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ラボ・カレンダー7月 Bird’s-eye view and Overlooking 鳥瞰と俯瞰 07月01日 ()
三澤制作所の
ラボ・カレンダーをめくる

はやくも7月、文月である。
七夕に短冊に詩歌や
願望を書く習慣から
文被月(ふみひらきづき)が
転じて文月となったという説が
比較的有力だとされている。

6月中の梅雨明けに驚いていたら、
この鮮やかなレモンイエローに
もっとびっくりしてしまった。
これだけの面積を黄色で塗るのは
なかなかできない。
イエローは服のなかでも
着こなしが難しいといわれるからね。
(黄色については、またあとで触れる)゜
tgrg
絵はアメリカの絵本作家、
バージニア・リー・バートン
Virginia Lee Burtonが28歳で
描いた”CHOO CHOO,
the story of
a little engine who ran away”
『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』に
題材をもとめたラボ・ライブラリーに
インスパイアされたものだ。

描いたのは石井勇志くん
(小1/神奈川県・大塚淳子P)。

この物語、絵本を知らない人が見たら
「何を描いているのか」と
首をかしげただろう。
だけど、逆にこの絵本が好きな人なら
『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』だと
直観的にわかるはずだ。

とにかくこの物語が大好きで、
そして「電車・乗り物」が大好きで、
(乗り鉄、撮り鉄とかあるけど
描き鉄だね)
そのエネルギーで一気に描ききって
いるのがなんともすがすがしい。
そして自由闊達。
こういう作品が入選するから
ラボ・カレンダーはすばらしい。

これは推測だが、
勇志くんは、
日常的に絵ばかり描いている少年
ではないと思う。
どちらかというとアウトドア派の
元気ボーイのような気がする。
(まったく違っていたら、
大笑いだし、勇志くんには
申しわけないが)
だとすれば、
なにが彼を突き動かしのだろうか。
たぶん彼の肩幅より大きい画用紙を
すきまなく描きつくすだけでも
勇志くんの年齢なら
かなりの体力と集中力が必要だ。

そのエネルギーがこの物語にあることは
まちがいないが、
さらにどのように勇志くんが
この物語とむきあい、
どんな活動をしたのか知りたいものだ。
そしてもこの物語と出会ってから
彼になにか変化があったを知りたいと思う。

ご存じのようにバートンの原作絵本は
黒だけで書かれている。
(見返しが4色になっていて、
ちゅうちゅうの路線が
描かれているのもおしゃれ)
だが、その黒は沈黙の黒ではなく、
若きアメリカの発展力と
その反動で古いものが消滅、
あるいは衰退していくことへの哀感などを
パワフルかつスタイリッシュに語る黒だ。
81年前の作品とは思えぬかっこよさ。

勇志くんは、その黒を少し残しつつ
まったく自由に彩色している。
場面としては、操車場、転車台がある
「おおきなまちのおおきなえき」を
中心になっていると思うが、
「どの場面」という特定は
あまり意味がなく、
勇志くんにとっての
『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』は
こいうことなのだと受けとめるべきだ。

冒頭に書いたように、
スカッと抜けた濁りのないレモンイエローが
とにかくきもちよい。
この大胆な黄色背景のおかげで、
建物の茶色や
線路のグレーがかった青
(これもめちゃくちゃカッケー)が
重くならず、逆にパワーと
おしゃれさを醸しだしている。

また、パターンぽく置かれている
viridianの草もアクセントになっている。

たしかに黄色の迫力には圧倒されるが、
じつは黄色の占める面積比率は
40パーセントくらいだろう。
そして窓のなかなどの
detailも描き込みがある。
自由だが細かいのだ。

色のことばかり書いてきたが、
構図、配置のバランスもいい。
転車台が中央やや上、
そしてそこにむかう線路の
傾きかげんもいい味になっている。
そして、これはいちばん大事な点だが、
たぶん、勇志くんは俯瞰的に描いている。
鳥瞰といってもいい。
(俯瞰も鳥瞰も「上から見下ろす」
という意味だが、図でいうと
俯瞰は立体的で鳥瞰は平面的)


斜め上から見下ろして描くのは
とても技術がいるが、
勇志くんのなかではこれは
紛れもなく俯瞰図であり、
だから建物もこんな感じなのだ。

しかし、この絵のパワーはなんだろう。
ことばに「言霊」があると
日本人は信じてきたが、
絵にも「ことば」と同じような力がある。
心をこめて描いた絵にも
魂の力は宿るのだろう。
「絵霊」(えだま)とでもいうべきか。

人間の心からしぼりだされた表現は
ことばでも絵画でも音楽でも、
命をもち、
それ自身で語りだす。

そしてまた勇志くんの絵からは
音楽も聴こえてくる。

堀井勝美先生作曲の
物語冒頭のあの
さわやかなリコーダーのメロディが
聴こえてくる。
勇くんの身体にもしみこんで
いるのだろう。

これまでにも何度か書いたが、
ラボ・ライブラリーにおいて
絵は空間的である。
他方、音楽は時間的だ。
そしてテキストは自在である。
ラボ・ライブラリーのような
音声物語作品においては
音楽がテキストの暴走を抑え、
時間をコントロールしている。
これはテーマ活動を
体験したものなら実感できることだ。

この絵を描きながら勇志くんの
身体のなかには
ちゅうちゅうの音楽とともに
物語の時間が流れいる。
あの音楽のリズムにのって
きもちはどんどん物語の先に進んでいる。
描きながらこの物語を往復している。
だから、「どの場面」かという問いは
この絵についてはあまり意味がない。

原作者のバートンは
この絵本を長男のアーリスのために
彼が5歳のときに描いた。
1937年のことである。

バートンは野菜を育てたり
羊を飼育して暮らした。
素朴で自然との調和を
愛したバートンは
文明による自然破壊に対して
懐疑をもち、
新しいものにとびつき、
古きものを使い捨てる
消費文化に対して警鐘を鳴らし続けた。
『マイク・マリガンとスチーム・ショベル』
『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』
『ちいさいおうち』などには
そうしたバートンの思いがあふれている。
そして集大成ともいえる
『せいめいのれきし』は
ぜひもっていたい一冊だ。

バートンは、そうした
強い精神をもちながら
子どもの心によりそい、
子どものもつ自由をもとめる心、
成長がもたらす失敗と、
それを通して知る周囲への感謝などの
子どもが身体を通して
共感をもつことができる
ちゅうちゅうのような
キャラクターを描いた。

バートンは1968年、
肺がんのため58歳の若さで他界する。
ないものねだりではあるが、
もう少し作品を見たかった。

ラボの『ちゅうちゅう』の日本語音声は
大山のぶ代さん。
英語はジェリー・ソーレスさんだ。
対照的な声質のマッチングが
ふしぎな魅力だ。

大山さんが認知症を患い
現在は施設で療養されているが、
ぎりぎりまで
お仕事への意欲を失っていなかったときく。
プロフェッショナルは仕事をして
はじめて生きている
実感がもてるのだと
頭がさがった。
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