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「愛されること」/青春の日付変更線を超えて 03月23日 (木)
ruth
写真は国際基督教大学、マクリーン通りの桜。

「ラボ国際交流のつどい」に参加して
という感想文みたいなものをFacebookに書いたら
予想以上に反響があったので
こちらにもアップする。

昨日、文京区シビックセンターホールで
「ラボ国際交流のつどい」に参加した。
2011年から皆勤賞だ。
現役事務局員だったときは、
夏に新刊が出るときは
録音や編集の追い込みでスタジオにいた。
逆に冬に新刊が刊行されるときは
必ずスタッフとして参加していた。
また、その夏はキャンプで
大統領や村長をするか
国際交流の引率をしていた。
国際交流では、幸せなことに
1978年に25歳のときのMichigan州引率を
かわきりに、
Kansas、Massachusetts、
Rhode Island、Connecticut、
Arkansas、Louisiana、
Indiana、Washington、
第3回中国交流副団長、
第2回Mexico交流団長、
第1回New Zealand交流団長
などで引率経験を積むことができた。
思えばこうした国際交流やキャンプで
子どもたちと直接に関わる経験があったから、
ラボ.ライブラリー制作を続けられたと思う。
事務所とスタジオだけにいては
乏しいぼくの想像力はあっという間に
枯渇していただろう。
thigh
京都、直指庵の葉もみじ

国際交流の引率をするとき、
参加者やシャペロン、
そしてホストファミリイに
一貫して伝えてきたことがある。
それは、
The most important thing in
this International exchange program
is not to do many activities but
to be loved by people in new country.
なんだかキザで恐縮だが
国際交流活動の目標としては
新しい国での新しい家族との
暮らしのなかで、
なにを体験し、なにを学び、
なにを得るかという
獲得すべき体験や感動に思いがいきがちだ。

もちろん、それ自体は参加の
Motivationだし
物見遊山ではない教育プログラムとしての
国際交流活動の最もたいせつな部分だ。
しかし受け入れてくれる
ホストファミリィにとって
日本の子どもがホームステイすることが
どんな「良きこと」であるかにも
思いを馳せねばならない。
受け入れる家庭にとっても
教育プログラムであること。
それが、相互交流の基本であり、
ラボ国際交流を
産業や商業ではなく、
大きな善意という同心円と繋がりのなかで
長年継続させてきた根拠だと思う。
hmm
秋田男鹿半島の寒風山。

そのうえに立って考えると
新しい家族や街の人びとに
愛されることは
わかりやすい「良きこと」のあかしだ。
愛されることは
愛することよりも難しいかもしれない。
それを考えるのがプログラムかもしれない。
だが、昨日、
昨年度参加者による
彼らの準備と体験と今がギュッと凝縮された
スライドを映写しながらのスピーチには、
彼らがいかに愛されたが明示されていた。
だから感動する。
ラボ国際交流は
子ども能力のデモンストレーション
に行くではないから、
いわゆる特技がなくても、
明るく、なんにでも積極的で
感謝の心をもち、
「意思を伝える努力」ができるという
地球市民としての基本があればいい。
もちろん「なにかできること」があれば、
受け入れ家族にとってはよりうれしいことだが、
上記のような「普通の地球市民」であれば、
十分に「良きこと」である。
これは「受け入れ」を体験すれば
より鮮明になることだが、
遠くからやってきた
言語も生活習慣目標異なる国から
やってきた少年少女を
受け入れる側も緊張する。
しかしそのことによって
家族はreunion、再結合する。
新しい家族のメンバーと関わるなかで
親は子を、子は親を
夫婦は互いを見直す。
平板化していた家族のあり様が立体化する。
そして、新しい家族を近隣に紹介することで、
地域社会も再結合していく。
そのことが、ラボのような
比較的低年齢の国際交流において
受け入れ団体が期待していることの
ひとつであることはまちがいない。
ラボ国際交流は
日本の民間交流の歴史のなかでも
大きな、かつ特別な足跡を残してきた。
その特徴は、なにより
幼いときから準備して参加することと
相互交流であることだ。
さらに、参加者のみならず
青少年国際交流の教育力を確信する
多くの関係者が長年にわたり
しかもvoluntaryに
力を合わせてきたことも見逃せない。

これらは、学校に象徴される
Formal educationではなかなかなし得ない。
それは学校に勤務して4年経た今、
強く感じる。
というより、ラボのような
非公教育、informal educationならではの
活動であるといえる。
これはテーマ活動も同様で、
ラボの物語を公教育に持ち込む、
あるいはそれを活用したスタイルの授業は
十分に可能だが、
たとえば公立小学校において、
週1回、45分の授業だけで
家でラボ・ライブラリーに触れることがなければ
「ラボ活動」そのものはできない。
ラボ国際交流は幼いときからの
テーマ活動という教育プログラムを
基礎におくことで成り立っているから
やはり公教育での「海外研修」とは
大きく異なるといえる。

さらにいえば、
パーティ活動や地区の活動、
キャンプなどでの
異年齢のグループによる学び合い、
体験の共有もまた
公教育では容易なことではない。
これもまたラボ国際交流を成立させている要件だ。
毎年の「国際交流のつどい」は
客観的には「民間の一教育・交流団体の内輪の式」だ。
しかし、前述した
民間ならではの
言語体験プログラムに裏打ちされた
相互国際交流による教育プログラムの
社会的意義と責任を確認する場でもあると
今年も再々再々確認した。
rgerg
武蔵学園、中の島のイロハモミジ。

よくいわれることに
ラボ国際交流には3段階の特徴がある。
第1段階は、
幼いときからラボ教育活動に参加し、
キャンプ、事前活動と続く準備。
もちろん、準備そのものもプログラムである。
第2段階は、夏のホームステイそのもの。
より良いチャンスは
準備した者に与えられる。
そして最も美しく長い第3段階は、
夏の体験と感動を携えて、
地球市民として生きていく
残りの人生すべてだ。
テューター・シャペロン代表として
あいさつされた野田知美テューターは、
まさにその3つの段階を
自らの体験を交えて明確に語られた。
「国際交流は教育プログラム」ですと
明るくいい切ったのは感動的だった。

私的な話になるが、
野田パーティの先代、すなわち
野田知美テューターのご母堂には
生前、長男と長女がお世話になり、
知美テューターも高校生時代から
存じあげているので、
立派なテューターになられたなあと
ついウルウルとしてしまう。
世界は今、またきな臭い。
極端な愛国主義、排他主義が
ちらついている。
家族を愛せ、国を愛せと
強制されることに息ぐるしさを感じる。
その愛をなぜ
世界や地球に広げられないのかふしぎだ。
誰かさんがいうように
世界のまんなかで輝く国より
国民から、世界から愛される国になってほしい。
グローバルということばがあちこちで
便利に一人歩きする今、
多様性が否定されかねない状況がある。
異質なものを忌避する芽が潜んでいる。
ラボ国際交流のこれまでの
民間交流としての継続の歴史、
湾岸戦争でも天安門事件でも
9.11でも途切れることのなかった流れは
評価されねばならないし、
誇りにしなければならない。
そして同時に、この流れを
さらにたくましく
未来に向けて続けていく
社会的責任も自覚しなければならない。
そしてこの夏、 青春の日付変更線をこえる
子どもたちよ、
こうした体験ができる幸せを
たいせつにしてほしい。
きみたちはまだ、
どんなおとなになるか
何者になるかはわからない。
でも、何にでもなれることを
信じてほしい。
世界を変えるのはきみたち自身だ。
そんなことをまた確認できた一日だった。
例によって長くなったので、
jh
金沢兼六園。

写真は「日本の四季っぽい」ものを
並べてみた。
日本を離れることは
日本を知ることであり
新しい自分と出会うことでもあると
ぼくは体験を通して思う。
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