幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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蒼すぎる空に手をふる神無月、ガヤのはなし、学校ではたらくこと。 09月30日 (水)
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写真は箱根・仙石原。ことばはパール・バック。
空はいつのまにか高く、夜が深くやさしくなった。

正午まえ、ランチタイムで外にでたら
東京とは思えぬ悲しいくらいに蒼い空に思わず反りえった。
高すぎるよ。蒼すぎるよ。
でも、よおく目をこらしたら、
いなくなった人たちがはるかな高みを旅するのが
かすかにわかるかもしれない。
でも見えないよ、とどかないね。
こちらはきっとわかるんだよね。
だから、だれもいないのを幸いに、ぼくは思いきり手をふった。
はずかしいけれど、少し泣きそうになった。
声がする。
だめだよ、凛として、秋のまんなかに立ってなきゃ。
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
絵は”Over in the MEADOW”『おおきなのはら』に
題材をもとめた作品。
描いてくれたのは、濱津龍生くん(小6/郡山市・山・P)。
先月に続いて、高学年ラボっ子の絵の登場である。
近年では、というかぼくの記憶でも2か月連続で
中1、小6の作品がラボ・カレンダーに掲載されたのは
はじめてのことではないだろうか。

ラボ・ライブラリーの絵本はJohn Langstaffの文
Feodor Rojankovskyの絵による「伝承数え歌」がもとになっている。
とても有名な絵本だから中身の解説はぐだぐたしないが、
初版は1957年というとても長い間愛されている作品だ。
ラングスタッフは1920年に二ューヨークで生まれ、
本や音楽にあふれた家庭に育った。
7歳で市の聖歌隊に入り、長じては名門ジュリアード音楽院を卒業、
バリトンの声楽家として世界的に活躍した。

また、伝承歌、なかでもイギリスの歌に関心をもち、
研究はもちろん、自らも歌って録音している。
この”Over in the MEADOW”も音源はのこっていて
YouTubeにアップされている。

この歌の作者は不明だが、
おそらく1800年くらいまでさかのぼることができる。

1番から10番までOver in the MEADOWという歌詞ではじまり
次つぎとさまざまな生き物の家族が登場し
かわいらしくも命が輝くやりとりが
きもちのよい脚韻を踏んで歌われる。
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龍生くんが描いたのは、そのなかの3番というか
Threeにあたる歌詞で表現される場面だろう。
登場しているのはRobin、コマドリの母親(old motherとなっている)と
3羽のヒナ鳥たちだ。

この歌にも伝承歌にはお約束のヴァリアントが数々あり
コマドリのかわりにフクロウやブルーバード、カエルなんてのもある。
ラングスタッフがなぜコマドリのヴァージョンにしたかはわからぬが
コマドリはNursery Rhymeにはよくでてくるよね。

さても、龍生くんの絵は、これまた正当派、実力たっぷり。
堂々の入選作品だ。あまりケチをつけるところがない。
もちろん、原作絵本は参考にしているだろうが、
見事な本歌取りで、個性がじゅうぶんにでている。

使用している色数は少ない。
しかし、そのかぎられた各色に見事な濃淡をつけている。
これだけで、ほんとうに絵を描くことが好きなんだなとわかる。
木の幹や枝、コマドリの身体、背景の空など、
単純にベタッと「塗り絵」したところはひとつもない。
絵のテーマである母コマドリとヒナ鳥たちの
描き込みが細かいのは当然といえば当然だが、
木や背景まで手を抜かないところは脱帽である。
コマドリに全力を注いで、のこりはバテてしまい
適当に流すというのは子どもの絵ではよくあることだが、
映画や舞台でいえば、主役のみならず脇役や背景、
さらには音楽までどんな小さな部分にも穴があれば
作品全体が成立しなくなることを自覚し、
そうした緊張感を持続させている龍生くんおそるべし。

まあ、ぼくごときがいちいち指摘してほめるのも失礼だと思うが、
毎月のことなのでもう少し書く。
構図とバランスもすばらしく、枝の生え方、交差の仕方などは
かんたんなことではない。
このむずかしい枝の線はほとんどぶれていないだけでなく、
かなりの自信をもってしっかり引かれている。
それも「丸写し」するようなびびった線ではなく、
自分の線として、がしっと迷いない線である。

それが背景の空の濃淡ともあいまって、絵に奥行きをつくりだした。
絵でも写真でも、奥行きのあるなしは重要だ。
この作品の場合は、奥行きがなければ平面的でつまらないものになる。
おおきなのはらにはならない。

奥行きとともに、この作品では動きも重要だ。
帰巣してヒナ鳥たちに語りかける母鳥、
その母親をまちわびて餌をねだるヒナ鳥たち。
それらの動きと声までも想像させてくれる。
それはひとえにタッチのよさで、
力んでいないが、しっかりとスピード感がある。
もとの数え歌のリズム感をしらない人でも
それは感じるはずだ。
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仕事はていねいだ。
しかし龍生くんは、かなりすばやく描いているのではないだろうか。
※しあげには時間をかけたかもしれないが……。

この線の自信とバランスは
イチロー選手のバッティングのように
hands eye coordination のすばらしさだと思う。
目と手の連動である。

かつて漫画家の藤子不二雄氏のおひとり
故藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)先生に
ライブラリーの「おばQ」の件で
いちどだけお目にかかったことがあるが
そのとき先生は、生涯尊敬してやまなかった手塚治虫先生について
こんなエピソードを話してくださった。
「ぼくたちはよく手塚先生が締め切りでピンチのとき、
よびだされて先生のお手伝いをさせてもらいました。
それは緊張するけれどとてもうれしいことです。
なぜなら神様の技術を生で見られるんですから。
そのころはアシスタントもそんなにたくさんいませんし
とにかく閉めきりがせまっていますから、
先生はかんたんな下書きだけにネーム(吹き出し)を入れ
すぐに主線(おもせん)をペン入れしてぼくたちにまわします。
そのスピードはおそろしいほどでした。
あるとき、祭りで盆踊りをしている村人たちを
木の上から少年が見下ろすというおおきなコマがありました。
太鼓と唄い手がのったやぐらを中心に
円形になったたくさんの人びとが歩きながら踊っているという
とてもむずかしいコマです。
それを斜め上から見た感じで描くわけですから、
遠近感とかパランスとりにはかなり技術がいります。
さらに、人びとも円になっていますから、
身体の角度がすべて異なります。
もちろん、衣装や表情、手振りや足の運びなども
個性がなくてはなりませんし、
なかにはちょっとぶさけている人とか
カッパがまざっているなんていう漫画らしい遊びも必要です。
たぶん、ぼくたちがそのコマを描いたら、
というかそんな大胆なコマは考えつきませんが、
おそらく鉛筆でアタリをとり、なんども下書きして
どきどきしながらペン入れして、2時間くらいは楽にかかったでしょう。
でも、手塚先生は、ほとんどアタリもとらず
下書きもせずいきなりペンで描きだしたのです。
ぼくたちがあっけにとられていると、
先生は10分もかからずらにその複雑な大コマのペン入れをおわらせ
『藤本氏、安孫子氏、後はたのみます』といって
背景としあげの指示されました。
ぼくは、そのとき、ああこの人はほんとうに神様だと思いました。
うまくてゆっくりはあたりまえですが、
手塚先生の線はうまくてはやくて、そして正確で美しかった。
うまさとはやさは両立するのですね」

さて、冒頭に色数のことについてふれたが、
色味もまたすばらしい、
秋のカレンダーにぴったりの透明感がきもちがいい。
いつも書いていることだが、
この絵のように茶系の色の面積が大きいと全体に暗くなるのだが、
濃淡の付け方と色のつくり方のセンスから、
暗いどころかさわやかな絵になった。
また、母親のコマドリの腹部のオレンジ系も
木の枝と空の色とあざやかなコンビネイションをつくりだしている。

この際だから書いてしまうが、
龍生くんの所属する郡山の山崎智子パーティは
ほぼ毎年、入選、佳作入選を続けている。
ぼくは現役のときからひそかに「山崎流」とよんできた。
もうここまで続くとひとつの伝統といっていい。
山崎テューターご自身はたしかに絵の素養がある方なのだが、
特別な絵画指導をパーティでしているわけではない。

そのことはテューター自身が
「子どもたちの絵は、あくまでライブラリーと深くむきあい
テーマ活動に心から取り組んだことがもたらす結晶のひとつです。
ライブラリーの聴き込みとテーマ活動ありきなのです」
ときっぱりとぼくにむかっておっしゃられたことがある。
しかし、それだけではない。
パーティ内での組織体験の蓄積も無視できないとぼくは思う。

歴代のラボっ子がラボ・カレンダーの絵の活動をテーマ活動の
しめくくりのひとつとして毎年取り組んできたことは
確実にうけつがれたはずだ。

組織体験をもう少しわかりやすくいうと
たとえばラボランドのサマーキャンプの各班の参加者は
6割から7割のラボっ子が初参加だ。
開営式で大統領が「ラボランドにはじめてきたおともだち!」と問いかけると
ものすごい数の手があがるのはご存知じのとおり。
しかし、その後すぐの夕食の食缶運びなどは、まったく混乱がおきない。
これが、ぼくも対応経験があるが、一般の中高生や小学生だったら
大混乱するだろう。
こんなことも組織体験の成果だ。
また、最近ではお母さま方がテーマ活動に取り組んだり
母親広場に参加することは、特別なことではなくなった。
こうしたことも組織体験である。

ラボ教育のひとつの強みは、世代から世代へ直接ではなくても
ライブラリー、ラボランドといった精神的結集軸を通じて
組織体験が伝播していくことだ。
この点も自信をもっていいし、もたなくてはいけない。

だから山崎パーティも絵に取り組んできたパーティ内の組織体験が
毎年、あっと驚くような作品をつくりだしているともいえる。
だからぼくがいう山崎流とは、特別な指導技術やノウハウではなく
ライブラリーとテーマ活動ときちんとむきあって描くという
あたりまえのことの積み重ねなのだ。
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John Langstaffは絵本の冒頭で
「のはらにいったらくよく見よう」と
子どもたちに語りかけている。
絵でもライブラリーの活動でも、
「よく見る」「よく聴く」というインプットがたいせつだ。
どうしても「描く」とか「声にだす」「身体で表現する」といった
アウトプットが積極的で、インプットは受動的に思いがちだ。

そうではない。まず見る、聴く、というインのほうが
だいじなのだ。十分とりいれることが先。
表現なんてあとから自然にわいてくるぜ。
なお、John Langstaffと Feodor Rojankovsky
のコンピは『かえるだんなのけっこんしき』で
コールデコット賞を受賞している。
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ガヤの話。写真は本文と関係ありません。

先日、中学高校同期のSくんがオーナーである
渋谷のカフェでおしゃべりをした。
彼はイベントや芸能関係の仕事をする会社も立ち上げていて、
彼自身も司会者であり声優(宮崎アニメにもガヤだけど出演歴あり)でもある。

Sくんは歌唱グループのプロデュースやムービーや
制作などのかなりおもしろ企画をあたためているので、
ついついこちらも身を乗り出してなにか手伝わせてといってしまった。
還暦すぎると一周まわって気分は少年だ。

じつはSくんの店に長居をしてしまったのは、
彼から、ぼくがよくFacebookに書いている
ラボ教育について質問してくれたからだ。
たしかに退職した仕事のことを、しつこくアップするやつはいないよな。

でも、そうやって書いたことを気にとめてくれるのはありがたい。
で、せっかくなのでラボ活動についてたっぷり語ってしまった。
そしたら、彼の企画の話になったというわけだ。

そんな話はともかく、さきほどちょっと触れたガヤ、
すなわち群衆の声のこと。
ガヤは、まさに「がやがや」という大勢の人の声をあらわす
onomatopéeが語源というか、省略された業界用語だ。
ラボ・ライブラリーにもGTシリーズなど芝居仕立ての作品には、
よくガヤは用いられる。
ガヤの録音は、簡単そうだが、
じつはリアルにつくるにはかなり手間がかかるし、
技術もいるし、人数も必要だ。

ガヤの状況にはいろいろあり、
たとえば、ふたりの主要人物が、
いい争いからけんかになるときに野次馬として入ってくる
背後あるいは周囲のガヤ。
また、主要人物がバルコニーなどから演説しているときの群衆の反応。
また、たとえば暴動や乱闘。

じつにさまざまだ。
ラボ・ライブラリーに出てくるガヤを、
そこだけ流して物語をあてる「ウルトラ・ガヤドン」をやってみたらいかが。

ガヤはただ騒げばいいわけではなく、
ガヤに参加するすべての吹き込み者が、
それぞれ誰に向かって、どのくらいの距離感で、
なにをいうかを意識していなければならない。
結果としては一人ひとりのセリフを聴きわける事はできなくても、
きちんとしたセリフの集合体でなければならない。
とくに1列にきれいに整列した群衆なんてまずないから、
群衆の厚みをだすためには、主要人物、あるいは聴き手からみて、
声のでどころが手前から奥までの奥行きを感じさねばならない。
だから、前述した距離感はよほどたいせつなのだ。

というわけで、リアルなガヤはなかなかたいへんだ。
人数も必要だから、ガヤは主演、助演、ちょい役も参加し、
千人くらいの迫力をだしたいときは、
さらに数名のエキストラも加えて録音する。
この録音を担当するエンジニアも技術が必要だ。
マイクの位置、種類、卓(ミキシングする調整卓)のセッティング、
フェーダー(音量調整)の取り扱い、音質の調整など、
すべて練達の技が求められる。
たかがガヤ、されどガヤ。このあたりを手抜きしたらだめなのよ。
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先月末の土曜日、現在勤務している武蔵学園の
中学入学希望者対象の第三回学校説明会が大講堂で開催された。
この説明会は春に2回、秋に2回開かれるが、
春の2回は昨年と同様、capacity1200の大講堂が
ほぼ満員になる参加者数だった。
12時30分受け付け開始、13時30分開会で、
いつもははやばやと11時くらいからやってくる方もいるが、
今回は11時30分に2人ほど見えただけなので、
出足はあまりよくないのかなと思った。
しかし、12時を過ぎるとかなりの人数が正門の受付テントに並びはじめ、
定刻少し前に開場すると、来るわ来るわ、
大講堂に向かってくる人波がとぎれない。
親子3人、母と子、父と子、夫婦、祖母と母と子、
母と子と兄弟、父ひとり、母ひとり、母と子と赤ちゃん…。
結局、大講堂は二階まで満員になり、
生中継する別室は300名入るのだが、
そちらも満員になり、
大講堂の後部にむりやりパイプ椅子を並べてなんとか対応した。
武蔵学園全体では職員は80名くらいだが、
高中の事務職は8名ほどなのでたいへんである。
ぼくは記念室長という立場だから、
開会前や閉会後に展示室の解説をしたり
質問にこたえる以外に役割はないのだが、
人が集まるイヴェントとなるとじっとしていられないのは悲しい性である。

昨春、ひょんな縁から中高の6年間、蒼き嵐の時間を過ごし、
生来の暗愚さゆえに希薄ではあるが、
基礎的な教養のたいせつさを学ばせ、
知的好奇心に点火してくれた母校に呼ばれ勤めることになったのは、
ひとえに恩返しのご奉公のつもりだった。
だが、教職ではないとはいえ、
私学という教育現場で禄を食むことを決意するのは、
ぼくのなかでは複雑だった。

なにせ34年も非公教育の世界にどっぷり身をおいてきたのは、
学校教育では成し得ない学びや共育に
命がけで取り組む価値があると確信してきたからだ。
もちろん学校教育を否定していたわけではない。
文科省、すなわち国家が教育を管理することへの批判、
疑問、懸念は少なからず抱いてはいたけれどね。

ただ、子どもたち、若い人たちの教育現場の力学、
ダイナミズムに直接関わるとするなら、
非公教育の可能性と魅力を選択した。
だから、いまさらどの面さげて学校に勤めるんだという自問はあった。

その決断の背景はいくつかある。
ひとつは前述したように青春の恩返し。
2つめは、ずっと横目でにらみながらきた別世界への抗いがたい好奇心と、
その世界に飛び込んで直接関わることで、
非公教育を改めて捉え返したいという思い。
そして最後は、人生ののこり時間を考えたときに、
新しい世界にチャレンジできる機会はそうはなく、
しかも歴史という新たな学びに向かえるという事実。

振り返れば武蔵での6年間は、
中学一年のときから本来の大学のような
アカデミズムの自由さと厳しさを体験できた。
いならぶ秀才たちに成績でおよぶことはなかったが、
ぶれない好奇心、群れない孤独を恐れない魂は学ぶことができた。

そんな学校に関心をもち、入学を考えたいと
今日やってきた1500名をこえる方がたのお子さん
全員に入学してもらいたいと思う。
しかし、学校という組織は定員というものがあり、
そのためには入試という選抜をしなければならない。
これはやむを得ないことなのだが、
入試のために小学生の、
その時代にしかできない素敵に無駄な時間が削られたり、
家族のストレスが増加して家族の平和が損なわれたりする話をきくのはつらい。

そんなわけで、毎日学校に通いながら、
悩みながら、学びながら1年半がすぎた。
なんてね。
写真は京都東山区の泉涌寺雲龍院(真言宗泉涌寺派別格本山)。
れんげの間、
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悟りの窓、
g5g3g
迷いの窓。
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