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――ラボ・ライブラリー制作余話 & 周辺情報集 《物語寸景〔1〕〔3〕〔4〕つづき》


※日記、またはいろいろな方の掲示板やE-Mailに書き込んだものの再録です。ご了解くださいませ。



《ギリシア神話、トロイア王妃アンドロマケ/トム・ソーヤとハックルベリー・フィン/トム・ソーヤ/白熊の王バレモン/太陽の東 月の西/はなのすきなうし=2》





◇5-6 ギリシア神話―トロイア戦争のなかの女
 ――トロイア王妃アンドロマケの悲劇、心の昇華と新しい蘇生

 トロイア王国の王子ヘクトールに嫁したアンドロマケという女性。古代トロイア戦争の神話に登場する女性で、まず、父親と七人の兄弟をギリシア軍に殺され、母親もアルテミス女神の矢に射抜かれて死にます。さらに夫のヘクトールは宿敵のアキレウスとの一騎打ちで槍で仆されます。そのあとが眼も当てられぬ酷さ! 自分の死骸は父王プリアモスの手に渡し火葬させてほしい、と武士の情けでアキレウスに求めるが、復讐の鬼と化した敵はそれを一笑に伏し、その遺骸を軍馬にくくりつけて狂ったように疾走、土ぼこりのなか戦場をひきまわします。神をも恐れぬアキレウスの所業はのちに神罰を受けることになりますが。スカイア門の上からその惨劇を目撃していたアンドロマケは色を失い号涙し卒倒する。眼前にした夫の最悪の死に方。トロイアの命運は、オデュッセウスの奸計による「木馬」を待つまでもなく、事実上このときに尽きたといえるかもしれません。この戦争のなかで根絶やしにされて天涯孤独になった美しい王妃。望んだ自らの死は許されず、不幸はまだまだはまだまだつづきます。王妃の座から女奴隷へと転落する運命へ。勝者のギリシアの戦利品として異国へ、東洋から西洋へ連れていかれ、苛酷な労役と、戦勝国の男たちに自由にもてあそばれ、宿敵の子を次つぎに産むハメに。屈辱と忍従の日々を「耐える女」に徹して蘇生の時期を待つ。迫害と辱めを受け、極限の生に耐えつつ、身を滅して屈し、従うことによってのちに生命の蘇りを果たすわけですが、これこそが「東洋の女の忍従」、西欧世界で生まれ育った人間にはない生き方と言えないでしょうか。

 戦争に勝ったギリシア軍はトロイアにある限りの財宝と女たちを奪って分け合い、帰国します。王妃アンドロマケが分配されたのは、なんとまあ、ネオプトレモス。父と七人の兄弟、そして夫を殺した宿敵アキレウスの、その息子である男。この男がまたどうしようもなく惨いヤツ。トロイア落城のとき、ゼウスの祭壇に逃れた父王プリアモスを引きづり出し、情け容赦なく首を刎ねる。ギリシアに連れ帰ることになったアンドロマケ王妃につかつかと近づくと、王妃が胸に抱いていたヘクトールとのあいだの一粒だねのアステュアナクス、恐ろしさに震えるその幼子を母親の腕からもぎ取り、王城の矢狭間から投げ落とす。その可哀そうな死骸に衣をかけてやるいともも与えず、アンドロマケを船に追いたてギリシアへ連れ帰る。さらにネオプトレモスは、アンドロマケの義妹ポリュクセネー、美貌で清純なその乙女を、先に死んだ父アキレウスの鎮魂のための人身御供として、衣をはぎとり、ブスリッと刃の下で喉首を斬る。世に並びない可憐さをもつ乙女は血しぶきに濡れて死ぬ。戦争とはもともとそうした非情なものなのでしょうか、…この古代トロイア戦争の残虐ぶりも日本軍七三一部隊が満州でおこなった非人道的な人体実験の数かずも。

 暗転しつづける彼女の生。明日の希望のすべてを踏みにじられたあと、なお苦界に生きるために、この誇り高い貞淑な王妃はどうしたか。奴隷にされ、妾にされ、屈辱の極みを味わされるが、逃れようもない生と知って、憎むべき男ネオプトレモスとのあいだの子を三人も産む。男を憎むがゆえにその子を生む。そこはなかなかわたしなどには理解できない心情ですが。また、のち、ネオプトレモスがデルフィで客死したあとには、王国を継いだヘレノスの妾とされ、その男とのあいだにも一子をもうける。三人の異なる男とのあいだに五人の男子を産み、そしてついには王座を取り返す強靭な生命力を見せます。
 つまり、この子どもたちによって新王国建設という運命の逆転を果たすんですね、アンドロマケは。ネオプトレモスとのあいだの長子モロッソスがエペイロス王国を、その末子のペルガモスは「東洋」の地、トロイアにほど近いところにペルガモンという新王国を。ペルガモンは標高300メートルの景勝の地にある美しい町です。アンドロマケは最晩年の身をここで落ち着け、一日として忘れたことのない「東洋の地」で心の昇華と新しい人間として蘇生します。

 運命に逆らわないこの生き方は母性の原型といえないでしょうか。ある意味で、恐いですね。男はすぐに武器をもって相手に復讐しようとカッカといきり立つ。それにひきかえ、見せ掛けとは異なる女の内奥にひそむ深き思い。絶望することなく、ひたすら忍従することによって主権を奪い返したこの東洋の女がつくりだすドラマは、こぜわしく自己主張する女のそれよりも、はるかに濃密なものがあるように思えて、わたしは感動を覚えるのですが。〔2007.03.30〕


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◇5-5 「トム・ソーヤ」と「ハックルベリー・フィン」
 ――アメリカの大自然を描く一大叙事詩であり、この国の抱える宿業の課題にも

 9月21日、宮澤賢治にこころを寄せるその日、わたし自身は、地域の文化講座で、マーク・トウェインについて2時間ほど口演してきました。その処女作となった「キャラヴェラス郡の跳び蛙」から、代表作「トム・ソーヤの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」。そして悪魔に魅入られたように次つぎと不幸(※注)にみまわれた後半生に、とつぜん、ペシミズムの色が極度に濃くなって、やたら人間の醜悪さ、卑劣さを書くようになりますが、その象徴的な作品「ハドリバーグを堕落させた男」「不思議な少年」といった作品へとたどりながら、その文学的軌跡と、米文学史における意味、といったあたりをしゃべりました。
 時間がなく、深くは触れることができませんでしたが、わたしがほんとうにしゃべりたかったのは、「トム・ソーヤの冒険」と「ハックルベリー・フィンの冒険」のあいだの比較。わたしが比較するまでもなく、文学としての社会的な評価は圧倒的に「ハックルベリー・フィン」なのですが、日本における人気という点では、これまた圧倒的に「トム・ソーヤ」のほうなんですね。ラボのものも含めて、子どもらしい自然さ、無邪気ないたずら、悪知恵、大人が押しつける規範への抵抗、冒険…、といったところで日本の読者に受けていますが、この作家が生涯を通じて本当に書こうとしたのは、そういうことではなく、「トム・ソーヤ」のほうではこの作家に特有の諧謔の精神はぐっと薄められているように思います。

 「トム・ソーヤ」を書いたのが41歳のとき、「ハックルベリー・フィン」を書いたのが49歳のとき。作家としての成長、人間としても成熟、ということもあるでしょうが、「トム・ソーヤ」には、初期の傾向、フロンティアのトール・テール(ほらばなし)の雰囲気が多分に入っています。処女作「…跳び蛙」に近い、軽いユーモラスな筆致の、自由奔放さがあり、それが魅力でもあります。中西部にあってさんざん失敗を繰り返し、一攫千金を夢みてゴールドラッシュに沸く西部へ兄とともに行きます。鉱山のまわりをうろうろ徘徊する日々のあと、やっと新聞社に職を得て文章を書くようになりますが、新聞といっても、教養のない鉱山労働者たちが読む新聞ですから、内容は、社会的なニュース、政治状況、社会思想なんぞとはぜんぜん違います。場末の酒場で語られるような、おもしろおかしいバカばなしであり、うわさばなし、悪口陰口、それに他愛もない娯楽、そんなものばかりです(「ミシシッピーの人びと」参照)。もう、虚栄も知らない、ナマの人間そのままを生き生きと描くことをやって、とつじょ「太平洋岸の野性的ユーモア作家」として東部のほうでも評判になります。その流れの勢いのなかで書いたのが「トム・ソーヤ」と云えるように思います。俗語や方言を随所に使いこなした、簡潔で率直な文章と云えるでしょうね。もちろんこの作家には文学修行の経験なんてありません。

 わたし個人の好みとしては、どうも、そういう文章は苦手でした。ひと世代前の作家、たとえばメルヴィルやホーソンの格調高い文体に馴染んでいたこともあるでしょうが、いくら斬新だといわれても、臭くって、軽くって、どうも好きになれませんでした。
 しかし、ヘミングウェイが「アメリカ現代文学は『ハックルベリー・フィンの冒険』の一冊にはじまる」と云ったように、読んで一発、たしかにこちらは傑作だと思いました。日本では「トム・ソーヤ」の姉妹編と呼ばれることが多いですが、やめてくれ~、といいたいほど、こちらにはピーンと来るものを感じました。方言を駆使した闊達な表現で子どもの世界をそのまま描き出し、素朴というか粗野というか、空想力に満ちあふれた子どもならではの自然さ、その自由さをテコにして、虚偽と虚栄に満ちた大人社会を皮肉る、その諧謔精神、ユーモラスな味は、「トム・ソーヤ」とも共通するのでしょうが、それでも、どこかで決定的に違うんですね。
 ハックが逃亡中の黒人奴隷のジムと筏でミシシッピー川をくだる旅のなかで、何気ない表現ですが、こんなことを云います、

 「なんたって筏のうえほど気のきいたところはありはしないぜ。他の場所へ行ってみろ、狭苦しくって息がつまるようだ。ここはそうじゃなくって、とっても自由で呑気で、いい気持ちなんだ」

 アメリカの背骨のようにしてまん中を南北に貫く大河、アメリカの人びとが誇りとして尊ぶミシシッピーの大自然をバックに描かれた一大叙事詩というだけでなく、アメリカのノドに古くから突き刺さっているトゲ、人種差別の問題を、ふたりの少年のごく自然なふれあいでヒューマンに越えていっていますね。この作家の本領はここではないでしょうか、マーク・トウェインが「アメリカ文学の父」と呼ばれ、アメリカの国民的作家とされるのは、ここ。そして、この作家の作品を読み解くポイントもこのへんにあるのではないでしょうか。
 それにしても、ハック。仕事もしない呑んだくれで、何かといえばすぐぶんなぐる、どうしようもない粗野な父親と決別して、自らつくりだす筏のうえの自由さ!(トム・ソーヤの家庭環境とはまったく違います)。そこでははっきり云わないでも、アメリカ社会の腐敗、愚劣さ、物質万能主義、センチメンタリズム、偽善といったものが、雄渾な大河の流れのうえにハダカにされ、ふわふわアブクのように浮き上がって見えてきます。
 “気のきいた筏のうえの自由な日々”…。いまの日本の子どもたちの閉塞感と孤独を想うと、なんという晴ればれとした風光ではないか! 自由といいながらちっとも自由でないこのごろの子どもの実像とは、なんと対照的なことか!
 「トム・ソーヤ」のテーマ活動に取り組むに際しては、皆さんよくご承知のこととは思いますが、ぜひ「ハックルベリー・フィンの冒険」まで広げてテーマを探ってほしい、と、わたしは思うわけです。

※注…絶頂期を経て、50歳代の半ば、相次ぐ不幸にみまわれます。まず、母の死、自分のつくった出版社の破産と巨額の負債、長女の急死(脳膜炎)、妻の喘息発作の発病と死、すぐつづいて次女の交通事故死、三女は風呂場で不慮の死…、といった不幸。晩年のマーク・トウェインは、ペシミスティックな作風を示すようになり、悪夢や予言に深い関心を寄せ、白い衣服しか身につけないというような奇行が目立ったといいます。

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>この夏、偶然にも「ハックルベリー・フィンの冒険」を買い、読みふけっていました。トム・ソーヤの育った環境とは違い、本当にまともな教育を受けていないハックが、逃亡奴隷とともに行動する。逃亡奴隷を助けるということは、当時では大罪。〔Dorothy さん 06.09.21〕
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⇒ 逃亡奴隷のジムをその所有者に渡さないと決意した瞬間から、さまざまな問題が起こってきましたね。旧家のいさかいに巻き込まれたり、ふたりの詐欺師にまんまと利用され、ジムを売りとばされたり…。そのあとのさまざまな救出作戦がおもしろいわけですが。
アメリカの児童文学に黒人奴隷の問題が登場するのは、これが初めてではありません。「ハックルベリー・フィンの冒険」が世に出たのが1884年、それより先、1852年にはストウ夫人の“Uncle Tom’s Cabin”が出ていますね。これはかならずしも子どもの文学とは呼べないという面もありますが、ご存知のように、黒人奴隷トムの感動的なすがた――、どんな迫害にも屈せず、愛と信仰と忍耐を見失うことのない、寛容な忍従のすがたを感動的に描いた作品。奴隷制度の廃止を主張し、その解放のための南北戦争の気運をもたらしたとされる作品で、リンカーン大統領の奴隷解放宣言以上に影響力は大きかったといわれます。
にもかかわらず、なぜマーク・トウェインがまた改めて同じ問題を書いたのか。ストウ夫人(ハリエット・ストウ、1811~96)は、神学者の娘として生まれ、聖書の文学を教える牧師と結婚した人。いわゆる“ハイソ”な人で、その主張も、どこか、市民のもの、働く人たちのものではなかったということではないでしょうか。トムの不自然なほどに寛容なすがたは、白人にとって都合のよい黒人像を示すものだったのかもしれません。アメリカがその誕生以来抱えている重たい社会問題、根深い社会悪を感傷に流しているとの批判は、ある意味では当たっているかも知れません。遠い東海の小島に生きるわれわれには考えおよばない深い問題、いまもって解決しない問題がそこにはあるようです。


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◇5-4 「トム・ソーヤ」の背景にある南部問題

 地域でおこなっている「ふれあい読書会」(月1回)のきのう(7月20日)ではW.フォークナーの作品を語りました。ここ数日はアメリカのDeep Southの問題、――南北戦争のあとの荒廃と、そこで失われた南部独自の文化・伝統、それでもなお失われることのない南部の誇り、それと同時に宿命的に背負う自らの矛盾と罪=奴隷制度――偏見と差別、悪徳と堕落と暴力を生む特異性、陰惨さと明るさがひとつに交じり合う世界…について考える数日でした。そこは、ラボの「トム・ソーヤ」ではきれいさっぱりと削ぎ落とされている部分ですよね。文学というときには、そういう真実の部分もきちんと見ておくセンスがないとな~、それとも、ラボの活動は文学とは関係ないのかな~、と、ふと思ったものです。
 ごく少数の南部貴族の大地主、それに、大地主に酷使される貧しく無教養な白人たち、そしておびただしい数の黒人奴隷たちで構成されるその社会。これって、「勝ち組」「負け組」がいわれるいまのこの日本の社会、どんどん格差の広がる社会とそんなに違っていないようにも思えました。〔To: candyさん 2006.07.20〕

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◇5-3 北欧の妖精ばなし 白熊の王バレモン
 ――トロルと北欧の風光を追って――

〔Basshiさん/2005.11.01〕(一部略)
私は、先日ふとした御縁で、これを入手いたしました。発行所はラボ教育センター、初版第1刷発行は1982年3月5日とあり、編集・訳者は山室静さんです。このお名前を見て、どこかで見たことがあるが、と一瞬手にしたまま考えました。どうしても気になったので、自宅に戻ってからネットで検索してみたところ、この[ひろば@]でお名前を拝見する「がのさん」がこの本の編集に携わっていたことを知り、思わず、読みふけってしまいました。(2004年2月の日記上で交わされた"掲示板”が、検索にヒットしたのです)
訳者・山室さんに話を戻すと、私は、お名前からも解説等の優雅な文章からも女性だとばかり思っており、写真付きの紹介文を見て「あ、男性だったのか!」と驚く始末です。
2000年にお亡くなりになられていますが、訳を手がけられた作品は数多く、『いたずらっ子マディケン』偕成社、『おにんぎょうのミラベル』文研出版、『きつねとトムテ』(絵本)ポプラ社、『さわぎや通りの子どもたち』講談社、『たのしいムーミン一家』『ムーミン谷の仲間たち』『ムーミン谷の冬』講談社、『ちいさいロッタちゃん』『ロッタちゃんとクリスマスツリー』『ロッタちゃんとじてんしゃ』『ロッタちゃんのひっこし』偕成社、などがあるようです。
もっぱら私はムーミンやロッタちゃんから、お名前を拝見したのかもしれません。私が入手したラボ教育センター発行の本ですが、残念ながら、アマゾンでは取り扱っていません。また、オンライン書店の"bk1"でも取り扱いがないと出てきました。つまり、手に入れるには、ラボ教育センターの倉庫の隅っこを探すしかないのかもしれません。
また前後しますが、なぜ私がこの本を手にしたか? それは、今「ヘルガの持参金」に取り組んでいるからです。随分前に「トロル/トロール」については、各自調べてシェアしたのですが、それでも、あまりにもいろいろなトロールが存在して、果たして大きいのか小さいのか? また洋服を着て人間に近いものや巨人で妖怪のようなものまで…。結論としては、「私たちの思うトロールでやりましょう。これという正解を調べることが目的ではないから」という流れになりました。とはいうものの、気になるじゃないですか、やはり。
「…<略>…トロルの語義ははっきりしないが、とにかくスノリなどは、ほとんど巨人の意味で使っている。それがその後の民話でみると、巨人に比べて形が小さくなり、代わりに頭が三つあるとか七つあるとか、奇怪な姿をしていることと、魔法にたけていることが特色のように見える。現代語でトロルドムといえば、魔法をさす。…<略>…これは、人間の力と知識が進んで、もはや超自然的な巨人やトロルをそう恐れなくなった結果だろう。そして巨人やトロルのほうで、むしろ人間の機嫌をとり、できたら人間の仲間に加わりたいと考えているものと、人間が考える証拠とみてよいかと思う。一口にいえば、巨人やトロルの人間化だ」(この本は、「北欧の妖精ばなし」とあるように、妖精についても同じく述べてあります)
この解説文により、「あ~気持ちいい!」とすっきりしました。“トロルの人間化”という一言でスーッと私に納得がいきました。ラボは素敵な本を出していたのですねぇ。
                    ☆
お~、なつかしいものを掘り出してくださいました。注目していただけるほどのものではなく、ごくつつましい本ですが、わたしにとってはほんとうになつかしい本です。
エッダとサガなど、たいへんゆたかな民話・伝説をとどめる北欧ですが、当時まだわが国にはあまり紹介されることもないなか、世界の物語の源流を探ることをひとつのテーマにしてまず採りあげたのが「太陽の東 月の西」でした。日本の神話「国生み」のつぎのステップということですね。以降、ロシアの民話とトルストイ、ギリシアの神話と英雄伝説、イギリス昔話、「竹取物語」(なよたけのかぐやひめ)をはさんでアジアの昔話…などとつくってまいりましたが、北欧がなぜ物語の源流なのか、そこをなだらかに知っていただき親しんでもらうことを願って、たいへんいそがしいなか、年末年始の休暇を使って編集したものでした。
夏休み明けから小田急・柿生駅から10分ほどの小さな山のなかにある山室先生のお宅に入りびたり、構想をまとめ、新しく翻訳していただきました。広くみなさんに北欧の世界に親しんでいただこうということから、三部構成にし、1.妖精とトロルのはなし、2.巨人や魔女や人魚のはなし、3.神話・伝説・歌謡から、とし、ラボの活動に資するよう、この種の本としては丁寧すぎるほどの解説を添えてもらいました。
忘れてしまいましたが、発行部数はそんなに多くはなかったと思います。ですから、これをお持ちのテューターもさほど多くはないはず。それでも、これを発刊した直後に山室先生の喜寿のお祝いが東京・目白の椿山荘で開かれ、埴谷雄高、本多秋五ら名だたる小説家、立原えりか、工藤直子、安房直子らの詩人・児童文学者が二百余名集まりましたが、その人たちへの手みやげに供されたのが、できたばかりのこの本でした。喜ばれましたよ。わたしも、たくさん朱のはいった編集用のもの(再販に備えて)を1冊持っているのみです。

山室先生には、以後、これにかぎらず、いろいろなことを教えていただきました。たとえば、「いまいちばんいい翻訳をする人はだれか」(翻訳をたくさんしておいでのご当人を前にしていうには失礼な質問ですね)、と尋ねて挙げてもらい、紹介してもらったのが神宮輝夫先生でした。”Tom Tit Tot”の翻訳へ、「三びきのやぎのがらがらどん」へ、「ふしぎの国のアリス」へ、さらにその先へと、そこからまたたくさんのすぐれた才能と個性にラボが出会うことになったことはいうまでもありません。混乱と低迷の谿を越え、つづくラボ・ライブラリー制作第2期再生の流れをつくった水脈は、ここに発するといえるかもしれません。
絵本といえば、それまでは(自社版を除くと)ほとんど福音館書店のものに限られていましたが、「がらがらどん」を契機に、海外を含む広い他の出版社とのあいだの版権取得の道を切り拓いた意義は図りがたく大きかったといえましょうか。

じつはこの本を出して間もなく、山室先生の書庫が火事になり、たくさんの貴重な蔵書が失われました。北欧関係の蔵書のほとんども焼けてしまいました。たばこの不始末によるものでした。3日間ほど、わたしも全身ススでまっ黒になりながら整理と後片付けのお手伝いをいたしました。多少焼け残っているのもあり、陽に干したらどうにか助かるだろうかと思っても、水を大量にかぶっていましたので、もうみんなだめでした。その意味からも、いいタイミングで出すことのできた、小さいながらたいへん貴重な本と云えるかと思います。

もうひとつ加えるなら、さし絵を描いてもらいたいと思っていた画家さんが何人かいたにはいたのですが、ラボが経済的にたいへん逼迫していた時代でした。これを出すについてわたしに預けられた予算は口惜しいながらスズメの涙ほどのものでした。印刷ももうちょっといいところでと思っても、予算がないんです(印刷状態もあまりよくなく、汚れが気になりますが、それはこんな理由によるものです)。仕方なく(といったら失礼なのですが)、絵のほうは以前からの知り合いの磯目雅裕さんにほとんどロハの画料でやってもらいました。その磯目さんも、なんのたたりか、惜しいことにこの本の刊行約1年後に若くして亡くなりました。
ささやかな、ごくつつましやかなものながら、思いの尽きない本です。(2005.11.03)
                    ☆
目立つこともない、こうしたつつましい本に注目くださいましたこと、たいへんうれしく、感謝申し上げます。初版はわずかな部数にとどめ、様子を見ながら再版を、と考えていて、いまもわたしの手元には表紙に「編集用」と赤マジックでしるし、中には修正用の「朱」がいっぱい入った1冊があります。次へ次へという企業の経済原則のなかで、残念ながら埋没してしまい、忘れ去られ、今となっては再販は無理かも知れませんね。考えれば考えるほど、山室先生の存在とあの本がラボ・ライブリー制作第二期の濫觴であったことを思います。
なお、山室先生のたくさんの著訳書を挙げてくださいましたが、ほかに忘れてならない業績があります。アンデルセンの作品をたくさん翻訳し紹介していること、アンデルセン研究に秀抜な視点を入れていることで、とりわけ「アンデルセンの生涯」は名著で、毎日出版文化賞を受けていますね。さらには、シュティフターの宝石のように美しい文章をはじめて日本に紹介しているし、タゴールの詩の紹介も。もうひとつ付け加えると、「新編世界昔ばなし集」全10巻(教養文庫)の編・訳もたいへんな業績とされていますね。(2005.11.06)


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◇5-2 太陽の東 月の西


〔To: ちゃこさん〕
お~、北欧のほうへ旅して来られたのですか。羨ましいことです。さぞかしいい絵が描けたことでしょう。

物語の雄大さに比して、ラボ・ライブラリーの絵本は少しお粗末であったと思う。語りからのイメージ、文字を読んでの思考、確かに大切で十分かもしれないが、挿絵、絵画によってさらに夢の世界を旅させてくるともいえる。私は、「太陽の東 月の西」では、手放せない本がある。カイ・ニールセンの「太陽の東 月の西」である。

そうなんですね、新しい制作体勢が整わないハザマで作られたライブラリーで、わたしにもその印象は強く、思いを同じにいたします。なんといってもこの物語は西欧の昔話の原型をなす大事なものなんですよね。山室静さんにそのことはずいぶん云われました。カイ・ニールセンのものについては寡聞にして知りませんが、それとは別に、わたしはアメリカへ行った折、NANCY WILLARDが戯曲仕立てにし、BARRY MOSERが絵を描いている絵本を手に入れ持ち帰っていますが、こういうものを見るにつけ、本についても音についても、もうちょっと丁寧につくればよかったのになぁ、の思いを抱きつづけています。(注文をつける立場にはありませんが)扱われることの少ないライブラリーと聞いておりますが、なんとか子どもたちに親しんでもらえないものかと…。(2004.06.21)

〔To: ちゃこさん〕
カイ・ニールセンの[太陽の東 月の西」の日本語版は、新書館から岸田理生の訳で出ています。

⇒ いまは忘れてしまったことばかりですが、そういえば瀬田貞二さんがこの本のことをどこかで云っていたように思います。「太陽の東…」は、その後間もなく、わたしが制作に携わるようになり「三びきのやぎのがらがらどん」をつくるときに、たしかもう一度出会っていますね。アスビョルンセンとモーが集めて作った「ノルウェーの昔話集」にともに採られているものだったような…。この「太陽の東…」や、ラボ教育センターで出版した「白熊の王バレモン」(山室静編・訳)など、この北の国には異類婚姻譚が多いことが当時はやけに印象に残りました。まさにそこが北欧の昔話の原型のようなものだと。北欧のきびしく荒々しい自然がトロルや魔霊やこういう異類のイメージを生むのでしょうかね。北欧の旅でその実感を深められたことでしょう。(2004.06.21)

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◇5-1 はなのすきなうし

〔スミティさん〕
なぜコルクの木なのか。物語寸景〔4〕を読んで。
秋の地区教務のテーマが「はなのすきなうし」で、取り組みました。コルクの木って、幹がコルクになるそうで、幹をはがれるんです。毎年、毎年。そうすると、幹が細くなったコルクの木になるんです。(2005.10.24)

【コルクの木再考】
★…どこで仕入れましたか、その情報は? 「幹がコルクになる」「幹が剥がれる」「幹が細くなる」ということになると、これまでのわたしの理解とだいぶ食いちがうし、「物語寸景4」で書いたのとも違うものですから、気になって、きょう図書館に寄り、手当たりしだい調べてみました。子どもむけの植物図鑑数冊と、ほかの主なものは、小学館の「万有百科辞典」の19「植物」、学研の「図詳エリア教科事典」、玉川大学編の「玉川児童百科辞典」の7「植物」、小学館「日本大百科全書」、平凡社「大百科事典」などなど。
「コルク」「コルク形成層」という項についてはかなり詳しく解説されていますが、「コルクの木」「コルクがし」について書いているものは、この限りであまりありませんでした。そして、この限りで、「幹がコルクになる」「幹が剥がれる」という記述はひとつも見られませんでした。
いくら丁寧に解説されても、専門的な用語はわからないのですが、要は、コルクとは樹木の保護組織だということですね。端的にいえば、わたしたちが転んだり切ったりしてケガをすると、なおっていく過程でカサブタができますよね、あんなものといっていいでしょうか。コルクがしでなくても、身近に見られるケヤキでもカシでもいいですが、刃物で木肌に傷をつけると、間もなくタンコブのようなものができますね、あれと同じ細胞の集合体と考えていいように思います。それがコルクがしや、日本でいえばアベマキなどの場合は、ごつごつしたタンコブのようじゃなく、きれいに規則正しく配列して分厚くつくられているということのようです。
木が誕生し、基本的な一次組織ができあがると、1年以内に表皮のすぐ下、すなわち皮層のいちばん外側にコルク形成層が発生します。それと同時に、分裂を繰り返して内側に向かい、古いものと交替するものもあり、こちらはコルク皮層と呼び、外側のコルク組織と合わせて「周皮」というようです。20年生以上の樹木の周皮を剥ぎ取ったものがコルクで、必要によっては、それを砕いたり、圧搾整形したり、接着成型したりして使うことになります。
コルク層ができはじめると、これは水分を通しませんので外側の組織から死んでいきます。あの軽い独特の、原形質のない中空の死んだ組織がつくられていくわけですね。人間の社会と似ていませんか。組織に新しい人が入ってくると同時に古い世代のひとがどんどん窓際へ押し出されていき、あまり大事な働きをしないで日をすごす有閑族になっていく…。哀しいですが仕方ありません。でも、そんなロートルでも使い方によっては思いがけなく役に立つこともある、という。それはともかく、ほかの例で見るとよくわかると思いますが、たとえばスギやヒノキ、あの樹皮は古くなると細長い帯のようになってぼろぼろ剥げますね。剥げたものをピーッと縦に剥がして屋根を葺くのに使うこともあり、それが神社などで見られる桧皮(ひわだ)葺き。あるいはシラカバの樹皮の剥げ落ちるのをご覧になったことがあるでしょう。あの場合は薄い紙のようになって剥げ、また新しくなりますね。あんなのじゃなく、もっと厚いりっぱな層をつくるのがコルクがしというわけ。
南ヨーロッパに産するブナ科のコルクがしのコルクがもっとも良質で、コルクというとふつうにはそれを指すようです。樹齢20年ころに第一回の皮剥ぎがされます。これはバージンコルクと呼ばれて、品質の点ではぜんぜんだめだそうです。これも人間と同じかな。新入社員が役に立つには時間がかかります。その後9年ごとに皮を剥ぎ、樹齢150年くらいまで質のよい板状のコルクを剥ぎ取ることができるのだそうです。

コルクがしCork Oakそのものについてふれているのは平凡社の「世界大百科事典」くらい。これによると、クエルクス・スベルとクエルクス・オッキデンタリスという2種類があり、ともに高さ20メートルにも達する常緑のカシの一種。枝には黄色い毛が密生している。葉はほぼ卵型、先がややとがり、基部は丸かったりハート型だったり。長さは3~7センチ、8~15ミリの柄がついている。葉の両側は短いノコギリの歯状の刻みが4~5個ついている。上は濃い緑色で光沢があり、裏には灰色の毛が密生しているのがふつう。春に花が咲き、種は秋から冬にかけて熟して下に落ちる。その果実(どんぐり)は、短い柄のついたコップ型の皿をともなう長楕円形で、長さ1.5~3センチ。ヨーロッパではスペイン、南フランス、ポルトガル、イタリア、モロッコ、チュニス、アルジェリアに多く、天然林もあるにはあるが、だいたいは栽培されているとのこと。

〔スミティさん〕もしや作者もそう思ったのかなあ、それで、幹ではなく、実でコルクができたら、こうはならなくてすむのに、と思って、コルクの実をつけた、幹がどっしりしたコルクの木の下に、フェルディナンドを座らせたのかなあ、なんて感じました。
★…なるほど。こういう作品ですから、科学的な正確さよりは、そんなおもいやりのある読み方のほうがいいでしょうかね。スミティさんのやさしさなんでしょう。それはそれですばらしい感度だとは思いますが、ただ、客観的には上記のようなことも踏まえたうえで取り組まれるほうがいいのではないですか。「物語寸景④」のほうでも、ずいぶん多くの人に聞いてまわったものです、なにせ自分の目でじかにコルクの木を見たことはありませんので。バルバさん(関本さん)がよくご存知でしたよ。(2005.10.25)
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