幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて 12月09日 ()
12月9日は、12月8日のつぎの日。あったりめぇだ、バカ! 日本軍による真珠湾攻撃がなされ、太平洋戦争へ突入することになった12月8日。そして12月9日、この日、夏目漱石が歿しています。1916年のことですから、90年経ったということですね。
このところ、森鴎外の研究書をあれこれ読んでいるなかで、無意識のうちに夏目漱石と比較している自分に気づきます。名実ともに近代の日本文学を代表するふたり。
――こんな話題、みなさんにはあまり興味ないんでしょうね、40周年だ、わーい、ワーイ、最高! といって浮かれあがっているときでもありますし。
ま、たまには何かを書け、という声もあり、ほんのちょっとだけ、わたし自身の覚え書きのつもりで…。
先月のはじめころでしたか、漱石の『吾輩ハ猫デアル』を読みなおしました。『坊っちゃん』とともに国民文学と呼ばれるほどポピュラーな作品。知らない人はいませんね。でも、ちゃんと、これ、読んでいますか。
ずっとずっと以前に読んだときとはぜんぜん印象がちがうんです。現代かなづかいに直されたもので読んでいましたが、今回は初版本の復刻版なのです。中村不折が装丁したり挿し絵を描いたりしています。途方もない懲り方のされた美本。ゴールデンギルトトップのアンカット・エッジス、つまり本の束と小口の部分には金が施され、手ざわりよろしい用紙を8ページごとにペーパーナイフでカットしながら読んでいくというもの。ええ、豪華です。ぜいたくな気分になりますねぇ、たかが読書ですが。
ところが、どっこい、これは明治文壇の一大奇書ですなあ。いや、高等落語というか。軽快洒脱な滑稽もので、漢語の警句に満ち、行分ハキハキとしてヒリリと人を刺すというものながら、多少は古語・漢語には通じているはずのわたしにも手におえない難物です。四つ五つの辞書を脇におきながらの読書。え~~っ、こんなだった!? 誤字もある、誤植もある。因みに、短文をいくつか拾ってご紹介しよう。もちろん、ルビなんてふってありません。〔  〕はわたしの読み。

wagahaineko001

 無事に消光罷り在り候間、乍憚御休心可被下候〔はばかりながら、ご休心くださるべくそうろう〕
 雑ぜかへしてはいかんよ〔まぜかえして…。雑の字はパソコンにはない旧字〕
 今日は無據處差支があつて出られぬ〔よんどころなきさしつかえがあって…〕
 彼等鈍瞎漢は始めて自己の不明を耻づるであらう〔彼らどんかつかんは…はずるであろう〕瞎漢は、禅のことばで、“めくらやろう”といったほどの人を卑しめていう語。鈍はそれを強調する接頭語ですね。
 偖此原理を服膺した上で時事問題に臨んでみるがいゝ〔さて、この原理をふくようしたうえで…〕服膺(ふくよう)は、心によくとどめて忘れないこと。
 會ま吾妻橋を通り掛つて身投げの藝を発表し損じた事はあるが〔たまたま、吾妻橋を…〕
 十年一孤裘ぢや馬鹿気て居りますなあ〔十年ひとこきゅうじゃ…〕孤裘(こきゅう)は、古代中国の斉の宰相の晏平仲(あんへいちゅう)が1枚の狐の皮でつくった皮ごろもを30年も着つづけていたという伝説にもとづく。
 吾輩を目して乾屎橛同等に心得るも尤もだが〔吾輩をもくしてかんしけつどうとうに…〕乾屎橛(かんしけつ)、どうも漱石さん、お品がよろしくないですなあ。拭いたあとまだ不浄のついてまま乾いているクソカキベラのこと。いまみたいにトイレットペーパーはないもんね。
 もうひとつ、珍野苦沙彌先生が奥さんに向かって投げつける有名なことば、「オタンチンパレオロガス」。意味はわからないながら、こんなことばで悪口を言って友だちをいじめた経験、あるなあ。今ごろ謝っても遅いかしれないけど、うん、ごめん、ごめん。意味、やっとわかったよ。ローマ帝国の最後の皇帝コンスタンチン・パレオロガスにひっかけたシャレだったんだね。

wagahaineko002

…こんなところでやめておきましょう。どうですか、子どもでも楽しく読めると思われていた“吾輩ネコ”、高校生、いや、大学生でもちょっと歯が立たないのではないでしょうか。それにしても、漱石については、知っているようで実はあまりよく知っていないことに気づく。
代表作の一つ『三四郎』に登場する魅力的な女性、美彌子という女性、あのモデルが平塚らいてうだったなんて、ご存知でしたか? 良妻賢母教育のお茶の水の“海老茶式部”であり、志操堅固な禅学令嬢たる平塚明(はる)。のちに「元始、女性は太陽であった」と「青鞜」で宣言、日本の婦人解放運動の第一歩を画期的に築いたあの女性ですが、それより以前、22歳のとき、とんでもないスキャンダルを起こしますね。作家のたまご、森田草平と那須塩原温泉の尾花峠の雪のなかで心中未遂。とびきりのエリートによる「痴に倣へる未曾有の事」として大騒ぎになります。師である生田長江が保護されたふたりを引き取りに行き事件の後始末に奔走、結局、森田草平の身柄は漱石のあずかりとなります。
バカな火遊びをしたもんだ、とさんざん森田を叱った一方、「で、どうだったんだい、あの女は…」、と根掘り葉掘りらいてうの、そそられる「女」を探る漱石。ピーンとはね返るような美彌子の堅さ、姿勢の高さと輝くような知性。う~ん、あれはたしかにらいてうのコピーかもしれない。自分で『三四郎』のなかに美彌子を描く一方、森田にもチャンスをつくってやる。そのときの経験を細かに書き朝日新聞に連載した『煤煙』が森田草平の出世作になっています。

さてさて、身分、格式の高い家の長男として生まれ、たいせつに育てられた森林太郎。俗悪な立身出世の欲にはまったく薄く、身分にも位にも社会的な地位にも役せられないながら、それでも次第に出世し、いちじるしく立身を遂げた鴎外。かたや、地位や俸給や生活費のことでたえずあくせくしていた漱石。その生まれ方、育ち方をこんなふうに書いていることを知って、またまたびっくりしました。

「私の家も侍分ではなかった。派手な付合をしなければならない名主といふ町人であった。私の知っている父は禿頭の爺さんであったが、若い時分には、一中節を習ったり、馴染の女に縮緬の積夜具をして遣ったりしたのださうである」

いったい、どんな育てられ方だったのか…。
「私は両親の晩年になって出来た所謂末っ子である。私を生んだ時、母はこんな年歯(とし)をして懐妊するのは面目ないと云ったとかいふ話が、今でも折々繰り返されてゐる。単に其の為ばかりでもあるまいが、私の両親は私が生まれ落ちると間もなく、私を里に遣ってしまった。其の里といふのは、無論私の記憶に残ってゐる筈はないのだけれども、成人の後聞いて見ると、何でも古道具の売買を渡世にしてゐた貧しい夫婦ものであったらしい。私は其の道具屋の我楽多と一所に小さい笊(ざる)の中に入れられて毎晩四谷の大通りの夜店に曝されてゐたのである。それを或晩、私の姉が何かの序に其処を通り掛かった時見付けて、可哀相とでも思ったのだらう、懐に入れて宅(うち)へ連れて来たが…」
「私は何時頃其の里から取り戻されたかは知らない。然しぢき又或る家へ養子に遣らされた。それは慥(たしか)私の四つの歳であったやうに思ふ。私は物心のつく八九歳迄其処で成長したが、やがて養家に妙なごたごたが起こったため、再び実家へ戻るやうな仕儀となった」

大文豪の幼少期がこんな暗い悲惨なものだったなんて、知らなかったですねぇ。漱石死して90年目、尊敬すべき大文豪の威徳をしのぶにふさわしいことだったかどうかあやしいが、何となく書いていたらこんなものになってしまいました。願わくばその才能の一片でも分けてもらえぬものか。
sosekisanbo004
南早稲田の漱石山房あとに建つ像

★…転記スミ ⇒ 「物語寸景」
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
ちこらんたんさん (2006年12月09日 23時46分)

すみません、まだ日記はじっくり拝読していないのですが、
がのさんも横浜にお住まいなのですよね?
40周年の会場にはいらっしゃらなかったのかなとふと思いまして。
せっかく出向いたので、お会いできるものならお会いしたかったなと思
いました。
私がピチピチしてるうちに。
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) ・
ばーばーじゅこんさん (2006年12月10日 11時10分)

 横浜の余韻が、なんとなくザワザワ(?)と身体に残っていることに
加えて、来春1月14日に行うパーティ40周年行事の打ち合わせや
ら、文集作りに追われて眼がおかしくなっています。
 眼のためではないのですが、漱石さんの文章は読めませんね。小樽の
実家にある戦前の文学全集(父が昔の文学青年)を開いて、4段組と漢
字の多さにびっくりして読む気になれなかったのを思い出しました。で
も、この全集を 中学生時代に 物置のすみに隠れて読んでいた記憶が
あります。小さいころの私は「本の虫」でしたが、今はあきらめまし
た。文字の大きいのをおっています。
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
candyさん (2006年12月10日 11時12分)

オタンチンのもとがコンスタンチン・パレオロガスから来ている・・・
そうなんですか!
オタンコナスと言う言い方もありますね?

元の言葉も意味も判らずどちらもただ悪態をつくときに使うものと思っ
ていましたが・・・。

すみません。漱石の原書は難しすぎて太刀打ちできません。

幼少期が悲惨であったことが、大文豪への道であるならば、我家のプチ
作家には、試練が少なすぎたかも!
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月10日 11時37分)

ちこらんたんさん

【その1】
>40周年の会場にはいらっしゃらなかったのかなとふと思いまして。せ
っかく出向いたので、お会いできるものならお会いしたかったなと思い
ました。私がピチピチしてるうちに。
     ----------------------------
うえ~ん、無視された~! と、まず拗ねておいて、このカモさんをど
ういじめてやるか…。突っつくにも、このところ刀が錆びちゃっている
からなあ。まずは、ちこたんは大丈夫さ、100歳すぎてもピチピチの可愛
いチンコロ姐やでいるに間違いないだろうから。
ラボの40周年はともかく、師走の横浜に来られてよかったですね、いろ
んな人にも会えたようで。
遠方からの人で、この機会に会えないか、と云ってくれる知人も二、三
人はいたのですが、11月の下旬あたりはちょっと体調を悪くしていて、
それどころではなかったんです。風邪をこじらせたあとの重篤な気管支
炎というところで、寝込んでしまう十数日。食欲もなく、一日にラ・フ
ランスを1個だけなんて日もあり、一挙に5キロほどウェイト・ダウ
ン。もともとメタボ傾向がありましたのでちょうどよかったようなもの
の、声が出ない。ちこたんに会ってさんざん悪口を言っていじめたくて
も、声が出なけりゃしょうがない、というわけ。
ところが、神さまって、イタズラ好きなんですねぇ。あの12月2、3日
あたりはケロリと恢復。からだのシンのあたりに若々しい力もよみがえ
って、そうなれば外へ出たくて仕方ない。やりたいことがいっぱいたま
っている。2日の昼間は久しぶりに〔早=明〕ラグビー観戦で代々木の国
立競技場へ。早稲田が大勝して気分がよければ、急いで帰って、夜には
教会主催のハープのコンサート。翌3日は「森鴎外展——鴎外をめぐる
人々と子どもたち」へ。
なぜラボの集会のほうへ行かなかったのか、って? うん、きれいな人
たちに会うのが恥ずかしかったし。だってほら、ナイーヴじゃん、純情
じゃん、わたしって。それに、しばらく臥していて落ち葉のように萎れ
果て、このまま死ぬのかなと思っていたあとでしょ、ダンディなわたし
としては見苦しいところは見せられないじゃないですか。というか、ほ
ら、イヌと人込みがどうしても好きになれないのよね。空騒ぎ・浮かれ
騒ぎが苦手だし。
【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月10日 12時03分)

ちこらんたんさん

【その2】
それならなぜ〔早=明〕ラグビーか、って。そこはねぇ、人間て、自己矛
盾のなかで生きている存在なのよ、所詮は。
でも、いい気になって出歩いたバチがあたったか、また調子を悪くしち
ゃって。早く体調を戻してインフルエンザ予防ワクチンを射たないとや
ばいと思いつつも、医者がOKを出してくれない。やっとついこのあい
だ射ってもらったばかりです。

横浜のあの会場あたりは、まあ、あんなもんです。キンキラキンの見て
くれだけ。中身は空っぽスッポンポン。消費と遊びの好きな人種がひし
めく空間。ウシ臭くなかったですか。ほら、ひしめくを漢字で書くと
「犇」、ウシがいっぱいなんよね(こういうことを言うから、オタンチン
パレオロガスといわれるんだけど)。山(掃部山)のほうから井伊直弼大老
の像が見下ろし、「拙者のもくろんでいた文明開化とは、あんなものじ
ゃないはず」と憤然としているはず。だけど、あんなもんなら、いまい
ちばん景気がいいといわれ、ぼんぼん高層ビルがぶっ建っている名古屋
で十分見られるでしょう、ちこたんのいるすぐ足元で。そうじゃなく
て、見てもらいたいもっとすばらしい横浜って、いっぱいあるんです。
文学と歴史に満ち、シックで美しい横浜が。いつかゆったりと時間をと
ってまた出てきてください。足にガタがきていなかったら、とっておき
のところを案内しますよ。
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
dorothyさん (2006年12月10日 17時02分)

復刻版を読んだことはありませんが、
漱石とは切っても切れない地に生まれた私、
旧字体・旧仮名遣いの「我輩・・・」「坊ちゃん」は
読んだことがあります。多分、父の蔵書の中に
あったと思います。また、鴎外は、大学の授業で
「舞姫」を研究書にとりあげられ、半年間、
悪戦苦闘したのが(悪夢のように)よみがえります。
その次に提供されたのが「にごりえ」。
サボりにサボった学生時代の苦悶を思い出させて
くださり、感謝・・・?します。
オタンチンパレオロガス、懐かしいです。
私のことではないですよね。
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
さちこさんさん (2006年12月10日 17時31分)

この時期にこのタイトル、
ふふふ~~、「がの節」しっかりと拝読させていただきました。
オタンチンパレオロガス!
面白い響きですね。
これくらいの皮肉だと、
言った方も言われた方も
「ユーモア」として救われるかもしれませんね?

今日はチェコ語サークルの方たちと
チェコ料理を食べに行く予定でしたが、
家族の体調が優れずに家にいることにしました。
2月にはかの国へ行こう!と盛り上がっているメンバー達ですが、
私はあと数年先になりそうです。。。
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月11日 00時02分)

ばーばーじゅこんさん

【その1】
>来春1月14日に行うパーティ40周年行事の打ち合わせやら、文集
作りに追われて眼がおかしくなっています。
     ----------------------------
40周年ですか。すごいですね、わたしがまだ生まれていない(…というの
はウソ)ころからラボ・パーティをなさってこられたわけですね。ほかに
もどなたかいらっしゃいますか、40周年を迎えるという現役の方。千葉
支部には長いことラボの活動にたずさわって来られた方は多いのです
が、だいたいリタイアしておいでですよね。何でしょうか、ひとりの女
性を40年も引きつけておくものは。

> 漱石さんの文章は読めませんね。小樽の実家にある戦前の文学全集
(父が昔の文学青年)を開いて、4段組と漢字の多さにびっくりして読
む気になれなかったのを思い出しました。

小樽でしたね、ご実家は。小樽のゆかりといえば、小林多喜二の「蟹工
船」「不在地主」、石川啄木、伊藤整、小熊秀雄…などでしょうか。と
りわけ小学生から中学生のころに読んだ啄木の歌は、いまも数十、諳ん
じていますよね。なにかにつけてあの清冽なイメージが口に出てくる。
何をやってもうまくいかないとき、
  はたらけど はたらけど 猶わが暮らし楽にならざり ぢっと手を
見る
【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月11日 01時15分)

ばーばーじゅこんさん

【その2】
自信なくわが身の不甲斐なさに哀しくなって、
  友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て妻と親しむ
  実務には役に立たざるうた人と 我を見る人に金借りに来る
それでも、なんとか気力をふりしぼって…
  何となく明日はよき事あるごとく 思ふ心を 叱りて眠る
  新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど
体調が悪い。このまま死ぬのかなあ、と弱気になったようなとき、
  氷嚢の下よりまなこ光らせて 寝られぬ夜は人をにくめり
  そんならば生命が欲しくないのかと 医者に言はれて黙りしこころ

小樽をうたったものでは、
  かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ
  あらそひて いたく憎みて別れたる 友をなつかしく思ふ日も来ぬ
  世渡りの拙きことをひそかにも 誇りとしたる我にやはあらぬ
  子を負ひて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし妻の眉かな
どのうたにも哀切な思いが引き出されます。小樽でのうたではないかも
しれませんが、恋を知ったときにはこんなうたが…、
  君に似し姿を街に見る時の こころ躍りを あはれと思へ
  山の子が 山を思ふがごとくにも かなしき時は君を思へり
  石狩の都の外の君が家 林檎の花の散りてやあらむ
  かなしきは かの白玉のごとくなる腕に残せしキスの痕かな

すっかり話は漱石からも鴎外からも逸れてしまいましたね、やっぱりわ
たしゃオタンチンパレオロガスでした。
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月11日 10時48分)

dorothyさん

【その1】
>復刻版を読んだことはありませんが、漱石とは切っても切れない地に
生まれた私、旧字体・旧仮名遣いの「吾輩…」「坊ちゃん」は読んだこ
とがあります。
     ----------------------------
漱石の作品、「吾輩…」や「坊ちゃん」あたりは、低徊派本山の作家の
作品ということで、カチッとした鴎外の文体とはちがって、ケラケラ笑
いながら親しく読んできたように思いますが、じつはピタッと“人間
学”にふれるもっともっと大きな存在であることを改めて知りました。
この歳になってそれを知るようじゃ、しょうがないのですが。
そうでしたっけ、dorothyさんは四国・松山が郷でしたか。一度だけ出張
で道後温泉に行ったことがありましたが。日ごろ、ヴォランティア活動
のなかで、春ごと秋ごとに文学散歩の案内役をやっておりますと、東京
でいえば、谷中、本郷、浅草、本所、馬込、神奈川の横浜、鎌倉、湘
南…、どこへ行っても漱石、鴎外、一葉の足跡に出会うことになりま
す。先日、伊豆の伊東へ行ってさえ、木下杢太郎の記念館に立ち寄れ
ば、鴎外が、一葉が、漱石が、という具合い。それほどポピュラーなは
ずなのに、じつのところは意外に読まれていない、読んだつもりになっ
ている人が多い、しかし、こういう大きな知性は、このあとなかなか現
われないのかな、と思ってしまいます。いまの親の世代がこれを読まな
いと、立ち消えになっちゃうような心配があります。
【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月11日 10時59分)

dorothyさん

【その2】
> サボりにサボった学生時代の苦悶を思い出させてくださり、感
謝…?します。オタンチンパレオロガス、懐かしいです。私のことでは
ないですよね。
     ----------------------------
おやおや、漱石の命日のことを紹介したわたしの真意がわかっておらな
い! ハッハッハ…。わたしのオタンチンぶりは、まあ、しょうがない
として、感度のにぶい多くのラボ関係者のみなさんに「オタンチンパレ
オロガス!」「オタンコナス!」と、口汚く悪罵を浴びせているつもり
なんですけどね(エッラそうに!)。
40周年の祝祭はけっこう毛だらけなれど、このひろば@で書かれているの
はただ、よかった、すごかった、最高! と、ただ興奮しているだけ
で、知らないもの、行かないものには何も伝わってこない。所詮はわた
しゃ部外者、どうでもいいことではありますが。Hiromi~さんが社会に
発信するものがあるかどうかと心配なさっていましたけれど、成果を問
うなら、そこですよね。ま、終わったばかりで冷静には何も考えられな
いというのもわからないじゃない、しかし、まるでこりゃあ、操りの木
偶人形じゃ! (ようやくここにきて、candyさんのように具体的に書い
てくれる人もあらわれたが)。
そんな空騒ぎの一方で、「平知盛」の木下順二氏が亡くなっている、
「しょうぼうじどうしゃじぶた」「どろんこハリー」の渡辺茂男さんが
亡くなっている(11月30日報)。そんなことはまるで知らぬげに、めでた
く「よかった!」「最高!」ですかいな、ものがたりを大事にする活動
って、そういうことかいな…。勝手ながら、遠い外野席にいるとそんな
ふうに思えるんですがね。
せめても、ということで、わたしは左の「タカの目」で追悼文(ほどでは
ありませんが、ほかの方の掲示板に書かせてもらったものを下敷きにし
て、ちょっとした思い出話を)書きました。かえって失礼になるかも知れ
ぬ不十分なものながら、ぜひお読みおきくださいますよう。
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月11日 14時32分)

さちこさんさん

【その1】
>この時期にこのタイトル、ふふふ~~、「がの節」しっかりと拝読さ
せていただきました。オタンチンパレオロガス! 面白い響きですね。
これくらいの皮肉だと、言った方も言われた方も「ユーモア」として救
われるかもしれませんね?
     ----------------------------
「パレオロガス」はともかく、「オタンチン」「オタンコナス」って、
何でしょうかねえ、だれが言い出したんでしょうねえ。どうせロクな意
味はなく、バカとかノロマといった、人をいやしめる悪口なのでしょう
が、それにどうして「ナス」とか「チン」がつかねばならないのか。
eggplant、りっぱな形、りっぱな色をした野菜だと思うのですけど、チ
ン奇ですねえ。その名の根拠を探っても、ナスすべなし、はナスことな
いよと、物知りとされる人も、こちらをただの屁理屈屋と見ナスらし
く、いナスことばかりで、責任は質問者本人にナスりつけられてしまい
ます。ゴマかす、ゴマすり、ゴマの灰、というのもあり、どうも日本
人、食べものに対する畏敬の念に欠けていやしませんかねえ。自給率の
低下、将来の深刻な問題ですよ。
【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月11日 21時20分)

さちこさんさん

【その2】
> 今日はチェコ語サークルの方たちとチェコ料理を食べに行く予定でし
たが、家族の体調が優れずに家にいることにしました。2月にはかの国
へ行こう! と盛り上がっているメンバー達ですが、私はあと数年先に
なりそうです。

⇒チェコ、ですか。すぐ目の前、手前のことばかりに追われ、忙しい、
忙しいと云っている人が多いなか、テューターのみなさん、さすがです
ね。チェコにこころを寄せる人がいるかと思えば、スリランカやバング
ラディシュの子どもの教育問題に、あるいは子どもの人権問題や自然保
護運動、地雷除去の運動に関わっている方と、自分と自分の家族の利得
ばかりに血眼になっている人種とは違う、バランスよい広闊な視野、や
さしいこころと情熱をもっておられることに、すごいなあと感動させら
れます。さて、チェコ料理って、どんなのでしょうねぇ。今度さちこさ
んところに行ったら、食べさせてくれますか。チェコ料理ですよ、バレ
ンタイン・デイじゃないんだから、甘い「チョコ料理」ではなくて。

ところで、チェコスロバキアの美都、プラハの画像の一部をわたしのH
Pでいま紹介していること、気づいてくれましたか。結婚してしばらく
たつのに、子どももつくらず、世界じゅうを遊んでまわっている呑気な
ガールフレンドのひとりから「載せて」といわれているもの。まあ、見
てやってください。
Re:Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
さちこさんさん (2006年12月11日 22時24分)

お体、お加減いかがですか?
少し寒い日が続きますね。
ご自愛くださいませ。

>ところで、チェコスロバキアの美都、
 プラハの画像の一部をわたしのHPでいま紹介していること、
 気づいてくれましたか。

拝見したからチェコの話題を書き込んだんですよぉ~!
がのさんのページでチェコの写真が拝見できて、
とってもビックリ、とっても嬉しく思いました!
素敵ですね、チェコ・・・。
何がこんなに心引かれて、チェコ語まで勉強しているのか・・・。
自分でも不思議です。
これからも写真・日記とも楽しみにしております。
Re:Re:Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月12日 15時59分)

さちこさんさん

【その1】
>お体、お加減いかがですか? 少し寒い日が続きますね。ご自愛くだ
さいませ。
     ----------------------------
 ありがとうございます。軽薄なおやじギャグがぼんぼん飛び出すくら
いですから、まあ、だいぶいいんじゃないでしょうか。さちこさんもち
こたんも気をつけたほうがいいですよ、少しよくなると、無性にだれか
をなぶってやりたくなるのが、わたしのわるいクセ。
 で、おもしろいもんですねぇ。見舞いに、と来る人(見舞いではなく、
半分以上は冷やかしなのですが)がみやげにもってくるのが、なんとま
あ、りんご。りんご、りんご、りんご…ばっかり。だれかカニでももっ
てきてくれよ、…とはなかなか言えないし。おれ、りんごが好き、なん
てどこかで云ったことがあるだろうかなあ。どれもりっぱなりんごで、
文句を言うスジアイではないけれど、このぶんでは正月すぎのころま
で、一所懸命りんごをたべないといけないかな、と。でも、香りがいい
ですね、もぎたてのりんご。部屋いっぱいに若い乙女のようなりんごの
香りがしています。

> 拝見したからチェコの話題を書き込んだんですよぉ~! がのさんの
ページでチェコの写真が拝見できて、とってもビックリ、とっても嬉し
く思いました!

 貧乏しているわたしが足をもがれてどこにも行けないでいるのを嘲笑
うかのように、ヨーロッパ各地の画像を彼女はときどき送ってきます。
そのうち、ケルト文化の心臓といわれるアイルランドやコンウォール、
マン島のものをご紹介しましょうかね。ウエールズのものもあったか
な。妖精のふるさとですから、ラボの活動ともまんざら無関係じゃない
でしょうし。【つづく】
Re:Re:Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月12日 16時03分)

さちこさんさん

【その2】
 それにしても、チェコ。さチェコさん…じゃなかった、さちこさん
は、近々チェコへおいでになるんですね。情けないことに、わたしには
この生涯のうちには行くことないであろう地ですが、まあ、音楽でも聞
いて自分を慰めることにしましょうか。

 日本で言えば富士山、チェコと言えばモルダウ。スメタナの交響詩
「わが祖国」のなかの「モルダウの流れ」。月光の下で美しい水の妖精
が軽ろやかに舞う、そんな情景を目を閉じてイメージし、静かに楽しみ
ます。若いある時期、この曲にあこがれて、フルートで完璧に吹けるよ
うにしようと虚しい努力したこともありましたが、所詮は才能と根気不
足、ダメでしたね。
 さチェコさんたちはチェコ語のお勉強をなさっているとか。この「モ
ルダウ」はじつはドイツ語読みで、チェコ語では「ヴァルタヴァ」とい
うのだそうですね。どんな意味なんでしょうか。スメタナはボヘミア生
まれの生粋のチェコ人ですが、驚くのは、チェコ語を勉強したのは、さ
チェコさんたちよりもっと年齢がいってから、50歳を過ぎてからだそう
ですよ。あの美しいなかに泣きたいような哀しい旋律があるのは、不幸
な民族の歴史が背景にあるかららしい。長らくオーストリア帝国のハプ
スブルク家に抑えこまれ、諸外国の軍事力に蹂躙されてきた小国の歴
史。この川は北へ北へと流れてエルベ川に合流してドイツ北部を貫き北
海に注ぐ。行ってみたいですねぇ。カバン持ちでいいから、連れていっ
てほしい。
Re:Re:Re:Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
さちこさんさん (2006年12月12日 17時50分)

がのさんへ

さチェコさんです。うふふ、なんだか嬉しい♪

>長らくオーストリア帝国のハプスブルク家に抑えこまれ、
>諸外国の軍事力に蹂躙されてきた小国の歴史。

ミュシャの絵には祖国を思う作品が多くあるのです。
私はその絵にとても魅了されました。
それがチェコとの出会いです。
そして、とても不思議だったんです。
日本のように海で囲まれた島国ではなく、
「はい、ここが国境ですよ~」
と線一本で仕切られて、「国」という意識が持てるのか。
線一本で仕切られているだけなのに、
かくも熱く祖国を思うことができるのか。
チェコ語が苦手なスメタナは、
そのことについてとても悩んでいたそうです。

海でしっかりと国が囲まれているからこそ、
祖国を意識することができない日本。
美しい日本語がどんどん廃れ、
日常で使われない英語がもてはやされる日本。
不思議ですねぇ。

>「ヴァルタヴァ」

チェコの友人に意味を聞いてみますね。

>アイルランドやコンウォール、マン島

楽しみにお待ちしております!
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
Hiromi~さん (2006年12月12日 22時07分)

 真珠湾攻撃は映画で見ました。アメリカ人が作った映画。何か違和感
を感じたことを覚えています。

 漱石のこと、ちょうど車の中で聞きました。NHKの番組でアナウンサー
と誰でしたかしら??対談していました。「我輩は猫である」書き出し
をタイトルにしたのだとか。漱石の作品はけっこう読んだつもりでも、
忘れてしまいますね。

 復刻版いいですね~~。日本文学全集なんてのを揃えて、一通り読ん
でいますがすべて遠い過去のような・・・。

 40周年のイヴェントも終わりもう来年度のことが話題です。ラボは
イヴェントに強い!!とつくずくおもいました。でもこの騒ぎがどのよ
うな結果をもたらすかと思うと・・・・。

 みなと未来のホテルは素敵でした。なんて関係ないことを書いてしま
いました。昨日は宮崎台の娘のところへ行ってきました。チビが風邪で
どこにも遊びに行けませんでした。
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月13日 09時32分)

Hiromi~さん

【その1】
> 漱石のこと、ちょうど車の中で聞きました。NHKの番組でアナウンサ
ーと誰でしたかしら?対談していました。「吾輩は猫である」書き出し
をタイトルにしたのだとか。漱石の作品はけっこう読んだつもりでも、
忘れてしまいますね。
     ----------------------------
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。/どこで生れたか頓と見當がつか
ぬ。何ても(原文のママ)暗薄い(原文ママ)じめじめした所でニャーニャ
ー泣いて(原文ママ)居た事丈は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて(原文
ママ)人間といふものを見た。然もあとで聞くとそれは書生といふ人間で
一番獰悪な種族であつたさうだ」(初版版による)
 このへんのところまでは、だれもが諳んじるようにしてよく知ってい
るんですよね。もうちょっと読みやすく書き改められた文章で、たいが
いの教科書に載っていたはずですから。そしてこの数行だけ読んですっ
かり読んだつもりになっている場合が、ふつうです。吾輩がうっかり甕
に落ちて不可思議な太平の境地に入り、「吾輩は死ぬ。死んで此太平を
得る。太平は死なゝければ得られぬ。南無阿弥陀佛々々々々々々。難有
い(原文ママ)々々々。」というおかしな終わり方をするところまで読み
終わる人はめったにいないはず。読書というのは、かならずしも最初か
ら最後の句点まで読まねばならないものでもないでしょうし、これなど
はたいへんな長編でもありますので。
たしかに読み馴れないと、この種の初版ものは読みにくいかもしれませ
ん。でも、馴れてくると妙に気持ちいいんですね、声を出して読みたく
なってしまうほど。たとえば、いまたまたまパッと開いたページで、
「猫の足はあれども無きが如し。どこを歩いても不器用な音のした試し
がない。空を踏むか(原文ママ)如く、雲を行く如く、水中に磬(けい)を
打つが如く、洞裏に瑟(しつ)を鼓するが如く、醍醐の味を嘗めて言栓の
外に冷暖を自知するが如し」苦沙彌先生の天敵のような鼻子夫人のとこ
ろに吾輩が忍びこもうとするシーン。講談のような語調です。目だけの
すっとばし読みなら読まないほうがいいような味です。
【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月13日 09時43分)

Hiromi~さん

【その2】
>  40周年のイヴェントも終わりもう来年度のことが話題です。でも
この騒ぎがどのような結果をもたらすかと思うと…。
     ----------------------------
 何をもたらすかは、テューターのみなさんの意識次第ということでし
ょう。ひろば@をのぞくと、2週間もたつのにまだ祭り気分の抜けない
“オタンチンパレオロガス”もおりますが、もらえるものをもらってス
ッと立ち直した人の姿も見られます。少なくとも、ただの自慰敵な空騒
ぎ、明日へのperspective に結びつかない、つまらぬ、その場かぎりの
消費で終わらせるわけにはいきませんね、大金を費やしての祝祭だった
ようですし。
 見ておりませんので何とも云えませんが、東京支部のある若いテュー
ターの記述にあるように、テューターがお客のように招かれるべき集ま
りではなかったはずだ、シンポジウムになぜテューターやラボっ子OB
が参加していないのか、あれはだれのためのものだったのか、という視
点もあるようで、反省すべきところがあればきちんと反省しないといけ
ないでしょうかね。

 こういう意識的な知性に出会うと、わたしとしては書いてみたいこと
がいっぱいあるんですよね。長くなっちゃうかな~。
 「世界に対して他人顔をする無関心もやっぱり与えられていないので
す。わたくしは物ではなく、自発性なのです。希望し、愛し、欲望し、
行動する自発性なのです」
 「人はたれの隣人でもないのです。人は一つの行為によって自分を他
人の隣人するといった按配に、他人から隣人を“作る”のです」
 ————ボーヴォワールの『人間について』からの引用です。

 私事にわたって恐縮ですが、このところ、地域の文化活動、市民アカ
デミーのなかで、ボーヴォワールのかかげるテーゼをめぐって、みなさ
んに『人間について』を読んでもらい、考えてもらっています。じつは
明日の第三木曜日にまたわたしが口演することになっていますが、その
実存主義思想における「女」像――「第二の性」でいわれる“女に生ま
れたのではなく、女になるのだ”とする人間論や、人間に許された希望
とは何か、といった難題をどうわかりやすく語るか、頭を痛めていると
ころ。
【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月13日 09時45分)

Hiromi~さん

【その3】

 そして、この実存主義の人間論に加え、日本の婦人解放運動の端緒と
なった、「青鞜」社の平塚らいてうや伊藤野枝、物集和子、尾竹一枝(紅
吉)、山田わか、それに、与謝野晶子、山川菊栄、市川房江、高群逸枝と
いった、中層女性知識集団のすさまじいばかりの主我的態度で推し進め
た運動と、それが後世に何をもたらしたかをお伝えしようかと、いま準
備しています。
 平塚らいてうの思想的バックボーンをなしている、『児童の世紀』で
みなさんもよくご存知のスウェーデンの婦人思想家エレン・ケイの思
想、サルトルのことも語らねばならず、これはとても1回では終わら
ず、2回か3回におよぶかもしれません。いまさら、ボーヴォワールであ
りエレン・ケイであり平塚らいてう…。古臭いともいえますし、賛成し
かねる考え方も少なくありませんが、ちょっとすごいでしょ。

 古い価値観を破り、つぎつぎに新しい時代を切り開いていったこうし
た人たちとテューターを一枚に重ね合わせて考えるには、無理があり、
時代もちがうことは十分承知していますが、このごろの子どもにありが
ちな、与えてくれるのを待っているだけ、その場その場をワァワァと楽
しむだけの無自覚な存在と同レベルでは、幼稚すぎるように思うのです
よね。あのつどいから何を持ち帰ってくれたか。“行動する自発性”に
期待し、あの祝祭日を画期的な歴史のステップにしてくれることを願っ
ています。
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) ・
ばーばーじゅこんさん (2006年12月14日 10時38分)

伊藤整、小林多喜二氏ともに高校(昔の小樽中学)の大先輩です。そし
てセンターにいらした大室さんは後輩です。
 それにしても、がのさんは啄木の歌をよく覚えていらっしゃいます
ね。びっくりしました。小樽の街のあちこちに碑がありますが、私はす
きにはなれませんでした。
 伊藤整さん訳のD.H.ロレンス「チャタレー婦人の恋人」が問題に
なって、母が洋服ダンスの一番上に隠してあったのをこっそり読みまし
た。(なんで発禁?と意味もわからず)不思議でした。ジョイスも伊藤
整さん訳で読みました。(これは大学生時代)
 ラボもそうですが、いつも訳のわからないもにはまっている気がしま
す。
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月15日 11時10分)

ばーばーじゅこんさん

【その1】
> それにしても、がのさんは啄木の歌をよく覚えていらっしゃいます
ね。びっくりしました。小樽の街のあちこちに碑がありますが、私はす
きにはなれませんでした。
     ----------------------------
 なんで~、なんで~! 啄木の歌、好きが嫌いか、ということで云え
ば、自分でもよくわからないですが、どうしようもなく胸に飛び込んで
きて逃げていかないじゃないですか。やはりすごいことば、すごい文
学、すごい才能なんだと思いますね。

  頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
  東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
  砂山の砂に腹這ひ 初恋のいたみを遠くおもひいづる日

たかが海岸の砂。砂をこんなふうにうたった人は世界じゅうどこにもい
ないでしょう。ああ、そうなんだ、ばーばーじゅこんさんは恵まれて育
って幸福いっぱいに生きて来られたし、恋で痛い思いをしたことなんか
ないんだな、きっと。わたしなんぞ、少年の日と青春は、傷ばかり、悔
いに満ちた悲しみの色ばかりで塗られていましたので、どれも哀しいま
でにピタッと胸にひびきます。

  己が名をほのかに呼びて涙せし 十四の春にかへる術なし
  不来方(こずかた)のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五のこころ
  わが恋をはじめて友にうちあけし 夜のことなど思ひいづる日
  ゆゑもなく海が見たくて海に来ぬ こころ傷みてたへがたき日に

貧乏してでも意地を張って田舎には帰らず、都会の片隅で小さく身をか
がめて、質素に清貧に生きているわたしの思いと、

  そのかみの神童の名のかなしさよ ふるさとに来て泣くはそのこと
  石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆるときなし
  小学の首席をわれと争ひし 友のいとなむ木賃宿かな

神童と呼ばれたことはありませんが、こんな田舎への思いは、もう、ど
うしようもなく親しくなつかしい。これも小樽の嬢さまには関係ないで
すかねぇ。【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月15日 11時20分)

ばーばーじゅこんさん

【その2】
 欲をかかぬ、貧しい暮らしのなか、格差と不公平への怒りを殺してふ
と口に出るうたは、

  はたられど はたらけど  (…あ、これはすでに挙げましたね)
  呼吸(いき)すれば胸の中にて鳴る音あり木枯しよりも寂しきその音
  あたらしき洋書の紙の香をかぎて 一途に金を欲しと思ひしが
  何故こうかと なさけなくなり 弱い心を何度も叱り金かりに行く
  家を出て 五町ばかりは用のある人のごとくに歩いてみたれど
  手も足も離ればなれにあるごとく ものうき寝覚め 哀しき寝覚め

 もう、やめましょうか、啄木は。わたしもなんだか惨めになってきま
した。でも、啄木や樋口一葉、極貧のなかで早逝していった稀有な才能
には、わが身の不才を恥じ、まいってしまいます。


> 伊藤整さん訳のD.H.ロレンス「チャタレー夫人の恋人」が問題
になって、母が洋服ダンスの一番上に隠してあったのをこっそり読みま
した。
     ----------------------------
 ハッハッハ…。こっそり、どきどきしながら「チャタレー夫人…」を
読みましたか! 高校生のころには、あのやんごとなき美しい貴婦人
が、どうして薄汚い山番の下僕と狂うようにセックスを繰り返すのか、
どうしてもわからなかったのですが、つい最近、婦人解放の先駆者であ
るエレン・ケイ、平塚らいてうの思想のバックボーンをなしたスウェー
デンの婦人思想家の『恋愛と結婚』という本を読んで、よくわかりまし
た。みなさんは『児童の世紀』の著者としてご存知でしょ。児童教育の
バイブルの一つですよね。この人自身、母はたいへん高名な貴族の血を
引く人だったんですね。父は代議士で閣僚の一人でもあったとか(ルソー
の『エミール』を愛読する理想主義者でもあったそうで、『児童の世
紀』にはその思想がつよく流れているように思います)。
【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月15日 11時23分)

ばーばーじゅこんさん

【その3】
 50歳をすぎてからは、女権論とはタモトを分かち、女の完成は母性の
なかにある、と主張するようになります。女の自由は恋愛のなかにあ
る、恋愛こそは何ものにも囚われない男女の人格の交錯する瞬間をつく
りだす、というんですね(改めて読んだボーヴォワールの『第二の性』で
も、こうした思想に出会いました)。エレン・ケイ自身は生涯、結婚もせ
ず、子どももつくっていないのですが。

 ですから、わたしは日ごろときどき、老人の福祉施設に出入りしヴォ
ランティアをしていますが、あの人たちにいうのは、いくつになって
も、人は恋をしないといけないんですよ、と云ってるんです。余計なお
せっかいですかね、これは。ばーばーじゅこんさんも、がんばって、ど
うぞ。
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) ・
ばーばーじゅこんさん (2006年12月17日 00時41分)

 がのさんのページを拝見していますと、高校生時代に逆戻りしそうで
す。訳もわからず、サルトルの全集とボーボワールの「第2の性」、ロ
マン・ロランなど、読み漁っていました。そして今から30年くらいま
えになるかもしれませんが、パリの二人のたむろしていたとかいうカフ
ェの近くに、妹(当時パリ在住)につれていってもらい、うろ覚えです
が「カフェ・ド・マーゴ」だったかな?、そこでカフェを飲んできまし
た。
 そして、おっしゃるとおり、人間はドキドキが無ければ、駄目ですよ
ね。
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月17日 11時46分)

ばーばーじゅこんさん

【その1】
> がのさんのページを拝見していますと、高校生時代に逆戻りしそう
です。訳もわからず、サルトルの全集とボーヴォワールの「第二の
性」、ロマン・ロランなど、読み漁っていました。そして今から30年く
らいまえになるかもしれませんが、パリの二人のたむろしていたとかい
うカフェの近くに、妹(当時パリ在住)につれていってもらい、うろ覚
えですが「カフェ・ド・マーゴ」だったかな? そこでカフェを飲んで
きました。
     ----------------------------
 そういう時代だったということでしょうかねぇ。青春の気取り、い
や、若い日の気負い。サルトル、ボーヴォワール、カミュ、カフカ、マ
ルロー、あるいはサルトルの周辺にいたポール・ニザン、レヴィストロ
ース、メルロ・ポンティといったすごい知性、またキルケゴール、ハイ
デッガー、ヤスパースといった思想にも出会い、そうそう、十分には理
解できないまま、仲間と競争するようにしてあのへんの本を読み、闘犬
のように議論をしました。しかも、学生運動のまん中で怒りの血を流し
ながら。死に物狂いで「希望」をさぐっていた時代でしたね。
 若いときのこころを養ってくれた思い出の尽きない大事な本ですが、
そうした人たちの全集本を、床が抜ける前に処理しようと思いたち、ゴ
ミにして捨てるにはこころが痛く、だれか読んでくれないものかと古書
店にもっていけば、ただでいいから、といっても引き取ってくれない。
地球の資源をこわしてつくった、しょうもない本はズラ~ッと書棚にな
らんでいても、ついぞ書店でこの種の本を見ることはめったにありませ
んね。サッと一度読めばすぐわかる、そんな本でないと商売にならない
ようで、これがケータイ文化、コンビニ文化というものなんでしょうか
ね。
 それでも、この年齢になって、機会を得て読み直してみますと、う
ん、これがいまにしてよくわかる。すぐ目に疲れが来てしまい、長くは
活字に向かい合えなくなったこの年齢にして。わたしの人生なんぞは悔
いばかりでロクなものではありませんが、よくわかるというのは、曲が
りなりにもどうにかここまで生きてきた経験の質によるのかな、と思う
ことがあります。【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月17日 11時52分)

ばーばーじゅこんさん

【その2】
読書会をいくつか主宰して、ひとに本に描かれたさまざまな人間の生き
方を語らねばならないという、自らに背負いこんだ責任でもあります
が、これが改めて丁寧に本を読むありがたい機会になっているように思
います。
 読んで考えることは、古臭く時代遅れなもののようですが、そうとは
云えず、意外に今日的な問題意識と重なるんですよ。たとえば、ここの
欄で、平塚らいてうを書き、その師ともいうべきエレン・ケイのことに
触れ、彼女に大きな影響を与えた父親がJ.J.ルソーの『エミール』を愛
読する理想主義者だった、と書いたばかりでしたが、その翌日(きのう)
の朝日新聞の「天声人語」が教育基本法の改正をめぐる国会の動きを批
判して、ルソーの思想を紹介していました。また、たまたま聞いた昨夜
のラジオ(NHK第二)で、鎌倉の円覚寺が語られるなかで、ここに参禅した
ことのある平塚らいてうや夏目漱石のことが。テューターのみなさんが
ラボを通じて日々とりくんでおられる子どもの教育について、わたし自
身はそんなに語る資格はありませんが、かつてヒルトンの『チップス先
生 さようなら』でその理想を遠巻きながら紹介しました。子どもを全
的に見る、ということでしたね。ルソーがいうのも、ほぼこれと同じで
はないかと思うのです。「天声人語」で引かれていたところだけでいえ
ば、「ほんとうの教育とは、教訓を与えることではなく、訓練をさせる
ことにある」、つまり、英語だ、英語だ、といって無理強いし、早期英
語(ラボ)中毒症候群をつくることではなく、さまざまな経験をできるだ
け多くさせる、その中で自然に英語に触れさせる、という意味でしょう
か。そもそも「テューター」という語が「エミール」に倣っていること
はご存知でしたか。先生でもなく教師でもなく、テューター。チップス
先生のように、子どもたちの生活そのものをまるごとを見ていくおとな
です。【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日)
がのさん (2006年12月17日 12時07分)

ばーばーじゅこんさん

【その3】
「一人の人間をつくることをあえてくわだてるには、その人自身(あなた
自身)が人間として完成していなければならない」とまで云われてしまう
と、これはきびしいですね。わたしはダメだ、資格なしだ、勉強不足
だ、そこまで責任は持てないよ、と腰が引けてしまい、ついにはわたし
は英語の先生でケッコーと、居直るしかないのでしょうが、まあまあ、
子どもの成長と歩みをとともにするということは、たしかに、それくら
いきびしく厳粛なものだ、ということで。
 ごめんなさい、40周年の大ヴェテラン、ばーばーじゅこんさんには、
云わずもがな、でしたね。


>おっしゃるとおり、人間はドキドキが無ければ、駄目ですよね。
      ----------------------------
 ハイ。いつでもこころに太陽を! みずみずしい情熱と恋のこころ
を。
 ですが、このところ熟年離婚がはやっているそうですけれど、そのへ
んのところは、わたしはいっさい責任は持てませんので、よろしく。ハ
ッハッハ…。
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