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0705
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【ツイアビ「パパラギ」/リンドバーグ夫人「日本紀行」/日本児童文学の源流、巌谷小波/リンドバーグ夫人「海からの贈物」/ミュージカル「オペラ座の怪人」】



◆3-5 ツイアビ「パパラギ」
    わたしたちの病気はどこまで重篤か…

ブリューゲルと「パパラギ」
〔to: さちこさん 06.14〕
 明日(6月15日)、月1回のふれあい読書会で、ツイアビの「パパラギ」について、地域の中学生と旧世代の人たちを対象に話をすることになっています。サモアのある小さい島の酋長ツイアビがヨーロッパ旅行で目にした文明社会を先入観に邪魔されることのない、曇りない目で見て、それを帰島後にポリネシアの同胞たちに語ったものをまとめたもの。

 彼の澄みきった目には、わたしたち文明社会に生きるものたち=“パパラギ”は、みんな重篤な病気を患っていると映っているようですね。「カネ」という病気に取りつかれ、「物」という病気にとりつかれ、「時間」の病気に取りつかれ、「考える」という病気に取りつかれているといいます。パパラギ(白人、ヨーロッパ人、文明人)は、自分の自由を捨ててたえず「モノ」をつくり、「モノ」を見張り、「モノ」に見張られて生活し、「モノ」を手にいれようとする必死な欲のために、争い、互いに攻撃しあい、残酷なこころで罪を犯す。その「モノ」をたくさん持つことこそが人間の名誉であり、ありあまるほどのモノがないと暮らしていけない今の文明社会。最近のニュースが如実にそれを語っていますね。「儲けるものが勝ち」として欲をつっ張らせて走った拝金主義者たち、汗を知らぬ“勝ち組”のものたち。それに日本の金融政策をにぎる日銀総裁までがお粗末な私利私欲にはまっていたとは!

 私有財産という概念を持たぬ人から見たわたしたちの生活の病理が次つぎに語られていくわけですが、考えてみると、ブリューゲルの鋭く澄んだ目がとらえて描き出している世界も、「欲」に踊る醜い病人たちの群像であり、わたしたちのこの現実そのものを映すものであることがわかります。だからその絵はこころのどこかに突き刺さって抜けない印象を止めるのだと思います。
 「パパラギ」を語るとき、おカネを最高の神として信じ、モノにうずもれて暮らすこの社会に対する強烈な皮肉を言わねばなりません。電話、テレビ、パソコン、携帯電話…、そういうものなしに一日も暮らすことができなくなっている現実にうずもれていながらそれを言うのは現実的でないという、この捩れた、へんてこな、すこし後ろめたくもある現実。
 「本当の暮らしは太陽の下にある」とする南海の酋長。帰りたくても帰ることのできないふるさと、あと戻りのできない高度な文明社会に、病人のような青白い顔をして生きているわたしたちに、ツイアビはわたしたちの失ったものの大きさを語ります。それは今となっては実現不可能な夢かも知れません。しかし、ウソのかけらもない真実です。「森の生活」を書いたヘンリー・ソローのような人もいます。文明の側にあって文明が失ったものを誠実に描いた人ですね。でも、そこには感傷的な媚びがありはしないか。その点、ツイアビの立っている場所と位相はそれとはぜんぜん違うんですね。これもホンモノのひとつだと思いますので。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔ドロシーさん/06.06.17〕ニュースソースは新聞です。私もかなり重症の活字中毒です。
     ☆          ☆
⇒ はっはっは…、活字中毒。やっばりご同様に病気ですか。南海のあの酋長にかかったら、ケチョンケチョンになじられることになるのでしょうね。ふたりそろって絞首刑! 徹底的にやっつけられる痛快さ!
 新聞、これをどう言っていましたっけ…。「束になった紙」でしたね。青白い顔をしたパパラギは、朝ごとにそこにアタマをつっこんで、馬がものを食べるような異常な情熱をもって新しい情報、いいことも悪いこともひっくるめてその情報を腹いっぱい食べるのを習わしにしている。しかし、その新聞なるものの正体は、人びとのアタマ、みんなの考えをひとつにしようとするもの、征服しようとするものである、と。もう、かなわんですね、こんなふうにわたしたちのまやかしの生活をズバリ見抜かれてしまうと。ドロシーさんのお好きな映画についても、メッタ切りでしたね。あれは「似せ絵」にすぎない、きれいな娘が首を絞められ殺されようとしているのに、パパラギはじっと静かにすわって見ているだけ、そういうシーンを見ても、感覚がおかしいのか、怒りも恐怖も嫌悪感も感じないらしく、そのようにまやかしの暮らしのなかに彼らはいる、というわけ。う~ん。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔さちこさん/06.06.17〕「パパラギ」、いろんなところで文章は引用されていますね。心に残るものが多いのですが、まだ本自体は読んでいません。お勧めいただいたのがご縁ですね、読んでみます。
     ☆           ☆
⇒ ええ、ぜひ読んでみてください。ひとに話さねばならないというのが最初の動機でしたが、わたしにとっても貴重な再発見でした。「そんなこと言われても、現実はね~」という思いを残しながら、やはり、ズバリと真実を言い当てていて、そう言われれば身に覚えがあるものですから、ムッとしつつも、いささか後ろめたく、ここは黙すしかなく、「もう、かなわんわ~」とがっくり頭を垂れる仕儀に。これくらいポカポカ
やっつけられると、却って爽快で、反論したり言い訳したりする気にもなれません。
 この感覚はブリューゲルの絵を見て感じるものと、どこかよく似ているように思うんですよね。醜く、欲望丸出しで、不快で、粗野で、非知性的で…。でも、その飾りのない質朴さのなかに、生命を賭して人間の真実を希求するこころだけが持つ眩しい輝き、強力な磁力のようなものがありますね。きのう見たアルフォンス・ミュシャの絵、ベル・エポックに咲いた、そのアールヌーヴォーの華の魅惑とはウラハラにある真実で、その磁力にいだかれて赤ん坊のように弄ばれる気分も、そんなに悪いものじゃない。また、あまり好きじゃないといいながらミュシャを見て、自分の精神を新鮮に刺激することも、また時には必要なんじゃないでしょうか。そこに何を見るかは、人それぞれの鑑賞力の相違になりますが。

〔ドロシーさん/06.06.17〕「パパラギ」は蔵書にあり、随分以前読んだのですが、内容の深さに気づかず通り過ぎていた自分が非常に恥ずかしいです。
     ☆          ☆
⇒ 1980年代によく読まれた本で、わたしも20余年ぶりに読みました。バブル景気の一方で、エーッ、こんなことでいいのかなあ、動きが速すぎはしないか、と人びとが疑問に思いはじめたころ。ちょっと今の情況に似ていますね。わたしもご同様に、鼻先で嘲笑しながらこれを読んでいたように思います。それが、その後、良寛さん、西行禅師あたりの生き方にふれ、欲を捨てた清貧さに一筋の道を見たあと、ということもあってか、ごく自然に共感でき、すごくよくわかるように思えるんですね。口先でエコロジーをいい、大衆に媚びて自然保護を言っているものたちのインチキさも見えてきます。


エンデ「モモ」と「パパラギ」
〔To: ドロシーさん 06.15〕
――時間どろぼうに時間をとられている。最近、ふとそんな気がしている。いろいろなことが便利になり、以前よりも簡単に知識や情報が手にいれられるようになったぶん、自分でひとつひとつをじっくり考えて工夫することが少ない。それもこれも、時間が足りないからのような気がする。そこで思い至ったのが、エンデの「モモ」にでてくる「時間どろぼう」。子どもとともに、じっくり時間を味わった生活を送ろう、ふと思った。〔ドロシーさん/06.15〕

 エンデ「モモ」は、本はもちろん、映画も観ました。でも、いちばん印象深いのは、オペラ「モモ」全三幕。一柳慧さんの音楽によるもの。2回見ていまして、最初は上野の文化会館ホールで。さらにこれの改定初演を1998年12月、横浜の神奈川県民ホールで。すでにわたしはラボを退職したあとでしたが、一柳さんからご招待いただいて見せてもらったものでした。これの衣装・美術を担当したのが山本容子さん。すなわち、わたしを加えてラボ・ライブラリー「ふしぎの国のアリス」制作トリオというわけ。それはともかく、すっばらしい(!!!)オペラでした。モモを演じたのが塩田美奈子さん、マイスターホラを鹿野章人さん、ニノは君島広昭さん…、といったところ。指揮を現田茂夫、演出を加藤直がやっていました。時空を超えたファンタジーを世界の一柳さんが繊細な音で紡ぎ出し、加えて、新しい舞台芸術に挑戦する美術・振付のコラボレーションでつくりだした舞台。“灰色の男たち”から奪われた人びとの時間をとりもどすふしぎな少女を、わたしの大好きな塩田さんがキュートに、いともかわいらしく演じてくれる…、うん、すてきな、忘れがたい舞台空間でしたね。

 話をクルリと替えまして…。サモアの酋長ツイアビが「パパラギ」(白人、ヨーロッパ人、文明人)の生活様式と文化を島の同胞たちにむかって語っています。そのなかで、「時間がない」といってさわぐ、重い病気を患っている文明社会の人たちの、なんとも不可解に見える行動をユニークな視点で指摘していますね。この本のことを、じつはきょう、地域活動の一環、市民アカデミーのふれあい読書会で話してきたばかりなのですが、ツイアビ酋長がヨーロッパの国々を視察してまわるなかで、その濁りない目、先入観のない目でとらえた文明社会の人びとのすがた。
 時間がない、ひまがないとして、投げられた石のように人生を走りまわっている人びとを哀れんで、酋長はいいます、「私たちは、哀れな、迷えるパパラギを、狂気から救ってやらねばならない。時間をとりもどしてやらねばならない。私たちはパパラギの小さな丸い時間機械を打ちこわし、彼らに教えてやらねばならない。日の出から日の入りまで、ひとりの人間には使いきれないほどたくさんの時間があることを」と。時間を奪い返したモモ、エンデのみごとな謀らいが、ピッタンコ思い出されますね。
 おカネというものを自分たちの本当の神として崇め、求めてやまない(まさに今、日本で、あちこちの“勝ち組”の拝金主義者たちが裁かれようとしていますね)白い人びとのあいだでは、早く行けば行くほど立派な人とされ、ゆっくり行く人は値打ちが低いとされる。時間というのは、ぬれた手のなかのヘビのようなもので、しっかりつかもうとすればするほど、すべりだしてしまうもの、自分で自分から遠ざけてしまうもの。時間を大切にしないやつはこの世に生きる資格がないとされ、反面、(物乞いやホームレスのような)時間をたくさん持っているものは、貧乏で、汚くて、卑しまれて尊敬されることがないとされる白人社会は、とても理解できないといいます。
 「本当の暮らしは太陽の下にしかない」とする彼らの生活意識からはあまりにも遠くへ来てしまったわたしたちの日常。彼らにいわせれば、モノとおカネにうずもれて、青い顔をして生気なく生きている病人というわけですが、かといって、彼らの考えをそのまま受け入れることはなかなかむずかしい。しかしながら、高度な文明と引き替えにわたしたちは、この間、何を喪ってきたか、そのことも考えねばならないのかもしれませんね。

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◆3-4 A.M.リンドバーグ「日本紀行(北方への旅)」
   所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)

――量ではなく質、速度ではなく静寂、騒がしさでなく沈黙、饒舌な言葉ではなく誠実な思考、多くの所有ではなく大きな美しさを求める生活を…。
 古い時代の日本の宗教家かひねくれたアウトサイダーが言いそうなことば。津波のような勢いで膨張するアメリカ資本主義社会の時代の潮流、所有に狂奔する人びとの群れを眼の前にして、空白のつくりだす美しさに心惹かれ、静かな一人の時、自分の中の澄みわたる心の泉にじっと目を注ぐ一女性の思想の原点がどこにあるか、聞けるものなら直接聞いてみたい衝動を覚えます。
 その原点がはっきりしました。わかりました、……わたし的には、ということですが。10代の後半のころ、一度は読んだことのある「北方への旅」。いや、読んだような記憶がわずかにあるという程度。著者のアン・モロウ・リンドバーグという人の名も覚えていません。どんな本だったか…? それが偶然、きょう、見つかりました。全文ではありませんが、「日本紀行」というタイトルで、ツンドク状態にあった本の一冊に載っていました。深沢正策という人の訳。ほら、ご存知でしょう、美智子妃殿下がIBBYで「子供時代の読書の思い出」と題して講演なさいましたが、そのとき、克明に覚えておられて紹介なさった一冊、日本少国民文庫「世界名作選」(山本有三・編)。その講演を機に新潮社から平成10年12月に復刊されましたが、その(二)に入っていました。
 いやいや、なんだかうれしく、さっそくむさぼり読みました。すぐに、アッ、ここだ! と感じました。文章もとっても、とってもきれいなんですよ。東洋への探検飛行で日本に着く前、千島列島を眼下にしているときの描写です。(深沢正策=訳)

――優美な島のいただきが、子供の食後のお菓子のように、霧のなかから頭を出し、その霧のなかに浮かんでいるのをわたしは見下ろしました。時々、雲のきれめから岩ばかりの海岸や「ホタルブクロ」の花に似た藍色の海が輝いては消えるのがのぞかれます。それは和やかにぼかされた、光のゆらめく、恐ろしいというよりも、むしろ美しさに打たれる、この世ならぬ夢の世界です。

 不安につつまれ、シベリア海岸に沿って南下しているとき、日本の根室から第一信が入ります。あたたかい歓迎のことばです。そのことばに「永遠の紳士よ!」と感激します。そして、濃霧に悩まされながら千島列島のケトイ島に決死の不時着水。二度とふたたび飛行はすまい、と思うほどの命がけの旋回降下でした。水に浮くようにつくられているシリウス号はごく小さく、北の海の逆巻く激浪に木の葉のようにもてあそばれます。それでも、根室から発進された船の水夫たちによって助けられ、エトロフ、クナシリと曳航され、根室に到着します。この水夫たち、それに農夫たちとの会話がおもしろいですねぇ。通じ合わないことばをどうにかして通じ合わせようとする双方の必死の努力。こうした接触をつうじて、アンは、飾り気なく慎み深い、慇懃な好意を見せる日本人を見、いたく感激します。何という礼儀正しさ!
 そのあたたかい好意につつまれて、作者は小さいときの記憶を解きほぐしていきます。ひとつは、父からもらった日本のおみやげ。それは、手ざわりやさしい和紙につつまれた箱で、紅白のこより(水引)がかかり、その結び目の下には赤い扇に似た紙の装飾物(のし、ですね)がついています。水引を解き、包み紙をていねいにあける。現われたのは、栗の皮みたいになめらかな、やわらかい木の箱。そっとそれをあけると、それまでに見たこともない、世にも見事な日本人形! 少女アンは、日本人はみんな芸術家にちがいないと思ったという。

 別のときのことです。少女期に父にともなわれて日本に来たことがあるのでしょうか。どこかの美術館に入ったときの印象を思い出して書いています。その美術館で、一枝の桜を描いた墨絵の掛軸を見ます。さらさらとした清楚な桜と、画面の左隅に雨に濡れしょびれた小鳥、それに二、三の草花があるだけの絵。なんにもない絵。しかしそこに、空虚どころか、緊張し充実し横溢している空間を少女は見ます。この絵でもっとも大事なのは何も描いてない部分なのだ、と気づく。言語などをもってはとても歯の立たない偉大な沈黙が世界を領していることを、この少女はぴたりと感じとっているんですね。

 さらに別のときのこと。茶の湯の静思のひとときの体験をしています。
 数本の竹、小さな松、古びたひとつの石燈籠があるだけで、咲いた花もない庭を通って茶室に向かう。そこにある一木一草は磨かれたような清浄さをもち、見事な配置を見せる。そこを敷石づたいに歩いていくと、一木一草なのに森林の奥にいるよう。敷石は“むいたばかりの梨のうるおいかげん”に濡れている。そしてつぎに、草葺き屋根の、簡素をきわめた小さな茶室に着く。異常に狭く低い入口。それはどんな階級に属する人もそこで「謙虚さ」を学び、慎ましさを体現するためのつくり。柱は木、壁は紙。人をとじこめる石やレンガは使われない。簡素な床の間に飾られているのは一点の書画の掛け物と一本の花。窓の外にある樹の影が障子に映ってさらりと動く。虫の声をこれほど美しく聞いたことはない。無駄を去った質素な美しさの極致にあって、純度高くすごす沈黙と静思の時間。

 リンドバーグ夫人の「空白のつくりだす美しさ」、シンプルライフ指向の原点は、日本人の古来の生活文化にあったんですね。それにしても、ウッヘー、じゃありませんか。ここまで日本を精細につかみ、理解しているとは! そんなに長く日本にいたわけではなさそうですし、生来の遺伝子によるのかな~。さてさて、海外交流にあたって、あなたは、あるいは、あなたが送り出そうとしているラボっ子たちは、どれほど日本のことを語れますか。どれほど日本を表現できますか。いや、それ以前に、どれほど日本のことを理解していますか。わたしは、もう、お手あげですが。【2006年01月25日】


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◆3-3 日本児童文学の源流、巌谷小波

〔To: むるっちさん 2006.01.24〕
 巌谷小波ですか。
 いいところに眼をつけられた、という思いがいたします。
 地区バフォーマンスとは、どんなものだったのでしょうねぇ。グリムの移植ものからですか。それにしても、日々“ものがたり”をやっておられるみなさんが、このへんを知らないままだとすれば、モグリといわれても仕方ないですからね。
 数年前に論文を書きかけて挫折、しばらくこのへんのものを読んでおりませんでしたが、「こがね丸」「猿蟹後日譚」「桃太郎」「附木舟紀行」「渡舟銭」「五光の滝」といった巌谷小波の作品をこの機会に読み直してみようかな、と思っているところ。なんといっても、ここは近代日本の児童文学の源流ですからね。
 巌谷小波「こがね丸」の功罪をめぐる社会をひっくり返すような論議から、子どもというものが見直され、新しい児童観が形成され、文学の本質が見直された意義は、図りがたく大きいわけですね。ここを源流にして、子どものための文学は“割のあわない文学”ではありましたが、そうそうたる文学的才能たちが育っていくんですね。小川未明、尾崎紅葉、山田美妙、国木田独歩、まだまだいますね、与謝野晶子、北原白秋、西条八十、佐々木信綱、落合直文もその流れだし、さらに土井晩翠、岩野泡鳴、上田万年、坪内逍遥、幸田露伴……。
 日本の古くからの子どもの文学としては、今昔物語や宇治拾遺物語、お伽草子があり、江戸期には黄表紙、絵草紙、草冊子の類がありましたが、近代に入ってはグリム、アンデルセンなど、世界の名作文藝を移植したものが主流でした。漣山人(巌谷小波)も最初はそこでした。それをも踏まえて日本の土壌に創造的な成果を最初にもたらしたのが巌谷小波。わたしたちはこのあたりのことを知らなすぎるかも知れません。♪指にたりない一寸法師 小さなからだに おおきな望み お椀の舟に 箸のかい 京へはるばる のぼりゆく♪ だれもがよく知るこの童謡は誰が書いた詩か。…はい、巌谷小波のものです。
 わたしももう一度、日本児童文学の珠玉なす古典を勉強しなおしてみようと思います。
             ☆      ☆     ☆
〔おがちゃん 2007.02.02〕
(恩師の巌谷国士と日本児童文学の始祖・巌谷小波との関係についての)ご質問の件ですが、確かに巖谷國士氏のおじい様が、巖谷小波氏です。日本に初めて児童文学を紹介した。そういった関係かわかりませんが、ペローの完訳もしています。大学でもそういう講義もあって興味深かったです。

〔To: おがちゃん 2007.02.03〕
 やはりそうでしたか。こんなふうに血脈がつながっていることに、ふしぎな感動を覚えます。あとになって思い出しましたが、國士氏については、シュールレアリスム方面の作品の翻訳のほか、美術関係の著作でもちょっと触れたことがあるような記憶も…。幅広い知性と見識をお持ちの方のようですね。どうぞこの人から多くを学び取ってください。
 巖谷小波のことは、日本の児童文学を考えるうえで忘れてはならない存在と思います。 おがちゃんは、巌谷小波とか小川未明のあたりをお読みになっておられますか。乱暴にも「ラボで“ものがたり”をやっているのに、この人を知らないとすればモグリだ」とまで書いたことがありです。節操のない言い方を今となっては恥じておりますが、かく申すわたしも、じつのところ、数年前まではほとんど不案内でした。古臭い! というものがあり、なんとなく避けていたような。で、数年前、地域で開かれている市民講座で「日本児童文学の源流」といったあたりを口演しなければならないことになり、こりゃまずい! と、巌谷小波、小川未明をはじめとする部分の、ありったけの作品を大慌てで読んだものです。そのあと、某出版社が刊行する百科辞典づくりにたずさわり、日本と世界の児童文学、絵本についての300余の項目を任されて書くなかで、また改めて読み直したような次第。

「こがね丸」が発表されたのが明治24年。今ではさまざまな批判がされていますが、何といってもこれが日本児童文学の草分けで、この作品があって今があるわけですよね。児童文学不毛の時代にポーンと生まれた一編で、これが巻き起こした反響と歴史的な意味は大きく、まさにこれがわが国の児童文学の夜明けをつげる第一声でした。一大お伽噺ブームを招来したほか、そうしたことばかりでなく、今日につながる国語表記のうえで多大な貢献をしたり、川上音二郎一座と組んでおこなったお伽芝居の上演は小学校の学芸会へつながって活かされたり、晩年には「お伽おじさん」として日本各地をくまなく歩き、物語を語って聞かせました。これがいま皆さんもやっておられる「読み聞かせ」(語り聞かせ)の原型にほかなりません。さまざまな形でわたしたちもその業績の恩恵にあずかっているわけで、わたしも、夏休み、春休みごとに小学生に語り聞かせをちょっとばかりやり、とても「お伽おじさん」にはおよびもつきませんが、それを楽しみにしております。

 わたしがこんなことをいうと、旧いものがいいのか、と早合点していう人がおられます。そうではありません。新しくて、命のみなぎっているもの、格調高いものがいいに決まっています。ところが、どうでしょう、新しいものが薄っぺらでちっとも新しくなく、古典にピカリとする新しさを見ることが多いこのごろです。


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◆3-2 リンドバーグ夫人「海からの贈物」
   空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に

 先日の林ライスさんの日記で“ダライラマのことば”(お許しを得て「ことばの旅路、その2」に再録)を見出し、こころにしびれるものを感じました。19項目の“ことば”が挙げられているなかで、「変化に寛大であれ、しかしながら自分の価値を失うなかれ」「一日の中で、一人ですごす時間を持ちなさい」「時には沈黙がいちばんの答えである、ということを忘れないこと」にピーンとくるものがありました。
 それは、この前、わたしが日記で華道にふれて書いた、人間のシン(心、芯、あるいは信であり深であり針、真であるかも知れない)に関わり深いことであり、また、じつは昨日、もう一度この考え方に出会う機会を得ましたので、そのことを書かせてもらいます。
 以前にもここで紹介させてもらったことがありますが、わたしは、地域文化振興活動の一環で「ふれあい読書会」というものを主宰、中学校を会場にしておこなっています。地域の中高年世代の方々と中学生年代の若ものとの、海外の文学作品の鑑賞を挟んでの交流になっており、もう6年目に入りました。参加者は毎回だいたい30~40名。中学生の参加が少ないのがちょっと問題なのですが。
 昨日の活動では、リンドバーグ夫人の『海からの贈物』(吉田健一=訳、新潮文庫)をめぐって考えあい、語りあいました。「むずかしい。もう一度、ゆっくり読み直したい」「サッとは読めない。心にひっかかるところがいっぱいあり、傍線を引き引き、噛みしめ噛みしめ読む本ですね」というのがおおかたの感じ方でしたが、中高年世代にはスーッと入れる世界でした。二、三のテューターの方にも、この間お薦めしてきた一冊。頑張りすぎなくていいよ、それより、自身の中の“こころの泉”をもっと大事にしようよ、といった呼びかけを添えてご紹介してきました。

 ご紹介するまでもなく、アン・モロウ・リンドバーグ(Ann Morrow Lindbergh 1906-2001)は、「翼よ、あれがパリの灯だ」の、あの史上初の単独大西洋無着陸横断飛行を成し遂げた米国の飛行家、北太平洋航路開拓の英雄チャールズ・リンドバーグの奥さんです。自身も飛行家で、1931年の北太平洋横断飛行の快挙を成し遂げたときには、副操縦士、通信士としてシリウス号に乗り、夫を助けています。昭和6年8月19日、夫妻を乗せたシリウス号が北海道・根室の弁天島の先に着水したときの日本じゅうの人びとの興奮は、いまも伝説のように語られていますよね。この体験は『北方への旅』で書かれていますが、1970年の大阪万博で展示されたこのシリウス号、なんと全長8.38m、翼幅13.07mという、今では考えられない、ちっぽけな飛行機。胴体は黒、翼は赤というおもちゃのようなこの飛行機によって切り拓かれた太平洋航路を、いまは一日何便かは知りませんが、何万、何十万という人が往き来しているし、夏にはたくさんのラボっ子も太平洋を越えてもうひとつの家族と交流を結んでいることを思えば、たいへんなエポックであったことがわかります。
 しかし、この快挙の翌年(1932年)、とんでもない事件が起こります。有名なこの夫妻の長男、まだ2歳にもならない子どもがお金めあてに誘拐され、2か月後に死体で発見さるという悲劇。この事件をネタにアガサ・クリスティは「オリエント特急殺人事件」を書いていますね。その悲しみを癒すためにヨーロッパへ渡りますが、間もなく第二次世界大戦。もみくちゃにされてアメリカに引き戻されます。それでも終戦後はまたフランス、ドイツに赴いて戦争罹災民の救済活動に挺身したり、汚染のすすむ地球環境の調査などにあたります。
 1955年(昭和30年)、リンドバーグ夫人51歳のときに出された『海からの贈物』には、上記のようなことは一切書かれていません。子育てを終えた一人のごくふつうの女性が、島で2週間をすごし、誠実に自身の心と対話、この間、われわれは何を得、何を失ってきたのかを問いつつ、海辺でひろった貝殻に託して、人生のいくつかのステージを感性ゆたかにあらわしたもの。

 いっしょにこれを読んだ女子中学生たちには、理解に及ばないむずかしい内容だったろうし、いままさにギンギラの輝きのなかで全力を傾けて活動するテューターの皆さんにも、ここで言われていることをお伝えするのはまだ早すぎるのかも知れません(ラボという企業の営業妨害にもなるかな?)。ですが、どれほど多くを抱えて駆け回っていても、大事なシンを欠いていたら人間的な魅力はありませんよ、と、知性にすぐれた皆さんに、澄みきった“内的な泉”がコンコンと湧き出る生き方を、不遜ながら提唱してみたいのです。そのためには、上に挙げたダライラマのことばとともに、リンドバーグ夫人のことばを胸に刻んでおいてみたい。この本に見られるいくつかのことばを拾ってみます。

 ――回転している車の軸が不動であるように、精神と肉体の活動のうち、不動である
  魂の静寂を得るようにしなければならない。
 ――簡易な生活は、大きな精神上の自由と平和を与えてくれる。
 ――不必要なものを捨てる。どれだけ多くのもので、ではなく、
  どれだけ少ないものでやっていけるか、ということにこころがける。
 ――無数の役割にちぎられたままにせず、少しでも自分の内部に注意を向ける時間を持ち、
  自分の精神に糧を与えよう。
 ――所有欲は、美しいものを理解することと両立することはない。
  ものは少なければ少ないほど美しく見える。
 ――周りに空間があって初めて、ものが美しく見える。一本の木は空を背景にして、
  一つの音はその前後の沈黙によって。
 ――人生に対する感覚を鈍らせないために、なるべく質素に生活すること。
  体と知性と精神の生活に平衡を保つこと。
 ――中年は、第二の開花、第二の成長、第二の青春。野心、物質的な蓄積、自我を捨て、
  競争のために着けていた甲冑を脱ぎ捨てて、ほんとうの自由が許されるとき。

 輝きあるすてきなことばがまだまだあるのですが、このへんで。今でこそ「シンプルライフ」が流行語のようにして語られ、わたし自身は、良寛さん、道元禅師といったあたりの本から親しく馴染んできた思想。驚かされるのは、これが刊行された1955年ごろといえば、アメリカも日本も、大量生産・大量消費、物質万能のバブル好景気の時代(汗して働くことの嫌いな「勝ち組」たちによる小才を利かせたセコい欺瞞、美しさと心のない偽造・捏造横行のこのごろの日本・世界のきのう・きょうとよく似ている)、“行け行け、どんどん”の時期に、世紀の英雄の奥さんが世界の片隅の小さな島で、ひとり静かに、冷静にこういうことを書いていること。虚栄心を捨て、偽善を捨て、自尊心というものに悩まされることのない自由な生き方にほんとうの美しさを見た一女性のたたずまいに、深い感動を覚えます。

〔To: ドロシーさん 2006.01.25〕
 リンドバーグ夫人については、上記で少しばかり紹介しましたが、それ以外のことはあまり話題になることはありません。アメリカ・ニュージャージー州のウルグルウッドというところに生まれているようです。父は弁護士、母エリザベスは詩人であり教育家。アンが学んだスミス大学の学長をつとめたりしています。やはり、ハイソに育った
人なんですね。父がメキシコ大使になった年(1927)のクリスマス休暇に、リチャード・リンドバーグに出会います。彼は大西洋横断飛行の成功した直後の、まさに時代の寵児でした。ホリエモンなんて比じゃないよ。その出会いはすぐに恋愛へ、そして翌々年(1929)、アン23歳のとき結婚。で、今度は若い夫婦で北太平洋航路開拓に挑戦していくんですね。日本にも来ます。

〔付記〕
 チャールズ・リンドバーグ(1902-74)のことはあまり知りません。すでにご紹介した奥さんのアンとは2歳違いですが、誕生日が同じ2月4日(もうすぐですね)だということ、父親はスウェーデン系の移民で、チャールズが栄光のどまん中にいたときは下院議員だったそうですね。アンの「海からの贈物」には、夫のことも、子どものこともほとんど書かれていません。わずかに妹のことが少し。彼はウィスコンシン大学を中退しリンカーン(ネブラスカ州)の飛行学校へ入り、卒業後はシカゴ―セントルイスの郵便飛行士をやっていたようです。で、そこで大西洋無着陸単独横断の偉業を遂げるわけですが、そのあとはパンナムの技術顧問をやり、その仕事の一環で北太平洋航路の開拓に挑戦、1931年、妻とともに東洋へ飛んできています。第二次世界大戦中は陸軍省の顧問、のちに単独飛行の回顧録『翼よ、あれがパリの灯だ』を刊行、1954年にピュリツァー賞を受けた、といったところ。
 飛行士のロマンといえばサン=テグジュペリでしょう。高慢チキでわがままな(だれかさんみたい?)バラにすっかり嫌気がさして自分の星を飛び出してしまう星の王子さま、すなわちサン・テックス。たいへん美貌な中米エルサルバドル生まれの奥さんのコンスエロ・スンシンさん。スペイン語圏の人特有の、情熱的でボヘミアン的な奔放さを持ち、虚栄心強く浪費癖があり、美貌と印象のよさを鼻にかける八方美人。ちょっとでも気に入らないことがあればトゲを向けるバラのような女性。
しかしこうしてみると、同じ飛行士の奥さんでも、コンスエロ・スンシンさんとアン・モロウ・リンドバーグさん、ずいぶん違うものですね、人間の質、生きるたたづまいが。(2006.01.26)


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◆3-1「オペラ座の怪人」
   醜男が歌姫に寄せる一途な恋、至純な愛

 12月3日、息子からもらい受けたチケットで新橋の四季劇場「海」へミュージカル「オペラ座の怪人」を観に行き、思いがけず、得がたい感動と華やぎのひとときをプレゼントしてもらいました。
 劇団四季のミュージカルはこのサイトでもときどき話題になりますが、わたしにはある種のこだわりがあって、これを観ることをしてきませんでした。しかしまあ、聞きしにまさる絢爛豪華さにドギモを抜かれました。黄金の彫像や水晶のシャンデリアなど、舞台装置の豪華さ、そして場面転換のすばやさ、ほんと、奇跡のように早い。アッと意表をつく変幻自在な動きぶりは、まるで外国のマジック・ショーを見ているよう。そして華麗な踊り。それは若々しく、きびきびと弾けとぶ勢いがあって気持ちいい。これぞエンターテイメントということか。わかる、わかる、見るものにとって、楽しくないはずがない。

 この日の主な出演者は、オペラ座の怪人がO.T、歌姫クリスティーヌにM.T、ラウル子爵がY.T、メグにはK.A。総勢70名くらいの舞台だったでしょうか。歌ではクリスティーヌのメゾ・ソプラノがきわだって美しかった。怪人ファントムの歌も、届かない愛に狂う鬱屈した情感と孤独をしっかりと伝えるものでした。
 ストーリィから見ると、醜男が美女に寄せる純粋な思い、かなわぬ恋を描いたヴィクトル・ユゴーの傑作『ノートルダムのせむし男』を想起させられるもの。若い歌姫クリスティーヌに寄せる怪人の愛の一途さと孤独が胸をえぐります。顔の右半分に醜いひきつれのあとがあり、仮面でそこを隠しているナゾの男。そのコンプレックスを持ちながらも、こと音楽に関しては、たぐいまれな才能をもつ人物。あるときから、亡霊のようにしてオペラ座の地下深くに住み着いています。クリスティーヌの歌の才能を花開かせたのが、このナゾの人物。チャンスがめぐり、花形のプリマドンナとして舞台に立つようになるクリスティーヌ。
 そのころから彼女は、劇場のパトロンであり、幼馴染みでもあるラウル子爵に近づいていきます。クリスティーヌに深い思いを寄せる怪人に、抑えがたい嫉妬の炎が燃え上がり、オペラ座はシャンデリアが落下するなど、つぎつぎと不思議な事件に巻き込まれ、不吉な事件がつづきます。
 屈折しながらも、ひとりの女性へ悲しいまでの愛を傾ける怪人の純粋さは、裏切りに対するはげしい怒りとなり狂気となって、劇場関係者すべてを脅かすことに。オペラ公演を阻害され、混乱し困惑する人たちは、ひそかに怪人の殺害を計画するが、もともと存在を超えた存在である怪人は、だれをしても捕らえること殺害することはできない。

 歌のレッスンをしているとき、ふとした気まぐれから、クリスティーヌはいきなりナゾの怪人の仮面をひっぺがす。ぺろりとした醜い顔、ゾッとする顔が現われる。怒りのなかで、怪人は彼女を、オペラ座の地下の秘密の部屋へ引き込み、愛を迫る。恋人を連れ去られたラウル伯爵も、クリスティーヌを取りもどそうとあとを追い、このナゾの部屋に来る。たちまちラウルは怪人に捕らえられ、首にロープをかけられる。
 「わたしを取るか、それともそいつ(子爵)を取るか」と窮極の選択を迫られるクリスティーヌ。「子爵」と答えたら、恋人の首にかかったロープは引き上げられる。
 このとき、女は、怪人からの指輪を受け、自分から熱いキスをする。長い熱烈なキス。どういうことか、あのゾッとする醜い顔を厭うこともなく、愛情ふかく女のほうから抱擁する。(女のなかには、自分を世評高いプリマドンナに育ててもらった恩義も働いていたろうか)。すると、怪人ファントムのこころいっぱいに、あたたかい、やさしい潮が満ちてくる。怪人は、子爵の首にかけていたロープをパチリと千切り、ふたりの愛を許して、クリスティーヌとともに地上世界へ帰してやる。
 水のうえを歌いながらボートで去っていく恋人たち。あとにひとり残ったオペラ座の怪人。光のない部屋でまどろむように深く椅子にかける。悲しみと憂愁の空気が包む。つぎの瞬間、そこには白い仮面だけが残され、だれの姿もなかった。

 男の一途な愛の、水晶のような美しさが胸に沁みる。わたしにも憶えあるなあ、この孤独な思い。手を伸ばしても、伸ばしても届かない愛。そして、怒りを抑え、自分を殺して許し、愛するものへの思いを断つことの切なさ。ああ、愚かしいほどの純粋さ。同時に、女の気まぐれなこころの揺らぎに翻弄される男は、まったく、たまったものじゃない、という思いも。罪つくりだね、美しい女というのは、いつの時代も。(2005年12月05日)
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〔To: ドロシーさん/2005.12.06〕 菟名日乙女とクリスティーヌと…

 “秘すれば花”のお能と、劇団四季の派手なミュージカルを結びつけるにはちょっと無理がありますよね。場面転換の迅さひとつをとっても、行って来るほど、いや、宇宙の果てと地底400キロマイルほどにも違います。とはいえ、こういうものを文藝感覚で捉えるのがわたし流の鑑賞の仕方。とりわけ、ことば。生きた美しいことばかどうか。歌や踊りの華美さにはごまかされません。
 じつは11月25日でしたから、ハワイから帰ってきた翌日、さすがに無理だろうと思い、諦めたのですが、渋谷の観世能楽堂で『求塚』が演じられました。この『求塚』のシチュエーションと「オペラ座の怪人」はちょっと似ているのかな、と思うところがあるのですよ。(こじつけかなあ…)女の美しさゆえに破滅していく男たち、という点でも。
 『求塚』のほうは、菟名日乙女(うないおとめ)という美しい娘に、ふたりの男が同時に求婚します。どちらとも決めかねているとき、思いついて、弓矢で勝負を競わせようと謀ります。川に仲良く遊ぶオシドリのつがいを指さして、あれを見事に射抜いたほうにこの身をあずけましょう、と約束する。ところが、両者の放った矢はともにオシドリのからだを射抜きます。さあ、どうする。
 女は、何の罪とがのない水鳥を無惨に殺させてしまった自分の浅はかさを悔い、入水して果てます。恋する女の死を知ったふたりの男は、女の葬られた塚の前で互いに刺し違えて死に、女のあとを追うというものがたり。男の潔さもいい。とりわけ、日本女性のやさしい心根と節操が涙を誘いますね。
 一方、『オペラ座の怪人』に登場する歌姫クリスティーヌはどうか。自分を育ててくれた恩義に感ずることもなく、お金持ちでハンサムな子爵へと走ります。美しいだけで、お脳のほうは空っぽの、功利主義者です。(いい過ぎですか)「さあ、どちらにする」と選択を迫られて、子爵の首にロープがかかっていたとはいえ、いったんは怪人のほうを全的に選びます。いいかげんなものです。
 いま、これを書きながら、これまでとはちがうストーリィの読み解き方に思い至りました。クリスティーヌというのは、どうしようもない、わけのわからない女です。彼女のいきなりのキスを浴びながら、怪人は「だめだ、この女は」と思ったに違いない。その手の指が震えていたのは喜びで震えていたわけじゃない。不実な、こんな他愛もない女に身を削って関わってきたわが身の愚かさに、ハッと気づく。だから熨斗(のし)をつけてこの女をラウル子爵に渡したのだ。そうに違いない。
 菟名日乙女のこまやかな情と、クリスティーヌのすっぽんぽんのアタマと…。やはり、日本女性のこころのほうが美しいですね。それに、ことばということに関しては、ミュージカルでは二の次、三の次になりますのでね、ほんとうの美しいことばにふれようと思ったら、やはり日本古典文学でしょう。お能であり狂言であり文楽でしょう。七・五調で語られる浪花節もふくめて、ことばに力がある、ニュアンスがある。
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