ・ライブリーが毎年増加していくなかで
パーティの共通ライブラリーとして揃える対象にはなりにくかった。
また、英語がジェイコブズによるオリジナルそのものなので
たいへん古い、ほぼ死語に近い語彙も含まれていたことも一因だ。
だから資料的価値が高いことは確かだ。

さらに、1989年にはSK22『トム・ティット・トット』がリリースされ
ジェスコブズの昔話をオリジナルのよさをSL10のようにキープしながら
あまり古いいいまわし(神宮輝夫先生が特大の英英辞典を三種調べて
やっと見つけた単語などもあった)などを現代語におきかえて
英日の通常のライブラリーのスタイルで楽しめるようになったことも大きい。

ジェイコブズのイギリス昔話の魅力、
とくにラボ・ライブラリーの素材としての魅力はたいへんなものだ。
なんといっても、英語のマザーランドの国が育んだ
ことばの魅力である。
長く伝えられてきて昔話には、英語のリズム、抑揚などの
英語という言語がもつ「音」しての基本的な要素が
モルトのように熟成されている。
そうした語り全体の魅力だけでなく
シャレや早口ことば、韻を踏んだセリフなどの言語遊戯もたのしい。
『3びきのコブタ』のでだしや、『くるりんぼ?ず』の自滅的早口などは
みなさんよくご存じの通りだ。

だから「シェイクスピア」「ナーサリー・ライム」「イギリス昔話」は
英語のマザーランドの三大宝石といってもいいと思う。
この宝石にまったくふれることなく英語を学んだなどとは
いってはいかんと、断言してもいいだろう。

また、昔話はその物語を育んだ土地の風や光をたっぷりとふくんでいる。
グリムの『子どもと家庭のための童話』が、北ヨーロパの
奥深い森の玲瓏さと大気の緊張感を伝えるように
ジェイコブズのイギリス昔話は
田舎道にまいあがる日なたの土ぼこりのような香りがする。

さらに、これはいうまでもないことだが
昔話には、その物語を育んできた人びとの
情熱、よろこび、かなしみ、怒り、そして生きる知恵などが
濃縮されてつまっている。
その生きる力という意味でいえば
イギリス昔話では、「ヒューモア」「アイロニー」「ナンセンス」
などの、人間の生きる力を豊かにする「笑い」がふんだんにふくまれている。

たとえばナンセンスは、「コモンセンスの国」の精神のバランスをたもつ
息苦しい常識や現実への挑戦や疑問であり、
論理をこえて心に響き、精神の核をたくましくしていくものだ。
またヒューモアは、王だろうと王女だろうと金持ちだろうと
「人間はみな大差なく、けっこうおろか」と
自分も含めて突き放して外から痛快に笑い飛ばしながら
「でも、人間はかわいくていいよな」という
人間への愛情にあふれる笑いた。
だから「ヒューモア」いわゆるユーモアは
かなり知的な精神であり、
教育者や子どもに向き合う者にとって重要なのだ。

さても、このThe Well Of The World’s End は
2013年にSK10がリニーュアル刊行されたときに、
4枚目のディスクとして、かつてのSK11English Fairy Talesから
9編を収録した際の1編であるということがわかった。
SK10のリニューアルはきいてはいたが、
English Fairy Talesをあらためて収録したといのは初耳だった。
そのへんのくだりは昨日、ラボ本部の制作局にうかがって確認した。

そのときは、事実のみの確認に留め、収録した理由はきかなかったが
English Fairy Talesは、ぜひ英語だけで楽しむ経験
英語だけでそのリズムや音を味わう体験をしてほしいと
かねてより思っていたから個人的にはとてもいいことだと拍手する。

さて、ようやっとThe Well Of The World’s Endの話だ。
この物語はイギリス昔話のなかでも
スコットランドとイングランドの境目あたり、
スコットランド南部の「ローランド」の伝承だとジェイコブズは述べており
さらに、ドイツの『カエルの王子』『鉄のヘンリー』などの話、
みなさんご存じの『かえめと金のまり』によく似ているとも記している。

ストーリィをざっくり書いておくと
「継母にいじめられていめ娘が、世界の果てにある井戸からsieve、
すなわちザルで水をくんでこいという無茶ブリをされ、
ようよう小さなおばあさんに井戸のありかを教わるけれど、
ザルでは水をくめないので泣いていると、カエルがあらわれて、
おいらののぞみを一晩きいてくれるなら水をくむ方法を教えるよという。
娘はまあなあんだという方法で水をくんで帰り、カエルの要求をきくと
(最後がちょっとこわい)カエルはハンサムな王子なに……」といったものだ。
やはり地域性というかイングランドの話とはとょっとふんいきがちがう。
ただ、流れるような語りはもちろん、
カエルが娘に語る井戸をくむ方法や要求が、リズムの心地よい
そして謎めいた美しい押韻詩になっているのはたのしい。

ようやっと川野くん(さん)の絵についてだ。
制作にきいたら、この物語は「ラボ翻訳大賞」というラボっ子に
光る言語感性で翻訳に挑戦してもらおうという企画の課題物語だったという。
で、川野くんの高崎パーティもとりくんだそうである
しかし、大賞の応募資格は小5以上だったので
川野くん自身は賞にはエントリーしていない。
て、ここからは想像の域を出ないのだが、
バーティでみんなで取り組んだのだろう。
とにかく彼はこの物語にインスパイアされて
「ラボ・カレンダーの絵」にエントリーし、
なんと入選という快挙をやってのけたのだ。

そのあたりの経緯はぜひうかがいたいものだ。
川野くんがどのようにこの物語と向き合い
どのようなきもちで絵を描いたのか。

もちろん、このライブラリーは聴いたと思うが
英語だけの音声である。
翻訳大賞という、ともすれば個人の作業になりがちなことが
バーティ全体でシェアする活動にふくらんだとすれば
これはもう、すばらしく魅力的な新しいラボ活動だろう!

井戸に水を汲むような装置が描かれていたり、
カエルが三匹いたりするのは
(ぼくはまだこのライブラリーを「つまぴらかに」聴いていないので
記憶で書いているので誤解していたらごめん)
ストーリィとずれがあるかもしれないが、
そんなことはもうどうでもいい話だ。

なんといってもカエルの躍動感はただことではない。
さらにそれぞれカエルのポーズを異なるように描き分けているから
よりスピード感が増している。
また、カエルが置かれている位置もいいパランスをつくった。

そらに色合いがすてきである。
全体に抑えているが、さわやかでふしぎな透明感がある。
「これが世界の果てなんだぜ」と、すっきりいわれているようで
じつにすがすがしい。

そして色数も控えめなのだが、同系色の濃淡を
ていねいに使用しているのもまいった点だ。
また、ほんの少しだけ使った赤系や黄色系が
とてもおしゃれなアクセントになっている。

さらにさらに背景も、ただの塗り絵ではなく緻密に
デリケートに筆を運んでいるのがすごい。
全体にさっと描いたように見えるかもしれないが
やはり仕事はとってもていねいだ。

この作品を入選にもってきた審査メンバーに敬意を表する。

イギリス昔話集を編纂したジョセフ・ジェイコブズは
生まれはオーストラリアのシドニーである。

彼はたいへんな座談の名手で
多くの著名人がジェイコブズと食事をしたがったという。
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先月はじめ
午前9時に練馬区立豊玉東小学校の3年生51名(これで全員、2クラス)が
吉羽校長先生と担任教員の皆さんとともに武蔵に見学にこられた。
毎年、練馬区あるいは周辺の小中学校が見学にくるが、
ほとんどが総合的学習である。

この豊玉北小は徒歩で15分くらいだから最も武蔵に近い公立校だ。
昨年もきてくれて皆とても熱心なので好印象だったが、
今年もなかなか中身が濃かった。
ふつうは引率は担任だけだが、
の学校は昨年着任した吉羽校長が今年も来られた。
校長先生がいちばん好奇心いっぱいに話を聴かれていたのが印象的。
だから生徒もそうなるのかな。
解説は武蔵の元校長で植物がご専門の福田泰二博士。
ぼくは撮影とアシスタント。
まあキャンプの自然観察コースでいえば、
ぼくはコーチかシニアメイト役。ひさびさに血がさわいだぜ。
腕はさびてないな。
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※上の写真は学園内の濯川財にある小さな不動明王を発見して
いろいろと考える生徒たち。この像は江戸時代からあるがラス歴は不明。

たっぷり80分のコースだが皆集中力があった。
最近、小学校でも授業中に立ち歩いたり、
出ていってしまったり、おしゃべりがで授業が成立しないと嘆く
教員の話をよく聞く。
しかし、その場合どうしても原因を自分の外側、
すなわち子どもに求めがちだ。
だが、ちがう。
今の子どもに集中力がないのではない。
聴くにあたいしない非本質的な話だからだ。
子どもの知的好奇心に寄り添っていないだけだ。
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濯川上流の喜寿縞付近で。水をさわる。後ろのスーツが吉羽校長。

話はここから重くなる。
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写真は1944年撮影。上野の岡埜栄泉堂の勤労動員時の集合写真だ。
武蔵高等学校高等科1年生と引率の鬼頭英一教授。
終戦1年前。生徒たちの顔は無邪気に明るいが、
戦局はすでに厳しく、本土空襲も始まっていた。
※岡埜栄泉堂は和菓子の老舗で日本サッカー界の重鎮
岡野俊一郎氏の実家。
このところ、戦後70年ということもあり、
戦時中の学校のようす、生徒や教員たちの記録をまとめている。
全般に武蔵の記録は創立以来かなり残っているが
戦争末期になるとさすがに少ない。
記録どころではなかったということもあろうし、
軍部の目にふれることを意識した大義名分的なものも多い。
また戦後、かなり数の資料が焼却された可能性も高い。
それでも、当時の生徒や教員の日誌や書簡、校務記録や
事務員のメモなどから、十分ではないが
戦時中でありながら、ひたむきに生きた
生徒や教員たちの姿をかすかにとらえることはできる。
そうした記録の展示をはじめたが、
そのなかで、教育のと戦争、学問の自由について考える縁(よすが)になればと思う。
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写真は21期生が尋常科に入学したときの写真だ。
1942年の4月である。
彼らは中3の2月、つまり終戦の年の春から
「高円寺にあった陸軍気象部
(現在の杉並区立馬橋小学校と馬橋公園付近)に
勤労動員されて作業に通った。
その記録がのこっているが
当然にも、軍関係者の目にふれるものであったから、
その内容にはやや大義名分が先行している感があるが、
それでも当時の生徒たちのきびしい生活、
教員たちの苦悩が伝わってくる。

日誌は同年の8月19日までだ。
生徒たちは日曜日以外は早朝高円寺駅に集合し
徒歩で陸軍気象部にむかい、朝一時間だけ授業をうけてから
16時までビッシリ作業をしている。
途中は10分休みが3回、40分の昼食休みが1回。

作業の内容は各地の飛行場の微気象の集計や解析、
それに基づく天気確率の計算など、かなり高等な作業だ。
彼らは今でいえば中3の3学期から高1の夏休みの途中まで
その青春のみずみずしい時期に
勤労動員いう強制的な若年労働を強いられ
勉学の機会を奪われたのだ。
戦地で殺し、殺された兵士、
空襲で、原爆で、沖縄地上戦で惨殺された市民と同様に
学びの時間を奪われた勤労動員で酷使された少年少女たちも
戦争の犠牲者なのだ!

彼らが奪われたのは学びだけではない。
精神も肉体も削り取られるように蝕まれた。
陸軍気象部での作業は飛行場のデータなどの軍の機密を扱う。
したがって「混血の生徒は作業から省くこと」という
指令がでており、教師も生徒も傷ついた記録がある。
戦争の不条理、人間の尊厳を平然と否定する論理は、
武器を誰も持たない、戦地ではない街でも
人間を阻害していく。

戦争に関わる限り、後方であろうが非戦闘地域であろうが、
戦争の不条理が醸成するストレスは人間を襲う。
したがって、自衛隊の活動地域が増加すれば
精神的肉体的リスクは必ずや級数的に増加する。
それをリスクは増さない、戦争には絶対まきこまれないと
なんの根拠で断言できるのか。

勤労動員では成長期の少年少女たちが
劣悪な環境と貧しい栄養補給のなかで
厳しい労働や現在では考えられない危険な作業を強いられた。
事故による死亡、栄養不良による感染症、肺結核で
命を落とした生徒もいた。

日誌を見ていくと
たびたび空襲警報によって作業を中断している。
東京は100回以上空襲をうけているから当然だが、
3月10日をはじめとする大空襲の記述はほとんどない。
広島、長崎の新型爆弾の記述もない。
やはり情報統制、軍の検閲を意識したのだろうか。
ただ、さすがに3月9からの3日間は記述がとんでいる。

そして8月15日も一切記述がない。
日誌は19日まで続く。
敗戦の翌日も生徒たちは勤労動員に行っている。
考えてみればまだ占領軍本部はできていないし、
大日本帝国憲法下の諸法は有効であるから、
敗戦の混乱のなかで勤労動員終わりの指令もでていないのだ。
ただ16日にの午後には動員は解散する旨の予告があり、
働いた報償金、guaranteeが支払われるとの連絡がある。
おもしろいのは引率の教員が日数分の交通費も支払うよう交渉し
きちんと払わせていることだ。
17日には生徒たちが陸軍気象部の庭に集められ
「なぜ敗戦したか」の訓示をうけている。
それは「各地社会が縄張り争いをしたこと」という
意味不明なものと「日本の科学力が幼稚であったこと」
というそれ自体幼稚な訓示だった。

この後に及んでまだ軍の話を聴いているのはふしぎだが
当時の新聞の論調も翼賛的皇国的な匂いを引きずっていて、
しだいに「民主主義」風になっていく、
それには一週間くらいかかっているから、
8月15日を境にいきなり手のひらがえしで「さあ民主主義!」と
はしゃげたわけではない。

8月19日をもって武蔵高等学校尋常科3年陸軍気象部動員隊は
正式に解散する。
日誌の最後は生徒たちへの連絡で終わっており、
「各自自宅で待機し授業に備えること。授業は9月3日より再開する」
とある。

この動員隊の初期にリーダーとしての人間性が豊かで
また計算や分析などの作業でもすぐれた力量があり
さらに類まれな想像力の持ち主で皆に慕われた
米田助(よねだ・たすく)さんという生徒がいた。
しかし、彼は肺結核を病み、劣悪な栄養状態のもと
病態は悪化し続けた。
結果として米田さんはリーダーの仕事を親友に引きつぎ
自宅で療養を余儀なくされる。

米田さんは終戦の翌年の9月、16歳で世を去る。
帝大に進み理学者を夢みていたた聡明な少年、
運動も得意で片足とびで素早く動き
友人たちをおどろかせた輝く瞳の少年の未来は
戦争が奪っていったのだ。

最後に紹介する詩は同期21期の
林玉樹さんという方の追悼詩だ。
上の入学式の写真に米田氏も林氏もいるはずだが
まだ特定できていないのが残念だ。

昭和20年真夏、彼らは16歳、青春のまんなかにいたのだ!


こういう日に君は来たまえ

??級友米田助さんへの追悼詩??
太陽のひかりは白くて
ゆうべの雨で黒く濡れた土には
小さな破片のきらきらするような
空気がまぶしい
ふと日陰にはいったり
たまり水に手をつけたりすると
驚く程 つめたいんだ
こういう日に
君は来たまえ
にこにこ笑いながら
片足でとんで来たまえ

風は少しつめたいようだが
青い空を流れて行くさりげない雲を
もう一度しゃべりながら 眺めよう
気の早い奴はコートを着たりして
そろそろ校庭を歩き回っているかもしれない

でも君は 忘れずに皆のところに来たまえ
背の高い雑木の葉っぱも
まだ茶色に乾きはしない
こういう日にね
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