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夏の終わり 「ぼくらしくありたいから きみらしさをたいせつにしたいんだ」 08月31日 (水)
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる

夏の終わりはいつも駆け足で
気がつくと後ろ姿しか見えない。

湧き立つ積雲も
焼けた砂浜もこぼれる星屑も
夕立の後の虹も蝉しぐれも
振り向いた少女の風にまかれる髪も
次第に「あの日の夏」に遠ざかっていく。

なんて感傷に浸っている場合ではない。
hen
レオ・レオニLeo Lioniの絵本
"FREDEREICK"に題材をもとめた作品が
ラボ・カレンダーに2年ぶりに登場だ。
前回は2014年の11月の絵、
その前は2013年のこれまた11月の絵だ。

描いてくれたのは北山桃花さん
(小5/羽島市・近藤P)だ。
光の粒が前面にこぼれる一言でいえば
「すてきな作品」だ。
この物語の始まりは、収穫の終わった秋、
間も泣き冬がやってくる時期だから、
これまでの入選作品が
11月の絵になるのは自然だ。
実際、原作のレオニの絵本も
明るい色調の作品が多いなかで
"FREDREICK"は抑制の効いた暗色系が
かなり用いられている。

だが、桃花さんの絵を見よ!
でっかくて真っ赤な太陽。
青空、降りそそぐ光の粒。
大きく羽根をを広げた蝶。
すべてが明るいではないか。

構図やネズミたちの配置は
絵本の冒頭から3枚目の見開き
But the farmers…のぺージを参考にしているが、
レオニは太陽は描いていないし
背景は真っ白である。

で、ハッと思ったのは、
おそらく桃花さんは、
この物語から受けた心の震え
いや、余韻といったほうがいいかもしれないが、
とにかくinputされたすべてを
ギュッと絞り込んで1枚の絵にしたのではないか!

それは素朴にいうと
「描きたいものをぜんぶ描いた」ことでもあるが、
主人公フレデリックが、仲間のために
孤独に集めていた光や色やことばが。
この1枚に全部込められているのだろう。
juju
それはとてつもなくすごいことだ。
要するに一場面の説明ではなく、
物語全体のエッセンスを凝縮して表現するには
強力な想像力と抽象力(あえていうけど、
頭がいいって抽象と具象を行き来できることだと思う)、
そして元となる物語へのリスペクトと
深い愛が不可欠である。
そう愛こそすべてなのね。

そして愛はエネルギーであるから
かくも元気いっぱいなのだ。

だから、やはり"FREDEREICK"と桃花さんの
関係をぜひ知りたいものだ。
相当濃密な関係であることはまちがいないし、
桃花さんの愛情に物語もこたえているはずだ。
春にも書いたが、
テーマ活動は「物語を愛する活動」であるとともに
「物語に愛される幸せを享受する活動」でもあるのだ。

では、もう少し絵を細かく見ていこう。
何より光の粒のタッチの強さが目にはいるが、
その粒もかなり細かく色を変えているのが
さすがというほかはない。
これが単色のドット柄だけだったら
ただのうるさい模様になってしまう。
とにかくこのものすごい数の点を
描き切るのは、並大抵の集中力ではない、
まさに「ものがたりの力」、
「もの」にとりつかれたミラクルパワーだ。

その視点で見ると、太陽や蝶やネズミ、そして
大地の彩色も、微妙な濃淡や色変化がつけられている。
また背景の青も単純な塗り絵ではない。

おそらく大地やネズミや蝶、太陽を描き、
それから背景の青を敷き、
最後に光の粒を楽しみながら、
しかし仮の真剣勝負で一気に描いたのだろう。

描き終わった瞬間の桃花さんの顔が
なんとなく浮かぶ。
いやあすごい体力。

『十五少年漂流記』や『魔法の馬シフカ・ブールカ』などの
絵を担当されたかみや・しん先生は、
「絵を描くのは心の筋トレ」とおっしゃったのを思い出す。
fab
レオニの絵本はだれにでも楽しめる一方で
人間の尊厳とか存在に関わる重要なテーマを、
やわらかに提出してもいる。
「あるがままを愛する」
「自分の心に自由に生きる」。
それらのことは口でいうのは簡単だが、
じつはなかなか社会はゆるさない。
フレデリックのような孤独、
孤立もまた表現者のたいせつな資質である。
桃花さんも「理解されようと思って」
この絵を描いていない。
だから彼女は
すぐれた表現者の資質をもっている!

このところ始終書いているが、
「自分らしくあること」をたいせつにしたい。
それは同時に他者の「その人らしさ」を
認めることなのだ。
この地球の持続可能性は
そこから始まる。

この物語は芸術と社会(絵本の表紙で
フレデリックは花を一輪持って岩かげにいる。
花で文学で貧困を救えるのかという問いかけにも見える)、
個性と社会など多重なテーマが描かれている。
でも、そうしたテーマは押し付けではなく、
読み手の想像力と認識に委ねられている。

そして、
「ことばの力」もまたこの絵本の大きなテーマだ。
ことばの力は、今、けして楽観できる状況ではない。
20世紀以降、現実がフィクションをこえてしまう
劇的なシーンをつくりだすため、
現実や世界をことばで支えることが
難しい時代が続いている。

その傾向はますます強く、
詩人、文学者にとっては、
現実とことばの関係のあやうさ、
現実に対することばの「脆弱性」を
どのように強力な想像力で補うのかが問われている。

「嘘だとさけびたくなるような現実」は
「ほんとうだと信じたくなるようなフィクション」を
ふきとばしてしまう。
しかし、
そんな時代や状況を「ことばの力」で
うちぬこうとたたかうのが
ワード・プロフェッショナル、
作家や詩人の仕事であり責任である。
そして桃花さんもその一人だ。

レオニはこの物語ではさらに
「ことばの力」が生み出す
「絶望を希望にかえる力」
「命を活性化する力」を描きたかったのだろう。
彼はオランダで生まれ、イタリアに住んだが
ファシスト政権から逃れてアメリカに亡命する。

そのおだやかな画風からは想像ができない
きびしい人生をあゆんだ人だ。
そんな背景をもつからこそ、「ことばの力」
「ことばをつむぐものの孤独」を、
おだやかにしかし強く表現したかったのだろう。

そう考えていくと
"FREDEREICK"の日本語を
詩人の谷川俊太郎先生が担当されているのも
大きな意味がある。
谷川先生は、ラボの英日対応のために
日本語を書き直してくださった。
先生自身も『フレデリック』の絵本に
「絵を損ねないように
文字の配列を原作に近くするために、
訳にあたっては一部で省略をおこなった」
とい記されている。
もちろん、対訳で絵本を読む人はほとんどいないから
翻訳絵本としては十分なのだが、
どっこいラボ・ライブラリーは
英日という文ごとの対応構造という
所行におよぶので、
語に対応する日本語がないのは、
とってもこまるのだ。

しかしレオニの絵本は俊太郎先生の
みごとな日本語訳で定着している。
それを変更してくれというのは
とってもとっても失礼なこと……。
でも,正直にいおうと音楽を担当された
ご子息の谷川賢作さんに相談すると
「ラボ・ライブラリーの構造はぼくもわかります。
まず,ぼくから父に相談してみますよ。
音楽の長さにもかかわますからね。
理由がちゃんとしているので
父はあまり細かいことはいわないと思います」

賢作さんのそのひとことにほっとしたが
はたしてどうにるかしらと
ドギドキしてまっていると
1週間ほどたった夕方、
FAXだったか郵送だったか記憶がとんでいるのだが、
『フレデリック』の新しい訳が届いた。
日本語版の好学社でている絵本では省略した部分が
すべて追加で訳されていた。すごい! 

この春、谷川先生に偶然にも
新幹線車内でお会いして短時間ごあいさつした時
遅まきながらそのお礼をいおうと思ったが、
なやはり言えなかった。
でも、ラボのことをよく思ってくださっているのが
十分に分かってうれしかった。
谷川賢作
写真はその秋に行われた
『フレデリック』『ひとあしひとあし』の
音楽収録の後、谷川賢作さんや
参加した演奏家のみなさんと
見学に来た事務局員(なぜか全員女性)との集合写真。
2007年9月12日の20時頃。
場所は赤坂の山脇学園という女子校の向かいの地下に
あるBACKPAGE STUDIOというボブ・ディラン
の曲のようなスタジオ。
こぶりだが、腕のいいエンジニアのいる
大好きなスタジオの一つだ。
(もう9年前だから、ラボにいない人も写っているが
貴重なので残しておこうと思う)

このライブラリーは
ぼくがプロデュースした最後のシリーズの1作なので
思いも深いし記憶も鮮明だ。
ラボっ子の音声吹き込み
選考会もたいへん勉強になった。
このときは1次選考で声のデモと
応募動機を送るといういささか
面倒な方法をとった。

それらをクリアするくらいの意志が
スタートラインだと思ったからだ。
だから、ぼくは1次選考を通過できなかった
子どもたちへの手紙でも
最終選考に参加した30名へのあいさつでも、
以下のことを伝えた。

「ラボからの案内を知って、この選考会に応募しようと
申請してくれた人は、すべてが制作の仲間です。
スタジオに行くのは数名ですが、
300名の応募者がいるから
選考することができるのです。
夏休みの時間を割いて行動起こしたこと、
それはすばらしいことです。
ラボ・ライブラリーには音声吹き込み者として
ラボ・パーティの子どもたちと載りますが、
それは300名全員のことです。
ですから、『ラボ・ライブラリーの制作に参加した』と
胸を張って自慢してください。
ぼくも、こんなにも多くの子どもたちに
愛されているラボ・ライブラリーを
みなさんと一緒に作れることに身が引き締まります。
そして自慢したいです」

なんかカッコつけてるが、本気である。
300名の子どもたちが送ってきた「応募動機」も
すごかった。
大別すると以下のような内容だ。

・将来は声優や役者など表現をする仕事に就きたいので
 こういう機会はすべて挑戦したい。
・ラボ・ライブラリーが大好きなので、自信はないけど
 制作に関わってみたい。
・レオ・レオニ先生(敬称つき!)の作品が大好きなので
 絶対に参加したい。

これらは皆小学生だぜ。
だったら、彼らを裏切れないだろうし
才能のなき僕などにできるのは
命がけでやる馬鹿力勝負しかない。
ラボっ子選考会は大変だが、
やはり学ぶものが多い。

最後に余談だが、
語りの市原悦子さんにオファーを出したら
事務所サイドが
「市原のひとり語りならいいが、
子どもたちとの共演は彼女の世界観がかわるから」と
難色をしめてきた。
でも、
その二三日後に出演快諾の返事がきて一同喜んだ。

その謎は正確には不明だが、
本番が終ったスタジオで市原さんが
真っ赤なスカートと真っ白なブラウスで
録音ブースから出てくるなり、
ニコニコと
「江守徹さんが、
たいへんでめんどうかもしれないけど、
おもしろくていい仕事と
おっしゃってのはこれだったのね」と
とおっしゃったのが、
たぶんそのこたえなのだろう。
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