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〔3-6〕映画「山の郵便配達」
    ――寡黙な男が仕事を終えるとき――

 中高年者を対象とする映画鑑賞会を年に2~3回、地域でおこなっています。今回提供したのは「山の郵便配達」。1999年、中国で製作され、2001年、岩波ホールでロングランを記録した名作映画。その魅力とは何だったろうか。ご覧になりましたか、この映画。
 原作=彭見明(ポン・ヂェンミン)、監督=霍建起(フォ・ジェンチイ)。わたしが地域で主宰している「ふれあい読書会≪どんぐり≫」では、2002年5月に採りあげ、多くの仲間と原作をじっくり読んで話し合った。その5年後に観た映画。原作を読んだあとに観る映画の常として、どうしてもその描き方にはもの足りないものを感じてしまうとしても、報われることの少ない地味な人間の努力と、強い使命感だけを心の支えに、淡々と、黙々とつとめ続ける男の、孤独だがすがすがしい生きざまは、しみじみたる感動がある。

 世代交代のときにある親と子のあいだの微妙な心理のアヤなどは、原作にふれたものには、描ききれていないな、というもどかしさが残る。しかし、それが映画というものなのだろう。映像表現には限界があり、そういう楽しみ方をすべきなのだろう。その代わり、というか、映像は美しい。あまりにも美しい。そうはいっても、観光名所になり人を集めるような美しさとはぜんぜん違う種類のもので、人間のこころの底にいつもあるふるさとの原風景を想わせる風光を映す映像である。「きれい!」ではないが、こころに美しく映る自然のすがたにつつまれた、素朴な人間の飾りない良心のかたち。

 これまで誰も注目したことのない中国大陸の奥深い山岳地帯。少数民族が山のヒダにへばりつくようにして生きている地の風光である。湖南省のものという。重畳なす山々がそそりたち、道らしい道もない。渓流に踊る雪解け水に胸まで浸りながら、郵便物を頭のうえに載せて川を渡ることも。そういうところを1回2泊3日、120キロの行程を週に2回。体重を越すほどに重い郵便袋を背に、欠かすことなど許されず歩きつづける。
そうした苦労を引き継ぐことになる若い息子とともに、老いた父親は膝の痛みに耐えながら最後の仕事にのぞむ。「このくそ重たい荷物。遠く険しい道。いまなら車やバイクをつかって運んだらいいじゃないか」と20歳の息子は不平をこぼす。「道というのはな、歩くためにあるんだ」という父親。父と子がたどるこの長く困難な配達業務のなか、交わされることばはあまりない。ときには反目しあうこともあるが、山奥にひっそりと暮らす貧しい人びとと父親とのあいだに結ばれている信頼の絆にふれるうち、父親のやってきたことの尊さを一つずつ理解していく。

 笑いがあるわけじゃない。涙があるわけじゃない。観るものをハラハラ、ドキドキさせる波乱万丈なドラマ展開などまったくない。これ見よがしの感動の押し売りもなければ刺激的なこけ脅しもない。映画にお決まりの恋も、山の空気の流れ程度のかそけさで示されるだけ。原寸大の人びとのつつましい生活があるだけだ。どんなときも控えめで、人には誠意をこめて尽くす。つまらぬ不平不満はこぼさない。人の悪口はぜったいいわない。そういう人間のたたずまい、そこで自然につくられていく人と人との絆が美しい。能率を競う現代が失ってしまったものに出会う映画で、奇を衒い、あくなき刺激と興行収入を追求するハリウッド映画の薄っぺらさとは異質の、すばらしい映画だといえようか。〔2007.07.25〕

【To: みかんさん 2007.07.26】
 能率が問われ、経済性が追求される生産現場のひずみ…。そこには、「人間」は存在せず、生産者と消費者のすがたしかありません。このすぐれた映画が描き出す世界は、足すこともない、引くこともない、人間そのままの世界。ごまかしはどこにもなく、利潤を求めて駆け回る人のすがたはどこにもありません。急をなす山の斜面は、人が走るにはふさわしくないということでしょうか。

 みかんさん、この映画をご覧になったのですね。ただに「感動」というのとはちがう、しみじみとした味わいをいつまでも残す映画でしたね。ええ、原作にはもっと深い味わいがあります。夏にはどうぞこれも読んでみてください(大木康=訳、集英社刊)。彭見明(ポン・ヂェンミン)という書き手については何も資料を持ちませんが、新人作家でしょうか、その文体はあまり達者とはいえず、むしろたどたどしいですが、若々しく無駄がないものでした。

 槌音高い北京や上海などの近代的都会生活からはまったく忘れられたウラっ側にあるような人びとの生活。まっすぐです、純粋です、俗情などなく、さわやかです。困難な仕事を受け継ぐ若ものの、リタイアしていく先人への思いやりと、うぶうぶしいひとり立ちのすがたが、わけても美しい! 登場する人物も少なく、これがどうして映画になるのかと思わされましたが、そこは、さすが、ということなのでしょう。たいそう印象のいいおかあさんが登場し、息子のひとり立ちをはらはら見守り、家族のぬくもりをつくっていますが、これは原作にはありませんね。日記のほうで書き落としたことに、愛犬の「次男坊」のことがあります。犬ぎらいのわたしでも、こんな犬なら、と思うくらい、賢くてかわいい。

【To: さちこさん 2007.07.26】
 日本で刊行されている本や上映された映画のタイトルは「山の郵便配達」。これはこれでぴったりだと思いますが、原著では「那山 那人 那犬」となっているそうです。「あの山、あの人、あの犬」といったあたりでしょうか。ほとんど人の住まない山岳地帯の遠い道のりを、郵便をくばってまわる過酷な仕事。うれしい知らせもあれば悲しいことを伝えるものもある便り。その喜びも悲しみもともにする仕事。どこを見ても山また山、そこに質素な暮らしを営む人びと、その人びととの飾り気ないふれあい、報われることの少ない孤独な仕事の友をするのが、なかなか気の利いたかわいい犬。こちらもぴったりのタイトルといえましょうか。いかに中国が高度な経済成長を遂げ近代化されようと、人がふつうに生きていくときに大事にされるべきものをしっかりとどめるこのすがたは、これからも変わることなく残っていくのではないかと思われます。

 そうなんですね、つまらぬもの、無駄なものを足しもしなければ引きもしない、そんな「原生活」の幸福のゆたかさと美しさがそこには満ち満ちています。特別にすぐれた人間がいるわけでもない、支配する(指導する)ものも服従するものもいない、声高に改革を叫んで狂奔するものもいない、平等とか公正とかということばも必要のない、なだらかな生活。


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〔3-5〕新藤兼人監督『午後の遺言状』
  ――あの、まるい石のナゾをめぐる私見――

 「午後の遺言状」について3月30日の日記の末尾で、

 「ものごとには、水に流せることと流せないことがある。きのう観た映画「午後の遺言状」(新藤兼人監督)でときどき登場する丸い石…音羽信子の演じる別荘管理人であり老農婦が最後にポーンと川に投げすてていくダチョウの卵ほどの石の意味と関連して書きたいこともありますが、長くなりましたので、きょうはこのへんにて」

 と思わせぶりに書いてそのままになりました。作品は、「老い」に捧げるさわやかな人間讃歌でして、ほかで書く機会はないと思いますので、今回の日記とは直接関係はないのですが、ごくかいつまんで私見の一端を示しておきたいと思います。
 それは、新藤兼人監督に特有の意地の悪い(!?)ユーモアと、いまともに生きているものへのメッセージなんだろうと…。「一重積んでは父のため、二重積んでは母のため…」、あの地蔵和讃、賽の河原をめぐる民俗信仰の考え方が日本にはいまも根づよくありますよね。人の一生はひとくれの石塊に化して終わる、それこそが唯一の真実である、…とする古くからある考え方。そういう砂を噛むようない暗い信仰をポーンとひっくり返して見せてくれたのがあのシーン、というのがわたしの解釈。新藤監督の日本古来の習俗に対する関心にはかなり高いものがあり、この「午後の遺言状」のなかでも“足入れ婚”という、地方でおこなわれていた、正式な結婚の前の試験的な結婚の儀式について、かなり突っ込んで描いていましたよね。そういう趣味がこの監督にはありますので、たぶんあまり大きく間違ってはいないと思うんですが。〔2007.06.08〕


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〔3-4〕小栗康平監督『埋もれ木』その2
  ――簡単便利はそんなにいいことか…
     神話的な無時間のなかにこだまする元始の詩のやさしさ 

 小栗康平が監督した映画『埋もれ木』を11月3日に見た。文化の日、この日、彼が紫綬褒章を受けたことを新聞で知ったのは、映画を見て帰ってからだった。『埋もれ木』は2005年に製作された彼のもっとも新しい作品。第53回カンヌ映画祭で特別上映されている、世界的には(国内ではいざ知らず)たいへん評価の高い作品である。
 物語の舞台は、山に包まれた小さな町。コンビニが道路わきに一軒だけ開いている、どこにでもありそうな過疎のさびしげな町。とりわけて美しいということもない。さて、この映画は何がテーマなのだろうか。たとえば、中断されたまま野ざらしになっている高速道路。緑の山肌を無惨に引き裂いて造られ、いまは廃墟のようになっているコンクリートの巨大な建造物。その上で正体のよくわからない若い男女が他愛もない遊びをあそぶシーン。田んぼのなかから突如あらわれた直径1メートル余の太い埋もれ木。3500年前のものと鑑定され、いきなり小さな町に考古学ブームが起こり、人の波が押し寄せ右往左往するシーン。数人の子どもが路上で群れているかと思うと、通る車、通る車ごとにその前に両手両足をふんばりたちはだかって“通行税”を求める「子ども地蔵」という習俗をあらわすシーン。おとな4、5人で、クジラだかフグだかの形につくった張り子のようなものをヘリウムガスの風船で空に吊り上げるシーン〔写真・下〕、などなど。映像は同質のリズムで展開するが、漸層的表現になっているわけでもない。そこには、人を引き入れるためのストーリィ展開のイロハとされる対立も争いもない。お決まりの恋愛ごっこもない。
 それでも、なぜか、こちらの感性に染み入ってくるものがある。

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 観るものはそうしたシーンを繋いでいるものは何かと見ているわけだが、どこまで行ってもそれがわからない。現実と幻想を織り交ぜた、イメージの秩序も跳躍もないかに思える、統一感を拒否した淡々とした積み重ねによって、小栗は何を表現しようとしたのだろうか。テーマも見えなければ、物語のスジを運んでいく基軸も見えない。強いて云うなら、三人の女子学生の、つぶれかかった雑貨店の片隅での雑談。べつだん遊びたいこともないから、思いつくままにでたらめな物語をつくって三人でリレーしてみないか、ということになる。書きとめられることもないその場かぎりの物語。彼女たちは文学少女らしくもない、退屈してどう時間をつかったらいいかわからずにいる、ふつうの女の子たち。その物語はこんなふうに始まる。
 町に唯一あるペットショップに、ある日、ラクダがやってくる。誰が注文したということもない。このラクダのために、町のあらゆる舗装道路は掘り返され、砂塵の巻き上がるデコボコ道に変わる。それだけで、あとはそれにつづけて別の女の子が物語をつむぎだしていく。でも、三人でやろうと決めはしたものの、それほど気があるわけではなく、荷やっかいになってだんだんトーンが落ちていく。物語は繋がっているようでもあるが、ぜんぜん関係ないようでもある。ユニークな、ゆたかな発想もなく、狭くつまらない内容へはまりこんでいく。ラクダのためのごろごろした土の道と、廃墟のようにうち捨てられた高速道路と、そのあいだの距離のなかに、ひょっとすると制作主体の思いが潜んでいるのかもしれないけれど、そこはわからない。

 映像は、きれいとはいえず、ごく当たり前なものを映し出していく。ただ、何やら不思議に染み入ってくる感覚がこちらに残る。だいたい画面ぜんたいが夕暮れどきのようにうす暗く、はっきりとは見えない。登場し動く人物は、いつも遠景で捉えられ、珍しくもない周囲の自然とともにあって、表情をアップで写すことはない。背中を向けているシーンも多い。出演者は、ブラウン管のむこうなどでときどき見かけるのには、田中裕子がいる、岸部一徳がいる、平田満、坂田明、中島朋子といったところも。しかし、彼らの誰にも個性的な、ことさらなキャラクターは与えられていない。そもそも主人公がいない。だれも重要な役を演じてはいない。たまたまひとつの映像空間に通り合わせただけといった様子。おおよそ観るものに何一つサーヴィスしてくれない。だから、よほど意識的にこちらが目を凝らしていないと、いまのが誰だったか、それとわからない状態。わからなくていい、というのがどうやら小栗康平の手法のようだ。主語を取り除いた映画ということになるだろうか。そもそも、映画における主語って、何だろう。いよいよむずかしくなってくる。
 ここの人たちは表情でものごとを語ろうとしない。人をごまかし欺くのに使われることの多い表情というものに消しゴムをごしごしと当て、執拗なまでに殺す。よくしゃべるのは、ウソつきか虚飾屋。「小人の過つや必ず文(かざ)る」で、器量の劣った、うすっぺらな知識しかないものほどよくしゃべり、とりつくろうことばかりやらかす。ところが、この映画ではあまりセリフもない。さらには、“ただしい”とされることばでものごとを語ろうとしない。そうですよね、身に覚えはありませんか、わたしたちはこれまで、表情とことばでどれほどたくさんの人を欺いてきたことか! ごまかしを重ね、言い訳をし、ウソばっかりついてきた自分のこの生涯に思い至る。笑顔が美しいなんてのも、あれはウソっぱちの、たぶらかし、ごまかしかもしれない。怖い、怖い。
 しかしまあ、刺激もなければ興奮もない、こんなことで映画がつくれるものなのだろうか。神話のなかにいるように時間の感覚が、まるでない。ないないづくめでつくりだす映画。そう、いまわたしたちがすぐ隣の町で簡便に見て楽しんでいるような映画はこんな手法ではつくれない。まさにここに、小栗康平の今日的な映像文化の危機へ立ち向かうギリギリの挑戦がある、批判と皮肉がある、とわたしは見る。簡単便利はそんなにいいことなのか、というわたしたちへの根源的な問いかけがある、というふうに。

 先回、身のほど知らずの「蟷螂(とうろう)の斧」でこのページに書いたように、わたしたちの目の前にある映像は、一見、多様であるように見えて、じつはハリウッドのアメリカ的な感性にくるみとられて一元化・単一化したもので、本当の意味での多様性は失われ、知らぬ間にわたしたちの感性も知性もやせぎすに衰えてきています。すぐ目の前の、すぐわかるものしか見ていない人たち。自分の利得しか考えちゃいない、金持ちだが精神においてはスッカンピンな人たちの群れがひしめく街に生きているわたしたち。金持ちでないところだけその群れから免れている可哀そうな自分。
 映像文化も、劇場の大スクリーンから、町のすぐそこにあるシネマコンプレックスへ、ビデオ・DVDを映すテレビ画面やパソコンやカーナビへ、そしてついには携帯電話のあの小さな液晶画面へ。掌のなかで観る映画が求めるのはどんな映像か。人間のこころの動きの機微なんてどうでもよい、こころを開放するとされる景観の雄大さ壮大さなんて意味がない、色だってどうでもいい、とにかくアップだ、どアップだ、スキャンダラスな刺激だ、ぶっとばすような強烈な刺激の連続だ、ニュアンスゆたかな美しいことばや音楽なんてしゃらくさい、叫べ、ただ声のかぎり喚きちらせ、かまうことはない、ヴォリュームいっぱいにかき鳴らせ、……そういう傾向を強めていくことは見えている。
 そうして映像づくりは意味を失い、その役割を終えて消えていく。気韻あふれることばや表現が喪われ、あのへんてこな顔文字だけで人と人がつながっていく。そういう時代は、人間という生物にとって、いい時代といえるだろうか。このごろの流行語でいうなら、「美しい国」のイメージはそこでつかめるのだろうか。小栗康平の挑戦の意味はそのへんにあるような気がする。
 この人は、浦山桐郎、篠田正浩について助監督として映画をつくってきたあと、1981年に『泥の河』で監督デビューした。その後、『埋もれ木』の以前には、李恢成の『伽倻子のために』、島尾敏雄の『死の棘』、オリジナル脚本による『眠る男』と、問題作ばかりをつくってきた。難解というのとも違うようだが、見てすぐわかる、簡単に伝わる、というものは一つもない。そのわりには外国の賞をよくとる。大衆受けをねらった、興奮と刺激で人を酔わす楽しみにはぴしゃりと背を向けて、これまでの映画作りの常識をひっくり返してきた。「新しいファンタジー」と、もの知り顔にいうタレント気取りのいい加減な映画評論家の評もあるにはあるが、それともぜんぜん違う。むしろ、神話のような感じといえるかもしれない。『古事記』などに見る叙事詩的冗漫というに近い。
 文化の原点へ誠実に回帰していく芸術家の強い意思をわたしはそこに見たように思う。


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〔3-3〕小栗康平監督『埋もれ木』その1
      映像文化と“ことば”の明日は…? 

 いま流行りのシネマコンプレックスに氾濫する、“カタカナ・タイトルの映画”を観ることは、わたしの場合、まずありません。何故か。その理由が、なんとなく自分ながらわかりました。11月3日、小栗康平監督による新しい映画『埋もれ木』(2005年製作)を観たことによります。
今回は、ことばと映像の可能性、その今日的問題といったことについて語ってみたい。

 それを語る前に、お尋ねしてみたいことがあります。皆さんの小さい子どもさんが、いつまでもテレビ・アニメを見ている、テレビ・ゲームで遊んでいるとして、「もう、やめなさい」「むこうへ行って勉強しなさい」「早く寝なさい」と促さねばならないことがあるとします。何故子どもがいつまでもテレビを見ていたり、テレビ・ゲームで遊んでいてはいけないのか、そのわけをきちんと語って聞かせたことがありますか。「うるさいから」でしょうか、「ご自分の見たいテレビ番組があるから」でしょうか、子どもさんの「目がわるくなる」からでしょうか、「学校の勉強がおろそかになる」からでしょうか、それとも、「番組の程度の低い通俗性に毒されるおそれあり」だからでしょうか。

 一方向だけから与えられるメッセージ、…考えなくていい、むしろ考えないでくれ、見てくれるだけで十分、として投げかけられる表現にさらされている子どもたちがどんな子に育つかは、およそ見当がつこうというもの。だって、子どもならぬ判断力あるはずのわたしたちにしたって、たとえば、世界のニュースがCNNからしか発せられないとしたら、恐ろしいことになりますよね。

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 わたしたちの世代のものにとっては、映画といえば、特別なものでした。少なくとも、コンビニ感覚で手っ取り早く観るようなものではありませんでした。昭和30年代が映画の黄金時代だったとよく云われますが、何をもって黄金時代と云ったかといえば、一つには、ほんとうに多様な映画があったということではないでしょうか。多様な、メッセージ性のあるすぐれた映画。そう云ったときにフッと象徴的に想い起こされるのは、東欧のすごい映画の数かず。ポーランドの『灰とダイヤモンド』、ワルシャワ放棄を描いた『地下水道』。地上で生きられないおれたちだが、いやいや、まだ地下があるじゃないか、という極限状況下の生死を賭けた苦しい発想には胸をえぐられ、泣きましたね~。
 時代が変わり、その東欧映画がプツリと消えて久しい。いまはハリウッド映画ばかり。あとわずかに、甘っちょろいだけで何の発信力もない韓国映画。なるほどこれらは、スーッとわかる映画、考えることなく大衆にサッと伝わる映画です。まあ、このわかりやすさが今日的な娯楽のレベルというものなのでしょう(前首相の異常な人気は、ことばのわかりやすさだと指摘されていますね)。つまり、アメリカ文化のおびただしい横溢であり、商業性への露骨な傾斜でした。それは、映像と表現の単一化、一元化によるアメリカの世界戦略に飲み込まれていく図という以外の何ものでもありません。

 それ以上に、いまは映像の中心はテレビであって、子どもが映画を見る機会はあまりないのが実情のようです。さらには、テレビでもDVDでもなく、携帯のあの小さな液晶画面で映画を観ようとする時代。手っとり早く楽しめればそれがイチバンというわけで、どうも便利すぎますよね~。いきおい、映像のもつ意味、ワイドスクリーンで見てきたあの映像は、いまや極限的に小さく押し込まれていく傾向にあります。映像の影が薄められたときに浮上してくるのが、ことばと音ということになりましょうか。そのことばや音も通俗趣味に堕し、あやしい。微妙な情緒のあやは消え、やたらアップにした刺激的な映像と絶叫調のことばが掌のなかの小さな液晶画面で騒ぎまくる。おそろしく薄っぺらになっていくような気がする。薄っぺらですぐわかるというものにすぐ満足してしまう薄っぺらな知性。
 まわりには抱えきれぬほどに大きく広い世界がある、多様な世界がある、もうひとつのすぐれた映像文化がある(それを、今回、小栗の「埋もれ木」に見ました)ということを知らない今の若い世代が、どれほど貧しく脆弱な社会構造をつくっているかは、わたしが云うまでもありません。シネコンにかかる映画、といえば、たくさんあるようでいて、じつはちっとも多様でないことはおわかりのとおり。限られたヴァーチャルなところにいては、言語も感覚も育ちません。わかるだけのもの、伝わるだけのもの、商業的に成立するものだけのものに単一化していったら、わたしたちの感覚世界はどんどん痩せこけてしまいますね。

 ラボの皆さんは日常の活動を通じて、子どもたちには多様な表現にふれてもらおうとさまざまな努力をしています。ところが、そういう観点もなく、さまざまな世界を見まわすことなく、自分のアタマで考えることもないまま、ヴァーチャルと現実との接点のない世界に子どもが深く深く埋没していったら、どうなるでしょう。ことばが貧しくなります。こころがやせていきます。人間がひとりよがりになっていきます。映像の場合は、ことばに文法があるようには規範がありませんから、共通する場でよい・悪いを互いに語り合い論じ合うことが起こりません。せいぜい感覚的な印象を語るのみです、よかった、気持ちわるかった(キモかった)、すごかった、カッコよかった・悪かった…、という程度。それだけ。借りものばかりで自分のことばを持たない栄養不良の個性、そこではコミュニケーションが成り立つはずもありません。これって、受験科目偏重の、必修科目の未履修問題とは……、無関係なかったでしょうかね~。
 どうでしょうか、このごろの子どもたち一般を見て、表現の貧しさについて、お感じにはなりませんか。友だち同士でさえ語り合えないから、自閉的な存在を生み、命の尊さなんて知るはずもなく、痛さの感覚さえないから平気でひとを傷つける。ひとのこころを傷つけることばを得意げに発する。人間の孤独の闇は深まるばかり。さあ、どうしましょうか。

 書きはじめたら、また長々しいものになってしまいました。小栗康平監督による『埋もれ木』については、皆さんの反応をみて、気がむいたら来週にでも書いてみます。【2006年11月06日の日記】


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>「埋もれ木」、伺いたいです。〔dorothyさん 2006.11.7〕

 この映画、おもしろいか、といわれれば、う~~~ん。じゃあ、つまらないのか、といわれれば、う~~~~~ん、としかいいようのない映画。奇をてらうこともない、観る人に何ひとつサーヴィスしてくれない作品。監督のこころの羅針盤がどう働いているのか、ちょっとわからず、戸惑います。わたしと同郷、大学も同じ、世代もほぼ同じなんですけど、う~~ん、どう云ったらいいのか、わからない。ただ、死に物狂いで表現の可能性にぶちあたっているな、ということはよくわかる作品。ムダなものを一つずつ消していって、初めから終わりまで飾りも強調もなく、そのまま。こういうのはどうでしょうか、と遠慮がちに問われているような。
 したがいまして、それをどう書いていいのか、どうまとめればいいのか、よくわからないのですが、じつは、もう書きあげてあります。映像論をやるのはわたしの柄ではないのですけれど、こういう、わけのわからないものを見せられると、やけに書いてみたくなってしまうというへんな性癖があるようで。


> 映画「埋もれ木」のこと書いてくださいね。古い映画はほとんど知りません。〔Hiromi~さん 2006.11.09〕

⇒ そうですか、東欧の映画は、世界の冷戦構造が変わったと同時に、1960年代後半には消えてしまいましたからね。それ以外でも、記憶に残るすぐれた映画がたくさんあり、青春の記憶とともになつかしく残っています。ところで「埋もれ木」は古い映画ではありません。小栗康平監督のもっとも新しい作品。ただし、近々ここで発表して皆さんに読んでもらうかどうか、いささか躊躇いを感じているのですが、これは神話のなかに浸っているような感触があり、『古事記』に見る叙事詩的冗漫に近い、という私見を述べることになると思います。たぶんこんなことをいう人はほかにいないとは思いますが、古くて新しいというか、新しくて古い、というか…。へんてこな、しかし、なんだか感性にからんでくる作品なんですね。


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〔3-2〕映画「ホタル」
   ――何のために、だれのために、若ものは海に消えた?――

 「ホタル」という映画をご覧になりませんでしたか。平成13年、高倉健さんのキモ入りで東映がつくった作品。戦後を苦悩と悔恨のなかで生きてきた世代の日本人のこころのすがたを描きだした、東映創立50周年を記念する感動的な映画ですね。
 3月4日のここの日記でヘップバーンの「ローマの休日」をめぐってご紹介したことのあるSDS(スクリーン・デリバリーサーヴィス)、いわゆる出前映画ヴォランティアのご協力を得て、地域の中高年世代の方にすぐれた映画、なつかしい映画を見てもらう地域活動の一環で、それより先、いつだったか「華岡青洲の妻」もここでご紹介したような記憶が…。きのう(7月12日)、ふたたびその映画会を催しました。

 降旗(ふるはた)康男の監督、竹山洋・降旗康男の脚本。主演の高倉健さんは、う~ん、やはりシブイですねぇ。特攻隊の生き残りで、多くの戦友たちの死を目の前で見てきて、その愛惜と懺悔の思いのなかで生きている貧しい漁師。特攻隊の発進基地である鹿児島・薩摩半島突端に近い知覧の地のそばから離れることができないでいます。その妻を演じる田中裕子さんは、特攻に殉じた一人の朝鮮民族の戦士(小澤征悦)の、もと許婚者。腎臓をわずらい、人工透析を受ける病弱の身。この夫婦愛のさわやかさ。重い苦悩を背負って八甲田の雪の中で自殺したもと戦友(井川比呂志)のとむらい。そのあと、その戦友をしのんで雪の原野に立ちます。そこで見た丹頂鶴のつがいの所作をまね、コートも上着も脱ぎすてて舞うがごとく動く夫婦のすがた、すべてをふっ切る思いをこめて雪を借景にして舞うふたりのすがたに、おお、涙がこぼれて、こぼれて…。
 1年半しかないと宣告される妻の命。自分の腎臓を提供し移植手術しようという夫に、「その必要はない、与えられた命をそのままに…」と拒む妻。だが、ぼそり、「ふたりでひとつの命じゃろうが、違うんか」口数少ない、もと特攻隊の生き残りの男が、そういう。

 美しい日本を守るために散らした幾多の命。だが、「何のために」「誰のために」と、親からあずかったひとつしかない命を捨てることの意味を問い、最後の最後まで問いつめ、しかもなおその答えはつかめないまま、ただ戦友に笑顔だけを残して沖縄に先進していった少年航空兵たち。その霊がホタルの光となって帰ってくる日本の夏。
 高倉健さん、田中裕子さんの好演はいうまでもありませんが、若い命を散らす前のお別れ会のようにして集まる小さな食堂があります。一人ひとりの特攻隊をここで見送ったその食堂のあるじ、すでに老いて不自由なからだになっている老婦人、それを演じた奈良岡朋子さんの演技が真に迫り、泣かせます。さすがブルーリボン賞助演女優賞ですね。(高倉健さんは日本アカデミー主演男優賞を辞退。テーマの重さもあって、辞退したことがまた話題になりましたね)

 クライマックスは、韓国人の特攻隊員がわずかに残していった遺品と最後のことばをとどけに韓国・釜山に病妻とともに行く場面。敵艦を目ざし遥かな海へ発進するその前日、仲間二人だけに聞こえる小さな声で言った「朝鮮民族、ばんざい」のことば、許婚者に残した純粋な、思いやり深いことば。釜山の村人全員が敵意のこもった、とがった表情で、いかにも冷淡に、憎々しげにふたりを迎えます。長い長い息づきる緊迫感。「日本が引き起こした戦争で、なんで日本人のおまえが生き残って、兄さんが死ななきゃならないんだ!」という遺族の発するはげしい怒りのことば。主人公の、英霊に対する心底からの鎮魂の思いがようやく届き、その怒りとわだかまりが溶けるまでには長い時間がかかった。遺品をその母親に手渡し、ひとつの役割を果たして帰国しようと野に立つふたりの前に、ホタルが…、南の海の藻屑となって果てた戦友の霊として帰ってきたホタルが、ふ~わり、ふ~わり…。

 日本の夏は、あの戦争に思いをいたす季節でもあります。映画の中とはいえ、韓国の人たちが見せたあのわだかまりと怒りは、いまに至って少しも溶けたわけではありません。そして、中国から、韓国から「歴史認識」を問われています。被害者であったが、隠しようもなく加害者でもあった日本の国民。わたしたちはこの歴史から何を学ばねばならないのか、きびしく問われています。寡黙な高倉健さんが何も語らないまま受賞の栄誉を拒んだ底には、胸に落ちないそこのところがあったのではないか、…そんな気がするのですが。


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〔3-1〕「ローマの休日」
  ――若葉の香りにも似た爽やかな24時間の恋――


永遠の恋人、世界の恋人と、ローマの休日に出会うこと、これで十数回目になる。
あの可愛いらしさ、あの清楚さ、あの気高いばかりの気品! 
どんな美人女優にもない輝きをもって、わたしたちの心を底の底まで明るく染めてくれる美しい恋人。はい、オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』です。

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地域の中高年者を対象に年2回ずつ開催している映画会。元映画監督の川崎義佑さんのSDS(スクリーン・デリバリー・サーヴィス)活動、すなわち出前映画ヴォランティアに浴して二十数回にわたっておこなってきた催しで、ずうっと以前、このサイトでも『華岡青洲の妻』のことを書いて紹介した記憶があります。
昨年末、住民500人ほどにアンケートをお願いしました。「もう一度見たい名画は?」「記憶にもっとも残る映画は?」のトップに挙げられたのが『ローマの休日』でした。わたしはそんなにたくさん映画を観るほうではありませんが、もし挙げるとすれば、やはりベスト・スリーに入るでしょうね。何度見ても新鮮な感動の沸き起こる映画です。
半世紀以上も前(1953年)にウィリアム・ワイラーの監督で制作されたロマンティック・コメディ、いや、遊びごころいっぱいの夢のおとぎはなし、最高度に上質なラブ・ストーリィですよね。やはり、古今を通じて最高傑作の一つに挙げていい名画ではないでしょうか。もともとは、当時すでにハリウッドのトップスターだったグレゴリー・ペックを売りにしてつくった作品だったのですが、フタを開けてみたら…!
それまでまったく無名の一ダンサーにすぎなかったオードリー・ヘップバーンの、これは最初の映画出演でした。それが、なんという奇跡か、その新鮮な魅力は世界の人びとのハートをぎゅぎゅぎゅっととらえ、一夜にして世界の恋人となり、銀幕の妖精として愛されるようになるんですね。

ストーリィは、もう、みなさんご存知ですよね。どこかの小国の王女アン(オードリー)はヨーロッパの国々を親善旅行しています。ところが、来る日も来る日も形式ばかりに縛られて自由のない窮屈さにうんざり。アン王女はノイローゼぎみでヒステリーを発します。侍医が鎮静剤を射ちます。催眠効果があらわれるより先、王女は侍従の目を盗んで、ひとり街なかへ飛び出していきます、催眠効果でふらふらしながら。そこで出会った貧乏新聞記者ジョー・ブラッドリー(グレゴリー・ペック)と24時間だけ自由なときを楽しみます。これが、まあ、どのシーンも楽しいですね~。
考えてみると、これは、みごとに“行きて帰りしものがたり”の古典的な形式になっていることに気づきます。むずかしいものは何もない構成。周囲から大事にされ、愛されてばかりいて、自分から愛することを知らない、世間知らずの王女が、ひとりの人間として経なければならない「通過儀礼」を経て、またもとの自分に戻る、というもの。この通過儀礼って、物語を読むとよく出会いますが、すごく大事なことなんですよね。このごろは、親の過剰な愛情と無自覚で、子どもに決定的に必要な通過儀礼をむしり取ってしまっている例をよく見かけますが。

ま、ストーリィなんてどうでもいい。オードリーの若草にも似たみずみずしい表情、気まぐれで、茶目っけいっぱいの明るさ、無垢さ、可憐さ、可愛いらしさ、その一方の、犯しがたい高貴さ、冷たいほどに凛とした気品! それを見せてもらえるだけで十分に幸せになれるんですから…。これぞ娯楽!
ほかの人が着たら何ほどのこともない、野暮ったいだけの白いブラウス、それを少々ラフに着ただけなのに、もう、どうしようもなく美しい。匂うがごとく美しい。さり気なく巻くネッカチーフのセンスのよさ! 笑っても怒っても、戸惑ったり悩んでいても、そのすべてが最高に美しく可愛い。だって、たとえば、ほら、えっ、えっ、えっ…、という間に理髪店でバッサリ髪を切ってしまいますが、いきなり鏡に映し出されたショートヘアのあのさわやかな、匂やかな表情は、どうだ! ヴィーナス誕生のプリマベーラ、というところでしょう。“真実の口”に手を噛まれた瞬間の驚きの表情は、どうだ! 
それに、最後の記者会見の場面。セリフもなければ、とくにこれといった演技もない、ただ、底の底まで澄んだ瞳でジョンを見つめる、あの神々しいばかりの気品は、どうだ!まったくことばはないけれど、恋がひとときの恋のまま終わる、その切なさ、はかなさ、そのすべてをあの深い瞳の輝きは、ムダなく語ってくれている。

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この永遠の恋人も10余年前(1993年)に永眠しました。63歳だったとか。晩年にはユニセフ親善大使として活躍、世界の飢え、とりわけ愛に飢えた子どもたち(戦争や災害で親を失った子どもたち)に寛やかな愛を注いだこともよく知られていますねそれとは別に設立した“ヘップバーン子ども基金”は、いまも息子のショーンが遺志を継いで世界に愛の慈雨を注いでいます。
今回の映画会を通じ、わたしは川崎義佑氏の解説で初めて知りましたが、このユニセフ親善大使の活動の影には、アンネ・フランクとの深い関わりがあるとか。彼女は、ベルギーのブリュッセルで生まれますが、すぐにイギリスへ移ります。そこで第二次世界大戦が勃発。危険を避け、母の郷里のオランダのアルンヘムに身を寄せます。ところが運悪く、その翌年、ヒットラーのドイツ軍がオランダに侵入、国土をめちゃくちゃに蹂躙します。ユダヤ狩りの巻き添えを食ったり、兄は強制収容所に送られたりと、解放までの5年間は苦難と逃亡の連続する日々でした。
そう、アンネ・フランクはすぐそのそばにいたんですね。しかも、年齢もいっしょ。幼いときにアンネと同じものを見たその体験がユニセフ親善大使として、子どもを不幸と不当な扱いから解放する活動に彼女を動かしたとみて間違いないようですね。
最後まで世界の人びとを、美しさとやさしい善意と人類愛とで幸せにしてくれた女性。(2006年3月4日)

〔with: ドロシーさん/03.06〕
>映画「アンネの日記」出演を打診されても、自分の境遇とあまりにも似ていた為に出演を固辞してしまったオードリー・ヘプバーン。あの、輝くほどにまぶしい笑顔の奥には、人に知られることのない苦悩があったのですね。
★…巨匠ジョージ・スティーブンス監督から持ちかけられた出演依頼を、飢えと混乱と殺戮の、あのつらい記憶の残るところに戻るのは耐えられないと、断ったという話は有名。オードリーのアンネも、こちらとしては見たかったですけどねぇ。

>それがあってこそのあの笑顔なのでしょうか…。
★…ほんと、あの美しい笑顔に会ったら、どれほどこころに重い悩みがあるときでも、ニッとこちらも笑まずにいられません。「ローマの休日」に出演したのが23~24歳のころ。もっとも輝いたときなのでしょうが、「戦争と平和」「昼さがりの情事」「尼僧物語」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」…、もう、どれもすばらしい。「シャレード」「暗くなるまで待って」「おしゃれ泥棒」でも、忘れがたい個性的な印象を残してくれています。オードリーなんて嫌いさ、なんてのがいたら、もう、ポカポカなぐってやりたいもんね。

>映画「ローマの休日」の最後のシーン、グレゴリー・ペックが、一人足音を響かせて出て行くシーンで、小2くらいだった私は号泣してしまいました。
★…は~っ、ドロシーさん、おませなんだぁ。十数回みていても、あの恋のつらさ、せつなさを知ったのは、20年ぶりとなる今回がはじめて。だって、もう、オードリーの笑顔とスカッとしたおしゃれに出会えるだけで十分に満たされてしまいますのでね。そのわがままぶりも、気まぐれも、みんなみんなひっくるめて許してしまえる、そんな愛らしさ。じっさい、あんな女性がそばにいてくれたら、毎日が幸せだろうな、楽しいだろうな、とドキドキしちゃいます。

〔with: Play with meさん/03.06〕
>あの輝く瞳、穢れのない美しさに引き付けられたものです。ヘップパーン・カットのヘアースタイルがはやったですね~~。あの白いフレアー・スカートのワンピース、今でも忘れられません。当時の少女達の憧れでしたね。何度でも見たい映画です。
★…Play with me さんも、あのファッションに憧れましたか!? 1960年代、わたしの姉なんかもあのヘアー・カットを真似たものでした。姉のような田舎ものにかぎらず、だれが真似たってヘップバーンにはぜんぜん近づけもしませんでしたけどね。
 王女であることをひととき捨てて、アンはふらりとローマの街の雑踏に迷い出ていきます。そのときには、ピカピカと身を飾るようなものはいっさいつけていないんですよね。スッピンというんでしょうか。おしゃれらしいものといえばネッカチーフくらい。それでも、ごくありふれたフレアー・スカートも白いブラウスも、すばらしくカッコいい。初めて見るような新鮮さにさえ映る。男もののバカでかいパジャマでさえ、彼女が着ると最高の衣装にも見えてしまう。美しく気品のある人って、トクですねぇ。何を身につけても似合う。何もつけないでも似合う。それにひきかえ、センスなんでしょうか、中身の輝きのある・なしでしょうか、いくら外国の高級ブランド品をつけても、そうは見えないダサイ人もいるというのに。

>ヴォランティアをされているのは知っていましたが、素敵な熟年のお顔でしたね。
★…世界のスターとしての輝きの影には、ウィリアム・ホールデンほかとの悲しい恋があったり、数度の流産があったり、二度の離婚(三度の結婚)があったり、毎日が嵐のなかにいるようだったらしい。しかし、60歳を前にすると、華やかな舞台とは裏腹の、貧しい、愛に飢えた子どもたちの待つ、腐臭と破壊と争いに満ちた街に立って働いた人。1945年、祖国オランダがナチスのドイツ軍から解放された、その飢餓と衰弱のときにユニセフから受けた救援物資のことが忘れられず、晩年をユニセフ親善大使として子どもたちとともに不当な差別、虐待と戦っています、末期がんの病魔に冒されて倒れるまで。 いまは、スイス、レマン湖を見下ろすトロシュナの共同墓地で永遠の眠りを静かに眠っているとか。

〔with: ドロシーさん/03.07〕
> 若き日のオードリー・ヘプバーンも大すきですが、ショーン・コネリーとの共演の「ロビンとマリアン」は大人の洗練された映画で、これまた大すきです。ショーンとオードリーが見つめあうだけで、ドキドキします。
⇒オードリー出演の映画はけっこう見ているつもりでしたが、「ロビンとマリアン」は知りませんでした。考えてみると、1960年代までのもの、1967年の「暗くなるまで待って」までで、そのあとの数本については知りません。ま、好きなのはいっぱいありますが、なんといっても「ローマの休日」でしょうか。

⇒ おませなチビ・ドロシーさんが「ローマの休日」の最後のシーンで泣いたという、その意味が、今ごろになってようやくわかりました。鈍ですね、わたしって。いや、とにかく、オードリーの妖精のような魅力、生き生きとしたその動きと表情を見ているだけで、ほかはどうでもよかったようなものですので。だって、ほかにはこんな存在って、ないでしょう。
そうなんですね、特ダネとして売られることがなくてよかった、というだけでなく、あそこはほんとうはどうしようもなく悲しい場面なんですね。考えてみれば、すべてはあそこまでで、それ以上には、誰にも、神さまでさえ、どうすることもできやしない悲恋だったんですね。凛々しい表情で記者たちの前にすらりと立ち、静かな微笑みを浮かべて一人ひとりに挨拶するあの姿には、そんな運命的な悲しみがあったんですね。

> でも、オードリーが常に横にいるとしたら、あくびもくしゃみもできなくなっちゃいそう。
⇒ ほんとにね~。わたしが大富豪か貴族に生まれていたら、あるいはまたとびきりのダンディだったりしたら、そんなことも考えられないでもないでしょうが、あ~あ、これも悲運というもの! 世の中、不公平だな~。いや、そんなことオッケーよ、そばにいてあげる、といわれたら、うん、あくびもくしゃみも、おならもいびきも、がまんしちゃうけどね。(困るなあ、花粉飛散のころのくしゃみはこらえられないだろうなぁ。それに、あの人、料理なんかできないんだろうなぁ。食いしんぼうなのに、わたし、餓死させられるの、やだなぁ)
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