幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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ラボ教育活動50周年に寄せて 勝手におめでとう 03月29日 (火)
誰に頼まれたわけではないのですが、
50歳を迎えるラボ教育活動にささやかな祝辞を贈ります。
最初フェイスブックの友人限定でアップしたのですが
意外に反響が、多かったので
この広場にも載せることにしました。

タイトル横にdraftとしているのは完成ではない永遠の未完成という
エクスキュースです。
すべてのラボ現役、OG、OBに宛てた手紙のつもりです。
あくまで個人の感想なので
ご批判は甘んじて受けますが、
プリントは基本的には事前相談してください。
frfr

       ※

ラボ・パーティ50周年に寄せて draft
ことばの宇宙のはてをめざして

 ラボっ子のみなさん、
ご父母、OB・OG、
ラボ・テューターのみなさん、
50周年まことにおめでとうございます。
そのおいわいを
ラボ・ライブラリーの台本ふうにあらわしてみましょう。
音楽M1 7秒でナレーションIN(14秒)トータル余韻いっぱいで23秒。2秒弱こぼす
 50 years have passed since the Labo Party was born.
ラボ・パーティがうまれてから、50年のときがながれました。
 現役ラボっ子は、ほとんどのみなさんが50歳以下だと思います。
だからラボ・パーティは、
みなさんがこの世にくるまえからありました。
さらに、みなさんのお父さんやお母さんのほとんどの方が
うまれるまえにもあったのです。
それはとてもすてきなことです。
 もちろん、50年は
太陽や地球の年齢にくらべたら1億分の1ほどです。
また、ラボは自然の力でできたわけではなく、
人間がつくったものです。
ですが、太陽や月や星、山や海のように、
むかしから人間とはべつにあるもののように感じませんか。
 すこしむずかしくなりますが、
数学や化学、言語学などの学問、
絵画や音楽、文学などの芸術も
人間の知恵とこころがつくりだしたものです。
けれども、やはり人間とはべつに、
しかもとても遠くにあるように思えます。
ですから人間は、高い山のいただきをめざすように、
光る砂漠をこえていくように、
自分たちがつくった学問や芸術に
一生をかけることができるのです。
 そうです! 先輩ラボっ子やみなさんや
ラボ・テューターが、
けんめいに、はしったりころんだり、
わらったりないたりしながら
50年もつづけてきたラボ・パーティも、
学問や芸術のように人間とはべつにある、
大きくて美しく、はてしないものになっているのです。
では、大きく美しく、
はてしないものといえばなにを思いだしますか。
宇宙? そう、ラボの機関誌も「ことばの宇宙」ですね。
 ラボ・パーティは宇宙の銀河系の太陽系の地球という星の
日本という島国の小さなグループですが、
みなさんにとってはいまもひろがりつづけ、
みなさんをひきつけてやまない宇宙です。
 みなさんはラボのキャンプで夜空をみあげ、
こぼれおちそうな星ぼしに
声をあげそうになったことがあると思いますが、
その星たちはよく見ると、
赤みをおびていたり青白くまたたいたりと、
ひとつひとつ色もかがやきもちがいます。
ラボ・パーティの宇宙も、
ラボっ子という
ひとりひとりがちがうひかりをもった星でできています。
そして宇宙には上も下もまんなかもはじっこもなく、
どこをとっても中心です。
 だからラボ・パーティの星たちも、年齢に関係なく、
だれもがまんなかでかがやいているのです。
これはとてもたいせつなことです。
 ラボの宇宙には、ラボっ子だけでなく、
ラボの物語、ラボ・ライブラリーという星もかがやいています。
この星がはなつ英語・日本語の語り、
音楽、絵本というひかりをたっぷりあびて、
ラボっ子の星はいっそうかがやき、
たくましく、やさしくなっていきます。
そして、じつはそうやって成長するラボっ子のひかりをうけて、
ラボ・ライブラリーもまたより豊かになっていくのです。
 ぼくは1976年にラボ教育センターの事務局員になり、
10年間組織担当者として活動し、
1986年から2008年まで
ラボ・ライブリーの制作にたずさわりました。
どの物語づくりもしあわせなしごとでしたが、
そのころよく
「ラボ・ライブラリー制作にはどのくらい時間がかかりますか」
という質問をうけました。
物語によってちがいはありますが、
1巻のラボ・ライブラリーづくりには
英語・日本語、音楽の録音、
そして絵本づくりにまる1年かかります。
ですが、とりあげる物語をきめるのには3年は必要で、
宮沢賢治作品や『十五少年漂流記』などは
企画から刊行まで10年以上の年月がながれています。
 また、ラボ・ライブラリーづくりには
じつにたくさんの人が関わっています。
日本語を書く人、英語を書く人、音声を吹き込む俳優、
録音エンジニア、作曲家、演奏者、指揮者、画家、
印刷技術者など、100名くらいの専門家が
1巻のラボ・ライブラリー制作に参加します。
それぞれやくわりはちがいますが、
「子どもたちの想像力のつばさを育て、
未来への希望をふくらませる物語をとどけたい」
という思いはおなじです。
 いま、英語の音声教材とよばれるものは
山のようにありますが、
ラボ・ライブラリーほどたくさんの人が参加し、
あきれるほどこだわってつくられているものはあまりありません。
もっともラボ・ライブラリーは教材ではなく
みなさんがたのしむための作品ですが。
 ですからラボ・ライブラリー制作はたのしいけれどたいへんです。
テキストづくりでも音声録音でも絵本づくりでも、
こころと体力をしぼりださねばなりません。
でも、なによりむずかしいのは、
いつも最高の質のラボ・ライブラリーを
長いあいだつくりつづけることです。
 では、50周年をむかえるラボ・パーティが
ラボ・ライブラリーを高い質をたもちながら
一定のペースでつくりつづけこられたのはなぜでしょう。
それは、みなさんがラボ・ライブラリーを愛し、
テーマ活動というすばらしいかたちで
あらたに表現してくれているからにほかなりません。
しかもそれがずっとうけつがれてきている。
こころをこめてつくった物語をうけとめ、
こたえてくれるラボっ子がいて、
そのきもちが発表や感想文や絵で伝わってくる。
 そして、ラボで育った子どもたちが
おとなになり社会でかつやくしている。
ラボ・ライブラリーをつくる人びとにとって、
こんなに心づよいことはありません。
ラボ・ライブラリー制作がしあわせなしごとで、
ラボっ子のひかりをあびてラボ・ライブラリーも成長すると
書いたのはそういうことなのです。
 ぼくはラボをはなれて6年たちますが、
時間がたつほどにますますつよく思うことがあります。
それはテーマ活動が教育プログラムだということです。
ですから、だいたんにいうとテーマ活動の発表に「うまい」とか
「いい」とか、「英語がいえている」とか「声がよくでている」
「身体表現がすごい」などという感想は、
あまりたいせつなことではないと思っています。
 それらがわるいことではありませんが、
だいじなのは「ライブラリーを聴きこむ」という
ラボのなかまのやくそくをはたしていれば、
どんな発表もあるがままの子どもたちを
あたたかくうけとめることだと思っています。
なぜなら教育プログラムだからです。
 テーマ活動は、ラボ・ライブラリーを聴き、
心とことばとからだで物語を表現し、
はなしあい、気づき、こころをふるわせ、
そしてまた聴き、表現する。
そうやって物語の世界に、英語と日本語のことばそのものに、
さらにその背景にある文化に
「言語体験(ことばとつながる活動)」をくりかえしながら
近づいていく教育プログラムです。
その方法が劇に似ているので、
テーマ活動は劇のようだけれど劇ではないというわけです。
 そう考えると、やはりだいじなのは聴くことです。
ぼくたちは、聴く、みる、読むなどの
からだにとりいれる活動は受け身で、
話す、描く、書くといった自分を外にだす活動のほうが
積極的だと思いがちです。
しかし、まずからだのなかに
よいものをたくさんとりこまなければ、
きちんとしたものをだしていくことはできませんね。
その意味では、テーマ活動をみて感じることも、
とても重要な教育プログラムだと思います。
 ぼくがテーマ活動をみてすてきだなと思うときは、
「ああ、このパーティはラボ・ライブラリーをよく聴いている」
「だから物語に愛されている」と感じるときです。
ぼくは「いいテーマ活動」などといったことは
いちどもありませんが、
ラボ・ライブラリーをよく聴いたかどうかは
発表をみればすぐわかります。
おそらくみなさんにとってもラボ・テューターにとっても、
これがいちばんのはげましであり、
おいわいではないかとひそかに信じています。

Labo Party のLaboはLaboratory、
すなわち実験室。ことばの実験室です。
だからどんどん挑戦しましょう。参加しましょう。
実験だから思わぬ結果、予期せぬものが生まれたりもします。
だからおもしろいのです。
なんでもありなのです。
やっちゃいけない実験は核実験、毒ガス実験くらいです。

学校の授業は生徒は黒板と先生の方を見るけど
理科の実験は先生じゃなく中心にある実験装置をかこみます。
ぼくたちのまんなかにある実験装置。
それが物語です!
たかが50年、You ain't heard nothin' yet!
おたのしみはこれからです!

 ぼくはいま、母校(中学・高校)である
東京の私立学校でしごとをしていますが、
ラボからはなれるほどにラボ活動のたいせつさを実感しています。
学校にいることでラボのすばらしさがわかるからふしぎです。
 いまぼくがたしかに思うのは、
教育の結果は、社会にでてからどれだけのことが
地域や世界のために、
人びとの幸福や平和のためにできたかで
はじめてわかるということです。
教育のゴールは、いわゆるいい会社、いい大学、
いい高校、中学に入ることではありません。
ですが、いまの学校教育はどうしても
進学や就職が目的になりがちです。
だからこそ、ラボ・パーティのような
学校ではできない
教育プログラムのたいせつさがよくわかるのです。
 世界の神話や伝説、古典、昔話、宮沢賢治の童話、
センダックの絵本などには、学校教育では、
とくに進級すればするほど出会わなくなります。
受験にもほとんど関係ないですからね。
でも、そうした世界の人びとの思いや
血やなみだやよろこびや知恵、
人類の文化をギュッとしぼりこんだ
「英語・日本語・音楽・絵」がつくりだす
栄養あふれる食べもののようなラボ・ライブラリーに
幼いときからふれることは、
人間として人間のためにはたらく力のみなもとになります。
 21世紀になっても、
世界にはまだ多くのいさかいや不公平がありますが、
どんなことにも興味をもち、
どんな人とも心をかよわせることができ、物語や歌がすき。
そんなすてきなラボっ子たちがつくる
やわらかでつよくやさしい世界が
きっとくることをぼくは信じています。
 最後になりましたが、
ラボ・テューターというすばらしい女性と出会ったことは、
ラボっ子のみなさんにとって人生のしあわせです。
ラボ・テューターほどひとりひとりの子どもたちに
「いのちがけでかかわる」おとなはなかなかいません。
しかし、みなさんたちラボっ子と出会ったことは、
テューターにとってもすばらしくしあわせなことだとぼくは思います。
 もういちどラボ・パーティ50周年おめでとうございます。
みなさんのせなかには想像力というつばさがりっぱに育ち、
明日の夢をてりかえして銀色にかがやいています。
 そしてどうか、
みなさん自身の「ひかり」をたいせつにしてください。
そしてそれは、ほかの人の「ひかり」も認めるということにほかなりません。
 ラボっ子であるかぎり、いやラボから離れても、
一人の「ひかり」を持つ人間として、
その「ひかり」をみがくことに情熱を持って欲しいと思います。
 それが、この地球という出口のない星のうえで
世界が力を合わせて生き続ける道なのです。
次の50年をめざして、
ラボ・パーティがよりたくましく、
美しく、力づよくはばたいていくことを願ってやみません。
          
                        以上
2016年3月
学校法人根津育英会武蔵学園
武蔵大学 武蔵高等学校中学校 
学園記念室長
元ラボ教育センター教務制作局長
三澤 正男
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