幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 1件~10件 表示 次の10件 >>
良質な「笑い」と「くすぐり」、狂言三番 11月16日 (金)
良質な笑いとくすぐり、狂言三番

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ひとの欲、愚かさ、ずるさ、……そこに生まれる滑稽さ、あわれさ、齟齬から人間の偽らざる本質をあぶりだす狂言。権威・権力や物欲を笑いのめす痛快さから、庶民の逞しさ、健康さ、飾らぬ気骨も、へんに理屈ばらずシンプルに演じて見せてくれる固有の伝統芸ですね。
きょう、狂言三番を観ました。大蔵流狂言、人間国宝の山本東次郎とその一門による「二人大名」「附子(ぶす)」「米市」。「米市」は初めて観る40分余の大曲。めったに演じられることはないようですね。
          ☆
「附子」……これはみなさんもよくご存知の話ですよね。わたしは5~6回観たことになるでしょうか。一休のとんち話や「沙石集」にでてくる説話に類似しています。附子とはトリカブトの根からつくる猛毒をもつもの。主人はこれを太郎冠者と次郎冠者に預けて出かけます、近づくな、さわるなと念を押して。さあ、そう言われるとなおさら二人の冠者は気になって仕方ありません。ついにそれが貪欲な主人のたばかりで、じつは当時としはたいへん貴重な黒砂糖とわかり、ついついすっかり食べ尽くしてしまいます。さて、主人が帰ってきます。悪知恵を働かせての言い訳が痛快。
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手前が附子(じつは砂糖)の壺。毒の臭気を浴びてはならじと、
煽ぎに煽ぎ、恐れ恐れ一歩ずつ近づく


「二人大名」……野遊びをする二人の大名。遊びには腰にしている太刀がどうにも邪魔になり、通りがかりのもの(アド)にそれを押しつけます。拒むアドに威張りちらすようにして預からせます。しかし突然男の態度は急変、押しつけられた太刀を抜いて振りまわし、二人の大名を脅します。ニワトリが喧嘩するまねをせよ、しなければ首を斬るぞ、イヌが噛みあうまねをせよ、しなければ足を斬るぞ、手を斬るぞ、つぎには着ているものをぜんぶ脱げ、そして裸で「起き上がり小法師」をせよと。背を丸め、足を丸め、ころころ、ころころ。そうやっている間に男は太刀や衣類ほか一切をもってスタコラさっさ。まだ気づかず、ころころ、ころころ、いよいよ調子よくやっている二人の大名の間抜けぶり。その起き上がり小法師の演技に会場は大爆笑。
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太刀を振り回して二人の大名を手玉にとり、からかう。


「米市」……中世庶民の窮迫した歳末風景、といったところでしょうか。貧しい男(太郎冠者)が大晦日に主人のところへ。年末にはお歳暮で米が送られてくるはずなのに、忘れられていて年が越せないので、直にもらいに来る。しかし蔵はすでに閉めてしまって開かない。ありあわせの4分の1俵ほどを渡される。加えて、妻が奥様からこの時期にいつももらっているお仕着せを男が催促すると、小袖1枚が与えられる。背にした俵の上にその小袖をかぶせると子どもを背負ったように見える。ひとがそれを見て何か言ったら「これは俵藤太の娘御のお市さまだ」と答えよと主人。米俵から俵藤太(藤原秀郷)を連想したものでしょうか。帰途につき、若い男衆がよってたかって、美人との噂されるお市さまから盃をいただきたいと、やいのやいの迫る。追い払うと次には男衆は棒をもって何度も来てお市の盃を求める。繰り返し争ううち、それが美女どころか、たかがケチな米俵だとわかり、若い衆は落胆して引き上げるが、男はなおもその俵を大事そうに抱え続けるという、あわれさを残して幕。笑いと、しみじみとした涙と…。
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主人の強欲で4分の1の米しか歳暮にもらえなかったが、
それでも、これで年が越せると喜んで、小さい米俵を背負って帰途につけば…。

               〔facebook より転載〕
世界平和のために 女性のできること 10月05日 (木)
世界平和のために 女性のできること

モザンビーク。日ごろグローバルな視点をお持ちのみなさんのこと、
よくご存知のことと思います。
アフリカ大陸の東南部、マダガスカル島と向かいあっている国。
日本の2倍強の面積を持っています。1975年にポルトガルから独立したものの、
17年余にわたる内戦で国内はめちゃめちゃ、
1992年にようやく内戦は終わりました。
さて、この荒廃しきった国をどう立て直すか…。いったいどこから手をつけたものか。

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国連NGO「世界平和女性連合」というワールドワイドの組織が25年前につくられ、
世界平和と女性の社会進出をすすめ、支えてきて、国連にも認められました。
どれほどの数の女性がこの草の根的なボランティアに加わっているのか、
そこは詳しくは知りません。
それぞれの国、それぞれの地域の連合会が課題ごとに分担して支援にあたっています。
当「世界平和女性連合神奈川第三連合会」(横浜・川崎)は、ここ21年間、
モザンビークの子どもたちの教育を推進する事業に携わってきました。
とりわけ、モザンビークの第二の都市、ベイラに「太陽中学」(1995年開校)、
「太陽高校」(2001年開校)を設立、
その運営までを果たしてきた民間援助による目覚ましい実績は、
国際的に注目されてきました。
内戦にともない生じた遺児や貧困家庭にあって教育の機会が与えられない子弟たちに
広く門戸を開き、すでに多くのすぐれた人材が育ち、国の発展に寄与していますが、
教育がひとをつくる、そのひとが国をつくる、平和をつくる……。
その実態がこのほどたくさんの写真とともに、
モザンビーク派遣員の福島晶子さん(写真・左端)から報告されました。
(現在の中学校就学率は10%。いや、ようやく10%に)

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えっ、どうしてわたしが…?! 
もともとわたしは女性ではありませんので、会員資格はありません。
モザンビークに行ったこともありません。
この連合会の代表であり、今回のチャリティーコンサートの実行委員長
をつとめる女性(写真・右端)と知己だということから、
何かにつけて手伝いに駆り出されるというだけ。
昨年につづいて今年も異色の音楽家・秦万里子さん(写真・中央)の参加を得て
16回目のチャリティーコンサートを川崎市の溝ノ口の大ホールで開催、
活動への広い理解を求めるとともに多くの人から基金を寄せてもらいました。
これは全額、モザンビークのその活動に充てられます。
秦万里子さんの絶妙な爆笑トークと即妙な歌とピアノ演奏で、
大会場は笑顔がいっぱい! 
ひとのこころにある平和への思い、家庭のなかにある愛ある平和、
その喜びを結びあわせて、世界じゅうに争いや暴力のないあたたかい風を届けよう、
人と人とを家族のように繋ぐことこそ女性の得意技、
とメッセージされ共感されました。

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上の写真には
モザンビーク共和国大使館の一等書記官イルダ・トリーゴ・ライヴォーゾ氏とその夫人も
かぐや姫と富士山 3 04月04日 (火)
かぐや姫と富士山

かぐや姫の物語をしのぶ多くの史跡や文献、歴史資料を残す静岡県富士市。
広い公園の、鬱蒼たる樹木に包まれた富士市立博物館、
そのなかに、昨年の4月、「富士山かぐや姫ミュージアム」が誕生しました。
かぐや姫と富士山のつながり、その信仰といったあたりをコンセプトに
民俗資料をさまざまに展示しています。
この3月末、やっと行く機会を得、観てきました。

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ラボ・ライブラリーのほうでは、かぐや姫は月の都に帰って行き、
求婚を拒絶された帝は、生きる甲斐もなく、姫から託された不死の薬と手紙を
天にいちばん近い駿河の国の山の頂きに持って行き、火と燃やした、
その山を「ふじの山」と名づけた…、そうなっていますね。
「物語の出で来始めの祖(おや)」は、時代時代のなかでさまざまに書き換えられ、
書き加えられてきましたが、ラボ・ライブラリーでは、
今日もっともオーソドックスな結末に沿うところになっています。
わたしも、以前、白隠禅師の書き残した“異説・かぐや姫ものがたり”を
ご紹介しました。それによると、かぐや姫は富士山にある湖の精として現われ、
最後、その湖に帰って行った(富士五湖のうちのどれか、不明)となっていました。

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今回の展示で、地元のある層のあいだで唄い継がれている歌を
地元の高名な書家が書いています。

   ……光り輝くかぐや姫 
   みかどのお召しを断って
   見返り坂でさようなら
   富士の岩屋へ帰ります
   富士の女神のかぐや姫
   愛鷹山(あしたかやま)のじじ様と
   犬飼明神ばば様と
   永久(とわ)にふるさと見ています

 こちらは、湖ではなく、“富士の岩屋”に帰り、この地を守護する神となった、
という説。
富士山の祭神、浅間(せんげん)大菩薩となって賓客をもてなしたとする説も。
「不死の薬を求めて富士山の麓に訪れた唐土の役人の前に、
日の御子とともにかぐや姫があらわれ、不死の薬を与えて舞い踊った」。
能楽の謡曲「富士山」では、そう語っています。

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世の貴顕ことごとくをとりこにしたかぐや姫が、どれほど魅力的な女性であったか……、
こんなふうに語られています。

  話し方は柔らかで、髪の毛は風になびく柳のようで、
  肌は雪のように白かった。
  常に良い香りがして、
  体じゅうから光を放っているようで、
  夜でもあたりは明るくなったことから、
  かぐや姫と名付けられた。 (「富士山縁起」田辺家本)

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ラボ・ライブリーの制作にたずさわった11年のなかで、わたしにとって、
もっとも印象深い、もっとも意を尽くした作品のひとつが
「なよたけのかぐや姫」だったかも知れません。日本人の心の原型、
日本のことばの美しさを子どもたちに伝えたいと願っての企画。
鈴木瑞穂さんの、その願いを帯びて日本の宝である古典作品を語る、
思いのこもった荘重な声。姫役の野口早苗さんの深山の真清水のように透き通った声。
そうそう、翁役の今福将雄さん。姫とのいよいよの別れに
「この命、だれのために生きたのか」と、血をしぼるような声で嗚咽、
ほんとうにくしゃくしゃに泣いているのをわたしは見てしまいましたよ。


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小夜の中山の浮世絵美術館と夜泣き石 12月23日 (金)
小夜(さよ)の中山といえば、旧東海道の難所のひとつ。

年たけてまた越ゆべくと思ひきや 命なりけり小夜の中山

西行法師も命がけのその険しさをうたっていますね。
都方面から東国(関東方面)を目ざすには、三つの難所がある、
といわれ、鈴鹿、箱根とともに挙げられていたのが小夜の中山。
現在の住所は静岡県掛川市佐夜鹿(さよじか)になります。
見下ろせば、山肌に茶畑がひろがる風光明媚なところながら、
たいへん険しい峠道です。歌川広重も葛飾北斎も、また他の絵師も
ここに来て東海道五十三次などの絵を描いていますね。

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みなさんにはご記憶ないかと思いますが、わたしの童話集に
ときどき登場する「小夜」ちゃんという少女、
ちょっとおとなびた、感性するどい、とても賢い子ども。
わたしのなかでは、ルノワールの名作「少女イレーヌ」のイメージの女の子。
(イレーヌ・カーン・ダンベール)
その物語とはまったく無関係なのですけれど、
どこかで結びついてしまっていて、「小夜の中山」はずうっと気になっていました。

このたび、小夜の中山の頂き、「小夜の中山公園」のほぼまん前にある
浮世絵美術館「夢灯」(ゆめあかり)を訪れました。
目立たぬ、ごくごく質素な美術館ですが、どうしてどうして、
ほかでは見られないユニークな浮世絵が所蔵されています。
ちょうどこの時期、開館10周年を記念して、枕絵本特別展をやっていました。
いわゆる春本ですね。たかが春本と侮るなかれ、
これがまさに世界に誇る浮世絵の原質になっていること、
競い合って高められた、きわめて高度な表現技術であり、
江戸町民の暮らしを細微にわたってみごとに映すものだと、よくわかります。
それにしても、江戸の人びと、楽しむことにほんとうに貪欲なんですね。

さて、広重の絵にも北斎の絵にも、
手前にゴロンとまるい石が描かれているのがおわかりでしょうか。
これが「夜泣き石」で、古い悲しい伝説をいまに伝えています。
かいつまんでそのストーリィをご紹介します。
お石さんという妊娠した女の人がこの峠を越えようとしていました。
まずいことに、そこで産気づいてしまったのです。
松の木の根元のまるい石にもたれかかって苦しんでいるその折、
男が通りかかって女の人を介抱します。
親切なやさしい男かと思われましたが、
お石さんが何がしかのお金をもっていることを知ると、
くるりと態度を一変、持っていた太刀で斬りつけ、お金を奪って逃げます。
母親は血まみれになり、瀕死の状態で石にすがって出産、
生まれた子どもをあわれんで泣きました。
泣きながら死んでいきました。悲痛なその泣き声が石に浸みついたか、
里人は夜になるたび悲しげなその泣き声を耳にしたという。
生まれ落ちた赤子は、近くの久延寺(きゅうえんじ)の住職によって
拾われ、育てられ、長じて評判の刀研師になります。
あるとき、刃のこぼれた刀をもった男の客があらわれました。
いろいろ聞けば、その刀が小夜の中山で妊婦を殺めたものだとわかり、
若ものは研ぎあがったその刀でついに仇を討つ、という物語。

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久延寺境内にある夜泣き石。子育て観音としていまもひとが訪れる

浮世絵美術館とほぼ並ぶようにして久延寺という古い寺があります。
その境内に「夜泣き石」が祀られています。
が、じつはこれはニセモノで、本来の「夜泣き石」は、
こことはちょっと離れた、国道1号線の
小夜の中山トンネルの手前の道路脇にあります。
もとは道のまん中にあったらしいですが、その後、通行の邪魔で、
道路の脇に置かれるようになったとか。

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国道1号線脇にある本来の夜泣き石

笑いの隠し味 11月08日 (火)
1年ぶりの狂言鑑賞。狂言と語りで、腹の皮をよじってきました。
伝統的古典芸能としての狂言をめぐる講演につづいて
大蔵流狂言三番と語り。狂言は「萩大名」と「月見座頭」と「首引」、
語りは「呉服(くれは)」。
「萩大名」を除いては初めて観る狂言でした。
「萩大名」と「月見座頭」は、笑いというよりは、「萩」であり「月」であり、
秋の風情をしっとりと味わう清雅な調子。
「月見座頭」にいたっては、能の名曲「弱法師(よろぼし)」を想わせる
しんみりとした情緒さえ感じさせられました。
一方、腹がいたくなるほど笑ったのは「首引」という作。
室町、江戸の先人たちは、こういうもので腹の底を踊らせていたのか!

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鎮西八郎為朝といえば、鬼退治のエピソードで知られる人物。
アドがその為朝ゆかりの者という設定(為朝そのひとという説もあり、
わたしはこの説でいいのではないか、と思うのですが)。
西国から都へのぼろうとして鬼につかまります。(親鬼がシテ)
この親鬼には娘がいます。秘蔵のこの姫鬼の「喰い初め」に
捕えた若者・為朝を供しようと、親鬼はあの手この手のお膳立てをします。
さあ、喰え、噛みつけと促しますが、初心(うぶ)で小心の姫鬼は怖がって
噛みつくどころではありません。近づいては悲鳴をあげて引き返してきます。
親鬼の苛立ちは極点に達します。
揚げ句、姫鬼と為朝とで決戦勝負をさせることに。
若者もその勝負に負けたら、おとなしく喰われよう、と約束する。
“腕押し”をやっても“臑(すね)押し”をやっても、姫鬼は若者に勝てない。
それなら“首引き”で、となります。長い綱を輪にして、
それをふたりで首に掛けて引き合うというもの。この勝負でも姫鬼の形勢が悪い。
親鬼の焦慮はいよいよ頂点に達し、どうしても娘に勝たせてやろうと、
眷属の鬼どもを全員呼び集めて姫鬼に加勢させます。
「おおきなかぶ」をみんなで、よいしょ、よいしょ、と引っ張るようにして。
親鬼は、それ引け、やれ引け、とやっきになって囃し立てます。
しかし、力は為朝のほうが勝り、眷属の鬼どもを綱でつなげたまま引きづりまわします。
舞台いっぱいにさんざん引きづりまわした末、為朝がパッと綱を外すと、
鬼どもはそろって、もんどりうって将棋倒しに!
眷属の鬼どもが目をまわしてひっくり返っている間に、
為朝はスタコラサッサと…。
          ☆
笑いのポイントは、その痛快な結末のおかしみにあるのかも知れませんが、
それよりは、親鬼が娘を可愛がる、その愛し方、世話のやき方のほうにあるのでは、
というのがわたしの見解。だって、こんな荒唐無稽な話を
作者はどんなねらいで書いたのだろうか、と推察してみるのですが、
往時の武家社会にあっては(テレビや映画のフィクション世界とは違って)
男親が娘を可愛がるというのは、まずなかったといっていいでしょう。
女をチヤホヤするのは男の恥とされていた時代。
親の政略のためにのみ生きた娘たち。
そんな武家社会(ひとの生き血を吸って威張って生きている鬼たち)の、
非人道性、窮屈さを、町民感覚で揶揄したのが
この一番だったのではないか、と。


☆写真は「月見座頭」で盲人(シテ)を演じる山本東次郎さん
メルヘンの森 10月04日 (火)
メルヘンの森、ぬくもりの森(浜松)
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浜松西ICを降りて10分弱、中世ヨーロッパの村に迷い込んだかのようなふしぎな錯覚に酔いました。
駐車場から少し路地を歩いたら、そこは絵本で見るようなおとぎの世界「ぬくもりの森」。
傾斜面に、どこか懐かしいユニークな建物が散りばめられています。

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グリム? アンデルセン? いやいや、もっとにぎやかな異空間。
小人が出てくるか、魔女が現われるか、ムーミンやスナフキンや、
ニルスがトロルが、ゴブリンがドワーフが…。
フェアリーたちが勢ぞろいして出迎えてくれそうなメルヘンの森。

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知人の薦めで初めて立ち寄ってみたところ。そんなに広い空間ではないですが、
ひととき、空想の世界をたっぷり楽しみました。
ケーキ屋さん“せせらぎのカフェテラス”でのコーヒーとケーキはいかが? 
とりわけ、オリジナルケーキ「ミル」がお勧め。
おとぎの国のティータイムをどうぞ。

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カフェテラスの内部
文学館のようなリゾートホテル 09月03日 ()
✦文学館のようなリゾートホテル

横浜の熱暑を避け、ここ数年、7月には上高地、
8月には諏訪または蓼科に遊ぶのが習わしになっています。
それなりの曰く因縁はあるのですが、とにかく好きなんです、あのへんが。
この8月に訪れたのは、蓼科温泉「ホテル親湯」。
蓼科高原の奥の奥にある、開業90年の老舗ホテル。
ここは、わたしの文学の師のひとりが、折につけ来ている定宿。
その師は、森鴎外の一族と親交があり、とりわけ次女の杏奴(あんぬ)さんと
その夫の小堀四郎画伯とは、生前、機会あるごとにここで会って
尽きぬ文学談義、美術談義を交わしていたといいます。
そのことをよく聞かされていて、以来、わたしには憧れの宿だったというわけ。
なかなか夢は遠く、実現しなかったのですが、
じつは、ラボ職員のOB有志でつくるLabo Evermate Cl ub というのがあり、
そのメンバーで3年前、2013年6月、ここで一泊、ついに実現しました。
ただ、そのときは、気ごころの知れた十数名の仲間どうし、
一時期、テーブルを並べて働いたものどうし、いったん話が始まれば
夜を徹して爆撃弾のように昔がたりの会話は弾み、しこたまアルコールに酔って
せっかくのすばらしい温泉にもろくろく浴しなかったようなありさま。
ご馳走が何だったか、まったく記憶にないヤボテンぶり。
だめですねぇ。ほんと、ヤボテン。 そんなだらしない俗欲とは裏腹に
ここがとんでもないところだと、今回はじめて知りました。

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pd924


いたるところに、本、本、本。おびただしいばかりの書籍。
ギャラリーの一室に集中的に置かれているのはむろんのこと、
ロビーのあちこち、通路のわき、大浴場の前の休憩所……、など
ちょっと視線をめぐらせば、かならずそこにぎっしりと書籍が。
俗悪なものやマンガや雑誌を除いては、文学・評論方面、美術、
音楽、心理学、哲学、歴史…、古典もの、現代もの、
およそなんでもござれ、で、まさに図書館か文学館。
いや、もしかすると、質と量において
そこらの文学館よりよほど充実しているかも知れません。
ご覧ください、ギャラリーに通じる通路の両壁面の書棚には
岩波文庫の赤ラベル(洋)、青ラベル(和)がズラリッ!

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こんなの、図書館でも文学館でも見たことありません。
どうでしょうか、これまで刊行された岩波文庫のすべてが揃っているのかも。
これらの本を読むことを目的にこのホテルに宿泊するようなひとは
まずいないかと思いますが、珍しい趣向の老舗ホテル。
文士たちがよく宿泊した宿としては、熱海の「起雲閣」もありますが、
そこには図書類はまったく置かれていませんでしたね。

明治、大正、昭和初期、ここ蓼科には多くの文人たちが集い、
別荘を保有するなど、一大文学保養地となっていました。
ホテル親湯とのゆかりでは、ひとつには、太宰治が新婚旅行で来ていますね。
井伏鱒二の媒酌で美和子さんと再婚したときですが、太宰は
酒に乱酔して美知子さんやホテルのひとをさんざん悩ませたというエピソードも。
瀬戸内寂聴が北原白秋と3人の妻たちをめぐる取材で長逗留していますし、
「野菊の墓」の伊藤左千夫や、歌人の土屋文明、島木赤彦、斎藤茂吉、
高浜虚子らも、ここを定宿にしていたようですね。

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NHKの朝ドラ「花子とアン」をご覧になりませんでしたか。
村岡花子の生涯を描いた、なかなかいいものでしたね。
そのドラマの中に登場した印象深い女性、柳原白蓮(びゃくれん)のこと、
覚えておりますか。「大正三美人」の一人とされる美貌の歌人。
華族として生まれながら、生家の没落により意に染まぬまま
九州の炭鉱王に嫁します。しかしその関係はやがて冷え、破綻します。
彼女は七つ年下の青年と恋に落ち、姦通罪を問われながら捨て身の駆け落ち。
これが当時たいへんなセンセーションを巻き起こした「白蓮事件」。
連れ戻され監禁されるなかで子どもを出産するなどの困難と苦痛に耐え、
2年ののち事態はどうにかおさまります。ふたりの恋は成就され、その後
蓼科に別荘をもって、ふたりの子どもとともに幸せに暮らし、
波乱万丈の人生をここで閉じたとされます。

「わが命 惜しまるるほど さいわいを 初めて知らむ 相許すとき」


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柳原白蓮の自筆掛け軸


ついでにもうひとつ。いまや日本を代表する世界的な巨匠、小津安二郎が
この宿を舞台に多くの映画作品をつくっていること。
「晩春」を、「東京暮色」を、「青春の夢いまいずこ」などを…。
ああ、わたしの泊まったあの客室、もしかすると、
あの伝説の美貌の大女優、原節子が使っていたのと同じ部屋…?
緑に埋まったあの露天風呂で、ワオ~ッ、“永遠の処女”原節子もゆったりと…。
(バカだね、もともと露天風呂は男女別々だよ)

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小津安二郎の諸記録
ダリの「ふしぎの国のアリス」 04月03日 ()
ダリって、ダリ(レ)? 
…ご存知ない方は、まず、いないですよね。
サルヴァドール・ダリ。20世紀スペインの鬼才、
シュールレアリスムを代表する画家で、
数かずの奇行と逸話で、世界で知らぬ人がないほどの有名人。
その作品はどれも奇想天外、ユーモアと皮肉に満ちています。
ユニークです。びっくりさせられます。
その奇人変人が、
ファンタジーの古典、「ふしぎの国のアリス」の絵本を描いている!
ご存知でしたか?

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ダリ「時のプロフィール」

「ふしぎの国のアリス」は、わたしにはたくさんの特別の思いがあります。
そのひとつは、ラボ・ライブラリーの絵本づくりの際の、山本容子さんとの出会い。
あ~、もう20年以上も前のはなしになりますが、
銅板画であのファンタジー作品をラボの絵本に、という挑戦、
彼女にとっては、初めての絵本づくりの挑戦、
(当時はまだ、表現者としてほとんど実績らしい実績はありませんでした)
2~3度、鎌倉・材木座のアトリエにおしかけて交渉、彼女のほうは
なかなか自信がもてないらしく、踏ん切りがつきません。
そうこうしているうち、わたしは夏の国際交流計画で
オーストラリアに1か月出て留守に。催促がましくなく、とにかく
つなぎとめねばとの思いでシドニーから絵葉書を送りました。
帰国してすぐ訪ねたときには、やっと挑戦へこころが動いて、
「アリスって女の子、ほかの絵本やディズニーで見るようには
可愛いくないよね、こまっしゃくれていて」といったような話から、
ずいぶんいろいろ語りあいました。
以後、会うたびに異常なほど気が乗ってきて順調に進められ、
数か所の修正を経てできたのが、あれです。
(残念ながら、現在は版が変わったと聞き及びますが)

余計な話になりますが、あのときは「アリス…」だけではなかったんですよね。
それまでは、絵本作品といえばほとんど福音館さんのものを
使わせてもらっていましたが、「かいじゅうたちのいるところ」「てぶくろ」
といった、ほかの出版社から出ている人気絵本を、どうしても、ということで
版権取得のため海外の出版社や著作者とのやっかいな交渉もあり、
さらに以降の制作のため、これを機会にしっかりその道をつけておこうと
頑張ったときでもありました。

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ウサギ穴の世界
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いもむし

さて、ダリの「ふしぎの国のアリス」。
この3月末、地方の美術館で偶然出会うことになりました。
下諏訪のハーモ美術館。その4か月前にも行っているところですが、
湖水に跳ね返って揺れる光線にあふれ、やさしい明るさに包まれた美術空間。
なぜか心の休まる、こじんまりとしてこじゃれた、大好きな美術館。
天気さえよければ湖のむこうに富士の秀嶺が見えます。
ここは、アンリ・ルソー、グランマ・モーゼス、カミーユ・ボンボワ
といった、感受性の純粋さを大事にする素朴派の、
ほのぼのとした作品を中心に常設展示しています。
そういう明確なコンセプトを持ちながら、入口を入ってすぐ目の前には
ダリの「時のプロフィール」と題するオブジェが!
(この日は奥に展示されていましたが)
枯れ木にひっかかっている、溶けてふにゃけた時計。
哀れ、“時”がしたたり落ちています。
これが“素朴派”とどこで結びつくのかなぁ、との疑問はさておくとして、
奥の特別コーナーで「ふしぎの国のアリス」の原画展が。
さすがに色あざやかです。迫真力が違います。
そういえば、「時のプロフィール」も「アリス…」から発想を得ていると思われるし、
ファンタジーとシュールレアリスムとの華麗なぶつかりあい! 
奔放な想像力の、ガチの頂上決戦!
ちょっとスゴイですね。許可のかぎりで撮ったもので
鑑賞していただくには不十分ですが、何はともかくその一部を見てください。


d209
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“グズ”の反対語は…? 02月02日 (火)
“グズ”の反対語は…?

何かにつけグズグズしているひと、いますよね(あっ、それ、わたしのことか!)
反対に、何ごとにつけ、テキパキ、手ぎわよくこなすひとがいます。
そういうひとのこと“ズグ”……とは、まさか、いわないですね。
…いわない、いわない。
ところが、「クズ」とはいわず「ズク」とよぶ習わしのところがあります。
木くず、削りくず、鉋(かんな)くずの「クズ」を、ひっくり返して「ズク」とよび、
それを宝物のように大事に尊ぶひとたちがいます。寄木細工の工人たちですが。

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ややこしく仕掛けられた「からくり秘密箱」で遊んだ記憶はありませんか。
小学校低学年のころだったでしょうか、
箱根の温泉に行った叔父さんがおみやげに買ってきてくれたのが、それ。
きれいな文様の入った木の小箱。中にすばらしいものが入っているらしいのですが、
これがなかなか開かない。どうやっても開かない。2時間、3時間かけても、
いや、半日かけてもびくともしない。
(あれ、ルービックキューブの元祖みたいなものですね)
やけになり、ベソかいているのを見計らっていたかのように、
叔父さんはいかにも秘密らしく、もったいをつけて7回、8回、9回と
あちこちスライド操作してパカッと開けてみせる。
もったいぶったわりには、中身はたいしたものではなかったですが、
小箱を開ける順序正しいスライド操作を教えてもらい、どうにか覚えたあと、
今度は意地悪くこれを友だちにやらせ、さんざん悩ませ困らせて、
得意な優越感にひたった、あの酸っぱい記憶も懐かしい。
あれが箱根伝統の工芸品、寄木細工だったのですね。

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その寄木細工の発祥の地とされる箱根・畑宿を訪れました。
箱根の奥地、“天下の嶮”と歌われるのはここのことか、と思わすような
あまりひとの行かない谷あいの小さな集落。それでも、かつてここは
旧東海道沿いにあり、それなりに宿場だったらしい。
箱根の山には、古来、サクラ、ミズキ、タモ、カツラなどなど、
かなり豊富な種類の樹木があり、江戸時代の後期、ここから
畑宿の石川仁兵衛というひとが創作したのが寄木細工のはじまり。
(今は外国材がほとんどとか)
さまざまな色合いの天然材を寄せ集めて(寄せ木)種板をつくります。
その種板を鋭い手鉋で紙ほどの薄さに削ったものが、
鉋クズではなく、「ズク」。
木肌の配色で幾何学的な精妙な文様がつくりだされます。
縞模様、市松模様、青海波などなど。伝統的なそのパターンを
写真で見てください。

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このズクを化粧材として木製品の表面に貼って(ズク貼り)
シックな絵柄を楽しむという固有の工芸品。
海外交流のおみやげに、こんなのどうでしょうかねぇ。
秘密箱で青い目をびっくりさせてやったら、楽しいだろうなあ。
今は、箱もの、器ものだけでなく、アクセサリーや携帯ストラップ、
コースター、しおり、ブローチなどなど、
この時代らしい、手ごろな小物が人気のようですが。
それに、よほど切れ味のよい鉋の刃なんでしょうね、
厚さ1センチ足らずの種板から40~50枚ものズクを削り取るといいますから。
写真は、ふつうの手鉋とは違う、大がかりの鉋。
昔使われていたもので、左の柄を女のひとが起こすようにして慎重に引く。
夫婦でぴったり呼吸を合わせないと、きれいなズクがとれず、
ケンカばかりになって、苦労が多かったようですよ。

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寡聞にして今回はじめて知りましたが、正月の箱根駅伝、
あの往路優勝チームに与えられるトロフィーは
伝統的に寄木細工で作られてきたのだそうですね。
青山学院大学のチームがここ2年連続でこれを獲得しているというわけ。
いいねぇ。

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美しきものの寡黙な語りにふれる 01月07日 (木)
地方、といっても近県に限られますが、温泉めぐりを兼ねた美術館めぐりを
ここ3、4年つづけている。名画を、列に並んで観る、ひとの頭ごしに観る、
というのが好きでない、というだけの理由で、気持ちは地方の美術館へ向く。
好きなものを好きなだけ時間をかけて観る充実したひととき。
しかし、地方の美術館の場合、アタリ! というケースがそうあるわけではない。
ちょっとがっかりさせられるケースが半分くらい。
下調べもなく行き当たりばったりで行くため、
作品の入れ替え中のため休館だったり、
建物の増改築中だったりして門前払いを食わされることも。
経営という点ではどこも赤字で、行政などの運営サイドからはお荷物なのだろうが、
ひとりでも多くの人に美しいもの、ゆたかなものにふれてもらいたいと、
それぞれに個性的なアイディアで競われていて、
アタリ! にぶつかると、日々の些事を忘れ、ほんとうにうれしくなる。


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ここ2、3か月のなかで意想外に印象のよかったところを絞って挙げるとすると、
下諏訪のハーモ美術館、静岡市の静岡県立美術館がある。


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ダリのオブジェ「時のプロフィール」にいきなり迎えられるハーモ美術館。
まさにいきなり飛び込む美的な幻想空間である。
諏訪湖の湖水の反射光が天井に縞をなして揺れ、自然光にあふれて明るい。
アンリ・ルソーとグランマ・モーゼスの作品を蒐集するところとして
知る人ぞ知る、小じんまりとした美術館。
ほかにも、ミロやマチスが、シャガールやミレーが、ビュッフェの作品が。
ルイ・ヴィヴァン、カミーユ・ボンボワ、アンドレ・ポーシャンといった、
これまでほとんど馴染みのなかった画家たちの、なかなかいいものがあり、
センスのよい収集力に感心する。
諏訪の地で産業用ロボットをつくる会社を創設して財をなした
濱富夫という人による開館とか。四半世紀を経た、個性的な美術館である。


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さて、静岡県立美術館。日本平の北麓の、緑あふれる、自然ゆたかな空間。
文教地区でもあり、きれいに整って、まこと静かである。
その日、まったく予備知識もなく飛び込み、
「ウィーン美術史美術館展―風景画の誕生」という企画展に出会った。
“風景を旅する…巡る季節の物語”とうたわれ、
オーストリアのハプスブルグ家秘蔵の収集作品の展示。
華麗なるコレクション、といいたいところですが、ちょっと違う。
みなさんもよくご存知のピーテル・ブリューゲル。
16世紀ネーデルランドを代表するフランドルの画家ですね。
展示されているのはほとんど、いわば、あんな調子のもの。
「農民の踊り」「農民の婚宴」「雪中の狩人」「子どもの遊戯」など、
農民や下層庶民の生活を克明に描いたり、
「バベルの塔」「死の勝利」「イカロスの墜落」「怠け者の天国」といった
寓意と皮肉に満ちた作品を描いて、日本にもたくさんのファンをもつ画家。
わたしも大好きな画家のひとりで、胸熱く期待したのですが、
そのピーテル・ブリューゲルの作品は一点もない。
その作品か、とよく見れば、息子のヤン・ブリューゲルのものが数点。
主題も描き方もよく似ている。影響の大きさがしのばれた。
ほかに、知られた画家といえば、
幻想と怪奇な作品ばかりを描いていたヒエロニムス・ボスとかティツィアーノ。
パティニール、ファルケンボルク、カナレットといった巨匠たちの名画にも
今回はじめて触れた。


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いえいえ、お伝えしなければならないのは、それらの作品ではなく、
これにすぐ隣接しているロダン館。びっくらポン! である。
ドーム型建築の、ゆ~たりとしたスペース。自然光がうまく活かされている。
上野の西洋美術館でも見る、おなじみの「考える人」や「地獄の門」などの
黒々としたブロンズ像が、その光のなかに生き生きと、みごとに引き立って見える。
もう、説明は無用ですね。写真で見ていただきましょう。
ここは、フラッシュ使用は禁止だが、撮影は可。


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※写真はいずれも静岡県立美術館のもの
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