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教育のゴールは社会 管子いわく 終身計 莫如樹人  09月01日 (火)
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
今回は前置きが長いです。

グリム童話を再話したラボ・ライブラリー
”Seven At A Stroke"『ひとうちななつ』に収録されている
”The Wolf and The Seven Little Goats”『おおかみと七ひきのこやぎ』に
題材をもとめた作品だ。
描いたのは由井ひまりさん(中1/甲斐市・万行P)。

ひさしぶりに中学生の入選作品が登場した。
まずそのことに大きな拍手をおくりたい。
たしかに「ラボ・カレンダーの絵」に応募するラボっ子は
圧倒的に小学校中学年以下の子どもたちだ。
だからといって、描き手の年齢は選考の基本要素にはあまり含まれない。
あくまで作品本位である。

これまで紹介してきたように
・物語と深く楽しく睦みあっているか。
・しつこくこだわって描き込んでいるか
・どれだけ物語が好きか
・全力で勝負しているか
・フォルムのおもしろさ
・色彩の個性
・構図や奥行きやスピード感
などがぼくが担当した24年間のカレンダー選考の大きなポイントだった。
それらはおそらくいまも継承されていることだろう。
ただ、入選となるにはそれらに加えてカレンダーならではの要素も入ってくる。
すなわち
・横長の比率で描かれているか。
※勘違いして用紙を縦に使用した名作が毎年ある。
・季節感のパランス(冬ばかり夏ばかりというわけにもいかぬ)
・1か月、壁にかけておけるか。
※たとえばおどろおどろしすぎて、
絵画作品としてしすばらしくてもいろいろなところ
(医院や福祉施設などにも寄贈される)飾られることを考慮すると、
うーむということもある。

さても、選考会で年齢が話題になるのは、選考委員から質問がでたときだ。
その多くは
・低年齢の子どもの作品の場合、おとなの手が入っていないか。
※これは残念ながら、毎年点数は少ないが存在する。
あきらかに全体のタッチの異なる複雑な曲線や微妙な折り返し、
細かい彩色など、直接におとなが筆を入れたか、
あるいは子どもの手をもって描いたと判断せざるを得ないものがある。
もちろん悪意によるものではなく、子どもがこまって手が進まないときなど、
ついつい善意の思い込みでそうしたことが
行なわれてしまうこと自体を非難してもしかたない。
親子で楽しく共同で描画活動することは、それはそれでアリだからだ。

でも、ラボ・カレンダーの絵の活動は教育プログラムであり、そもそもが
・子どもたちの描画活動を激励しよう!
・だから1年にいちどくらいは、
絵の好きな子もあまり好きでない子もひとりで大きなサイズの絵を全力で描いてみよう!
ということからはじまったのだ。
だから、最後までひとりでがんばるのがおやくそくなのだ。

もうひとつ年齢が話題になるのは、今回のように高学年、
とくに中学生以上の応募作品。
近年はどうかわからないが、
ぼくが担当していたときも中高生による作品は毎年10点以上はあった。
いまの学校教育のシステム、流れからいくと
学齢があがるほど描画から遠のく。
それだではなく、美術そのものからも遠ざかってしまう傾向がある。あかんよね。
だからいきおい、「ラボ・カレンダーの絵」の活動が
幼児~小学校低学年むけのような印象になってしまった。

ラボ活動でライブラリーの絵本を通して
すばらしい絵画作品と幼いときから出会っていることは、
じつはとっても重要なことなのだ。
つまりそれさえもなければ、一生、
すぐれた美術とまともに出会わない可能性が、
国立大学文科系学部廃止とかトチ狂っている今後の学校教育では
ますます高くなるかもしれぬ。

話をもどす。
ラボ・カレンダーの絵に中高生が応募してくる場合、
技術的にはすぐれている作品がほとんどだ。
独学にせよ課外活動にせよ、
それなりに日常的に描画に時間を割いているのだろう。
そういうラボっ子が、どうどうとラボ・カレンダーの絵に
応募してくれるというきもちがうれしいではないか。

だが、選考委員のおっちゃんたちは
「中高生の応募は貴重だから入選に」になどとはけしていわない。
むしろ「この年齢で、これだけの画力があったら、
もっと突っ込めるし、もっと自分の絵が描けるのではないか」
となることが多い。
というのは、オリジナルもびっくりの原画そっくり超絶テクで、どうだ! 
という作品が高学年の作品にはありがちなのだ。
もちろん、すばらしい絵を模写するのはいい練習法だし、
画力の基礎をきたえる作業のひとつだ。

でも、ラボ・カレンダーの絵では、そうやってきたえた力で、
自分のイメージを展開してほしいのだ。
原画そっくりだと、物語とその人に関係が見えないのだ。

さて、ようやっと由井さんの作品について。
ライブラリーのオリジナルの絵本の絵は
野見山暁治先生のいわゆる抽象画だ。
御年、94歳にしてなお現役の偉大なアーティストだ。
ぼくはラボ・ライブラリーの絵をはじめて描いていただく先生をくどくときは、
必ずこの野見山先生の絵本を必殺技で用意する。
「こんなに自由にできるんですよ」
「こんなすごいアーティストがたのしんでるでしょう」という無言の圧力である。
やらしいね。

そうすると、たいていの場合、「これ売ってください」とか、
「えっ、いただけるんですか」となる。そうなるともうことわれない。
なかにはこの絵本を抱きしめてはなさなかった人もいる。

そんな野見山先生の絵が原画だがら、
由井さんの作品が原画の模写でないことは歴然。
ただ、このグリム童話はたいへん有名だから、
(明治20年に日本に紹介されていて、グリム童話のなかではいちばんはやい邦訳がある)世界中でいいろな絵本があるのでそれを参考にした可能性もある。

というわけで、やらしいはなしだが、いろいろと検索してみた。
だが、みつかったのは圧倒的にコミック調、
アニメ調にデフォルメしたものが多く、
いかにも子どもにおもねた絵本ばかりだった。
唯一、アーティスティックといえるのはぼくももっている、
せた・ていじ訳によるフェリクス・ホフマンの絵本だが、
これは由井さんの絵とはまるでちがう。
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なにか作品をけなしているようで気まずいがここからはほめる!
いいわけではないが、中高生の作品の場合は、
技術だけでなくいろいろな情報、
さらには意図や意志をもって絵にむかうことが多い。
というか5歳児のように無心で描くことは困難なので、
なかなか見方がむずかしいのだ。

しかし、やはりさすがは入選作品である。
正直、デッサン力、画力はこの年齢のなかで、
とりわけ技術的にとびぬけているわけではないが、そんなとはどうでもいい。
とにかくあたたかくやさしい。

かあさんやぎとこやぎたちのフォルムは、
おそらくなにかを参考にしていると思うが、
それは逆にいいことだ。
由井さんくらいの年齢、画力だったら想像で適当に描くより、
きちんと観察したほうがいい。

自分で描いてみればすぐわかるが、
動物の身体を描画するのはなかにかたいへんだ。
『うみのがくたい』の丸木俊先生もあの絵に2年かけているが、
魚たちの動きがむずかしいので
「おさかな博士」のような少年にアドヴァイスをうけたりした。
また、『おどりトラ』のチョン・スクヒャン先生も
動物園にトラをなんども見にいったりした。
でも、トラは夜行性なので昼間はほとんどゴロゴロしていて
あの物語のような落下する動きなどしてくれない。
そこでやむなく、タンスの上に猫をあげて
ジャンプしてくれるのをスケッチしたそうだ。

由井さんはやぎファミリーを擬人化しながらも、
動物としてのやぎの顔や手足や毛の質感をみごとに描いている。
それでいて、ケモノくささがなく
ソフィスティケイトされているところがおしゃれである。

由井さんとこの物語の活動体験はぜひうかがいたいところだが、
とにかく彼女がこの物語が好きなことは十分わかる。
これはあくまで想像だが、自分のグルーブか、
あるいは小学生といっしょにかなり濃厚に
『おおかみと七ひきのこやぎ』に取りくんだのではないだろうか。
何回も書いたことだが、テーマ活動はざっくりいえば
「物語が好きになる活動」だ。
はじめは絵や音楽の個人的印象で、なんとなく好みじゃないなと思っている物語も、
テーマ活動に取り組み、発表をむかえるころになると、
ほぼみんながその物語を大好きになっているという経験則は、
ラボ関係者ならおわかりだろう。
まあ人間関係もそんなところがあるけどね。

由井さんがこの物語を好きなんだ(もっとも、好きでなければわざわざ描かないよな)
と思ったのは、なによりも七ひきのこやぎたちを、
それぞれ衣装の色をかえて描きわけていることである。
ご承知のように、グリムの原話にはこやぎたちには名前はない。
あくまでも無名である。
それにあえて名前をつけたのは再話者である「らくだ・こぶに」だ。

グリム童話という香り高い原石を、超人的なことばの技巧でブリリアントカットし、
さらに間宮先生、野見山先生という音楽と絵のマエストロが
研磨や台座づくりに参加して、
まったく新しい宝石にしたのがこのラボ・ライブラリーだ
(ことばの宝石箱とはまさにそういうこと)。
映画や舞台もそうだが、
もともとの原作、原案、テキストによいものがあってこそ成り立つから、
ライブラリーの場合ももとになる物語
(オリジナルも含めて)たいせつなのだね。

また話がそれたが、こやぎたちに名前がつけられたことによって、
テーマ活動はいっそう楽しくなった。
らくだ・ごぶに氏が「テーマ活動の展開」を想定して
名付けを行なったかどうかはわからない。
一度、個人的にそうした質問をしたことがあるが氏は明確にはこたえなかった。
ただ、安易な「テーマ活動のやりやすさ=劇的再表現のしやすさ」
などの皮相的、superficialな考えは常々真っ向否定し、
「むしろ表現のしにくさとの煩悶のなかに学びと成長がある」
といいきっていた人だから、もっと別の文学的、物語的視点があるはずだ。

当時、らくだ・こぶに氏自身は、「この七はひとまとめではなく六と一」と書いているが、すべての手のうちをさらす人ではなかったから、
考えさせるためのしかけとも思える。
また、七は三とともに昔話の世界ではmagic numberである。
七と三がつくおはなしのなんと多いことか、
主人公や敵対者の行為が三回くりかえしもおやくそくだ。
この点について展開すると、とんでもない長さになるのでまたにしよう。

ともあれ、由井さんはそのしかけの意図を感じとって、七ひきを描きわけた。
このカレンダー作品のそれそれぞれのこやぎの名前も考えてみたが、
それにはふれないでおくのがよいだろう。
でも、彼女のなかでは、きっちりと個別の人間性
いやこやぎ性が明確になっているはずだ。
衣装の彩色も中間色的ながら鮮やかで「いい感じでおしゃれ」なのだが、どうしてそれぞれのこやぎをこの色にしたのかはぜひきいてみたい。
また、チェックをどのこやぎにも遺書にとりいれて
「ファミリーおそろ感」をだしているのもにくいではないか。
チェックの太さのそろい方、交差する部分の色の濃さなどは
じつにていねいな仕事で魅力的だ。
チェックはデザインの基本であり、タータンチェック、グレンチェック、
アーガイルチェック、マドラスチェック、バーバリーチェック、タッターソールチェック、伊勢丹チェック(?)など20種以上あるが、
このチェックは由井さんの名前をとって「ひまりチェック」と名付けよう!

さらに左側においた母やぎの母性もあたたかい。ここでなくてはだめだという位置にびたりと描かれている。こういうところは、感覚のよさであり絵に親しんでいることのあかしだ。もちろん、由井さんのなかに潜在する母性があたたかいしるしでもある。

さらにさらに、ぼくが感動したのは背景の描き方(処理ではない!)。
こやぎたちの衣装の色にリンクさせ、
あわく境界をにじませているのはかなり高度な技だ。
すかしのように描かれている花びらもすてきだ。
とくにこの境界のにじみのゆるやかさがいい、
これがなければもしかすると、ただ「うまいなあ」で終わったかもしれない。
計算されているようで自由闊達、でもたしかな造形がある。
ぼくが今も大好きなイラストレーター、故・ペーター佐藤氏
(エアブラシやパステルの美人画で有名。ミスタードーナッツのパッケージや
「サンデー毎日」の表紙。49歳で急逝)を彷彿とさせて泣ける。
※由井さんには画材もきいてみたい。(やはりパステルだそうだ)

いろいろ高学年の絵についてごたくもならべたが、
かみや・しん先生のいうように「絵を描くのは心の練習」だ。
来年はもっと多くの中高生にカレンダーの絵に参加してほしい。たまには描いてみようぜ!
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で、長くなったついでにもう少し書く。
『おおかみと七ひまのこやぎ』が収録されているSK14が刊行されたのは1978年の6月だ。その夏、ぼくははじめてラボ国際交流の事務局引率者としてミシガン州に78名の子どもたちと参加した。まだ25歳の若造だった。
そのとき、ぼくは出たばかりのこの絵本をもっていった。
ステイの中盤、ホストファミリーの親戚の結婚パーティがその家の庭であり、
ぼくも招待された。
新郎はぼくと同年でドイツの米軍基地に駐留していたときに
ドイツ人の娘さんと知り合い、めでたく結婚することになり
兵役あけとともにつれてかえってきたのだ。

新婦はまた20歳のお嬢さんで、
英語はなんとか日常会話ができるくらい。
ミシガンはいいところだが、
なにせオハイオとの州境近く
なにもないまったいらな地平線までトウモロコシ畑。
まわりはしらない人ばかり。
たよりの旦那はおだてられてバドワイザーでできあがり、踊りまくっている。
新婦はさみしいかぎりだ。
声をかけようかと思ったが、
なんの関係もない日本人の兄ちゃんにはなすすべもない。

そこで、ふと思い立って『ひとうちななつの』絵本を見せ、
「これはあなたの国の物語でしょう」と話かけてみた。
するとグリムという英語と4編の物語のタイトルがわかったのだろう。
それまで暗く沈んでいたドイツからきた花嫁の顔が、ぱっと輝いてこういった。
「グリムはわたしたちの国がほこるおはなしの王様です。
なんで日本人のあなたがしっているんですか」
そこでぼくは、まってましたとラボのこと、
グリム童話は日本でも有名なことを一気に伝えた。
もちろん、彼女はSK14の4編の話をすべて知っていた。

調子に乗ったぼく総タイトルのSeven At A Strokeをドイツ語で発音してくれないかとたのんだ。すると彼女は深い湖のようなブルーの瞳で遠くを見ながら
"Siebene auf einen Streich”と静かに、でもはっきりといった。
その後ろのミシガンの森は一瞬でドイツの森になった。

物語が人と人をつなく力はすごい! 
とぼくはそのときに確信し、この仕事をえらんでよかったと思った。
でも、そのときには8年後に
ライブラリー制作に参加するとは夢にも思っていない。

最後に絵を担当された野見山先生は94歳をこえても現役で活動されている。
先生は昨年、文化勲章を受賞されたが、
画業のほかにも戦没画学生、
とくに母校の東京美術学校から召集された者たちの遺作の収集・保存に奔走され、それが「無言館」設立へ直結した実績をおありになる。
また、名文家としても著名だ。
一冊紹介するなら自伝的エッセイ『一本の線』 朝日新聞社, 1990をぜひ。
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さて、いきなり男性だらけの写真で恐縮だか、タイトルがらみのことを書く。
過日、矢崎三夫先生(武蔵高等学校中学校元校長)を囲む会が行われた。
矢崎先生武蔵を病気のため12年かかって卒業し、
東京外語大を経て武蔵の教員となり、教頭、校長をつとめられた。
ぼくが中1のときに組主任をしていただいた。
先生にはこの間、学園史に原稿を書いていただいているので
そのお礼にと、61期の後輩たちがセットした
吉祥寺の中華料理店におじゃました。
先生はプリントを用意されていて
(こんなプライベートな食事会でも学習するのがすごい)
途中から会話のテーマは一気に教育になった。

それは、ぼくも授業をうけた漢文の深津先生が矢崎先生に紹介した
「管子」のことばで、
矢崎先生はそれを座右の銘の如くたいせつにしてきたといわれた。

話しはかわるが
武蔵では幾何学と漢文という課目が中3からある。
この二つをカリキュラムに入れている学校は、中学校ではまずないし、
高等学校でも極めて稀である。
なぜなら、大学受験にはほとんど役にたたないからだ。
幾何学といってもユークリッドの平面幾何のみならず、
球面などの立体、非ユークリッド幾何学も入ってくる。
これなどは大学の学部レヴェルだ。

漢文も幾何学も、現在の実学化している大学のカリキュラム、
もっと露骨にいえば専門学校化しつつある大学ではほとんど出会わない。
漢文と幾何学はたいへん重要な基礎教養だが、
10代で触れておかないと一生であわない。
この日の61期のメンバーで東大病院で医師をされている方も、
最近の医学生の指導システムも医療技術論に先鋭化しすぎていて、
医師という自然淘汰に抵抗する作業、
命の現場に向き合う者としての倫理観、
philosophyという基礎がほとんどない。
とくに医学部を目指す学生はもう高等学校のころから
医学部受験に特化した勉強しかしないので、
それこそ漢文や幾何学などはまったくスルーだといわれていた。
日本の医療の未来に危機感を覚えるとも。

さて、矢崎先生が紹介してくださったのは
中国戦国時代(紀元前7世紀くらい)の法家の書物として著名な
『管子』の権修篇からの一節だ。
なお、法家は徳治主義の儒家と異なり法治主義を説いた。
儒家では価値が人格的に完成しているとされる
為政者の恣意に左右されるが、
法家ではあくまでも法による支配を絶対とした。
『管子』は、かつては管仲の作といわれたが、
内容の幅広さ、異なる学派や思想につながる
アイディアが混在することなどから複数の学士によるオムニバス的な書、
いわゆる雑家の書という評価が定着している。

『管子』は馴染みがないなあという人も、
「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」といえば、
ははあんだろう。
「衣食足りて礼節を知る」はこれを短縮したものだ。こ
れも為政者はまず人民の衣食住を安定させることが第一だと説いたもの。

さて矢崎先生が紹介した『管子』は以下のとおり。

一年之計 莫如樹穀
十年之計 莫如樹木
終身之計 莫如樹人
一樹一穫者穀也
一樹十穫者木也
一樹百穫者人也

僭越だが意味を書いておく。
一年のプランは穀物を育てることに
及ぶものはなく、
※樹は、植える、育てるの意。
十年のプランは果樹を育てることに
及ぶものはなく、
※この木は、リンゴや梨などの果樹。
ケヤキや楠のような大木は十年では無理。
一生のプランは人間を育てることに
及ぶものはない。

要するに教育は一生と説いた。

続いて
一を育て一をゲットするのは穀物。
一を育て十をゲットするのは果樹。
一を育て百をゲットするのは人間。

かつて日本人は、日本および中国の古典の知識は
common senseとして身につけていた。
だから、「ことば」があった。

ことばを失えば心を失う、
心が貧しければことばは育たない。

そしてやはり同席した現在の武蔵の梶取校長(ヒゲの人物、ぼくと同期の45期で芸大声楽科卒、専門はドイツリートという変わり種)と確認したのは、
教育の結果、ゴールは社会に出てからどのような貢献を地域や世界や
人類にできたかということだ。
もちろん、社会的に評価されるような大きなことだけでなく、
平和な家庭を築き地域社会で活動するなどというのも立派な貢献だ。

いわゆるいい大学に入ることが高校教育の目標やゴールではないし、
いわゆるいい高校に入ることが中学での教育の目標ではない。
とはいえ、私立にしろ公立にしろ入試という選抜が存在するのは
やむを得ないが
定員というものがある限りいささか矛盾禁じ得ない。

しかし、だからこそ、基礎的な教養、文化、言語体験に
幼いときから触れることができる
ラボのような学校外教育の社会的重要性と責任は大きい。
そして、社会への貢献という意味では、
ラボは幾多のOBやOGがすでに照明してくれている。
自身とほこりと責任をもちたい。

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この夏は85歳相談役(母)の体調不良もあって(現在は元気)
遠出は控えた。三澤制作所恒例の長野旅行やラボランド訪問も中止した。
しかし、夏休みが20日くらいあるので
ようすを見て近隣にはでかけた。

8月8日、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターに
地人会新社による朗読劇
「この子たちの夏・1945 ヒロシマ ナガサキ」を観にいった。
ヒロシマとナガサキで原爆の犠牲になった子どもたちの母親、
そして子どもたちによる手記や体験談で構成されるこの朗読劇は、
戦後40年にあたる1985年から
地人会によって2007年まで夏に各地で上演されてきた。
同年の地人会解散後、2011年からは地人会新社が引き継いで現在に至っている。
ずいぶん前から一度観たいと思っていたが、
己の行動力の無さゆえに機会を逸していた。
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それが今回、観にいくことになったのは、
大学の同期で、ラボ時代もライブラリー制作で共に作業した
翻訳家・通訳の鈴木小百合さんから案内を受けたからだ。
鈴木さんはもう20年以上にわたって
この朗読劇の英語台本翻訳と上演会場での同日通訳を担当している。
朗読は基本的には感情をあまり入れずに語るものだが、
これは朗読劇なので、抑制的ながらも感情がこめられ、
場所移動程度に身体的表現もある。
だから絶叫したり走り回ったりするよりも、
そのぎりぎりに抑え込んだ表現が、
「この子たちの夏」をよりリアルに、よりシリアスに伝えたと思う。
出演したのは、旺なつき、加藤かずこ、島田歌穂、原日出子、
根岸季衣、高橋紀恵の女優5名、そして声だけの出演で北村和夫。
語りは皆さんすばらしかったが、
個人的には根岸季衣さんが凄かった。
親や兄弟、友だちを原爆で失い、
自らは奇跡的に助かった少年の作文を読んだときは
(衣装は全員麦わら帽子に夏ものシンプルなワンピース)、
目の前にその少年が立ち現れたとしか思えなかった。
それから、特筆すべきなのは、sequenceの変わりめに
被爆者による短歌や俳句が読まれるのだが、
それを普通の中高生が担当していることだ。
それらは当然にも彼らの日常語ではなく、
またいわゆる素人の読みだから、
女優たちのプロの語りと比較することはできない。
でも、ともすれば棒読みになりそうな、
でも懸命な中高生たちの歌詠みから、
逆になにを伝えたいのかと洞察しながら
前のめりになっていた自分にハッとした。
こうした作品に、いわゆる子役や劇団の子ではなく、
一般の中高生が参加するというやり方は意義があると思う。
朗読劇は100分。あっという間だった。

ハネてから大学の同期仲間と鈴木さんのご友人という
ミックスグループで食事にいき盛り上がった。
その段取りをしてくれたのは鈴木さん自身。
おそらくこのメンバーのなかでは最も多忙と思われるのに、
すごいエネルギーだ。
プログラムにも書いてあったが、
「過去を語ることは未来を信じること」だ。
そして、いつもいうことだが
「行動する者は未来を信じる力がなくてはならない」。
未来を信じる力、それをぼくたちは希望とよぶ。
それこそが全ラボ・ライブラリーに共通するテーマだ。
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