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0705
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〔3〕哀悼 木下順二氏/渡辺茂男氏

10月30日、木下順二氏が他界いたしました。1か月を経た11月30日に新聞紙上で知るところとなりました。
『平知盛』の版権交渉のため、わたしと前社長の鈴木氏とで本郷・向丘のご自宅にうかがったことがありました。家は浅茅が宿といった雰囲気で草ぼうぼう、応接間の壁面の本棚には馬に関する本がぎっしり並んでいた…、というようなことをかつて書いたことがありました(物語寸景<1>「平知盛」に転記)。着物を着ておられたと思いますが、どこを切り取っても「誠実」という印象で、落ち着いたそのたたづまいにハッとさせられたものです。そのとき2時間半ほどいろいろおはなししたはずですが、内容はほとんど記憶にありません。ことばは少なく、ニコリともしない表情ながら、どこか底のところにやさしいものがある、信頼のできる人格、知性に磨かれた品格というものを感じさせる人でした。本づくりにあたっては国宝級の屏風絵でやってみたい、というわたしのプランにおおいに賛同してもらったことをよく覚えております。ですが、そうは云ってしまったものの、それを実現するのは簡単なことではなく、さまざまな方面に必死であたったすえ、下関の赤間神宮が使わせてくれると決まったときのうれしかったこと! 下関市内の花井パーティのみなさんといっしょに赤間神宮を訪ねたことを思い出します。
 
おなじ10月30日には、中国文学者で漢字研究の第一人者の白川静先生も亡くなっておられますね。日本古典歌謡の方面にも詳しく、わたし自身はその分野で勉強させてもらいました。『字訓』『字通』といった貴重な大辞典をつくった人でもありました。

ラボの人びとに忘れてほしくないのは、渡辺茂男さん。児童文学者・児童文学翻訳家のこの人が11月18日に亡くなっています。ラボ・ライブラリーでは、『しょうぼうじどうしゃじぷた』と『どろんこハリー』(ジオン)があまりにも有名。この人と接触のあった者も、ラボにはもうおりません。わたしも直接にはお目にかかっておりませんが、上司だった定村忠士さんから折々、この人がニューヨーク公共図書館児童部につとめていたころのことを聞かせてもらいました。残念ながら、その内容についてはほとんど記憶がありません。松岡享子さんにお会いした折、「子ども図書館」を立ち上げるについて、渡辺さんには瀬田貞二先生とともにいろいろお力添えをいただいた、というようなことを聞いたようにも。そういえば、松岡さんは慶応義塾大学の図書館学科の卒業ですから、聞き損ねましたが、そこで講座をもっておられた渡辺茂男さんとどこかで接点があったのかもしれませんね。
「とらっくとらっくとらっく」「月夜のじどうしゃ」「ぼくパトカーにのったんだ」「くるまはいくつ?」「しょうぼうていしゅつどう」「もくたんじどうしゃもくべえ」「ふたごのでんしゃ」などの幼児向け乗り物絵本は、幼い子、とくに男の子を夢中にさせました。みなさんも子どもさんに何度も語って聞かせたのではないでしょうか。『寺町三丁目十一番地』もよく読まれている本。それに『エルマーのぼうけん』シリーズ(ガーネット)、『おさるのジョージ』シリーズ(M & H.A.レイ)、『くるみわり人形』(ホフマン)、『オズの魔法つかい』(バウム) 、『かもさんおとおり』(R.マックロスキー)など、すぐれた海外の絵本を紹介・翻訳してくれ、子どものこころの世界を世界のすばらしい名作で飾ってくれています。
こうした失われた才能、惜しんでも惜しみきれぬ多くの才能に、こころより哀悼のまことをささげたく思います。
〔To:Hiromi~さん 2006.11.30〕

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〔2〕小林虎三郎

 テレビのドラマをよくご覧になりますか? わたしが見るといえばNHKのものくらいなのですが,アレッ,わたしの理解が間違っていたのかな,と疑うことがよくある。つい最近の例では,新しい大河ドラマ「新撰組」(「新選組」となっていたとすれば,間違いだと思います)のペリーの黒船来航のシーン。同じ疑問を持ち,あれは間違いだと指摘する新聞の投書を見て,ああ,やっぱり…,と思った次第。
 ここは,日本が開国へ向けていちばん生みの苦しみを経験するところで,関心は高く,歴史的にはかなり明らかにされている部分。佐久間象山が近藤勇や坂本竜馬をともなって黒船を見に行くなんて,信用できる歴史書ではどこにも書いてない。象山が取るものも取りあえず久里浜に駈けつけたとき,そこにいっしょにいたのは門下の一人,小林虎三郎だけだったはず。同じ門下の吉田松陰は,長州の藩邸のほうに詰めていてそこに居合わせず,1日遅れてしまったことを地面を敲いて口惜しがったというのが定説。
 大衆向けの歴史ドラマとなると,そんな史実などどうでもいいのだろうか。残された肖像を見ても近藤勇は香取慎吾ほどにはハンサムじゃないし,石坂浩二の佐久間象山のイメージもだいぶ違う。おみつさんて,あんな美人だった? あれほどサバケたおきゃんだった? まあ,そのへんは若い世代に受ける必要もあるし,視聴率競争もある。そうした事情もわからないではない。だけど,間違いをそのまま鵜呑みにしておいていいのかなぁ,そんなことどうでもいいのかなぁ,とのこだわりがちょっぴり残る。とくに,NHKの三文字に対する人びとの信用は大きいですからねぇ。新撰組といえば,江戸時代の末期,日本が近代化へ大きく動いていくとき,江戸幕府の用心棒・殺し屋として尊皇攘夷派・倒幕派を弾圧した物騒な武力組織。すぐれた先進的な頭脳を抹殺して日本の開明の足を引っ張った存在。それがドラマとなると,美化され骨抜きにされる。このあとどう展開されていくのかは知らないが…。
   
 小泉首相がご都合主義よろしく「米百俵」のことを挙げたことからとみに知られるようになったのが,この旧長岡藩士・小林虎三郎。佐久間象山門下のすぐれた学識の徒で,吉田松陰(幼名・寅次郎)と並び「二虎」(にこ)と称された人物。じつは,この文庫本の解説で山本有三はこの人のお墓が谷中にあると書いているものですから,昨年の夏から秋にかけてあの手この手を尽くして探しまわったンです。なかなかわからなかったのですが,10月14日,ついに解明しました! 小林虎三郎はたしかに明治10年8月,根津に近い谷中天眼寺に埋葬されたが,血統が絶えたのにともない,昭和34年8月,小林家の菩提寺である長岡市千手町の興国寺に移葬されたという。民権運動家として時代の激流のなかで生き,死んでいった弟の雄七郎の遺骨とともに。
 小林家は代々長岡藩主の牧野家に仕えた家で,虎三郎の父又兵衛は越後の町奉行をつとめた人。ペリー艦隊が二度目に来航,江戸幕府はいよいよ策きわまって,国を開くかどうかで上を下への大騒ぎ。そんなとき,虎三郎は象山の意を帯して時の出頭家老阿部伊勢守に会い,下田を開くくらいなら横浜を開くほうが賢明との意見を具申する。20歳かそこらの一介の書生っぽの分際で一国の大事をさかしらに論じるとは何事かと,大老の逆鱗にふれ,江戸払い,国もとでの蟄居を命ぜられる。身体は腺病質ながら,もともと有能な人物,国もとに帰ってその才腕をおおいに奮い,藩の大参事(老中のような役目か)をつとめる。「米百俵」のドラマはここから始まる。
時は幕末から明治ご一新成ったばかりのころ。戊辰の乱で薩長の官軍と戦って長岡城の戦い(1868)で敗れ,藩は焦土と化した。維新政府に逆らったかどでこの藩の禄高は7万4千石から一挙に2万4千石,3分の1に落とされた。戦いで田畑は荒廃したうえに不作がつづく。この困窮を見かねて,もと長岡藩にあって分かれた支藩の三根山藩が百俵の米を贈ってくれる。しかし小林虎三郎はこれを藩民に配ることをせず,売ろうという。売った金で学校を建てるのだと。その日その日の食い扶持に苦しんでいた士族たちは,それを聞いていきり立つ。学校を建ててわれわれの空腹が満たせるか,即刻その米を分配せよと,病臥する小林の枕もとに凄まじい剣幕で押しかけ,刀剣や槍を突き立ててきびしく迫る。
小林はそんな脅しにはビクともせず,布団から半身起こして,こんなときこそ人材を養うことが急務だ,と信念を枉げない。せっかくの好意でもらった米,これを藩民で等しく分けたとして一人あたり4合か5合,1日か2日で食べ尽くしてしまうことになろう。食べてしまったあとに何が残るか。それが三根山藩の好意に応えることなのか。きょう,あしたの自分のことばかり考えていて,荒廃したこの藩の立て直しができるか,いつまでここを焼け野原にしておくつもりか,孫子の代まで同じこの苦しさを残そうというのか。二度とふたたびこの困窮で泣かないようにするには,いまのこの空腹はみんなの知恵でどうにかして耐えて,次の時代をつくる子どもたちにしっかりとした教育を施そう,人を育てることこそ肝心なのだ,と刀や槍の林立する前で士族たちに説く。先覚者の無私な見識,すさまじいばかりの気骨に感動を覚える。

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〔1〕申についてのもうひとつの考察


「ウの眼」の〔1〕,見ていただけました? サルのこと書いたんだけど。
 なんでだろ~,なんでだろ,と思うわけですよ。だって,カニの「甲」羅のてっぺんを突き抜けるとサル(申)になる,ってわけでしょ。これ,意味わかりますぅ? あるいは「甲」は甲乙丙の「甲」で,いっちばん上等ってわけですよね。いちばん上等をもっと上に突き抜けるってことは,これ,どういうこと? 猿族ってそんなに上等かよ~。なんでだろ~,なんでだろ。
 そして「申す」というときはモウで,それなら牛のことかと思えば,これ,サルだって。わっかんねぇな。
 それならまた,理由の「由」と関係あるのかと思えば,理由とかワケっつう意味のほかに,ひこばえネ,ほら,木の切り株からまた出た芽のことだ,ともいう。ひこばえの下にもう一本の根がはえたからって,これ,どうしてサルなの? なんでだろ~,なんでだろ。おれ,わっかんねぇ。


◆サルには赤い着物がよく似合う?


「赤」は古来サンスクリット語の「閼伽」(あか)につながるものであって、水に深いつながりがあるものとされています。色彩についていうなら「紅」(くれない、呉藍)といったのだそうです。萬葉集にあらわれた「紅」には、

春の苑 紅にほふ桃の花 下照る道に出でたつをとめ(4137)

紅のころもにほはし 辟田(さきた)川たゆることなし 吾れかへり見む(4157)

などが見られる。ところで、今年は申年。昔はその元日には男は赤いふんどしをしめ、女は赤い腰巻を巻くのが習わしだったとか。それは、年をとったとき尿もれの阻喪(失禁)をしないように、との願いをこめてそうしたのだとか。尿、そういえばこれも水のたぐいですかねぇ。
 それは、まんざらウソや冗談ではないみたいですよ。9月11日の朝日新聞の投書欄で、横浜の35歳の主婦という人が書いているのですが、申年の申日に郷里の両親に下着のセットを送ったという。申日というのは今年でいうと、近いところでは8月21日と9月2日などだそうですが、全国各地の言い伝えで、病気が「去る」、シモの世話にならないということらしいです(下着メーカーの広告によると)。そういえば、男子用の下着を「さるまた」といいませんでしたか。

 ついでにもうひとつ。サルに赤いものを着せることを古来やってきているそうですね。それはサル‐馬‐河童の三すくみに関連していて、昔、農耕馬を田畑で働かせ、仕事の終わりに汗をふいてやるため川にいれて全身をこすってやった、そんなとき河童がよく出てきて、馬のお尻(メスですかね)からもぐりこみ、殺してしまうことが多かった、そんなとき河童を追い払い馬を守ってやる役割をサルがつとめていたのだとか。これも川、水に関係があるというわけ。(2004.9.11)
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