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〔7-3〕◆夕方に咲く朝顔も…

To: dorothy さん/2009.08.13
 夕方から咲く朝顔。そんな種類もこのごろではあまり珍しくないようですよ。
 しかし、なんだあ〜、造花だったのかあ…。
 それより、せっかくながら、dorothyさんと話題にするなら、朝顔と夕顔のこと。
ええ、「源氏物語」のこと。

    咲く花にうつるてふ名はつつめども
      折らで過ぎ憂きけさの朝顔


 よくご存知の、「夕顔」の章に出てくる歌。これ、わたしには解釈がむずかしいのですが、紫式部ならではの鋭い、いや、皮肉のまじった感度により、光源氏の心情、いや、男の心情の一端をえぐり出したもののような。
 手も出さず見過ごすには心のこりのする美しさではあるけれど…、と。

 朝まだき、まだ光源氏は半分眠っています。中将の君という女房に促されるまま渡殿へ行く光るの君が、ちらと御簾のかげでとらえた六条御息所の匂いたつような美しさ。
紫苑色の、この季節にふさわしいさわやかな小袿(こうちぎ)に、薄物の裳をあざやかに引き結んだ腰つきは、いかにもしなやかで、セクシーですね。
 いやいや、美しさといえば、その長い黒髪。黒漆の滝のように、ゆるやかに肩から背に伝わって流れ落ち、ぱらりと広がっています。
 これ以上のぞむとすればバチがあたるような美しさ。ですが、光るの君ときたら、そんな御息所にあまりこころをとめない(あ〜あ、もったいない!)。こころにとめないどころか、こころは別なところに。(コケにされるほうはたまったものじゃない)
 雨夜の品定め(「箒木」)で下の品のものと蔑まれたはずの女、夕顔に執心する。(このバチ当たりが!)
 そうはいっても、男のはしくれのわたしとしては、それ、わからないでもない。近づきがたいような完璧な気品、申し分のない立ち居振る舞い、まったくスキのない美しさを見せる高貴な生まれの女も、ときにはうとましく思うこともあろうというもの。ちょっと引いてしまうものがある。

 その点、夕顔ときたら、スキだらけの女。しかし、いいねえ、子どものように素直で可憐、花びらのうすい花のような、そよ風にも耐え得ないような風情を見せる女、なよやかで、たわむような肢体、およそ逆らうことを知らない従順な女、そんな女に好色男の俗情が引き寄せられるのも自然だろうじゃあないですか。
 それが男ごころというものかも知れない。そうかも知れないが、だからといって、ハッハ、どうなるものでもないのが凡愚なわたしどもの現実ではありますが。

 なお、ここで詠われる“朝顔”とは関係なく、聡明怜悧で色恋とはてんで無縁な、身持ちの固さでいったら「空蝉」以上の高貴な女性たる「朝顔」がいましたね。加茂の斎院として生涯を送る女性。さすがの光源氏さえ近づけなかった、ごりっぱな女性。


=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =


〔7-2〕◆光源氏が“光”を喪うとき/「青海波」考

 「源氏物語」…古来これほど語られてきた物語はない一方、これほど読まれないものも珍しい、とされるわが国最大の古典。いやいや、いまブームの“篤姫”さまが、ドラマでときどき読んでいたじゃないですか。遠いものと思いがちな王朝びとの生活様式と生活意識が、じつはいまのわたしたちの生活全域の底流になっている、もっとも良質なモラルにもなっている、日本文化の源泉になっていることを改めて思い知らされる機会ともなった、そんな展覧会でした。
日本人なら、もう、これを読むしかない、これを読み継いで、つぎの1000年まで伝えていくしかない、と思うのですが…。〔2008.11.23〕

>> 「青海波」の絵、拝見いたしました。わが子を身ごもった愛する女性が、今、自分を見つめている。その想いで、舞う姿は、いかにも神々しいものだったのでしょう。しかも、季節は秋。夕方の傾いた夕日に、もみぢの照りかえりの中、まるでスポットライトを浴びたかのごとく、情念の燃え盛る源氏の舞う青海波は、いかばかりだったでしょう。【dorothyさん/2008.11.23】

土佐光芳の筆によると伝えられる「紅葉賀」の物語絵には、「青海波」舞う光源氏と頭中将が右下の手前に描かれています。その上には、注意しないと見落としそうですが、たぶん間違いないと思います、御簾のうしろに藤壺が、そしてその前に桐壺帝が描かれています。dorothyさんが読み解いておられるように、光源氏とのあいだに不義の子をやどした身である藤壺は、どんな思いで禁断の恋の相手の舞いを見たことでしょうか。
 その部分も日記ページの末尾に追加して入れてみました。複雑な思いにこころ乱れて、どうも、目を伏せ、まともにその舞いを見ているようではありませんね。
 「源氏物語」については、このごろはとりわけ、あっちを齧ったり、こっちをつまんだりしてきたとはいえ、このせわしなく動く世の中、いい気になってその物語世界にうつつをぬかしていること叶わず、最後まできちんと読むというふうにはいかない事情にありました。とりわけ、宇治十帖のあたりまで来ると息切れしてしまうのが常。現実の醜さを忘れさせてくれる王朝の雅、日本のことばのもつ美しい味わいとリズムを楽しむほか、ひとりのやんごとなき貴顕の奔放な女漁りといったところ、読むこちらの品性の卑しさを恥じるところまでで終わっていました。で、このたび、「若菜・上」のへんから最後の「夢の浮橋」までを重点に読んでみました。「浮舟」がいい! 薫、匂の宮、浮舟のところまで来てはじめて、この物語の核心である、因果応報といってしまえばつまらないのですが、人の世の逃れられない宿業のようなもの、本居宣長のいう「もののあはれ」の意味がわかったように思えました。柏木と女三宮の密通。若すぎる分別の足りぬ男と女の“できちゃった”愛には、軽率さばかりが目立ち、印象よろしくなく、あまり考えてみることもありませんでしたけれど、そのあとのふたりの、死を呼び込むほどに悶え苦しむさまにふれ、ここだッ! というものがあり、紫式部という王朝時代屈指の知性の真意とたしなみを見たように思いました。〔2008.11.23〕

>>青海波の絵、拝見しました。【dorothyさん/2008.11.28】

 絵で見るように、光源氏は白菊を頭にかざしています。一方の頭中将がかざしているのはまっ赤なモミジですね。白菊とモミジ、ここにはどんな意味がこめられているのか、ご存知でしたらお教えください。〔2008.11.28〕

>>菊は、奈良時代に中国から伝来し、平安初期までは菊は皇帝の色である黄色をもって最高とされていました。が、9世紀のころから、白い菊がめでられるようにという、「うつろい」の美を日本人が愛したからではないか、と思われます。同様に、紅葉も、緑から赤に「うつろう」という意味で日本人の美意識にかなっています。
ですから、二人の美男子が「うつろう」美を簪(かざし)て、舞ったのではないでしょうか。
なお、源氏の白菊は、後に紫になることを暗示しています。紫➥紫雲➥稀代の名帝の出現。第一巻で、インドの人相見・中国の人相見・日本の人相見それぞれが、「天皇にはならないが、臣下では収まらない」というわけのわからない暗示を示します。
あるいは、古今集の
秋をおきて時こそありけれ菊の花 うつろふからに色のまされば(古今・秋下―279)
これを本歌取りした場面が散見できますが、このシーンでも、取り入れられています。この歌、紫式部がとても気に入っていたように感じます。【dorothy さん/2008.12.03】


 「うつろひ」…。そうかぁ、うつろひ、ね。いままで、わたしは、それともちがうことを考えてきたのですが、それはまずこの際、措いておくとして、う~ん、なるほど、“うつろひ”ですか。「花のいろはうつりにけりな いたずらに…」。

 このところ、早起きしているんです。早起きして、歩いて7~8分ほどの公園に行き、6時半からのラジオ体操をしています (とは言いにくく、せいぜい週に1回か2回程度)。ここで、雨の日も風の日も、土曜日曜もなく、みなさん、やっているんですね。だいたい20~30人で。この地域は市町村別にみて全国で平均寿命がもっとも高い(男の場合)ところとなっています。その長寿の秘密を探るうち、ひとつに、みんなの健康意識の高さがありました。ラジオ体操がその象徴のようなもの、ということで、一度、取材に。見れば、いろいろなところでよく顔を合わせる人たち。ちょっと様子を見に、のつもりが、ミイラとりになってしまったという次第で、以来、わたしが行かないと、何だかんだとうるさいことに…。しかし、このところ、朝の冷気にはきついものがありますよね。それに、この11月30日(日)には、市の福祉大会があり、新しい地域の支えあいのスタイルをさぐる、といったことで大聴衆を前に講演。そのための準備もあるし、風邪をひいてノドをやられてはたいへん、ということもあって、1週間ほどのサボリを。この公園にはここのシンボルのように立っている2本のメタセコイアの巨木があります。1週間ぶりに見たそのメタセコイアがきのうの朝(今朝は寝坊しておサボリ)は緑の色を失って、完全な金茶色に変わっていました。あっという間の変化。季節の“うつろひ”を感じ、気づいてみれば、師走、星霜の流れの速さを感じつつ、またこの季節にして奇跡のように咲く皇帝ダリア(帝王ダリアとも木立ダリアとも)の薄ピンクの花を愛でつつ、朝の散歩をしたばかり。自然がつくる“うつろひ”と、わが身におこる老いへの“うつろひ”と。

 菊の花などに“うつろひ”を見る古人の繊細な感性に驚かされ、ロマンを覚えます。花は、何のかけひきもなく、さっと咲いて、さっと散っていく、その潔さがよい、と古来より言われてきました。自分の美しさも知らぬげに、つつましく、ただ咲き、ほろほろと散っていく、それがよい、と。ところが、それは、菊とか紫陽花とか向日葵などの大輪の花のこととは思えませんね。いっとき命のかぎりカアーッと燃えて咲き、果てにしのちは、ちょっといただけない姿、惨めなほどに汚く凋落するのが、かの大輪の花。
まさにそこには、光源氏が齢とともに光を失っていく姿を予兆させるもの、満月にも似て欠けるところなかったものに、ついに生じた醜い破綻、…でもあったのか? 一方、頭中将のかざしたモミジのあざやかな紅色。散る前、命果てる直前に生きとせ生きるものが見せる一瞬の輝き、最後の輝きのシンボル、…なんてみるのは、うがちすぎでしょうかね。あ~あ、世は無常だなあ…。悲しきことのみ多かりき。明かりが見えないなあ…。〔2008.12.03〕

 いっとき命のかぎりカアーッと燃えて咲き、果てにしのちは、ちょっといただけない姿、惨めなほどに汚く凋落するのが、かの大輪の花。
 まさにそこには、光源氏が齢とともに光を失っていく姿を予兆させるもの、満月にも似て欠けるところなかったものに、ついに生じた醜い破綻、…でもあったのか? 一方、頭中将のかざしたモミジのあざやかな紅色。散る前、命果てる直前に生きとせ生きるものが見せる一瞬の輝き、最後の輝きのシンボル、…なんてみるのは、うがちすぎでしょうかね。――以上、コピー――

 「うつろひ」という読み方、よく理解できました。紫女がどこまでそれを意識して書いたかはわかりませんが、そんな読み方に一票を投じたく思います。
 映画「千年の恋」で天海祐季という宝塚出の女優さんが、波とたわむれる千鳥のすがたをみごとに舞っていると、わたしのものを読んだ人の一人から聞きました。わたしはまだそのDVDを見ていませんけれど、機会を得て見てみたいものです。
 でも、あれを宝塚ふうに華麗に舞われたら、その“もののあはれ”はどうなるんでしょうか。光源氏と頭中将による「青海波」は、よく読むと、夕暮れの最後の残照のなかで舞われています。いずれは沈む太陽のおもむきとして、紫女は筆をふるっています。

 で、その後思い出したのは、「平家物語」で平惟盛が舞う「青海波」。惟盛もたいそうな美男子でしたよね。う~~~ん、考えてみれば、これも平家一門が衰亡していくときの最後の光芒として象徴的に描かれたものなんでしょうかね。
 それに、dorothyさんたちの古典講座では、その後「若菜上」あたりをお読みになっているそうですが、ここでは、光源氏の四十歳を祝賀する宴がおこなわれますよね。紫の上が主催するものでしたでしょうか。今でいうなら「喜寿」のお祝い、いや「米寿」でしょうかね。ここではつぎの若きエースたる夕霧と柏木が「落蹲」を舞いますね。
 「らくそん」落ちてうずくまる…。そのタイトルも相当気になりますが、舞いの最後の「入陵をほのかに舞ひて紅葉の蔭に入りぬ名残り」のすがたは、かつての光源氏18歳、19歳のときの輝き、「紅葉賀」の宴で舞った「青海波」を彷彿させるものがあり、まさに世代交代、いよいよ落日の時を迎えた貴公子の、なんとももの寂しい孤独が漂いますね。柏木によって若すぎる嫁の女三宮は寝取られているわけですし。〔To: dorothyさん/2008.12.10〕


 満月のように欠けるところなきモテもて男、望めばそのとおりになる驕慢な美貌の貴公子が、時の流れの果てに、完膚なきまでに凋落し、うちのめされるすがたに、モテない男の次元の低いやっかみとは知りつつ、そんなもんさね、人生無常というものよ、と意地悪く納得し、胸に落とすわが身のさもしさ。

 ですが、遠い世界のフィクションとはわかっていながら、どうも、そこにはやるせないものが滓のように残り、こころに悲しみが染み出してくる。あ~あ、老いとともに喪っていくものの数の多さよ。人生の晩秋を迎えたわが身に重なるものがあるからか。
 そんな気分のとき、朧月夜の内侍とのところを、もう一度読んでみたくなる。中年になった光源氏。いや、今でいうなら中年をすぎ、わたしと同じころか。光おとろえた彼の人生最後の花火のようにして打ち上げられた再燃の恋。その相手は、こともあろうに、自身の政敵である右大臣の娘、しかも自身の兄にあたる朱雀院が格別に愛している寵妃ときている。
 この姫君、入内する以前から源氏と通じていたようだ。どうも、自制力なく、情にもろいというか男好きというか、いい男と見ればすぐ靡いてしまうタイプの女性。プレイボーイにとっては都合よろしい女。こんな恋がうまくつづくはずもなく、背徳に沈湎して、そのうしろめたさと罪の意識を共有するだけに終わる恋。

 でもさ、よかったじゃないか、それもすばらしいロマンじゃないか。輝きはないけれど、その年齢にしてまだドキドキさせられる、うらやましいような愛。朧月夜さん、忘れがたいすてきな日々をありがとう。だってさ、葵の上、六条御息所、藤壺の宮、夕顔、そして紫の上にも先だたれてしまうんだよ、源氏は。つぎには空蝉もこの朧月夜も世を捨てて仏門に入る。源氏独りがポツンと取り残される。これ、グルンパのさびしさどころじゃないよ。父親を裏切った自分が今度は若い妻の裏切りにあう。何がおもしろくて生きているんじゃい、わたしは…!

 情熱と歓楽にふけるひとときもあれば、悲哀と喪失感にひしがれ号泣するときもある。人生の春夏秋冬の「うつろひ」。それは貴賎を問わない。良くも悪くもそれが人の一生というものか。〔2008.12.11〕


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〔7-1〕◆清少納言 VS 紫式部
     ―王朝世界のイヌ族とネコ族―

【2005.11.16】
 平成の才媛たるみなさまに問う、…あなたは清少納言派? それとも紫式部派?
遠い平安時代中期に生きたふたりの才女ですが、この機会にその生年・歿年を調べてみました。調べましたが、正確なところはわかりませんでした。諸説ありますが、それをまとめますと、清少納言は966年ごろに生まれ、1021~28年に死去しており、紫式部のほうは、970~78年に生まれ、1019年または1931年に歿したとされています。ほぼ同時代人ですが、清少納言のほうがわずかに年上だったということでしょうか。
 11月13日のわたしの「BBS」で書いたものを改めて再録、それを加筆修正しつつ、このふたりの才女をバトルリングに乗せてみました。

 >> 清少納言は、見捨てられ、わびしくなっていく中宮定子のサロンを、少しでも楽しげにしようと一人踏ん張った女性です。そのため、さがったあとは発狂し、かなりつらい最晩年だったようです。人間は豊かであれば「あわれ」を説き、わびしいからこそ「をかし」を説くのだな、と思ったものでした。〔ドロシーさん 2005.11.11〕
     ------------------------------
 そうそう、『源氏物語』が「あはれ」の文学といわれるのに対して、『枕草子』は「をかし」の文学といわれます。わびしいから「をかし」を説いたとするには、ちょっと異論を感じますが、それはあとのことにして、万華鏡のように多彩で、明るく奔放な世界を描いていますね。藤原道隆の長女に生まれ、一条天皇に入内していた中宮定子。その後宮には、選り抜かれた才媛が集まっていました。そのなかでもとび抜けた才(ざい)を発揮したのが清少納言。“香炉峯の雪”のエピソードが有名ですよね。
 というわけで、ドロシーさんはどうやら清少納言ではなく、紫式部ビイキのご様子。はい、それならディベートです。わたしは清少納言の側に立ちましょうか。

 清少納言の後宮への出仕は28歳のとき。中宮定子は17歳でした。中宮定子のおぼえめでたく、彼女はこのサロンの花形として、華やかな女房生活をし、後宮全体をまとめつつ中心的に活躍していたようです。
 隠微な嫉妬と対抗心もあって、紫式部からは「したり顔にいみじう侍りける人」と評され、好印象を与えていなかった模様。陰謀と策略の渦巻く、煩わしく複雑な当時の政治世界と対人関係のなかをじょうずに泳ぐ術を知っていた紫式部とは違い、本質的に政治性のない人。物事にあまり拘泥しない、陰湿ではない、こころに裏オモテのない、底抜けにお人よしな、気性の美しい人。高度にリアルな人生観照をもつ紫式部のような大人の知恵を持ち合わせなかった女性でした。「したり顔」なんて云われる筋合いはなく、すてきじゃないですか、こんな女性。そのきたないことば、そっくりそのまま紫式部にお返しすればよかったのに。もっとも、それをしないのが清少納言の奥ゆかしさであり自信でもあったのでしょう。

 紫式部は『源氏物語』の末摘花のモデルともされていますね。クモの巣の張る落ちぶれた宮家の姫とされ、青白い不健康な顔に赤い鼻という不美人。光源氏ともあろう人がどうしてあんなパッとしない女を…、とうわさされる女性。まあ、不美人ながら情がこまやかとされています。しかし、末摘花なら、まだしも控えめということを知っていますよね。紫女さんにはそれがない。それくらいですから、どうやらこころの底に暗いコンプレックスをもっていたようで、嫉妬深く心根がうすぎたない。タチがわるいことに、今をときめく権力の側にいるので、傲慢不遜。自分の目のとどくところに見目麗わしい、評判のいい、すぐれた女性がいると知ると、もう我慢ができない、片っ端からこきおろしていたようです。ときどきわたしたちの周囲にもいますよね、高い教養を持ちながら、カサ高く可愛げのないそんなひと。

 ひどいのにこと欠いて、和泉式部のことさえ「蓄積のないひと」とケチをつけている。「その和歌はパッと見たところはまあまあいいようだけれど、所詮は、たいした学問のないもののつくった、空っぽな歌」ですって。もう、偉そうに! 冗談じゃありません。この時代を生きていた女性のなかで和泉式部ほどモテた女性はほかにはおりません。情がこまやかで、学問の底も深く、魅力的で、上品な色香をただよわせ、このひとといっしょにいると、何かいいことがありそうな…。語るに十分足るひとですよ。「ものおもへば沢のほたるもわが身よりあくがれいづるたま(魂)かとぞおもふ」なんて歌をもらったとしたら、たいがいの男はまいっちゃうでしょうね。「黒髪のみだれもしらずうちふせば まづかきやりし人ぞこひしき」、恋の絶唱です。人間にツヤがあるというか、相手を思いやるやさしくあたたかい愛があります。天性の愛の詩人といえないでしょうか。
 天性の詩人ということでいえば、和泉式部以上にわたしが評価している女流歌人がいます。赤染衛門。長文になりましたのでその歌についてはふれませんが、なんとまあ、あきれたことに、紫式部はこの赤染衛門までくさしている! もう人格を疑うね、紫さん。

あの時代の女性たちが今の時代に生きているとして、デートするのだったら、まあ、鼻っぱしが強く根性曲がりの紫女さんじゃないですね。和泉式部か清少納言。わたしじゃあチト役不足だということはこの際別にして、うん、デートしてみたいね~。もっとも、清少納言は、時間ぎりぎりにやって来て、息せき食事をしてコーヒーを飲んで、ひとりでしゃべりたいだけしゃべって、「あっ、わたし用事思い出したわ。帰らなくっちゃ」と、さっさと帰ってしまうようなタイプ。才気ほとばしり、楽しい話題をたくさんもっていて退屈しないのですが、…ちょっとねぇ。その点、和泉式部はそうじゃない、こちらの気持ちをよくわかって、最後の最後までつきあってくれそう。いいなあ、こんなひと。抛っておけないよ、男なら。

995年4月、道隆が死亡します。その際、権力は道隆の子の伊周(これちか)には移らず、仕掛けられた策謀により、定子の叔父(道隆の弟)にあたる藤原道長に渡ります。これにともない、中宮定子も禁中を追われる身となり、苦境におちいります。
菅原道真に対する藤原時平、藤原道隆・伊周に対する藤原道長。『大鏡』で「才(ざえ)の人」の双璧とされた道真・伊周。そういう相手をうまうまと陥れた時平と道長は、表面は温雅ながら、じつは策謀に富む政略家の政敵。合理的な機略に富むタイプですね。こすっからく、権力をねらって陰に陽にいやがらせと圧迫をかけていた、わたしにはどうにもいけ好かない存在たる道長の、そのむすめ、のちの上東門院彰子に仕えたのが紫式部。百戦錬磨のすれっからしの、にくらしいほどしたたかな女、世に天才はわれ一人とでも思っているのでしょうか。その点、白痴のようにストーンと抜けたところもあって、プラス指向で、無垢な少女のように明るい清少納言て、ね、可愛いじゃないですか。

定子の兄弟たる頼みの伊周の失脚につづき、1000年、定子は出産のあと24歳であわただしく死んでしまいます。清少納言も35歳で後宮を退くことに。こののち間もなく『枕草子』は成立していますね。激動の政治的情勢のなか、この作品のもつ明るさはちょっと異様かも知れません。ですが、滑稽なものを滑稽といい、おかしいものをおかしいといっている率直さ、直截さがこのひとの味でしょう。ですから、書いているものはちっともむずかしくありません。政治の暗い影などありません。紫式部に見る大人の知恵などぜんぜん持ち合わせなかったかのようにさえ見える、そのカラリとしたこだわりのなさは、清少納言の生来のものだったかも知れませんが、池田亀鑑博士は、この随想はもともと、中宮定子の遺子である一品宮脩子(ゆうし)という内親王の姫女に捧げる中宮定子賛美の書であったとしており、そういうこともあって暗いむずかしい部分は避け、「をかし」に終始したと考えられます。

ドロシーさんが書いてくださっているように、彼女の晩年は不遇で悲惨なものでした。その落魄ぶりについては『今昔物語』や『古事談』に見られるそうですが、わたしはそれについてはよく知りません。ひとつだけ『古事談』で語られる伝説をご紹介します。
 才媛の名をほしいままにした清少納言ですが、のちには零落してみすぼらしい廃屋に住んでいました。あるとき、若い殿上人たちがひとつの車に同乗してその家の前を通りかかります。見れば、いらかは破れ、土塀は崩れ、見る影もないていたらくぶり。「少納言無下ニコソナリニケレ」(あ~あ、清少納言もさんざんだなあ)と無遠慮に話している若者たち。それを清少納言が聞いていて、破れた簾(すだれ)をかき上げると、鬼形の女法師のような顔をつきだして「駿馬の骨をば買わずやありし」(死んだ馬の骨を買った人だってあるじゃないの!)と、中国の昔ばなし、燕王の故事を持ち出して云い返したとか。ここには“香炉峯の雪は?”と問われ、御簾を高くあげて中宮を感服させた清少納言の高い教養を示すエピソードがもじられていますね。
 どうもご退屈さまでした。紫式部の側に立った反論を期待しています。


◎Dorothy 2005.11.16
すみません。私は徹頭徹尾、清少納言派です。落ちぶれていくサロンを必死に盛り立てようとして、身も心もぼろぼろになって最後には廃人同然となった彼女に、心からの敬意を表します。
けれども、紫式部の存在なくして清少納言は語れない。また、清少納言なくして紫式部は語れない。光と影、表と裏、といったようにお互いを意識したからこその平安女流文学があれほどまでのレベルに達したと感じています。
シェークスピアよりもはるか以前にあれだけの長編を書き上げた紫式部は、さすがにすばらしい才能の持ち主であることを否めません。そして、きっと、その才能を完璧に開花させるには、清少納言の存在が不可欠であったと思うのです。
紫式部の日記に、「清少納言は知ったかぶり女で、大した教養もないくせに、偉そうにしている。私だって漢詩くらいは作れるけれど、そういうのをひけらかさないから、いいのであって、あんなふうに間違いだらけの漢詩を作ったり知識を披露するのは軽薄な証拠。あんな女の行く末は、きっとひどいものでしょうよ!」とまで言い切っています。そして、悲しいことに、清少納言の行く末は、紫式部が予言したとおり、悲惨なものでした。
紫式部には、才能・作品ともに、最高度の敬意を持っていますが、清少納言派の私は、反論できません。でも、楽しいです。


◆がの 2005.11.16〔to: dorothyさん〕
>> 私は徹頭徹尾、清少納言派です。落ちぶれていくサロンを必死に盛り立てようとして、身も心もぼろぼろになって最後には廃人同然となった彼女に、心からの敬意を表します。

…エッ! えっ! …まずいじゃないですか。またわたしの早トチリでしたかね。
それでは、ところを替えてわたしが紫式部を推奨し擁護し、フレー! フレーッ! と応援する側に…? それにしては、紫式部の悪口を徹底的に書いちゃったからな~。まいったな~。ほどほどにしておけばよかったのに、ばかだねぇ。
ええ、ま、ほんとうのところは、わたしだって紫女さんのこと、そんなに嫌いっツーわけじゃないのよね。とりわけ「空蝉」を書くこの人のモラルというか、センスというか、すばらしいそのバランス感覚には冴えたものを感じますし、「玉鬘」を後半において、すけべったらしの中年男、光源氏を揶揄する感覚もいい。うん、ちょっと時間をください、しっかりこの才女のこと、考えなおしてみます。

>> シェークスピアよりもはるか以前にあれだけの長編を書き上げた紫式部は、さすがにすばらしい才能の持ち主であることを否めません。そして、きっと、その才能を完璧に開花させるには、清少納言の存在が不可欠であったと思うのです。
紫式部には、才能・作品ともに、最高度の敬意を持っていますが、清少納言派の私は、反論できません。でも、楽しいです。

そうそう、うん、そうそう。こうなりゃあ、お調子もの、日和見主義者といわれようが、この際どうでもいい。でも、才女とのデートのことを書きながら、「あっ、仕事のこと思い出した。じゃあね」と云ってさっさと帰ってしまう清少納言のイメージ、だれを想定していたかおわかりですか? そうね、やっぱりドロシーさんは清少納言派なのかな~。


◎ひまわり 2005.11.18
お久しぶりです。長らくご無沙汰しております…が、私は生きています。ところで、才女二名をめぐるバトル。う~ん、私がこのディベートに参加するにはもっともっと「お勉強」が必要なようです。でないと、「こんちきしょうな紫女さん」にも「プラス志向の清女さん」にも加担できない…です。
でも、何の手土産もなしに落書きするのは憚られますので、『平成版・冬もあけぼの』を贈ります。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『冬もあけぼの』(作:清少菜言)

  冬もあけぼの
  やうやう白くなりゆくビルぎは
  少し明りて
  灰色の雲の 細くたなびきたるは
  いふべきにもあらず
  息のいと白きも
  また さらでも
  いと寒きに火など急ぎ熾して
  バスタオルもて渡るも いとつきづきし
  昼になりても 温く緩びもていかずば
  洗濯物も乾かずして
  わろし。

朝、お布団から出るのがつらいから、寒さに気づく。
コーヒーの湯気が真っ白だから、寒さに気づく。
スーパーに鍋物コーナーができたから、寒さに気づく。
乾いた洗濯物の手触りが冷たいから、寒さに気づく。
ビールを飲む本数が減ったから、寒さに気づく。
夜、お布団が暖まるまでに時間がかかるから、寒さに気づく。
寒さとは、意外と客観的なものなんだ…、と気づく。
冬のあけぼのは、どうやら遅いようです…。
     ・・・・・・・・・・・・・
おそまつさまでした~。(菜)


◆dorothy 2005.11.18
まずは、ひまわりさんの清少菜言に拍手!

>> 玉鬘」を後半において、すけべったらしの中年男、光源氏を揶揄する感覚もいい。

確かに。思いっきり持ち上げておいて、ちょっとからかうそのセンスは面白いです。作家としての紫式部はすごいと思うけれど、優位に立ったのを嵩にきて、見るも無残に弱体化していく定子サロンと清少納言をからかうのは、ちょっと・・・。

>> 才女とのデートのことを書きながら、「あっ、仕事のこと思い出した。じゃあね」と云ってさっさと帰ってしまう清少納言のイメージ、だれを想定していたかおわかりですか? そうね、やっぱりドロシーさんは清少納言派なのかな~。

苫屋に住んで、外を通る人に大音声で怒鳴り散らす姿・・・。こちらを想像されていませんか?


◆がの 2005.11.19 〔to: ひまわりさん〕
>> 久しぶりです。長らくご無沙汰しております…が、私は生きています。

“バー騒動”以来のご無沙汰になりましたか。野垂れ死にしていなくてよかった! ほんと。深夜族の清少菜言としては、明け初めたばかりの早暁の都会の風を捉えるには、さぞかしご苦労があったことでしょうか。だいじょうぶですか、ちゃんと目は開いていますか。
空気は冷え、お布団からなかなか身を抜きがたいとはいえ、ほら、やめなされ、はしたない、いつまでもバスタオルをあたまからかぶったまま、遠い立山連峰を思って、うつらうつらとしているのは。
いちばん最初の透きとおった太陽光が山の雪に反射して田園を冴え冴えとした明かりで浸す瞬間。その昔なら、牛乳びんのぶつかりあう音、新聞配達の乗る自転車のキキーッというブレーキの音、小鳥たちの恋歌、納豆売りの声を夢のなかで聞きながら目ざめるころか。さて、これからひまわりさんの再び行こうというドイツの朝には、どんな音がしていることか。
ところで、あの後宮の女房たちもお洗濯くらいはしたのかねぇ。そろそろ乾いたかな、なんて手と手のあいだにはさんで乾きぐあいをたしかめたりしたのでしょうか。そういうのは下賎のもののやること? いい歌を詠み、男のおとずれを待ち、いい世継ぎをつくるだけが人生、という生き方と、寒い朝、早起きして洗濯をする生き方と、もうひとつは、生涯これ勉学という黄色い夏の花の生き方と…。

『平成版・冬もあけぼの』、贈られました。ありがとうございます。寒さが客観的だとする感覚、う~ん、ちょっと実感がつかめない。ゆっくり考えてみようかな。申し訳ない、ただいまお出かけの準備中。久々の海外(ハワイへ息子の結婚式に)で、いまは落ち着いてものを考えることができません。帰ってきたら、……浦島太郎さんよろしく、もうすっかり忘れているかナ。


◆がの 2005.11.19
>> 確かに。思いっきり持ち上げておいて、ちょっとからかうそのセンスは面白いです。作家としての紫式部はすごいと思うけれど、優位に立ったのを嵩にきて、見るも無残に弱体化していく定子サロンと清少納言をからかうのは、ちょっと…。

はいはい。でも、もうわたしは紫女の悪口はいわないもんね。あれだけ悪口雑言を吐き散らしてしまったので、しばらく立ち上がれないでいます。こんどはコテンパンに清女をやっつけなけりゃ! お調子に乗りすぎたな~。いくつになったらこの軽率さ、あわてんぼから卒業できるのやら。恥ずかしくってまともにはひとと顔を向き合わすことができないですよ、たくっ! ……というわけで、期間限定で上の写真を。明日からしばらく雲隠れします。南の島でこころをほかほかと温め、生まれかわって恥を忘れて帰ってきますので、その間だけ。

>> 苫屋に住んで、外を通る人に大音声で怒鳴り散らす姿…。こちらを想像されていませんか?

安達が原の苫屋にすむ妖女? そんな失礼な想像はしませんよ、いくらタカ、いやタチがわるいからといっても。小舟の底で菰をかぶって、一本抜けたいい気な客を待つ、night falcon は想像しますけど。…相変わらず下品だね、わたしって。
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