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0705
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【くらやみの谷の小人たち/キノコの町/光の消えた日/木かげの家の小人たち/「義経記」と「平知盛」/龍の子太郎】



◆2-6「くらやみの谷の小人たち」いぬいとみこ

PWMせんせいとお約束していた「くらやみの谷の小人たち」(いぬいとみこ作)もずっと前に読んだのですが、まとめることができませんでした。ごめんなさい。
長いなが~いおはなしですし、はっきり云いますと、小夜は前作の「木かげの家の小人たち」のほうがずっと好きです。
ひとつには、せっかくゆりちゃんと仲良しになれたのに、こちらではもうお母さん。ケースワーカーという社会福祉のお仕事をしているようです。アイリスがあんなに会いたがっているのに、ちっとも登場してきません。そのかわりに登場するのが、ゆりちゃんの子どものさゆりちゃんとみちちゃん。それに、信お兄さんの子どもの純くん。登場するといっても、あまり大きな役割はなく、印象は薄いですね~。ハトの弥平さんは、最後には“いのちの水”で復活しますが、ほとんど死んだ状態で、孫バトの与平が伝令役をつとめています。
ストーリィは戦後の人びとの暮らしというよりは、環境をめぐる争い。黒姫の地震(ない)の滝の滝つぼの下に埋もれている“いのちの水”を、白樺林につづく地下道へ導き、“くらやみの谷”へ流そうとするものたちと、そうはさせじと、“くらやみの谷”を永久に死の国のままにしておこうとするものたちの、長いなが~い抗争ですよね。
前者の側にいるのが、ロビン、アイリス、モモンガー、アマネジャキ、ヤマビコ、キノコといった小人と、花の小人たち。“くらやみの谷”の住人たちです。たくさんの花の小人たちも出てきますよね。ミズバショウ、フキノトウ、スミレ、リンドウ、カタクリ、ウツギ…。みんな黒姫でよく見られるお花たち。
これに敵対する後者の側にいるのが、大スギ、カラマツ、モミノキといった心のねじれた古い木の精どもや、ザリガニ、ムカデ、それに山父というヒヒによく似た妙な存在など。こちらは毒気のある“死の川の水”で生命力を養っているといいます。その“死の川の水”が流れこんで、黒い沼では、ウナギや赤い甲羅のカニたちが大量死しているんですね。
命がけのきびしい戦いがくり返されますが、ふたつの勢力の前面に立って戦っているのは、小人たちの側にいるのが大ガニ。地震の滝に棲みついた青い甲羅の年寄りのカニですね。木の精たちの側の主戦力となっているのは、斑尾山の大ガマ。
最後は大ガニが勝って戦いは終わり、くらやみの谷はほの明るい花園に変わります。
野尻湖のナウマン象、オオツノシカのことも出てきますが、ストーリィにどう結びつくのか、小夜にはよくわかりませんでした。
前作から小人のいのちをやしなっていた“空いろのコップ”ですが、それがパチリと割れて、そのカケラでケガをすると、ハトと会話ができるようになり、夜でも色がはっきり見えるというふしぎ。
それに女の子の小人アイリス。この子はずっとずう~~っと、だれとも口をきかず、ひたすらクモの糸でリボンを編んでいます。世界じゅうから殺し合いがなくなるように、ほんとうの平和が来るように、と祈りながら。
この長いリボンが小人たちの活躍する場面でたびたび役に立ちますよね。こんなエピソード、小夜は好きです。でも、小夜はゆりちゃんのやさしいこころが好きなので、「木かげの家の小人たち」のほうが、いいわ。どうですか、PWMせんせいは。〔2005.10.27〕


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◆2-5「キノコの町」いぬいとみこ
  ――エコライフと薬物汚染……未来世界“キノコの町”でどう生きる?

EM菌。自然にあるものをまた自然にかえす触媒ということでしょうか。さとみさんが書いておられ、わたしはそれをはじめて知りました。ひとつの可能性なのかも知れません。EMとは何の略称なのかも知らないのですが。
また、ちらとこのひろば@を見回しますと、合成洗剤を使わないお洗濯の方法が紹介されたり、ドロシーさんのところでは農薬を使わない有機農法による稲作について語られるなど、エコライフへの意識の昂まりが感じられます。
農薬によって奇形児が生まれたというニュースは、さすがにこのごろ聞かなくなりました。それでも、野菜や果物をつくっている農家の人、とくに高齢の人のなかに、手の指先が血行を損なって黒ずみ、奇妙に曲がっているのを多く見かけます。農薬のせいだそうです。野菜にしても果物にしても、最近では稲作でさえ農薬漬けです。おびただしい量の除草剤が撒かれます。このごろようやくアスベストによる健康被害が問題になり、対策が考えられるようになっていますが、人間の健康を損ねるのはアスベストだけではありません。
いまわたしたちが食べているもの、飲んでいるものには、ほとんど例外なく、防腐剤、抗酸化剤、添加物、着色料が入っています。これを気にかけていたら生きていけないような状態にあります。大量生産されていくその作業現場を見たらいいでしょう。そういうものがぼんぼん放り込まれています。それがからだにいいはずがありません。もののなかった時代に育ってきたわたしたちはともかく、小さいころからこうしたものばかりをからだに蓄積しつつ育っていくいまのコンビニ世代の人、これからの人たちに、こうしたものがどんな作用を及ぼしていくのか、怖いのであまり深く突っ込んでは予測する気になれません。
いぬい・とみこさんの短篇童話「キノコの町」が思い起こされます。地上をくまなくネズミ色の菌がおおい、クラゲのようなキノコがはびこって、人は絶え、鳥もけものもいなくなって、水の底の大ナマズと地中深くにすむモグラだけが機嫌よくはしゃいで跋扈する町に。
核によってか、こうした重宝な食料によってか、どちらが早く、人間を壊し、地球を死滅させるのでしょうか。
愛・地球博。100年後、200年後の本当の地球があそこで見えましたか。押すな押すなでつめかけた2,200万の人びとは、あの野心と欲望のうずまく人工空間で、どんな夢に誘われ、地球のどんな未来を見せられたのでしょうか。モリゾウたちの帰っていく森はどこにあるのでしょうか。低迷ぎみの中部地域の経済活性化にはなったようですが、いまさえ楽しけりゃいい、つかの間でも幸せな夢がここにある、という無邪気な気分にわたしはなれないものですから、みなさんがいい気持ちでいるところをあえてまぜっ返して…。切り枝に咲く花、いっときだけの華やぎを見せて、たちまち萎えていく花。そういうものってだめなんじゃないかと。(2005.10.03)

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◆2-4「光の消えた日」いぬい・とみこ
  ――8月6日、夾竹桃のうえを走った閃光を追って

〔To: スミティさん 2005.10.01〕
こちらのページで目にする光、平生(ひらお)、田布施、柳井、上ノ関、徳山といった地名……。わたし自身は徳山のほかはぜんぜん馴染みのないところなのですが、なぜなのか、知らない土地のような気がしないのは、このところ、いぬい・とみこさんの児童文学作品『川とノリオ』や『光の消えた日』を読んだからでしょうか。
短篇童話『川とノリオ』についてはさきにわたしのホームページのほうでご紹介いたしましたが、ここではノリオは2歳の子でした。3歳からのノリオ、川遊びが大好きなこの子が再び登場する長編童話が『光の消えた日』(ノリオは、のちに剣道の達人になって注目されますが、やがて非行少年になって高校生同士のケンカで17歳のとき死にます)。
この作品は、いぬいさんの20歳代前半、柳井市の保育園で保母さんとして働いていたときの経験を軸にして書かれた物語。かなりの部分が実話だと思います。広島から約60㌔離れたこの町で、8月6日の朝、夾竹桃の上の空をパッと射した閃光。広島への原爆投下の前後の、幼児たちのさまざまな姿、戦時の臨時保育に狩り出された14~15歳の少女たちの姿が描かれます。敗戦につづく枕崎台風のために保育園は廃園となり、主人公の今泉朋子(いぬいさん)は東京に帰って出版社に勤め、つぎに作家活動に入りますが、26年後、29年後、鎮魂の旅で同地をおとずれ、いまは成人した昔の園児たちに再会し、あの時代を語り合います。
いたいけな園児たちの飾りのない、生き生きとした姿、そして彼らを包む戦時下のきびしい状況とが微妙に綾なす、印象深い力作です。
「光」には海軍工廠が置かれ、徳山あたりまでが一大軍需基地だったようですね。特攻兵器の人間魚雷「回天」の基地でしたから、もう、米空軍の重点攻撃目標にされ、終戦の前日の8月14日、B29による空襲を受けます。これによって738人もの徴用工や女子挺身隊員らの勤労学生が死んでいったとか。
柳井川のほとりの「樋の上」というところにあった柳井高女付属の「ほまれ保育園」が主な舞台になっていますが、それにしても、広島や似島はもちろん、由宇、神代、大畠(大畠の瀬戸渦潮)、柳井港、室津半島、尾国、平生、あるいは伊保庄、主人公が買出しに行く「かくれ里」の伊陸(いかち)、…といった地名は、きっとスミティさんたちには耳馴れた親しい響きをもつものかも知れませんね。柳井川のほか、姫田川、島田川といった川の名、宝来橋、馬皿(ばさら)、琴石山といった名はどうでしょうか。
さまざまな人びとのさまざまな死に方も描かれますが、サツマイモのつるや葉っぱを海水で味つけして食たべる代用食、食糧増産を目ざして馬糞を拾いあつめて歩きカボチャ畑にそれを撒く高女の少女たち、海軍の軍事基地を人びとの眼から隠すため、かたく閉ざされた汽車の片側の窓…。きびしい姿もたくさん書かれていますが、一方、子どもたちの生き生きとした息吹きにも包まれたすばらしい作品です。柳井の名産の「金魚ちょうちん」も書かれています。まだお読みでないようでしたら、ぜひ…。

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◆2-3「木かげの家の小人たち」いぬい・とみこ
  ――日本の「美しい心」に託された小人の家族

「木かげの家の小人たち」を読みました。小人の家族そしてロビンとアイリスという子どものこびとが成長していく様子。戦争を乗り越えていく様子。この家族を一生懸命守ったゆりの努力。やさしい哲兄さんが終戦の1週間前に19歳の若さでなくなること。【Play with meさん 2005.8.23】
                 ☆
戦争のあった時代、東京の森山さんのおうちをさまざまな暗い影がおおいはじめます。おとうさんは「非国民」、国をあやまる自由主義者として警察に連れていかれたり、ゆりちゃんのすぐ上のお兄ちゃんが急に戦争かぶれになったり…。
日本人の「美しい心」を信じてイギリスの教育者がこの森山家の人びとに小人の夫妻、バルボーとファーレンを託して帰国して行きます。ほかのだれにも秘密です。身長14センチほどの小人。このアッシュ家に間もなくアリスとロビンという子どもが生まれます。本の小部屋の片隅に住む4人の小人家族を支えるのはやさしい森山家の人たち。小さな空色のコップに注ぐだミルクを毎日欠かさず提供します。これを唯一の糧にして生きる小人たち。その役目はずっとずっと引き継がれて、最後は小学校3年生のゆりの役目になります。
しかし、戦争は、理不尽なことを押しつけたり、人間のやさしい心を奪うこともあり、親と子がいっしょに暮らすというささやかな幸福さえ奪うことがあります。
爆撃がはげしくなり、東京での暮らしは危険になって、ゆりちゃんは家族から離れ、ひとり信州に疎開することになります、小人一家をともなって。そうそう、そこが黒姫です。当時は黒姫ではなく小林一茶の句で耳にする「柏原」と呼ばれていました。野尻湖のそばの農家での疎開生活。ラボの皆さんの耳には聞きなれた野尻湖、弁天島、黒姫山、妙高山、飯綱山、古間駅、…なんて名前がよく出てきますね。
やせっぽちで体の弱いゆりちゃんは、まわりから「非国民の子」と呼ばれて冷たい目にさらされながらつらい勤労奉仕につとめ、草刈りをしたり山から薪運びをしたり、さまざまな努力を重ねて小人たちにミルクを与えつづけます。牛乳なんてぜいたくで、そんなものがあれば国のために戦っている兵隊さんに与えられるべきとされています。水のように薄められた牛乳ならまだしも、やがてそれが粉ミルクになることもあります、ヤギのお乳になることも。それさえも入手が困難になり、ほんの一滴しか供することができないときもある。
そんな困難のなか、ゆりちゃんは病気で倒れてしまいます。空いろのコップに入れるミルクがなくなると、ひとことも告げずに出ていってしまう小人の家族。小人たちだって生きるのに必死です。
小人たちに提供するミルクに戦争というものを投影させてその惨さを語るこの作家の描写力の確かさに、小夜はすごさを感じました。それに、ロビンやアイリスと仲良しのハトの弥平。世の中で起きていることを鳥の目で捉えて小人の子どもたちに知らせます。ふしぎな予知能力をもち、つむじ風とともに現われては消えるアマノジャキという小人の仲間のような存在もおもしろいですね。


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◆2-2「義経」と「平知盛」、「あちら」と「こちら」
 ――判官びいきに見る日本人的感性

◇ちこらんたんさん 
NHKの大河ドラマ「義経」ですが、それが「こちら」だとすれば、ラボ・ライブラリーの「平知盛」は、「あちら」。ラボっ子は、小さいうちから多面的に物を見る目を養うことができますね。それを他の人に伝える力も、これからどんどん身につけていってほしいです。(2005.8.13)

◇Play with meさん 
「あちらがわ」と「こちらがわ」を意識して、木下順二氏の「義経」と「知盛」を読んでみました。読んでいる側によって、どちらも「こちら」になるんですよね。物事は軸足を置いているほうが「こちら」になるんだ、とわかっていながら不思議に感心してしまいました。ラボ・ライブラリーがなぜ「知盛」だったのか? それが理解できたように思いました。(2005.8.15)
               
NHKの「義経」はだいたい見ています。室町時代中期に成立したと推定されている「義経記(ぎけいき)」全八巻のうち、第一~第三巻あたりまで(弁慶が太刀千本の略奪という野望を抱き、牛若丸と京都・五条の橋の上で争って負け、その家来になるあたりまで)はかなり忠実に「義経記」に添って描いていたように思ったのですが、そのあとは、人気タレントたちがつくるテレビドラマ的脚色が鼻につき、ときどき違和感を覚えながら…。
「あちら」と「こちら」という対比で義経と平家の武将たちの存在を考えると、「義経記」のほうは義経の私人としての側面がクローズアップされているのに対して、「平家物語」のほうは公人としての義経を描いていることに気づきます。とくに、後段の源平の戦いでの義経の活躍について「義経記」はわずか数行しか叙述しておりませんで、武将としてのもっとも華やかな活躍の場面は「平家物語」のほうでどうぞ見てください、という感じ。義経の絶頂期の前後の不遇な生い立ちと悲劇的な末路を歩む運命を描くのが主題になっていまして、そのへんが古くから日本人の感性をくすぐるのでしょう、いわゆる「判官びいき」を生み、そこからどんどん伝奇性へ傾斜していって、室町時代以降、無数の義経判官をめぐる作品が生まれていきます。
お能・謡曲や幸若、浄瑠璃、あるいはまた御伽草子、浮世草子、草双紙など広い文芸、芸能に影響を及ぼしていることは、よく知られているとおり。「熊坂」「橋弁慶」「二人静」「吉野静」「忠信」「安宅」「衣川」「腰越」「冨樫」…といった曲のことは、日本に生活している人ならいろいろな機会に耳にしているはず。浄瑠璃の近松門左衛門の「平家女護ケ島」とか、竹田出雲らの「義経千本桜」、並木宗輔らの「一谷嫩軍記」などなど、おびただしい影響作が見られ、義経は日本人にとっては最大のヒーローの一人として語られてきたんですね。

◇Play with meさん 
赤羽末吉氏の絵本、「武蔵坊弁慶」「屋島のたたかい」もあわせて読みました。
姫路の書写山円教寺に弁慶のゆかりの品がいくつもあることに納得したり、面白かったです。(2005.8.15)

 弁慶ですか。わたしは個人的には、義経以上に弁慶に興味があります。佐藤継信、佐藤忠信とともに。弁慶は、熊野別当弁せうが、参詣にきた二位大納言の姫君をかどわかして生ませた子で、生まれ落ちたときから醜い異形だったとされています。お書きいただいた播磨の書写山ですが、それは、可哀相に異形に生まれたばかりに殺されかかったところを、別当の妹にあたる人が憐れんでひきとってくれた。そのころは「鬼若」と名づけられ、比叡山の学頭のもとに修養のためあずけられます。ところがもともと手のつけられない乱暴者ですから、そこには置いておけず、山門を追い出されることになり、以降は自分を武蔵坊弁慶と名乗っていろいろな地をうろうろと遍歴、そして書写山に登って夏行につとめました。ここでもまた悶着をおこし、もうやけくそです、堂舎を焼き払って出奔、そのあと、よく知られる太刀千本奪取の野望に走るわけですね。
テレビドラマの最後のほうで描かれるはずですが、義経が頼朝の怒りと憎しみを買って奥州へ脱出します。藤原秀衡をたよって、山伏すがたに身をやつしてのきびしい旅。大津、愛発山、三の口、平泉寺、如意の渡し、直江津と、一行には危難がつぎつぎに襲い掛かりますが、そのつど発揮する弁慶の機知と胆力は、えっ、あの弁慶が? と思ってしまうほどすごいものがあり、深い感動をおぼえます。秀衡の子の泰衡に衣川で攻められ、壮絶な立ち往生を遂げる弁慶には、義経以上に魅力を感じてしまいます。義経をかばって、身代わりになって死んでいく佐藤継信・忠信、そして弁慶のみごとな死に様に、ふしぎなあこがれを感じませんか。義経とその周辺のことは、たいへんおもしろく、語りだしたらきりがありませんね。

【佐藤継信・忠信】
その先、福島まで行きますと、佐藤家の菩提寺の医王寺があります。弁慶とならんでわたしの大好きな佐藤継信・忠信にゆかりの深い地。義経に従い、義経の身代わりになって果てた武将ですね。〔2005.10.16〕

◇ドロシーさん
幸若舞の「八嶋」で、この兄弟の妻たちが兄弟の母に甲冑を身にまとい、夫の勇姿を見せた、という話があります。義経に従って鎌倉へ馳せ参じ、後に京都に攻め上った家中の者のうち、他のいくたりかは無事に戻ったのに、佐藤兄弟は二人ながらに形見だけが戻ったことに悲嘆に暮れる義母を力づけようと、形見の甲冑を妻たちが身にまとい、「ただ今、武勲を挙げて凱旋いたしました」と報告する話です。(2005.10.17)

★…謡曲「接待」でもそのお母さんが登場します。「八嶋」の前段のようなものでしょうか。老いたそのお母さんが息子たちをしのびつつ、山伏たちをお接待しています。そこへ頼朝の軍に追われた義経主従が落ちのびてやってきます。ここで弁慶が語るんですね。屋島の戦いで主君の義経をかばって死んでいった継信のこと、また弟の忠信が兄のかたきを討ったことなどを。絶品ですよ、そのことばは。さらに泣かせるのは、継信が遺した娘、鶴君が、この一行にお酒をすすめ、まめまめしく給仕をすること。芭蕉はこの物語を思い起こしてこの地で悲しみの涙を落としています。このあたり、NHKのドラマ「義経」でどう表現されるのか、注目しています。
兄弟の最期を知って嘆く老いた母を見かねて、継信・忠信のお嫁さんたちが、夫の甲冑を身につけ、長刀をもったすがたをし、凱旋して帰ったように振る舞ってなぐさめたそのやさしい心根を愛で、「八嶋」の物語が語られるようになりました。ここでも芭蕉はふたりの妻のけなげさに思いをいたし、「笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟」と詠んでいます。わたしが、義経よりも、弁慶や継信・忠信へ強い思いを寄せるのは、こうした物語を知るからかも知れません。

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◆2-1「龍の子太郎」松谷みよ子

【To: Play with meさん 2005.07.12】
『龍の子太郎』、――たいへんすぐれた作品だと思います。これがラボ・ライブラリーになったらいいのになぁ、とずうーっと思ってきました。天狗にふしぎな力をさずかった主人公が、北の湖で龍になって住んでいるという母を求めての苦難の旅。壮大な冒険です。その試練のなかで主人公はさまざまな人に出会い、労働というものを知り、社会というものを知っていきます。農民の貧しさと苦しさ、しかし同時に、民衆のもつ賢さと不屈の辛抱強さを見つつ成長していきます。祖先が歴史のなかで培ってきたものの豊かさ、力強さ、美しさの結晶にふれるとともに、日本という国、ふるさとというものを見出していきます。日本の原型がそこにあります。
加えての魅力は、作者固有のもつ母性観でしょうか。ほかの作品でもさまざまな母性というものを描いておりますが、これはすごいと思いますね。自分の目玉をくりぬいて子どもに差し出してしゃぶらせる母親の情念は、美しいというだけでなく、すさまじいですよね。
それにしても、イワナ3びきをひとりで食べてしまうようなことがあってはならないという村社会の掟を犯したばかりに龍になってしまうとは…。他をかえりみず、自分だけの欲に溺れてしまうことの醜さを伝えるわたしたちの祖先の教えであり美学でもあったでしょうか。

≪追記―口演メモ≫
〔松谷みよ子〕――赤ちゃん絵本「いいおかお」瀬川康男・絵の読み聞かせ/「龍の子太郎」で有名だが、「いないいないばあ」など、赤ちゃん絵本でも愛読されている/文学的業績としては日本昔話の再話、たくさんの日本昔話を紹介している。夫の瀬川拓男とともに長野、山形を昔話採集で歩く。そのなかで材料を得てつくったのが創作民話「龍の子太郎」
〔文学史から見ると〕――敗戦のあと、貧しさのどん底から這い上がろうとしていた時期。一挙に新作童話がつくられた。平塚武二、石井桃子「ノンちゃん雲にのる」、竹山道雄「ビルマの竪琴」、長崎源之助「風琴」、壷井栄「二十四の瞳」、いぬい・とみこ「ながいながいペンギンの話」「木かげの家の小人たち」、佐藤さとる「だれも知らない小さな国」、そして松谷みよ子「龍の子太郎」。戦後世代が理想を表現しようとした時代。戦後の理想的な家庭像を求めた時代。それまでは海外の名作の翻訳ものや昔話風の短い童話が主流だったが、長編児童文学へ移行する。さらには、いぬい・とみこや佐藤さとるなどによってはじめて西欧的なファンタジーがここから始まっていく。空想力が注目されるようになる。
〔戦後の理想主義〕――「おかあさん、おら、ずうっとここまで旅をしてきたけれど、おらの國はまんず、山、山、山ばかり。みんなが立っているのがやっとのところに畑をつくって生きている。おら、むかしはそれが人間のくらしだと思っていた」
 「でも、いまはちがう。そればかりが人間のくらしじゃない。土地さえあれば、うまい米もつくれるし、もっともっとたのしいくらしができるんだってことが、…おら、旅しているうちにわかってきた」
〔龍の子太郎の冒険〕――赤鬼にさらわれたあやを助けにいく/天狗から百人力の力をさずかる/赤鬼をこらしめ、雷さまの弟子にしてやる/黒鬼と戦い、大きな岩にする/村の人身御供の風習をやめさせる/ニワトリ長者、けちなばあさんにこきつかわれるが、そこでいろいろ大事なことを学ぶ/大グモに川わ引き込まれそうになる/雪のため凍死の寸前に。あやと白いウマに助けられる。
〔母親との再会〕――龍になった理由(イワナ3びき)、自分のことばかりで他のひとのことを考えない利己主義。母親とともに山を切り開いて湖の水を流し、広大な田んぼをつくる。村人たちはここに移り住み、幸福に暮らす。母親は人間にもどる。太郎とあやは結婚する。
〔作品〕――①物語の筋立てが明確、②テーマがつかみやすい(ヒーローの成長物語)、③登場する人間、動物、超自然の生きものたち、それぞれの性格がわかりやすく、それぞれの役割をそれらしく演じる、④必要な部分がきちんと描写されている。幅と厚みのある作品に、⑤昔話の場合、形容句は使わないのがふつう。形容句を適宜入れ、口に出して読んで耳に心地よい。
 冒険、母と子の愛情、たくましい成長、使命感の自覚、さわやかな恋、幸福観…物語の要素が込まれている。
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