幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
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・ 加藤パーティのクリスマスケーキ
 2006年 「さけ はるかなる旅の詩」
 2007年 「グリーシュ」
 2008年 「アリババ」
 2009年 「タヌキ」
 2010年 「長靴をはいた猫」
 2011年 きてれつ六勇士
 2012年「不思議の国のアリス 3話」
 2013年 がちょうのペチューニア
 2014年 25周年ケーキ
 2015年 ヘルガの持参金
 2016年ドリトル先生航海記
 トムソーヤー 3話
 2018年ピーターパン
 2019年 魔法の馬・シフカブールカ
・ ラボの国際交流
 パーティで作るお土産
 パーティ壮行会
・ パーティ合宿
 不死身のラボッ子漂流記合宿 2010年4月
・ ラボってなあに?・・・ラボの英語教育とは?
 子どもたちが語る「ラボってなあに?」
 お母さんが語る「ラボってなあに?」
 テューターの意見
 2013年卒業生からのメッセージ
・ 20周年記念発表会 2009年7月20日
 ごあいさつ 
 松本輝夫氏からのメッセージ
 プログラム
 ママラボ、水曜、木曜グループ
 キディ、高校生、OBたち
 OBからのメッセージ
・ 中高生たちの挑戦!
・ 佐々木正美氏によるラボ教育講演会 2005年6月22日
 西原テューターによる講演内容レポート
・ ラボのイースターパーティ 2005年
 2010年 西原Pとのイースター交流会
 2011年 坂口Pとのイースター
・ 2005年・素語り会
 2006年素語り会
 2007年素語り会
 2008年素語り会
 2009年素語り会
 2010年素語り会
 2011年素語り会
 2012年素語り会
 2013年素語り会
 2013年素語り証書
 2014年素語り会
 2015年素語り会
 2016年素語り会
 素語り証書
 2017年素語り会
 2018年素語り会
 2019年素語り会
 2019年 卒業式 素語り表彰
 2020年素語り会
・ 「雨ニモマケズ」のモデルになった人
・ 夏のわくわくワークス
 2004年
 2011年
・ ラボとのコラボレーションーおかやま絵本原画祭
 岡山のラボっ子有志のテーマ活動『ドンキホーテ』
・ ラボ教育セミナー3月
 物語の教育力
・ ラボ教育セミナー 2月
 ☆第一部:親子で楽しむ英語のわらべ歌
 ☆第二部:絵本から英語の世界へ
・ 加藤パーティの開催時間
鳥
「雨ニモマケズ」のモデルになった人がいます。

「斉藤宗次郎という人」  『出口のない生活』平岡修司作・プレイズ出版

 クリスチャンの中には、苦しみの人生を喜びに変えていった人たちが大勢います。斉藤宗次郎さんもその一人でした。

 1877年、斉藤さんは岩手県花巻にある禅宗の寺の三男として生まれました。
15歳のとき、母の甥にあたる人の養子となり、斉藤家の人になりなした。
やがて、小学校の先生となり、その頃から国粋主義に傾いていきました。
ところが、ふとしたきっかけで、偉大なキリスト者・内村鑑三の著書に出会い、聖書を読むようになり、キリストの救いへと導かれていきました。

 1900年、彼は信仰を告白し、バプテスマ(洗礼)を受けることになります。花巻、第一号のクリスチャンでした。12月12日午前6時、雪の降り積もった寒い朝、場所は豊沢川でした。珍しいということもあって、朝も早いのに、橋の上には大勢の人が見物にやって来たそうです。

激しい迫害が始まったのは、このときからでした。親からは勘当され、生家には一歩たりとも入ることを禁じられました。町を歩けば石が飛んできました。それでも彼は信仰の旗印を高く掲げ、貫き通しました。いわれのない中傷も相次ぎ、やがて、小学校も辞めることになります。

迫害は彼だけにとどまらず、家族にまで及んでいきました。長女の「愛子」ちゃんは、国粋主義が高まる中、友達に腹を蹴られ、腹膜炎を起こし、わずか9歳という若さで天国に帰っていきました。

宗次郎さんは一家を養うため新聞配達業を始めることになります。朝3時に起き、汽車が着くたびに何度も駅に新聞を取りに行く重労働の仕事の中で肺結核をわずらいました。

彼は9時まで働き続け、その後は聖書を開き、お祈りする生活が続きました。
不思議なことに病気は悪化することなく、次第に快方へと向かっていきました。

朝の仕事が終わる頃、雪が積もると小学校への通路を雪かきして道をつけ、小さい子どもを見つけると抱えて門まで走る。雨の日も、雪の日も休むことなく、人のために働き続けました。新聞配達の帰りには、病人を見舞い、励まし、慰めました。

1926年、住み慣れた故郷を離れ、東京に移る日がやってきました。花巻を離れる日、誰も見送りにきてくれていないと思って、駅に着くと、そこには町長をはじめ、町の有力者の人々、学校の教師、生徒、僧侶、神主、一般の人たち、物乞いをしている人たち、身動きできないほど多くの人々が見送りにきてくれたそうです。

その人たちの中に宮沢賢治がいました。
宗次郎さんが東京について最初に受け取った手紙は彼からのものでした。宮沢賢治が斉藤さんをモデルに有名な詩を作ったのは、それから5年後のことでした。
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