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「物語は思いも魂も伝承する」 05月01日 (火)
三澤製作所のラボ・カレンダー
5月の絵をめくる

皐月朔日。
午前5時30分にカレンダーをめくった。
東の窓から差し込む、
もう初夏といっていい朝の光に
この絵が浮かびあがった。
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大塚勇三・文 丸木俊・絵による絵本
『うみのがくたい』に題材をも止めた
ラボ・ライブラリー
The Ocean-Going Orchestraから
感じたら喜びと感動を
物語に心を寄せて描いたものだ。

描いてくれたのは
石井聖人くん(小4/愛知県・鈴木晶子P)。
遭難しかかった船が
海の生き物たちの協力で難を逃れた後、
お礼にもらった楽器でsessionする
クジラやサメや魚たちが
いきいきと画面で躍動している。

この物語も、ラボ・カレンダーの題材として
たくさんの子どもたちが取り上げる。
その理由のひとつとして「真似しやすい」絵という
ことがあるのは否定しない。
でも、それは極めて皮相的、superficial
な理由に過ぎない。
いわゆる具象的な絵はラボ・ライブラリーに
いくらでもあるのに、
この物語から絵を描いてみようと
子どもたちを誘うのは、
『うみのがくたい』のことば、
音楽、絵の持つ大きな力、
そこに込められた想いとか魂といった
不可視のパワーが
子どもたちに伝わっている気がしてならない。

1985年以降の34年間、
これまでのラボ・カレンダーの絵として
『うみのがくたい』は多分20点数が
入選作として全国のラボっ子の部屋の壁を
飾っているはずだ。
ということは、選考委員をうならせる
名作、傑作、力作が多数登場しているわけで、
それを乗り越えて、
常に新鮮な作品が登場してくるのも
この物語のふしぎな力だと思う。

そして今回の聖人くんの作品も
「おっ!」という新鮮さに溢れている。
まず驚いたのは船体は大胆に簡素化され
さらに船員たちはひとりもいない。
(このことは後で触れる)
4頭の大小のクジラやサメ、
そして小さな魚たちが全力で演奏する。
その躍動感には力強いリズムがあり、
それは聖人くんがこの物語を繰り返し聴き、
深くinputされたことの証に違いない。
絵は本来空間的だが、
時として音楽的でもあり、
物語における音楽は
物語のテキストをコントロールする
時間的であるが
絵画的な表現力も持つ。

テキスト(音声)、音楽、絵という
ラボ。ライブラリーを構成する要素、
すなわち物語を立体的に描く要素が
この絵をじっくりと見ていると
湧き上がってくるのだ。

上記は何のこっちやと思う人のために
もう少し説明するが
その前に色のことを書いておこう。
原画を見ていないので正確なことはいえないが、
色味としてはかなり抑制されていて、
透明感がある。
クジラは比較的濃い色だが
それでも抑えめといえる。
全体に青の濃淡で空と海が描かれ、
絵の上部、空の方にいくほど
淡い青になっているが、
塗りかたは単純ではなく、
奥ゆきと広がりを作っている。

魚たちや船はおしゃれな現代色で
水彩でこの色を作り出した感覚はステキ。
とくに船体のmagenta系とviridian系の
two-toneの色味は
痺れるようなかっこよさで、
さらにわずかに使ったvioletが効いている。
この船がどまんなかにあることで
面積の多い青がさらにくっきりとして
この絵に力を与えている。
それがなければ、ともすれば
淡い色だけの印象になっていたかもしれない。

作者は小4ということだから、
男の子から少年に向かいはじめる少し前。
声変わりもまだしていないと思う。
その時期の男子の感性、
憧れ、無邪気さ、とまどいを
おとなになると残念ながら忘れてしまう。
しかしその時期の心映えが
『うみのがくたい』の言語体験を経て
こうした絵として残るのは
とっても貴重なことだ。
たかが子どものえでは済されない。

さっき後で触れるといったことを書く・

原作絵本の絵は「原爆の図」で
夫である丸木位里先生とともに
ノーベル平和賞の候補にもなった
画家の丸木俊先生である。
ぼくは埼玉の丸木美術館でも
広島でも長崎でも先生の
「原爆の図」と何度も対面している。
とくに長崎は長男のすばるが小1、
長女の梨奈が保育園のときに連れていった。

広島や埼玉は高校生くらいになれば
自力でいけるだろうと思ったからだ。
「強烈すぎるか」とも思ったが、
現在36歳の長男は記憶にあるという。

すばるが明治の政治経済にいながら
卒論にチョムスキーをえらび、
アクティビストとしての彼に着目して
「テロリストの再定義」を書いたのも
長崎の原体験が影響しているかもしれないという。

『うみのがくたい』の絵は
丸木先生は2年以上をかけて制作されている。
イルカやサメなどの動きに
たいへん苦労され、
近所にすむ「おさかな博士」の少年と
なかよくなって助言をうけたという
エピソードもある。

その半面、人間の生命や尊厳を
おびやかすものへの怒りは苛烈で、
容赦はなかった。
かつて「ラボの世界」のインタビューで
ラボっ子たちがお宅をたずねたときも、
核エネルギーと人間が
共存不可能であることを説いてから、
髑髏のお面を全員につけさせて,
「原発反対!」とシュプレヒコールを
子どもたちとともにされた。

『うみのがくたい』はまた、音楽がテーマでもある。
海、夕焼け、音楽、海のいきものたち。
すべて美しいモティーフだ、いや、
モティーフ、動機というよりキエティーフ、
すなわち動かない静機といっても
いいかもしれない。

海は、遠くに開かれ、
水平線の先にはなにも見えないがゆえに、
古来から多くの想像がなされた。
不老不死の国や黄金の国、
さまざな楽園を人は想像した。
そして多くの命が冒険にでて帰らなかった。
いや海に還ったというべきか。

そして戦もあった。
若きかけがえのない魂がやはり海に消えた。
この物語の音楽も夕焼けも、
すべては海にきえた命への鎮魂のように思える。
これは何度か書いた話だし知っている
人もも多いと思うが、
あるとき5歳のラボっ子が
『うみのがくたい』についてこういった。
「先生、あの船はほんとうは沈んだんだよ。
だからあのお話ができたんだ」

聖人くんがこの子のエピソードを
知っていたとは思えない。
だが、船員がひとりも描かれていない船。
そのまわりでひたすら演奏する
海の生き物たち。
それは、「あの船はほんとうは沈んだんだよ。
だからあのお話ができたんだ」に
通じる感性のような気がしてならない。
考え過ぎかもしれないし、
人間を描くのめんどいからやめたのかもしれない。
だ、これだ描き込む力のある聖人くんが
そんな安易な理由で人物を描かないのも不自然だ。
だからこそ、彼がどんな言語体験、
テーマ活動体験をこの物語でしたかの
ぜひ知りたいと思う。

ただ、ぼくが信じているのは、
大塚先生、丸木先生、間宮先生の
思いや魂は、
多くの子どもたちに
感動とともに伝承され
こうして新しい形で常に
立ち現われてくるということ。
だからきっと今夏も
『うみのがくたい』の絵は
またたくさん送られてくるだろう。

1981 年、瀬戸内海の高島という島で
「海の学校」の教頭やっていたとき、
若い漁師のおにいさん
「妹尾のタカちゃん」がこういった。
「海はこわいところさ。
でも、命の生まれるところでもあるんだ」
そのとき、長男のすばるはお腹にいたが
タカちゃんの話をききながら、
ぼくはまだ見ぬわが子を思った。
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