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「海はこわいところさ。 でも命の生まれるところでもあるんだ」 06月01日 (木)
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写真は武蔵学園大講堂。ぼくの仕事場。

三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる
「海に生まれて海に還る」

6月。水無月。June。
どれもいい響きだ。
水無月の語源は大きく分けて二つの説がある。
まず、な=無は「の」の変化で
梅雨で降雨が多い「水の月」から。
同例として神無月が「神の月」。
もう一つは梅雨の後のひでりで
水が無くなる月という説。

※10月に全国の神様が出雲大社に集合して
縁結びのサミットをするというのは中世以降に
出雲大社の御師(スタッフ)たちが
プロテュースして広めた「語源俗解」というのが定説。
これについて中国文学、語源研究の高島俊男先生は
「神無月は師走と同じくらい語源俗解が多い」といわれている。

この高島先生は「お言葉ですが……」などのエッセイでも有名だが、
若き日には武蔵で講師として漢文を教えられた。
ぼくも習ったのだが、とにかくぶっ飛んだ先生で
期末試験の試験監督に来て、手持ち無沙汰になり
「あのー、たばこ吸ってもいいかな」と
高校生のぼくらに尋ねた。
すると誰かが半分冗談、半分呆れて
「いいんじゃないすか」といったら、
本当に高島さん
(先生と呼ばずに
さんづけでよぶ習慣がある)は、
ベランダに出て一服した!

なお、Juneはローマ神話の
女性の守護神Junoからだ。
Junoはぎりしあ神話のヘラーと同一視される。
なお、フランス語ではJunon。
みなさん不倫はダメよ。
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前置きが長くなった。
昨夜遅く、カレンダーをめくったら、
思わず「わっ、海のなかだ。すげえ」
と呟いてしまった。
危ないおじさんである。
作品はラボ・ライブラリーSK7より
The Ocean-Going Orchestra
『うみのがくたい』にインスパイアされて
描かれた絵だ。
描いてくれたのは
佐藤菜月さん(小5/横須賀市・菅野P)だ。

『うみのがくたい』といえば、
ラボ・カレンダー
では初夏から夏の定番で、
毎年かなりの数のentryがある。
したがって、当然にも多数の傑作、
力作、名作が過去に登場しているから、
このテーマで入選を果たすのは
けっこう大変なことである。
どうしても何か
「ここにもない」「どこにもない」
新しい美しさや感動を
『うみのがくたい』という物語から
引っ張り出してくることが求められる。

で、ぼくも過去のカレンダーを
出してきて眺めてみた。
そして、納得した。
菜月さんの「揺るぎない個性」に脱帽した。

まず「水中感」が半端ない。
ゴホゴボト知ってしまいそうである。
アクアラングをつけて一緒に潜水している感覚がある。
『うみのがくたい』を描く子は
魚やクジラたちが海上で
演奏したり楽器をもらったりする場面が多いのだが、
菜月さんの絵はもろに水底、海中である。ゴボゴボ。

で、なによりすごいと思うのは、
物語をしっかり理解し、取り込みながら、
色もフォルムも構図も、
原作絵本から解き放たれた
自由に菜月さんの造形であることだ。
強いていえば、上方の夕焼け空の
sunset orangeが絵本に近いが
ぎゃくにこの夕焼けこそ
『うみのがくたい』の
肝であることを示している。
その夕焼けも濃淡を使っていて
物語の深みとリンクしている。

魚たちの描き込みも楽しい。
カメやイカやクラゲの色合いや
魚の鱗の模様なども全く自由だ。
イエローと水色のイカなんで
普通は思いつかない!
3匹のカメの甲羅が全部違うのもニクい。
ピンクのクラゲもおしゃれだ。

ニヒルな笑いを浮かべるクジラも
ジャック・ニコルソンのようでかっこいい。
真っ黒の面積が大きいのはきわどいが、
周囲の魚たちの描き込みが
たくさんあるので気にならない。
とにかくこれだけの色を使って
細かく最後まで描き込んだ集中力は
物語の力の証明だ。
『うみのがくたい』を
菜月さんはパーティでどんな
楽しみ方をしたのだろう。

色のすばらしさばかり書いたが、
構図や魚たちの動き、
絵全体に溢れる音楽性、
戦慄とリズムもこの絵の魅力だ。
さっと描いたようにように見える
小魚たちの群れ(これも色分けされてる!)が
画面の右から左へながれ、
対して大きなクジラは右へ向かっている。
その間で、イカやクラゲが浮遊し、
他の魚たちさまざまに踊っている。
(楽器を持っているのはクジラ
だけかと思ったら、鈴やタンバリンや
トライアングルも持っているだ!)

それらが奏でる音楽と水中で繰りひげられる
パフオーマンス! 
いやあ、これはすごい。ゴボゴボ。

そして、忘れてはならないのが
船の乗組員たち、まさにコラボしている。
だけど背景の夕焼けと相まって
彼らの演奏が切な聴こえてくるのはなぜだろう。
ひときわ紅い中央の夕焼けと、
荒れているような波間の
せいだろうか。
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菜月さんが感じとった『うみのがくたい』が
ここにある。
それは絵本の写しではない。
菜月さんの『うみのがくたい』への思い。
そして海への思いではないか。
想像だけど、菜月さんは海が大好き。
そして水族館やお魚も大好きかな。
横須賀だからはっけいじまの水族館には
なんども行っているかな。
どうしてこの物語を選んだのかな。

原作絵本の絵は
「原爆の図」で夫である
丸木位里氏とともに
ノーベル平和賞の候補にもなった
(といわれるが、公式的なものではない)
画家の丸木俊先生である。

ぼくは埼玉の丸木美術館でも
広島でも長崎でも先生の「原爆の図」と
何度も対面している。
とくに長崎は長男が小1、
長女が保育園のときに連れていった。
広島や埼玉は
高校生くらいになれば
自力でいけるだろうと思ったからだ。
「強烈すぎるか」とも思ったが、
現在35歳の長男は記憶にあるという。
長男が明治の政治経済にいながら
卒論にチョムスキーをえらび、
アクティビストとしての彼に着目して
「テロリストの再定義」を書いたのは
長崎の原体験が影響しているかもしれない。

『うみのがくたい』の絵は
丸木先生は2年をかけて制作されている。
イルカやサメなどの動きに
たいへん苦労され、近所にすむ
「おさかな博士」の少年
から助言をうけたというエピソードもある。
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そして、先生は人間の生命や尊厳をおびやかすものへの
怒りは苛烈で、容赦はなかった。
かつて「ラボの世界」のインタビューで
ラボっ子たちがお宅をたずねたときも、
核エネルギーと人間が
共存不可能であることを説いてから、
ドクロのお面を全員につけさせて
「原発反対!」とシュプレヒコールを
子どもたちとともにされた。
 
『うみのがくたい』の物語を構成するモティーフ
海、夕焼け、音楽、海のいきものたち。
これはすべて美しい。
いやモティーフ、動機というより
キエティーフ、動かない静機と
いってもいいかもしれない。

海は、遠くに開かれ、
水平線の先にはなにも見えないがゆえに、
古来から多くの想像がなされた。
不老不死の国や黄金の国、
さまざな楽園を人は想像した。

そして多くの命が冒険にでて帰らなかった。
いや海に還ったというべきか。
そして戦もあった。
若きかけがえのない魂がやはり海に消えた。
しかし、海はぼくたちをを惹きつけてやまない。
行ってみたいなよその国。
9.11の直後、そんな海への思いと平和への願いを込めて
ぼくは『十五少年漂流記』のエンディングテーマ
「海へ」の詞を書いた。

『うみのがくたい』の
丸木先生の夕焼けも、間宮先生の音楽も、
すべては海にきえた命への
鎮魂のように思える。
これは何度も書いた話だが、
あるとき5歳のラボっ子が『うみのがくたい』についてこういった。
「先生、あの船は
ほんとうは沈んだだよ。
だからあのお話ができたんだ」

かつて瀬戸内海の高島という島で
「海の学校」をやっていたとき、
若い漁師の「タカちゃん」という
おにいさんがこういった。
「海はこわいところさ。
でも、命の生まれるところでもあるんだ」
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