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夜の手品師とこねこたちにBravo! 09月30日 (金)
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。

毎月のことだが、今月もまたカレンダーの絵に仰天した。
昨夜、フライイングぎみにチラ見したが、
思わずそのままめくってしまった。
haji
クロード・岡本の絵本『てじなしとこねこ』に
インスパイアされた作品だ。
描いたのは栗原百花さん(高1/松山市・標葉P)。
久しぶりに高校生年代の作品が登場だ。

「ラボ・カレンダーの絵」の活動は
1984年にさかのぼるが、
きっかけは極めてシンプルで
「子どもたちの描画を激励しよう!」
というものだった。

それまでも「ことばの宇宙」の表紙は
一貫してラボっ子の作品だし、
カラーページでも折に触れて
毎月たくさん投稿されてくる子どもたちの絵を
できる限り掲載していた。
しかし、それは大きさも小さかったし、
2色のページに載るときもあった。
(カラーは基本4色か贅沢な場合は6色だが、
いわゆる特色2色はA色とBe色の掛け合わせ
になる。ニュースリポートなどなせお洒落にも
なるが絵が2色では悲しい)

もともと描画活動はラボ教育のなかで
明確に位置付けられていたわけてはない。
さらにいえばテーマ活動だって
様ざまな「いいかた」で表現されるが、
法律や規程の様に明文化されていない。
それが特徴でもありよさでもあり、
見方によっては弱点と取られるかもしれない。

だから「ラボの仲間一人ひとりが
自分自身のことばで語るラボ」が
大切であり、
それは他者が語る「ラボ」にも
まずリスペクトを持つことでもある。

ただはっきりしているのは
その中心にいるのはラボっ子であり、
ラボ・ライブラリーという水源だ。

なにやら難しい話になったが、
描画活動はラボの草創期から、
ラボ・ライブラリーに取り組む過程で、
その様ざまな段階で自然に生まれてきた。

物語や歌で感じたものを
のびやかに表現するひとつの方法であるともいえる。
だからそれは常に主体的であり、
「読書感想文のために読む本」のような活動とは
根源的に異なるのだ。

言語では表現しない物語や主人公への
感情や思いが溢れるラボっ子たちの絵を
「カレンダーにしてでっかく印刷し、
全国のラボ過程の壁を飾ることができれば、
描画活動の励ましになれ」という願いから
「ラボ・カレンダーの絵の活動」は生まれた。
そしてもう32年になる。

だから「ラボ・カレンダーの絵」は
あくまでも活動であり、コンテストではないのだ。

前置きが長くなってしまったが、
たまにはスタートラインを確認することもだいじだぜ。

さあ、百花さんの絵だ。

ラボ・カレンダーの絵に高校生の絵が
入選することは確かに少ない。
圧倒的に多いのは、学齢前や
小学校低学年、4年生以下の作品だ。

その理由の第一が応募数にあることはまちがいない。
だけど、10歳以下の子どものもつ奇跡も
無視できない。
暴論をいえば、11歳からは思春期だと思っている。
こんな僕でも
おおむね10歳まではひたむきに生きていた。

まあ4、5歳からいわゆる英才教育に走る
ご家庭もあるが、
一般的には、
10歳くらいまでは「健康で元気でのびのびと
育ってくれればいい」と親は思う。
だが、11歳を過ぎるとねえ……。

まあ4、5歳の目と心で自由に絵を
描きづつけることはたいへんなのだ。
ピカソでさえ70年かかったといっている。

また焦らしてしまった。

百花さんの作品は
現代語でいえば、「キターっ」であり、
「スゲー」であり、「ヤベっ」であり、
「オシャレ」であり、「カッケー」を
全部合わせたようなものだ。

ただ、絵全体から、
さらにいえば絵の向こうがわから、
なんともいえない静けさと切なさが
伝わってくる。
しかし、それはけして弱さではない。

原作の絵本にはこんな都市を行く
老手品師と猫たちのシーンはない。
冒頭に敢えて「物語にインスパイアされて」と
書いたのは、
この作品が本歌取りともいうべき
新しい意匠、タッチによる
オリジナルに近い作品だからだ。

ご存じのようにクロード・岡本の原作の絵は
油絵で肉太のタッチである。
色味もブラウンと黒に赤系が中心であるが、
百花さんの絵は細密画といってもよく、
色も手品師と猫たち以外は淡いパステル調だ。

石畳の街、おそらく街外れだろうか、
茶色のカバンひとつで夜をいく老手品師。
それに寄り添うように、じゃれるように
前後する黒猫たち。

one night stageがはけた帰りだろうか、
それともこれから本番だろうか。
ぼくはおそらく、次の街に向かところだと
勝手に妄想する。
とにかく想像力をかきたてる絵だ。
今夜のショーはウケたのだろうか、
喝采が背中に残ってるようには見えない。

手品師の黒いスーツとハット、
そして猫たちは夜よりも黒い。
さらに猫たちは夜のようにしなやかだ。
動きがすばらしいし、
先頭で立ち止まって振り返っている
猫の瞳もドキッとさせる。

これらの黒の艶がとても抜けていて気持ちがいい。
濁りのないすっきりしたブラック。
また、手品師の後ろ髪の色を
淡くしているのもニクい。
とにかく細部を見れば見るほど
驚きが増す。

早生の天才作家、樋口一葉の作品を読んだ
森鴎外は「一行読んで一行に驚かれぬる。
一葉なにものぞ」と驚嘆した評を書いたが、
そんな感じである。
まあ作品き繰り返して味わうものだし
繰りかえさせない作品はそれだけのこと。

街は夜だか、石畳に似合うような
よぎりも降りてきているようだ。
家には明かりが灯り、
それそれの家庭の団欒があるが、
老手品師には無縁だ。
その孤独感が胸をうつ。

『ロミオとジュリエット』の
舞踏会嵐に向かうロミオたちの石畳は
きっとうっすら濡れていて
真夏のイタリアの湿気のある夜が
若者たちの青い微熱とリンクして悩ましいが、
この石畳は乾燥し、冷え切っている。
それは細かく、色をの濃淡をつけた
描き込みからはっきりわかる。

左から右へワインディングしながら
そして微妙にねじれながら伸びる道。
家もまた老紳士が存在する空間とは
異なる次元のように湾曲する。
そして家の細部もていねいに描き込まれている
瓦一枚一枚、階段の一段一段まで
さっと「塗り絵」したところは全くなく。
すべて意図して、意味を持って描かれている。
高校生年代ならではの技術と体力と集中力だ。

ラボ・ライブラリー、
『てじなしとこねこ』の音楽は故林光先生だが、
あの軽快なメロディが、やや哀調を帯びて
画面の奥から聞こえてくる。
うーん、百花さんとこの物語の出会い、
関係を知りたい。

それから左下に描かれている
Scary Viewという道標も気になる。
「危険な景色」がこの先にあるのだろうか。
今この瞬間は、絵本が手元にないが、
こんな道標は出てきますか?

ともあれ、夜はふけていく。

『てじなしとこねこ』は1963年8月の
福音館書店「こどものとも」の配本だ。
もう53年前の作品。
しかし、まったく古い感じはしない。
むしろ新しい。
だから今も愛されている。

物語と絵を描いた
クロード・岡本は17歳!
この作品以前から天才少年画家といわれていた。
父親や周囲のおとなは彼の作品で
経済的な成功を目論んだが、
はかばかしくはなかったようだ
did
しかし、彼の消息は忽然とわからなくなる。
作品は各地に残るが本人の現在は不明だ。
亡くなったという情報はない。
存命しているとすれば70歳くらいのはずだ。
そのご、音楽家になったという話や
レコードやジャケットのデザインをしたという
話が聞こえてきたが、それ以上は不明だ。

らくだ・こぶにこと谷川雁の
『谷川雁の仕事』(河出書房新社,)には
『てじなしとこねこ』について
「青春とよぶにはちとはやい少年の憂いと、
どうしうようもなさのようなものが、
泳ぎすぎてチアノーゼになった
くちびるのようになってただよっている。
そのちょっと酔ったような気分を、
猫や老人のひげが、
すこしさめたようににらんでいる」
と書いているのを思い出した。

『てじなしとこねこ』は夜の物語だ。
夜はとても刺激的だから、
使いすぎは危険とも谷川雁は書いている。

ラボ・ライブラリーにはいろいろな夜が出てくる。
『なよたけのかぐやひめ』の月からの使者の夜。
『ブレーメンの音楽隊』の夜。
『夏の夜の夢』の夜。
いやあいっぱいあるなあ。

夜遊びは楽しいけど、ご用心ご用心。
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