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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。水無月に舞え、つばくらめ 06月01日 (金)
6月。水無月である。
梅雨時で水多いじゃねえかといわれそうだが、
(ぼくもガキの頃、そうツッこんでた)
無は「の」の転で、「水の月」が元だというのが
ほぼ定説になっている。
(神奈月も「神の月」)
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はじめにこのカレンダーをお持ちの方は、
ラボ・ライブラリーをかけて眺めることをお勧めする。
これは毎月のカレンダーでの絵でもいえることだが、
今月の作品はとくにそうだ。
この絵の疾走感、爽快感、力感、躍動感などが
より立体的に感じられるからだ。

描いてくれたのは鄭裕里さん
(小3/福島県・山崎智子P)。
題材となったのはラボ・ライブラーSK8収録の
"Chuchu"『こつばめチュチュ』。
らくだ・こぶにが書き下ろし、
吉原英雄先生が絵を、
音楽は間宮芳生先生が担当された。
日本語騙りは江守徹氏。
1973年4月のリリースだ。
(しかし、なんというgorgeousな
組み合わせだろう。絵本はB5版横、
そうとカバーの小さなサイズだが
中身はとんでもない濃厚さだ。

場面はおそらくツバメの学校の運動会。
冒頭の登校シーンとと取れなくもないが、
チュチュたちの気合の入った表情。
またチュチュが「黄色いリボン」とわかるのは
この「1年でも1万メートル」の
競走シーンのスタート直後と考えるのが
自然だと思われるが、裕里さんどうだろう。

この直前に「白い胸毛をぶるっとふるわせ」る緊張があり、
号砲一発、いっせいに飛び出した1年生たち。
賞品のかぶとむしのバッジや美味しい虫を目指して一直線。
裕里さんの絵はその瞬間を切り取ったものだが、
じつは前述したような
スタート前の緊張感とその解放によるエネルギーの爆発までの
チュチュたちの心の動きを描破している。
単に「飛んでいるツバメたち」という
凍りついた絵ではない。

物語にそこまで突っ込んでいるから
この疾走感、加速感、加速感が
伝わってくるのだと断言してしまおう。

そして、これはけして選考会を
批判しているわけではないことを
あらかじめ断っておくが、
この場面が1万メートル競走だとすると
季節は秋、ツバメが渡りに出る前である。
だから本番に備えて練習するのだ。

なにより、スタート直後のナレーションに
「秋のはじめの青い空」という
体言で止めた1行がある。
この1行ががさすがはらくだ・こぶにで、
詩を捨てたいいながら、
終生彼の根っこにあった詩的感性、詩的な律動
渇いたリリシズムが感じられる
あざやかな1行だ。

その前の「白い胸毛をぷるっと」で
ツバメの胸元をクローズアップして
その緊張をわずかな胸毛の動きをミクロで伝え、
そこから解き放たれた直後を
ツバメからロングショットに降って
マクロな視点に転換する。
それが「秋のはじめの青い空」の
1行、しかも体言止めの文であることで
季節感と空の高さや青さ、
その下を飛翔するツバメたちまでが
あざやかな映像として見えてくる。
これらはラボ・ライブラリーを聴けば
だれしもが感じることだ。

今年のラボ・カレンダーにはChuchuが
2点入選しているが、
どちらも前半の月に置かれているのは
絵の印象によるものだろうが
物語的から考えれば秋だ。
物語の季節感も重要だと思うが、
あくまで私見であることを重ねて
お断りしておく。

繰り返しになるが
裕里さんの絵の疾走感と加速感は
だれしも圧倒される。
主役であるツバメのタッチは
かなり力強く描き込まれていて、
生物としての生命感が伝わる。
ひとつまちがえばラフな感じになるくらい
ギリギリにせめてい流のが潔い。
しかし、けして荒くはなく
翼や燕尾の描き込みも繊細な濃淡がつけられている。
また、スマートな身体のフォルムもかっこいい。
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主人公のチュチュはほぼ智勇王に描かれているず、
レースの先頭にはまだ出ていないのも
期待感が膨らむ。
さらに、競う仲間のつばめたちをチュチュの
背後に描いているのも裕里さんの
想像力とhand-eye coordinationのすばらしさだ。
先頭をゆくツバメを断ち切りにして
頭部を見せなかったり、
最後尾のツバメを逆に頭部だけ描いているのも
裕里さんの年齢ではなかなかできないことだ。
服まで主人公はチュチュと
意識されているのだろうけど。

さらにツバメの飛翔方向が水平ではなく、
やや上方を向いているのも
離陸上昇中の力感が伝わる。

かつてウルトラ・ライトプレーンで
渡鳥たちに伴走飛行機して撮影した映画があったが、
裕里さんは、チュチュたちと同じ高度にいる。
それだけ物語に入りこみチュチュを応援している。
江守徹氏のナレーションが
第三者的でありながら、
チュチュに心を寄せているのと同様である。


裕里さんは背景に田畑や家を
明るい色で描いているが、
それがツバメたちの暗色の面積の多さを
たくみに補って絵の明日るさと
高度感を作っている。
この多彩で自由な背景も、
この作品の大きな魅力だ。

じつはこ裕里さんが所属する
郡山市の山崎智子テューターとは
先週の金曜日の夕方、
郡山駅近くで同地区の井上テューターと
お茶を飲んだ。
喜多方からの帰り道、
郡山で時間があったので
前に連絡したのだ。

これまでにもなんどか書いたが、
山崎パーティのラボっ子は、
ラボ・カレンダーが始まって以来、
ほぼ毎年のように入線している。
山崎テューターは絵画の指導経験のある方だが、
あくまで「テーマ活動」ありき、
「ラボ教育活動のなかでの描画むと
きっちり位置付けられている。
カレンダーの季節のたびに
いろいろやり取りするので、
そんなことを徐々に知るようになった。
ぼくは冗談ぽく山崎パーティの絵を
「山崎流」と呼んでいるが、
それは絵のテクニックではなく、
テーマ活動とのリンク、
ラボ・ライブラリーを聴き込み
再表現していくことが
広義のテーマ活動だとすれば、
描画もそのひとつということなのだ。

郡山の駅近くのびるの5階のカフェで
マンゴー入りタルトとアールグレイを、
西に傾いていく陽をあびていただきつつ
くだらない話をしたが、
6月の絵をまだ観ていなかったので、
この絵の話しを全くしていなかった。
残念無念。
裕里さんとChuchuのテーマ活動の
関係をぜひ知りたいものだ。

原作の絵は吉原英雄先生。
先生は2007年に亡くなられたが、
残念ながら拝眉する機会はなかった。
吉原先生は20世紀後半の日本を
代表する版画家の
おひとりであることは
いうまでもない。

「チュチュ」絵は2つのパターンの変化だ。
恐るべきことに吉原先生を知らないときに
この絵本を見たとき、
「なんという手抜きだ」と思った。
アホである。

あるとき酒席で
らくだ・こぶに氏にきくと
氏は呆れた顔で、
吉原先生は、チュチュをあえて没個性にすることで
物語の個性を描きたかったのだ
と教えてくれた。
さらに、その日は機嫌がよかったのか
「チュチュは注射もがまんする
けっこう強い子のようだが、
とりわけ優等生のツバメではない。
ふつうのツバメが事件にぶつかり、
仲間と離別し少し成長して帰ってくる。
挫折したり病んだりして
少しずつ成長する。
この少しずつの成長を書いたんだ」
と語ってくれた。

ところでテーマ活動で
運動会の場面でみんなが
チュチュを先頭にしようと
全力でとばないことがあるけど、
ここでは子どものもつ
全力さがたいせつなんだよな。
なんて余計なお世話。
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