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0705
旅の落し物〔海外編〕


◆HAWAII

◎レイについて

 ハワイに着いたら、小麦色の肌をした美しい娘さんが待っていて、レイをかけてくれながらチューをしてくれる…。だれだ、だれだ、そんなでたらめを云ったのは! それどころか、この時期はテロの警戒もあって、入国審査がたいへん。うんざりするほど長いあいだ列に並ばされ待たされる。そして、むやみにご丁寧な荷物検査とボディチェック、左つぎに右の指の指紋をとられ、顔写真を撮られ、パスポートの写真とジロジロにらみ合わされ…、ようやくパス。ここだけで1時間半。短気で、列に並ぶこと、待たされることの大嫌いなわたしは、もう二度とこんなところに来てやるものかと、怒り心頭、不愉快さに身を慄わせたような有様。
 それでも、やっと解放されて外へ出た瞬間、澄みとおった光線がまぶしく迎えてくれ、まあまあ、なんという明るさ! ついぞ見た覚えのないようなコバルト色の空が、まっ白な夏雲を裾に布いて広がっている。不愉快な怒りはいつの間にか霧消していた。気分屋なんでしょうかね、わたしって。

lei04lei028


 あっ、レイのことでしたね。ハワイといったら、フラダンスとレイとウクレレ。ホノルルマラソンやサーフィンや新婚旅行を思い浮かべる人もいるでしょうか。ぜんぜんこの地に不案内なわたしごときがご紹介するのもナンですが、上の写真・右のレイがふつうに見られるものですね。プルメリアPlumeria(キョウチクトウ科)の白、黄、ピンクの花や、オーキッドOrchid などラン科の花がよくレイに使われているようです。写真・上左のレイは、新郎新婦の両親に教会の人からかけてもらったもの。じつにじつに精巧につくられていて、すばらしい香りがします。何の花だろう、とわからずにいましたが、尋ねると、ジンジャーGinger だという。白いショウガの花を紅いショウガの花でくるんでいます。日本でショウガの花といえば、白。それも目立つことなく、だれも注目しませんよね。でも、ハワイ・オワフ島では白と紅だけでなく、色も形ももっとたくさんあるそうです。そして大きい。ハワイの空のようなコバルト色のショウガの花もあるとか。とにかく、くらくらと酔うほどに心地よい香りです。わが国内で見るものも花にはそんなに変わりはないはず。お気づきの折にはぜひ一度鼻を近づけてみてください。なお、ハワイの花といえばハイビスカスが思い浮かび、赤や黄の大輪がどこでも見られますが、花弁が薄く繊弱だからでしょうか、これをレイにするとは聞いていませんが…。
 写真・下は清楚な香りのプルメリアと、カメハメハ大王像を前にする旧最高裁判所の建物のまわりで見られた紅いジンジャーの花。

plumeria

redginger

 なお、ククイというハワイ州の木(トウダイグサ科)があり、白いこまかな花をつけますが、花のあとの実を磨いてレイにすることもよくおこなわれているとか。わたしは見過ごしましたけれど。


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◎ハワイのことば

 12年余にわたって海外を知らず、英語もすっかり忘れていましたので、どうなることかと思っておりました。まあ、ありがたいことに、というか、数回を除いてほとんど英語で会話する機会もなく、この滞在を終えました。どこに行っても若い日本人ツアー客が多いことから、海のむこうの渋谷、って感じでしょうか。現地の人にしてみれば、日本語が話せないといい仕事に就けないような状態。

 ということはあるにせよ、彼らの日常生活にしっかりと根をおろしたハワイ語もたくさんあることを知りました。わたしたちだって、知っていますでしょ、「アロハ」alohaくらいは。こんにちは、こんばんは、といった挨拶ことばですが、それだけでなく、さようなら、愛しています、愛、などにも広く使われていることばですって。「アロハ・アイナ」といえば「郷土愛」、「アロハ・カコウ」といえば、もうちょっと丁寧な「こんにちは」「こんばんは」になり、たくさんの人を前にしていうことが多く、「わたしたちのあいだに友情がありますように」というニュアンスになるそうです。こちらでは、人を見れば、いつでもどこでも「アロハ」、そして"HANGLOOSE"というらしいのですが、親指と小指を立てて手をひらひらさせます、ニコニコしながら。小指だけ立ててそれをやったら、どうなのかねぇ。
 「さようなら」は「アロハ」でいいのですが、「アフイホウ」というと、もうちょっと軽い感じ、「じゃまた」といった感じでしょうか。間違っても「アホウ」なんて云わないこと。さて、「ありがとう」はどういうか。それくらい知らないと「ヒラヒラ」hilahila (恥ずかしい、間がわるい) かもしれませんよ。「マハロ」mahalo が Thank you ですし、「マハロ・ヌイロア」といえばさらに丁寧な Thank you very much になりますね。
 「カネ」といったら、またお金かよ、と思い、渋い顔をしがちですが、これくらい早く覚えておかないと恥をかきかねません。お金のことではなく「男性」という意味。ほら、トイレを間違えたら、たいへん、あの太い腕で張り倒されますよ。ついでに「女性」は「ワヒネ」wahine ですって。因みにトイレのことは「ルア」lua 。ただし、「地面に掘った穴」とか「洞窟」の意味にもなっていて、昔の用便事情をしのぶことができます、…でしょうかね。トイレのシアワセなときに「オコレ」「オコレ」だって? なんでこの至福のときを怒らなければならないのよ。どうも下品でいけませんね、がのさんは。「オコレ」とはお尻のことですって。
 どうだい、調子は? 「マイカイ、マイカイ」(いいよ、元気だよ)。“毎回”同じこと聞くなよな。
 「ケイキ」keiki はどうだい? 「景気」じゃないですよ。罪をつぐなって「刑期」は済ませたかと訊いているわけでもなく、これ、子ども、男の子、息子のことですから、ま、安心してください。
 笑っちゃうのは「イポ」ipo 。「イボができちゃった」といわれて「うん、どこに?」なんて云っちゃいけません。「恋人」「愛しい人」のことをイポといいます。サンサンさんはヤシの葉陰で「イポ」を見つけて恋をし、結婚したっていうわけ。ロマンチック~ゥ!

 わたしたちの宿泊したホテルは、ワイキキ・ビーチがゆるやかに湾曲する、ちょうどそのまん中へんにありました。すばらしいロケーションでした。そのホテルの前を走っているのがカラカウア通り。ビキニ姿の若い女の子をカラカウのにいい通り、だなんて下司なことを想像してはいけませんよ。ハワイの通りにはよく歴代の王様や王女様の名がつけられていて、これも王様の名からとった由緒ただしい通りの名称なのですから。
 おばさん、ほら、もたもたしないで「ウィキウィキ」wikiwiki しなよ。早く、急いで、というほどの意味。そういえば、ホノルル国際空港のなかを走るシャトルバスの名前が Wikiwiki Bus だったね。
 腰やお尻を「フリフリ」hulihuli おどるフラダンス。「回す」とか「ひっくりかえす」という意味だそうです。「フリフリ・チキン」という現地の人にたいへん人気のある食べものがありますが、これ、チキンを丸のまま、あるいは半身を大きなグリルでぐるぐる回し、ひっくり返して焼いたもの。公園の片隅や野外でよく売られています。
 地名を探っていくと、その起源や由来を知ることになりますし、食べ物の名もユニークです。「オパカパカ」opakapaka といえばヒメダイ。ハワイの高級レストランではよくテーブルに供せられます。とくにこの時期の刺身は脂がのっていておいしかったです。同じ魚で「オノ」はサワラのこと。そのさっぱりした味の白身は「オノ!」で、これは"dericious"の意味にもなっているとか。

 ホノルルのダウンタウンにつづく地区で、アラワイ運河を隔ててワイキキとつながっている繁華街に「アラモアナ」があります。アラモアナ・ビーチパークと向かい合って立つのがアラモアナ・ショッピングセンターが有名で、これは世界最大の野外ショッピングモールといわれ、200以上の有名店やレストランがひしめいているところです。
 「アラモアナ」の「アラ」とは「道」「道路」という意味、「モアナ」は「大洋」「大海」。ですから「海路」というほどの意味になりますでしょうか。「アラワイ」の「ワイ」は「水」の意味ですから、「水路」「運河」となりますね。さて、それでは「ワイキキ」とは? 「キキ」は噴き出すという意味だそうで、すなわち「水の噴き出すところ」ということになりますかね。ちがいますか? ダイアモンドヘッドあたりからの水脈が、その昔、ここまできて噴き出していたのでしょうかね。

 まだまだおもしろいひびきをもつことばを聞きましたが、ここではこれくらいにとどめましょうか。悲しいかな、書き留めておかないとすぐ忘れてしまうものですから、ここにしたためました。(2005.11.30)

 ハワイのことばを自分の耳で聞きながら、一つの発見(!?)をしました。ほら、日本人の苦手な、あるいは絶望的にだめな音に”l”(エル)と”r”(アール)がありますよね。それを区別していうのはなかなかむずかしいし、わたしなんぞはまったくお手上げです。ところが、ハワイ語の”l”はわたしのエル、日本人の発音するエルと同じです。あのややこしい英語の”l”と”r”ではありません。そんなこともあったからでしょうか、なんだか親しいもの、近いものをハワイのことばに感じたのは。(2005.12.01)

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◎オアフ島東海岸へのバス・ツアー

 ホノルル市内からH1ハイウェイに乗り、左手に横たわるコオラウ山脈を見ながら一路東へ。サンサンさんが学んだというハワイ州立大学を左に、右にはダイヤモンドヘッドの裏側を見ながらカハラ地区、ワイライ地区、アイナハイナ地区へ。このあたりは高級住宅街になっているらしい。日本の有名な俳優さんの別荘もこのあたりにいくつかあるとか。カハラからは、マナウル湾を眺めおろしながら別のハイウェイに乗り、ハナウマ湾を一望する展望台へ。両腕を大きく開いたような形になっている静かな湾で、海の色の清さについてはことばを失いますね。
 ふたたびバスに乗って、サンデービーチをすぎ、シーライフパークへ。動物園、水族館があるようでしたが、そこに入園するほどの時間はありませんでした。ここまで来るとさすがに観光客やサーファーの姿は少なく、静かな落ち着きがあります。ちょっと歩いてマカプービーチの砂浜に出てみました。目の前に見える白い無人島がラビットアイランド。右に視線をめぐらせるとマカプー岬が黒々と、ドッシリと。ここの海の青さこそ神さまからの賜りもの、格別なものでしたし、路傍に見たブーゲンビリアのあざやかさも併せ、とてもわたしのペンでは表現できませんね。すばらしいです。
 ここからバスは北上します。ワイナマロ地区はハワイ原住民だけでつくる地域。いくら景観がいいからといって、ほかからここに住もうとしてもだめ、原住民以外のひとが入ってくると、恐ろしい幽霊が出現して徹底的にしつこく追い払われることになっているとか。ほんとうかなぁ。相撲の曙関の出身地がここですって。彼のおかあさんが経営する小じんまりとしたショッピングセンターがあり、その前に、曙関の力強い突き押しスタイルの像が立っているのがバスのなかから見えました。実物大でしょうか、大きかったです。
 つぎに通ったのはカイルアという町。ここにはオアフ島最大の湖があるとか。バスのなかから見たかぎりでは、湖というよりは、ちょっとした池かな。バスの前方にふたつのピークを見せるオロマナ山。これがオアフ島で最も高い山で、標高250メートル。ま、その程度です。この下には刑務所が広がっていて、左手が男、右手が女の受刑者を収容するところ。うん、なかなかいいところで、こんなところで服役するのだったら、ちょっとくらいならわたしも…。
 ここまで来ると、かなり疲れが出ます。モカプ岬を経てカネオヘに。このバス・ツアーの最後に立ち寄ったところがヌアヌパリ展望台。展望のすばらしさはともかく、立ち売りしていたパイナップルとマンゴー。まあ、これが最高! よく冷えていておいしかったこと!
 帰路のバスでは半分眠っていましたが、それでも目にとびこんできたのは、日本の寺社。日蓮宗、天理教、浄土真宗などの寺、それに平等院まで。五重塔もりっぱなものでしたよ。いつ建てられたものなのか、古蒼な貫禄と威厳をもったものでした。まわりの植え込みも日本の寺社で見る様式のもの。
 いまのわたしたちは、太平洋のまん中の島まで来てなお、日本にいるようなくつろぎをもって異文化と美しい風光とやさしい気候風土を楽しめるわけですが、最初に日本からやってきて、事情もよくわからないまま手探りでいまの形をつくりあげるまでには、さまざまな苦しい努力もあったにちがいありません。そういう努力を感じさせないほどにいまは「日本」がこの世界に馴染んでいますけれど、日本の人がどれほど深くハワイ社会に入りこんでいたかを知ることにもなりましたね。(2005.12.01)


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◎ハワイ式結婚式

【To: Hiromi~さん/2005.12.01】
 な、ななんですって!!ハワイですかあ~~。がのさんが!(何だか笑えます)
★…わたしのハワイ、……笑えますか? そうですね、笑えますね。ハワイでの結婚式では黒が嫌われるのだそうです。初めて聞きましたよ、そんなこと。花婿の父親という立場ですから、モーニングとか黒の礼服とかを着てリューとかっこよく立つものと思っておりましたら、とんでもありません、アロハ・シャツで、との指定。革靴も黒はいけません。仕方ありません、二度と履くようなことはないと思いますが、白い革靴を履くことになりました。(アッ、神父さんの靴、黒だったぞ~!)
 さて、デパートでアロハ・シャツを、といっても、この時期、なかなかありません。ようやく探しだしてもらって、とりあえず在庫のあるものを、ということになりましたが、あんなペラペラなもの、しかも売れ残りの品が、やたら高い! それでも一応用意だけはしなければならず、まあ、よかった、よかったと買って帰ったものです。バカですねぇ、ハワイに行けば洪水ほどにそんなものならあります。あふれるほどに。しかもグッと安く。それでも、まあ、礼服やらモーニングをこちらから持って行くことを思えば、荷物は軽いし、よかったのかもしれませんね。 
 わたしのアロハ・シャツ、白いズボンに白い靴というすがた、…やはり、笑えますね。いくらわたしが着るものには無頓着だといっても、今回ばかりは、自分ながら似合わないと思っていました。たくっ、こんなもの! もう二度と着ることはないでしょう。式を終えてホテルに戻って着替えたときには、ほんと、ホッとして、ようやく自分にもどったという感じでしたよ。

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◎市内観光

 JTBのツアーに乗ってのハワイの旅で、結婚式をメインにすえたプランでしたので、観光というほどのことはできませんでした。到着した当日、まずバスでホノルル市内をひとめぐり。2時間ほどのコースでしたが、なかなかじょうずな案内を受けました。町にはBanyan Tree(ベンガル・ボダイジュ、すなわちガジュマル)やモンキーポッド(西洋ネムノキ)の巨樹が目立っています。ひそやかにポッ、ポッと咲いている薄紅色のネムの花がさかりでした。チャイナタウンで軽食を食べているとき、足元にハトの小型といった鳥がひとなつっこく遊んでいました。「ダブ」というのだそうです。このツアーでいっしょになった品のいい夫婦がおりました。鎌倉から来ていて、前日に娘の結婚式を終えたばかり、明日には帰国するとか。わたしはこのご夫人にどこかで会っているような気がする。あまり穿って聞くのも失礼と思って遠慮しましたが、ひょっとするとテューターをやっていた人かも知れません。
 その翌日、オプショナル・ツアーでオアフ島東岸へ観光バスで行きました。島の東端というか南端というか。裏オアフということになりますでしょうか〔上記〕。それに、すでに書きましたが、ポリネシア・マジックとポリネシア・ダンスのディナー・ショー。

 そうそう、町には縦横に’ORI’ORI バスなるものが走っていて、JTBで来ているものならカード1枚で、どこから乗ってもよい、どこで降りてもよい、何度でもOK、というものなんですね。ホテルや繁華街の雑踏をあちこち経巡るため、遅いこと、運転がえらく乱暴なこと、車内はなんの愛想もなくシンプルであること(トロッコ列車を想像いただきたい)を除けば、まあまあ便利な足。式の当日(式は午後から)、朝食をすませてすぐ、ホテルのまん前からこのバスに乗って、ダイヤモンドヘッド登山口まで行き(約15分)、トレッキングしてきました。これについては、つい先ほど、田舎の山狂いの友人に書いてメールしたばかりですので、ここでは書きません(下に転記)。ひとつだけ書き添えておくべきは、あの眺望のすばらしさから、かつては重要な軍事上のポイントになっていたこと。観察所や砲台の跡がいまは展望台に姿を変えていますが、それがはっきり見てとれました。

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◎ダイヤモンドヘッドへのトレッキング

 ホノルル、ワイキキといえば、きれいなビーチとダイヤモンドヘッドの眺めということになりますが、標高230メートル程度の山といいますから、山ずきの人にはお笑い草でしょうが、スケジュールの合い間、そのダイヤモンドヘッドに登ってきました。
 登山口までバスで行き、よく整備された遊歩道にそってゆるゆると登ります。左右にユーカリの木や丈の低い潅木がまばらにつづき、頭の赤いカーディナルなどの小鳥が見られます。おっと、カメレオンも! ふ~ん、意外と小さいんだぁ。ずうっとピークは見えていて、20分ほど歩くとトンネルに入ります。ここを過ぎるあたりから登りは急になり、最後のところに来て、76段、99段の急勾配の階段の直登。これが苦しい。さらに狭いらせん階段をぐるぐる登りつめ、金属の階段を息をはずませてすぎると、そこがピーク。狭いところにたくさんの人がひしめいています。
 この間、約40分。片道1時間と案内されていますので、ほかの人はもっとかかっているかも知れません。山登りの用意などなく、ふつうの革靴でしたから、凝灰岩のでこぼこ道を歩くのがたいへんでしたが、頂上に立てば、眺望はずう~っと360度。空気が澄んでいることもあって、はるか遠くまで見渡せます。
 この見晴らしのよさから、戦時中は軍事上のポイントになっていたようで、観察所や沿岸防衛施設、砲台の跡が見られました。日本の軍船が真珠湾に攻撃をかけたとき、ここから望遠鏡でちゃんと見ていて報告した人がいたのだろうな、と想像しました。
 ハワイでの日程のなかでは、ごくささいなひとときでしかありませんでしたが。
(2005.12.01)
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