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0705
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〔/牛をめぐる故事・ことわざ集〕


◎8-1 ウッシッシ! 牛が導く うまし世や… 
    -牛をめぐる故事・ことわざ集-
     
 ☆ことわざに牽かれて動く人の世

小夜:ふだんあまりテレビを見ないおとうさんが、このごろよく見ておいでですね。
がの:ハッハッハ…。小夜ちゃんも早百合ちゃんも学校へ行ってしまったあと、年寄りふたりだけで向かい合って食事をしていても、ちっともおもしろくないじゃないですか。
小夜:小夜や早百合ちゃんにはいつもいろいろなおはなししてくれるのに…。
がの:これまでの小型アナログテレビが故障、仕方なく地上デジタル放送対応の薄型テレビを年末に買いました。37インチの液晶大画面、これまでのに比べて、やはりきれいです。
小夜:朝のNHK連続テレビドラマ「だんだん」を欠かさず見ておいでとか。
がの:欠かさず、ということはないのですが、だいたいおとうさんが朝食を摂る時間ですので。
小夜:イントロの歌に「袖振りあうも他生の縁…」なんて、古いことわざが入っていますね。小夜は、あれ、気に入ってるの。
がの:わたしたちの毎日の暮らしのなかに、そうしたことわざがいっぱい入っていること、だれも意識しませんけれど、そのことばに導かれながら人は日々動いているような気がします。
小夜:「七転び八起き」とか、「憎まれっ子、世にはばかる」とか、う~んと、「猿も木から落ちる」「猫に小判」「馬子にも衣装」「豚に真珠」とか…。
がの:猿や猫や馬や豚。それぞれの特性をうまく捉えてゆたかなことばにしていますね。むかしの人びとのすばらしい智恵です。
小夜:日本だけでなく、世界じゅうでその種の寓話がつくられてきました。キツネですと、賢いけれどズルい、とか、オオカミはいつも腹を空かしてガツガツしていて怖いとか、アリは働きものだけれどキリギリスは享楽的な刹那主義者だとか…。おサルはどうでしょうか。ちょっと軽薄なお調子ものとされていることが多いでしょうか。イソップのおはなしが代表的。小野かおる先生が紹介してくださったゲーテの「ライネケ狐」に出てくる動物たちも、それぞれの特性を個性的に与えられて物語をつくっていますね。

がの:ところで、今年は干支でいうと、何どしでしたか。
小夜:牛(丑)どしでしょ。年賀状にいっぱい牛の絵を見ました。
がの:牛の特性といったら、どんなことかなあ。
小夜:あのね、まず動きがのろいこと。ボーッとしていてにぶいこと。精悍な馬と比べられることが多いので。
がの:何かの会合でさいしょにやられる挨拶がやたらに長いとき、「牛の涎(よだれ)のよう」なんて言って、しかめっツラでこそこそ陰口を言う人がいますね。長たらしいことのたとえ。
小夜:(クック…、おとうさんのおはなし)
がの:なんですか、ひとりで笑ったりして。
小夜:いえいえ、何でもありません。
がの:牛にまつわることわざ、といったら、ほかにどんなのがありますか。
小夜:「鶏口となるも牛後となるなかれ」。大きな会社に就職して末端の小さな単純作業を繰り返しているよりも、小さな会社でもいいから、自由な発想を生かして力量が発揮でき、こつこつとやり甲斐のある仕事にうちこみ、ゆくゆくはそこの社長さんになって思いっきり自分のやりたい仕事をやる人生のほうが、結局のところ、ゆたかだ、といったことでしょうか。
がの:そんな意味でしょうね。もとは中国の春秋戦国時代に生まれたことばです。六つの国があって覇を競いあっていました。当時最強とされたのが秦という国。それぞれの国の王様にとってどこの国とむすんでその臣下になるのがいちばん有利か、大国の秦につくべきかどうか…。そんなときにある賢い人が言ったとされるのが「力ある安全な牛の後ろに身をちぢめているくらいなら、鶏の口のように他に率先して活発に動きまわる自由のほうが、男らしい生き方じゃないだろうか」といったことば。ここでは、牛はノロマでもないし、だらしない涎(よだれ)も垂らしていない。では、「牛耳る」ということば、小夜ちゃん、知っていますか。
小夜:よく耳にしますね。ある組織の会合などで、特定の人がその場を仕切ってしまうこと。いろいろな意見を強引にひとつの方向に固め、結論づけてしまうようなこと。いろいろな意見を無視して、自分の利益誘導のためにほかのみんなを有無を言わせず動かしてしまうこと。
がの:少数意見が大事にされないどこかの国の政治みたい。いいや、政治だけでなく、このごろは、他のひとにはまったく関心なく、自分の利便、自分の快適さしか考えない、“さもしい”人が多いのよね、どこの社会でも。
小夜:あら、この「牛耳る」も、もしかして、もともとは違う意味だったのですか。
がの:違う意味というほどではありませんけれど、もとは「牛耳を執る」という使われ方をしていたんですね。会議などのとき、そのグループのトップとか指導者になること、団体などの支配的な地位につくことを言ったもの。いわばリーダーシップをとることであって、そんなに陰険な意味、恣意的な意味はなかったはずなの。さてさて、それでは「牛に引かれて善光寺参り」というのは、ご存知でしたか?

 ☆牛に引かれて善光寺参り

小夜:善光寺といったら、長野の善光寺さんのことですか?
がの:そうですよ。ラボランドに行ったついでに立ち寄ったことがあるじゃないですか。戒壇めぐりが怖かった、と青い顔をしてましたね。
小夜:むかし、あるやんごとなきお方が、麗々しく飾った牛車に乗って善光寺さんへお参りに行きました…。
がの:そんなんじゃありませんよ。これには古くから伝わる故事があるんですって。詳しいことは、善光寺さんの近くにお住まいの「どらみ」さんにお尋ねするといいのですけど…。
小夜:仏教の信仰と関係があるのでしょうか。
がの:どらみさんがどう説明してくれるかはわかりませんけれど、だいたいはこんな話です。信濃の国に、あるおばあさんが住んでいました(信濃の国のどこかなぁ)。で、そのおばあさん、ひどく意地悪で欲が深く、不親切な人でした。ある日のこと、お洗濯して干しておいた白い布を、隣りに飼われていた牛が角にひっかけたまま、走りだしました。走るは走るは…。牛の動きがノロくさいなんて、とんでもありません。早いの早くないの! 大事な白い布を牛ごときに奪われてたまるかと、髪振り乱し、着物のすそ乱して“韋駄天走り”で後を追うおばあさん。心臓はたちまちバクバク、それでも欲が深いので必死です。走りに走ってとうとう到着したのが善光寺さんだったというわけ。そして、ハッと気がつきます、ひょっとするとあの牛はただものじゃないぞ、観音様の化身だったのかも知れない、と。タチのよくなかった老婆にもさすがに信心が湧きおこり、その後は心を入れ替えて、ひとにはやさしく親切にして暮らし、最後はみごと極楽往生をとげたというおはなし。
小夜:おもしろいおはなし、仏教説話の典型みたいですね。でも、いまどきのひとはそのことばをそんな意味で使ってはいないんじゃありませんか。
がの:そうですね。人に誘われるままついて行ったら、思いも寄らないところへ連れて行かれた、といったようなケースかな。新宿・歌舞伎町で「社長さ~ん」なんて声をかけられて、いい気になってついていったところが! …そんな、だまされて連れて行かれた、というに近いのかな、ハッハ。
小夜:とつぜんですが、おとうさんにクイズです。「牛の角もじ」と言ったら、なんのことでしょうか?
がの:そのナゾ、だれに教わりましたか。
小夜:どうしてですか、万智子先生からですけれど。
がの:なるほど。さすがは万智子先生。
小夜:どうしてですか。
がの:それはね、兼好法師の書いた「徒然草」に出てくるんです(第六十二段)。答えはひらがなの「い」の字のこと。牛の角を見ると、そんな形をしていなくもないでしょ。延政門院という後嵯峨天皇の皇女の歌で、全体はもっと複雑なナゾになっているんですよ。

    「ふたつ文字 牛の角文字 すぐな文字 ゆがみ文字とぞ 君はおぼゆる」

まず、「ふたつ文字」とは「こ」です。「牛の角文字」はさっき言いましたとおり「い」です。一説には「ひ」だとも言われます。「す(直)ぐな文字」とは「し」、ゆがみ文字とは「く」。ね、つまり、あなたさまのことを「恋しく」思っております、という恋歌です。
小夜:まっ! そんなまだるっこい言い方をしなくてもいいじゃないですか。
がの:だって、むかしはそれが教養ある人のたしなみであり、恋の流儀だったんですもの。もうひとつ、ご披露しましょうか。

    「憂しき世を うしろにおきて潮(うしお)見む 有心(うしん)めでたく 喪(うしな)ふぞなき」

小夜:なんですか、それ。意味、わか~んない。兼好法師の作ですか。
がの:フッフッフ。知らないのか、この世界の名歌を! ……な~んちゃって。じつはおとうさんのいたずら。さて、いまの歌(?)にいくつ「うし」が詠みこまれていたでしょうか?

 ☆世界じゅうの寓話に語られる聖「牛」

小夜:ひどい! 小学生の小夜をだましたりしたらいけないでしょう。四つか五つ、歌い込まれていたでしょうか。問題の多い社会ですが、それはそれとして、広々とした海原を見て、せめて詩ごころをうしなうことなく大事にもちつづけていきたい…。
がの:どうもありがとう、じょうずな注釈をつけてくれて。ところで、「徒然草」には、ほかにも牛にまつわる記述がたくさんあります。人に角をむけるような牛はその角を切ってしまえ、人を噛むくせのある馬はその耳を切ってシルシとすべし、とか。
小夜:ギリシア神話に登場してくる牛もいますよ。テセウスとアリアドネのおはなしでは、いけにえにささげられた人を食う牛の怪物。ミノタウロスというクレタの迷宮(ラビュリントス)にすむとんでもなく凶暴な牛。また、月のように美しい娘、エウロペを背中に乗せてエーゲの海を泳ぎクレタ島まで連れ去った白い牛、じつはゼウスが変身したとされる牛のおはなしなど。
がの:エジプトの神話にも聖牛として出てきます。どちらかというと愚鈍な存在で、そんなにきわだった特性のない動物ですけれど、世界のどこにでも牛のおはなしはありますね。「牛歩」とは、ネガティブな意味だけでなく、足元確かな着実さをいうことでもあります。さっ、きりがありませんから、日本のことわざをもう少しみて、この話題はモ~、おしまいにしましょう。ほかにどんな日本のことわざを知っていますか。
小夜:「牛飲馬食」メタボのもと、とか。「九牛の一毛」、こちらの意味は、「大海の一滴」や「大倉の一粟」と同じでしょうかね。
がの:「商売は牛の涎(よだれ)」…商売というものは一挙に利益を得ようとすべきではない。気長に、しかも飽きずにやりなさい、という教え。
「角を矯(た)めて牛を殺す」…小さなキズを治すことばかりに気をとられて、かえって元も子もなくして大損を招くことのたとえ。
「女賢(さか)しくて牛売り損なう」…思慮のあまり、慎重になりすぎてチャンスを失うこと。中途半端によく出来すぎる女は、かえってことを失敗に導きやすい。さしずめ小夜ちゃんなんか、こころすべきだね。
「牛を馬に乗り換える」…劣っているものを棄てて、より優れたものを選び取ること(その逆の言い方もある)。アメリカ新大統領の「チェ~ンジ!」といったところ。
「牛は牛づれ、馬は馬づれ」…やはり人どうしのまじわりでは、似たものどうしの行動がいい。朱に交わったものどうしの気楽な関係。
「牛に向かって琴を弾く」…愚かな人にいくら道理を説いてもついに理解されることはなく、むだなことだ。
小夜:それ、「馬の耳に念仏」と同じね。それから、よくおとうさんがぶつぶつ独り言を言うじゃないですか、「どうせわたしゃ、暗闇の牛よ、おお、それでけっこう」と。生涯、ひっそりと欲なく生き、目立つような存在ではないけれど、それでも闇夜の奥にしっかり存在していたい、と。
がの:あっ、それは内緒でしょ! そんなこと、みなさんのまえで言ってはいけないじゃないですか。それに、なるほど「梲(うだつ)のあがらぬ」わたしではありますが、突然チャンスを得て「闇夜の提灯」に転身しないでもない。アッと言う間に流行歌手になって脚光を浴び、みんなを“ギュー”と言わせたり、ノーベル賞財団から「おめでとう」なんて受賞のお知らせが来たり…。
小夜:ないない、そんなこと。やはりこれは、見つけないテレビを見るようになった人特有のモ~ソ~(妄想)でしょうか。〔2009.01.20〕


【BBS 2009.01.23 To: dorothyさん】
牛にまつわる故事・ことわざに思いをめぐらしているとき、あれっ!? と気づいたこと。文化的にはわが国の兄貴分である中国には、「馬耳東風」「死馬の骨を買う」「下馬評」などなど、馬はいっぱい登場するのに、牛は闇の奥に押しやられたまま、あまり出てこないような気がしませんか。いやいや、ここ10日ほど風邪の熱に悩まされ、まだ病いから抜けられず「暗がりから引き出された牛」のようにボー~~ッとしているせいかも知れませんし、すっかり日本のことばになってしまった「牛ばなし」も、じつは中国の故事からのものがほとんどではありますが。

そんななか、ふと思いついた中国の故事、わたしの大好きなことばがあります。「舐犢(しとく)の愛」。「犢(とく)」とは子牛のことですね。古いフォークソングに“donna donna”というのがありましたよね。♪ある晴れた昼下がり…、あれ。あの歌といっしょに思い出すことばですが、母牛が生まれて間もない子牛を舐(な)めまわすさまは、わが子に傾ける親の愛のきわみの深さと言えないでしょうか。

 「犢(こうし)」でもうひとつ思いつくのは、「黒牛白犢を生ず」という「列子」に出てくることば。これはほとんど「禍福は糾(あざな)える縄の如し」とか「塞翁が馬」と同じ意味。孔子の教えのひとつとされています。ある農夫のところの黒牛が白い牛を生みました。孔子に尋ねると、これはなかなかよい兆候じゃ、と言われる。しかしそのあとまもなく、農夫は目を患い、盲目になります。そのことをまた孔子に言うと、いやいや、それこそ吉祥というものじゃ、と。で、そのあとすぐ、今度は息子が盲目になります。不幸がかさなり、不信の思いで怒っているとき、戦争が勃発します。男という男は戦場に駆り出され、揚句に戦死します。ですがこの父子は盲目のために赤紙の徴収令状から免れ、終戦のあとではパッチリ目が見えるようになった、というめでたい話。

 ついでにもうひとつ。「呉牛月に喘ぐ」という故事。呉という国は南のほうにあり、夏はたいへんな暑さだったようで、だれもがその暑さに苦しめられました。牛もいっしょで、昼間の暑さにほとほとうんざりした牛が、日が落ちて涼しくなったあとも、出て来た月を見て太陽と思い違いをしてハアハア喘いだ、という愉快なはなし。別なことばで「杞憂」がそれでしょうか。要らぬ取りこし苦労をすることの譬え。

 他愛もないことを書いてきました。とにかく、わたしたちのことばはじつにニュアンスに富んでいることを思います。ほかのどんな国のことばよりも。大事にしなければ、と思う。
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