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〔ライナー・チムニク「レクトロ物語」と江戸の草双紙・赤本/チピヤクカムイ/ちいちゃんのかげおくり/アンデルセン生誕200年展/チップス先生 さようなら〕


4-5★江戸の武士・町人が求めた赤い縁起もの

    疫病を避けるには、赤い表紙の絵本を!?

■ ポーランドの絵本作家、ライナー・チムニク
小夜―ありがとう。おとうさんからのお年玉は今年もご本ですね。
がの―787円也の安上がりで悪いけど、小夜ちゃんがいちばん喜ぶものといったら、やはり、これ。春からは1年生ですし、どんどんひとりで本を読めるようになりましたので、ハイ、『レクトロ物語』(福音館書店)です。おとうさんは、以前、佐久間リカさんの訳した筑摩書房から出ている絵本のスタイルのもので読みましたが、これは昨年の夏に出たばかりの、上田真而子(うえだ・まにこ)さんの訳したもの。ほら、絵もたくさんあるでしょう。
小夜―わあ、ライナー・チムニクですね、ポーランドの。ずうっと以前から、おとうさんはこの人の作品を高く評価していましたね。
がの―20年以上も前ですが、『クレーン』をはじめて読んだときには、ほんと、仰天しましたよ。すっかりクレーンに惚れこんでしまった男。巨大なクレーンに登ったきり、下界で戦争が起ころうと、海の中に何十年にもわたって取り残されようと、仕事がなくなろうと、一文なしになろうと、知ったこっちゃない、ぜったいにクレーンから降りない。サビを落としネジを締めなおして、ただ大好きなクレーンを守ることにしか興味がありません。そういう非常識の世界をまともに生きる幸せな男というわけ。無益な戦争に対する批判であり、それに狩りだされていく人びとへの悲しみや市長や大臣たちの権力の虚しさといったものも、この変わった男の一途な生き方によってさりげなくいぶりだされていきます。う~ん、その意味は深く、文明を風刺する現代の寓話というところでしょうか。
小夜―レクトロさんもこのおはなしに出てきますね。トレーラーの運転手でクレーン男の唯一といってもいいお友だち。
がの―仕事よりは夢にふけることが好きな人です。戦争に引っ張り出されて最後には死んで帰らない人になりますが、夢と現実と、はたしてどっちがすばらしいかをわたしたちに問いかけているようなキャラクターです。
小夜―クレーン男もレクトロもタイコたたきも、いかにもおとうさんの好きそうな人物ね。クレーン男なんて、一日じゅう、ユーカリのボンボンをしゃぶり、口笛でローレライの歌を吹いている、がんこで、孤独で、融通がきかなくて…。
がの―そうかな。ところで、「レクトロ」のもともとの意味は、学者とか先生のことだそうですが、トンボめがねをかけ、学生服みたいなのを着た、ずんぐりして背の低い、あまり知性的には見えない、ごくふつうのおじさん。ふつうであることがふつうでないという異常な時代状況のなかを、生き生きと生きていく痛快さが格別です。
小夜―『クレーン男』『セーヌの釣りびとヨナス』『タイコたたきの夢』…、どれも小夜はだ~い好きですよ、この人の作品は。ユーモラスなエピソードに満ち、なんといっても、線描きの絵がユニークです。シンプルなパターンにした群像を細かく描くのが得意なのでしょうか。高い高いところから俯瞰する絵がときどき見られますが、これは珍しいですね。そして、主人公はいつもおっとりととぼけていて、さりげないなかにピリリと現代批判がこめられていてハッとさせられます。ひとつ、哀しくて小夜が泣いてしまった作品があります。『タイコたたきの夢』。「ゆこう、どこかにあるはずだ、もっとよい国、よい暮らし」と、タイコをたたき、角材を携えて人びとが集まり、さまざまなところを経めぐります。でも、どこにも受け入れられません。ユダヤ民族の悲劇を想い出させるものがあり、哀しかったです。ほかには、『熊とにんげん』や『いばりんぼの白馬』もおもしろかったです。
がの―小夜ちゃん、喜んでくれると思った。それにね、これ、小夜ちゃんがノロウイルスにかからないように、おまじないがかけられているのよ。

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小夜―『レクトロ物語』を読んだらノロウイルスに感染しないのですか。
がの―そう。その秘密はね、この帯にあるの。まっ赤な帯がかかっているでしょう。
小夜―また、おとうさん、へんなことをいう…。“まっ赤なお鼻のトナカイさん”は時期が過ぎましたし、まっ赤な「帯」のどこに秘密が隠されているのですか。 
がの―お正月の町に出たとき、なんとなく「赤」が目につくとは思いませんか。神社の社殿や鳥居の多くが赤く塗られていたり (「神社はなぜ赤いか」について、いささか曖昧ながらずっと以前に私見を書いて、“ウの眼=4”のほうに転記しました) …。
小夜―縁起ダルマやテングさんもまっ赤。いまお花屋さんの店頭で見られるポインセチアやシクラメンも。サザンカ、ツバキ、それにセンリョウ・マンリョウの実、ヤブコウジの実もまっ赤。でも、ご本は赤いというわけではありませんけれど。
がの―江戸時代には「赤本」と呼ばれる子ども向けの読みものがありました。内容はたいしたことはなく、絵が主体のおとぎばなしや武者ものがたりで、他愛のないメデタづくりの絵本なの。ですが、人びとはこれを正月の縁起ものとしてさかんに贈ったり贈られたりしていたんですって。
小夜―江戸の子どもたちのお正月は「赤本」がお年玉だったのですか。なるほど、赤い褌や赤い腰巻など、江戸町人が「赤」を縁起ものにしてきたことは、「神社はなぜ赤いか」のおはなしのときに、教えてもらっていますが。
がの―江戸期にかぎらず、日本では古来、「赤」が魔除けの呪力をもつ貴重な色とされてきたのです。「赤本」は別名「疱瘡絵」とか「疱瘡絵本」とも呼ばれていました。
小夜―ははあ、おとうさん、タンジュン! 赤本が江戸の子どもたちを疱瘡から守ったから、同様に、赤い帯のついた『レクトロ物語』が小夜をノロウイルスから守ってくれると思っているなんて。
がの―いやいや、その疱瘡ですが、江戸の人びとにとってはたいへんな脅威だったのですよ。もう、手のつけられないほどの猖獗を見、江戸の何十万もの子どもがこれでバタバタ死んでしまったというのですから、ノロウイルスなんてものの比じゃない。ワラをもつかむような気持ちでみんなが丹色の表紙のその本を求めたのですよ。
小夜―その後の医療技術の飛躍的な向上で、今は疱瘡という病気の名前を耳にすることがありません。

  「赤」のもつ不思議なパワーにすがって、お年玉には「赤本」

がの―子どもがみんな寝しずまったころ、「おめんどご、子どもはいねが」と悪鬼がヌッとのぞきにやってくる。
小夜―それじゃあ東北のナマハゲじゃないですか。
がの―子どものすこやかな成長を願う親としてみれば、その病魔のおとずれは、震えおののくほど怖く、深刻なものだったのね。だから、江戸といわず、上州、武州、甲州といわず、かなり遠い地方から、湯島天神そばの女坂にあった相模屋という本屋さんまでわざわざ買いに行って、それを子どもへの正月のみやげにした。そんな習わしがあったという記録が古い文献に見られます。
小夜―正月に、ですか。どうして護符としての「赤本」がお正月の贈りものだったのかしら。
がの―どうして…、といわれても詳しいことは知りませんが、「赤本」、それからそのあとに登場した「青本」も、正月に向けて出されていたというのです。
小夜―小夜もその赤本、一度見てみたい。
がの―小夜ちゃんならそう言うと思った。でも、無理です。そうですね、国立国会図書館のようなところへ行ったら、あるいは倉庫の奥のほうにいくつか保存されているかもしれませんが、もとの姿のままの赤本をわたしたちが目にすることは、まず困難です。ひょっとするとどこかの大金持ちのコレクターが秘蔵しているかもしれませんけれど。
小夜―だって、たくさんつくられ、たくさんの人がそれを買って読んだのでしょ。
がの―たくさんといっても、当時のことですから、いくら多くても一万部を越えることはなかったと思いますよ。それに、用紙は灰色っぽい粗末な再生紙で、今の本とは比べようもなく劣悪なものでした。印刷技術も製本技術も進んでいませんでしたから、たちまち字がかすれたりページがバラバラにほどけてしまったり。このころの大衆的な絵入りの出版物をひっくるめて「草双紙」と呼んでいました。「草」といったら、小夜ちゃん、どんなものを想像しますか。
小夜―雑草、草花、草刈り、草もち、草むら、草ひばり、草分け、それに…、草野心平、森田草平。
がの―草野球、草競馬、草相撲、草枕、草庵、草の褥(しとね)、民草…。つまり、あまり本格的でないもの、きちんとしたところでおこなわれないもの、あまり真剣でない遊び半分のもの、劣っていてごくつまらないもの、ちょっとした仮りのもの、…そんな意味がありますね。草双紙のひとつ「赤本」も、あまり大事にされることはなく、読んだらポイと捨てられてしまうことが多かった。だから、あとに残っていないんです。表紙はあの毒々しい印象の「赤」ですから、お部屋にいつまでも飾っておくにはちょっと、ね。
小夜―もったいないわ。おとうさんがよく言うじゃないですか、本は大事に受けとめるべきで、しっかり読まないくらいなら外へ出ていって遊んだほうがいい、と。

■ 水準化で価値が埋没し、「質」の感覚が喪失した時代
がの―そうはおっしゃいますが、良くも悪くも、今の出版やマスコミの周辺と事情がよく似ているとは思いませんか。猛スピードで氾濫する情報を次つぎに追いかけていて、知識は豊富でも、それがどういうことなのかを立ちどまって考えることをしないわたしたち。わかったような気分になったら、よく咀嚼するいとまもなく次へ次へとつっ走り、すぐ忘れてしまいます。そういう薄っぺらな文化現象を商売上手な人がバッチリとらえて、読んで噛みしめじっくり考えるようなものよりは、読んだらすぐわかるもの、絵を多くして文字は少なく、だれにでもパッと飛びつけそうなものを、と商品化する、おカネに不自由しないわたしたち庶民が気易くそれを受け取る、という軽薄短小型の文化のなかにいるわけです。江戸時代後期、田沼意次(おきつぐ)という老中が側近政治をやっていた時代に有史以来の開放経済がもたらされました。享楽的な一大消費文化に人びとが浮かれ騒いで、大事なことを忘れた時代。それとよく似ているような気がします。それでも、このごろのマンガ文化やケータイなどに象徴的に見る大量生産と大量消費は、そのころとは比べようもない規模にふくれあがっていますけれど。
小夜―木も空気も水も、地球の大事な資源がメリメリと食いつぶされ、汚染され、砂漠化していくという現実があります。地球の温暖化の一因を日本の出版事業が担っているといわれますね。でも、江戸期にはそれほど多く出版されていたのですから、パッパと捨てられたとしても、中に少しは貴重なものもあったのではないでしょうか。
がの―そこが日本人の日本人らしいところ。自分の足元はあまり見ようとしないのよね。まえに浮世絵のはなしをしてあげたじゃないですか。
小夜―はい。浮世絵は、もとはといえば、長屋暮らしの江戸町人の、子どもが破った障子のアナをふさぐためにペッタリ貼られていたものだったり、お鍋や釜の底に敷かれていたもの。それをたまたまゴッホが目にして、「とんでもないこと!」と、簡素な線でなよやかに表現するその見事な描写法にびっくりし、大事に自国に持ち帰り、それを一所懸命にまねて絵を描いて、それがヨーロッパじゅうに広まり、世界にジャポニスムのブームを巻き起こしました。外国の人のたしかな目で評価されて初めて、自分の持っているものの価値に気づくという、日本人のいつものパターン。桂離宮に日本最高の建築美を発見したブルーノ・タウトの場合もそうでしたね。その後、和辻哲郎さんの名著『桂離宮』もあって、ようやく日本での評価が定まったという。
がの―その当時の出版事情をザッとおはなししておきましょうか。
小夜―でも、おとうさん、お正月早々、また長くなりましたよ。
がの―そうね。でも、これまでのおはなしで、赤本のことなどはよくわかってもらえなかったでしょうから、ごくかいつまんで。
◇   ◇   ◆   ◇   ◇

日本の中世までの本づくりは写本によりました。16世紀の末になって、キリスト教の宣教師が九州に印刷機械を持ち込みました。初期のごく単純なものでしたけれど。つづいては、豊臣秀吉による朝鮮出兵の戦利品の中に銅活字があったそうです。そろそろ出版がはじまっていくわけですが、当時読み書きのできたのは、武士階級と貴族階級のみならず、まだまだとはいえ、町人層にもどんどん広がりつつあり、本が「商品」として流通しだしていく前夜だったのです。
まず、京都・大坂に「仮名草子」と呼ばれる一群の小説が登場しました。それはたちまち江戸のほうにもたらされ、いよいよ勢いを増し、1620年以降にはそれが商品化され、とりわけ井原西鶴の登場によってブームとなって、「浮世草子」として爆発的に流通するようになります。山東京伝、曲亭馬琴らの洒落本が爆発的な人気を得ます。このときを機に出版事業は上方を離れ、江戸資本による独立した形でおこなわれます。この本屋さんのことは「地本問屋」(じほんどんや)は呼ばれました。
生き馬の目を抜くといわれるほど商売にたけた江戸の地本問屋の仕掛けで、“縁起”をからめて始まったのが丹色で表紙を刷った子ども向けの絵本「赤本」というわけ。ここからさらに、青年世代向けの「青本」「黒本」、おとなの人向けの「黄表紙」へと発展を遂げていきますが、ともあれ、疱瘡やコレラを恐れた江戸の人たちは、子どもにたむける縁起ものとして争って買ったので、赤本は完全に大衆化しました。発行部数の増大にともない、ついには表紙の印刷に使う赤色の顔料 (酸化鉛) が不足して途方もなく高騰します。とうとう赤色に代わって萌黄色で表紙が刷られるという始末。享保年間になり、その質も内容も変わり、萌黄色の表紙の「青本」は、絵よりは文章の比重のほうが重いものになっていきます。当代流行の風俗を映すことが主流で、歌舞伎や浄瑠璃の情報が取り入れられることが多かったようです。こちらのほうも原則的には正月に刊行するのが習わしでした。
◇   ◇   ◆   ◇   ◇

※…ライナー・チムニク絵・文 「クレーン男」(または福音館書店版「クレーン」=絶版)「セーヌの釣りびとヨナス」「タイコたたきの夢」はともに矢川澄子訳、童話屋刊(福音館版はいずれも絶版)。「熊とにんげん」「セーヌの釣りびとヨナス・いばりんぼの白馬」はともに福武文庫、前者は上田真而子訳、後者は矢川澄子訳。現在、入手不可のものが多いので、お確かめください。〔2007年01月01日〕


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4-4★アイヌ神謡「チピヤクカムイ」の世界
    ――天に帰れなかったオオジシギとヒバリ

小夜――『はらっぱのおはなし』(松居スーザン、あかね書房)のことを千葉のばーばーじゅこんさんがご紹介していました。コオロギ、クモ、アゲハチョウ、テントウムシ、アリ、カミキリなど、夏の野の生きものたちと、北海道の自然がきれいに語られていて、すてきでしたね。
がの――こちらが夏のおはなしなら、スーザンさんは『冬のおはなし』(ポプラ社)も書いていて、キツネやウサギ、タヌキ、オコジョなど、冬の森に生きるものたちが、北海道の雪と氷と風のなかでそれぞれのゆかいなおはなしを語ってくれています。ほんとうにゆたかな生きものたちの世界です。
小夜――オオハクチョウのおはなし、すてきでした。『チピヤクカムイ』で描かれる北海道の世界も、スケールがおお~きく、その自然はきれい。いい香りをのせた透き通った風が大地いっぱいを撫でていくよう。オオジシギがカムイのいいつけをつい忘れてしまったのも、わかるような気がするわ。
がの――小夜ちゃんも、お使いに行ったのになかなか帰ってこなかったじゃないですか。本屋さんに入って、立ち読みをはじめたらもうやめられず、おかあさんにいわれたことなんて、すっかり忘れちゃって。
小夜――このところ、いくつか、北海道開拓のおはなしを読んでいたら、すっかりこころをうばわれてしまいました。その自然の美しさだけでなく、入植してきた人びとのまっすぐな意思とご苦労、とりわけ、きびしい自然との戦いには、読んでいてからだ全体が熱くなるような…。
がの――きれいだ、かわいい、といわれて愛されるスズランの花。北海道の象徴のようにして語られる花ですが、あの植物を駆除するのが、森林を切り拓くこととともにだいじな開拓の仕事の第一歩で、スズラン駆除こそが開拓の歴史だった、なんてはじめて知りましたよ。
小夜――スズランには毒があり、牛や馬や山羊や羊がこれを食べると中毒をおこし、とても困ることになったようでしたね。
がの――北海道の開拓は、まず川に沿っておこなわれました。ですから、洪水との戦いでもありました。いまも川に縁の深い地名がたくさん残っています。
小夜――▽▽ナイの「ナイ」は川のことですってね。
がの――稚内、静内、岩内、神恵内、歌志内…。函館の近く、松前半島には木古内、知内。みんなアイヌのことばのなごりをとどめる地名です。ばーばーじゅこんさんの生まれ故郷の小樽も、ずっと昔は「小樽内」といったそうですよ。「ナイ」に近い「ナエ」となると、小さな川、谷川のこと。
小夜――「ペンケ」「パンケ」もひびきのおもしろいことば。ペンケは川上のこと、パンケは川下のこと。
がの――ほかには、○○別という地名を北海道でよく聞きませんか。よくわかりませんが、これも川と関係があるような気がしますね。
小夜――登別、江別、芦別、紋別、士別…。うーん、なるほど。
がの――日本地図を見てみようか。ここが知床半島でしょ。オホーツク海に面する海岸に沿ってずうっと北、宗谷岬までたどってみると、薫別、女満別、津別、湧別、紋別、浜頓別、鬼志別。さらにそこから日本海側に沿って南下してくると、すぐに遠別、初山別、と。細かに見ていけば、道内各所にもっともっとありそう。そのほかには、小夜ちゃん、どんなアイヌのことばをおぼえましたか。
小夜――「カムイ」はカミ(神)に似ているわ。道のことは「ル」ですけど、これも「ロ(路)」に似ている。留辺蘂(るべしべ)とは、もとは「ル・ペシュペ」で、超えていく道、つまり「峠」のことだったそうですね。メノコといえば娘さんのこと。内地の人のことはシャモと云ったのね。夏はサク、冬はマタ。夏には花たちがいっせいにサク、冬にはマタきびしい吹雪が来る、ということかしら。
がの――はっはっは…。それはどうかな。
小夜――それに、ちょっと気にいったひびきをもつことばは「チャランケ」。「キツネのチャランケ」というおはなしがありましたね。
がの――そういう名前のキツネのことかと思いましたよ。そうじゃなくって、談判すること、交渉して許しを乞うことですってね。そうそう、ラボのおはなしの『チピヤクカムイ』にもチャランケの場面がありましたね。
小夜――カムイのいいつけで、オオジシギは六つの空を通り抜けて下界に行きます。人間がいまどうしているか見て来て報告しなさい、とのいいつけでした。ですけど、小夜と同じおばかさんのオオジシギは、下界があまりにも美しく、木の実はあまりにもおいしいので、もう、夢中になってしまい、カムイのいいつけなんてすっかり忘れてしまいます。
がの――アイヌの神はきびしいね。小夜ちゃんを叱ったおかあさんほどには甘くないよ。やっと気づいて帰ってきたオオジシギを棒でたたいて下界へ突き落とします。いくら言い訳をし、チャランケをしようと、カムイは一度の失敗さえ許してくれません。それを安易に許すほどには北の国の暮らしは甘くない、ということでしょうね。オオジシギは、吹雪のつづくきびしい北海道の冬を死にそうになりながら耐えなければなりませんでした。
小夜――かなしいですね。福寿草の咲く春になり、翼に力がよみがえってきても、ついに許されることはありません。故郷恋しさにオオジシギはヒューッと天近くまでのぼりますが、ついに天に入れられることなく、またスーーッと急降下。これをいつまでもいつまでもくり返して、それで生涯を終えるんですから。
がの――ひとからものをたのまれたり約束したら、どんなことがあってもそれを守らなければならない、自分の欲望におぼれてはいけない、ということを語るおはなしでした。
小夜――どうしてなのか、アイヌのおはなしには、このチャランケがときどき出てくるように思いませんか。
がの――おとうさんは白老(しらおい)とか二風谷(にぶたに)・平取(びらとり)とか、いまも残るいくつかのアイヌ部落をずうっと以前に訪ねたことがあります。平取の長老から聞いたおはなしが『チピヤクカムイ』によく似ているんですね。
小夜――わあ、アイヌの古老から直接おはなしを聞いたのですか。ね、そのおはなし、して。
がの――細かな部分は忘れてしまいましたが、こんなおはなしでした。オオジシギではなく、ヒバリが主人公。ヒバリは青空の広がるよい日には一日じゅう高い空で鳴きつづけていますね。あれは、空のカムイに「帰してください」「わたしが悪うございました」「これからはぜったい約束は守りますから」とチャランケし、謝っているんですって。ヒバリって、もともとは、空のカムイに仕える召使いだったの。ある日、空のカムイはヒバリに「神のなわしろのイチゴがどれほど熟れて色づいたか、行って見て来い」と命じられます。ヒバリは得意になってピューッと地上に舞い降りました。まあ、なんという気持ちのいい風。それに、たわわに実ったイチゴはつやつやとし、まっ赤に熟れています。一つついばんでみました。なんという甘さ! なんという香り! もう一つ、もう一つ、と食べ、もうやめられなくなってしまいました。ハッと気づいて、あわてて空のうえへ帰ろうとしました。しかし、いいつけに逆らった召使いに怒った空のカムイは、空への道をピシャリと閉ざし、がんとして入れてくれません。いくら泣いてお詫びしチャランケしても、カムイは聞き入れてくれません。ですから、いまもヒバリはあんなふうにチャランケをして鳴きつづけているんですって。
小夜――『チピヤクカムイ』とよく似ているわ。どちらが原型なんでしょうか。オオジシギもヒバリも、北海道の大地に、人のすむ地上にすばらしい楽園を見たのですね。浦島太郎やリップ・ヴァン・ウィンクルは、はるかな異界に桃源郷を見ましたけれど。(Sep 12, 2006)


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4-3★「ちいちゃんのかげおくり」=あまんきみこ
   ――青空のむこうに吸いこまれていった小さい女の子

小夜――おとうさん、“かげおくり”しよう。
がの――むりですよ、それは。こんな梅雨空で、いまにも雨がおちてきそうじゃないの。それをするなら、雲ひとつない、まっ青な空がいっぱいに広がっているようなときでなくちゃ。
小夜――ちいちゃんは、ひとりぼっちになったあと、青い空からのおとうさん、おかあさんの声を感じて、かげおくりをしました。ひと~つ、ふた~つ…。
がの――ここのつ、と~お。……スーーッとかげが立っていき、青い空にくっきりと白いすがたがあらわれました。
小夜――ふしぎ。それはちいちゃんひとりだけのかげではなく、おとうさん、おかあさん、おにいちゃんもいっしょのかげでした。おとうさん、おかあさんのあいだに、ちいちゃんとおにいちゃん。みんなでしっかり手と手をつなぎあっていましたね。
がの――そして、そのまま、ちいちゃんのからだは風のようにすきとおって、すうーっと空のむこうへ吸い込まれていきました。
小夜――おとうさんは、小さいころ、 “かげおくり”で遊んだことがありますか。
がの――いいや、知りませんでした。でもね、いなかの川の堤防などで、お友だちみんなが夕焼け空に顔を染めながら、かげふみごっこをしてよく遊びましたよ。長い長いのっぽさんのかげができるのよね、日がかたむくころになると。
小夜――それにしても、ふしぎですね、青い空に自分のかげが白く映るなんて。
がの――映画やテレビとおなじ、残像の効果でしょうかね。まばたきをしないで足もとの自分のかげぼうしを見ている、ジーッと十かぞえるまで。それからそのままソーッと目を上に向けます。目のさきがさえぎる雲もない青空だったら、空中に白いかげが映っているというのね。
小夜――いつか小夜もやってみよう。それはたのしいお遊びですけど、おはなしのほうはそういうものではありませんでした。からだの弱いおとうさんまでが戦争にかりだされていく時代で、おとうさんからこのお遊びをおしえてもらうのが、出征してお別れする前の日のことでした。家族そろった、さいごのたのしいひとときだったのですね。
がの――あとに残されたおかあさん、おにいちゃん、ちいちゃんは、はげしい空襲に追われ追われて逃げまどう毎日になります。そんななか、ちいちゃんはおかあさんともはぐれて、ひとりぼっちになってしまいました。
小夜――おかあさん、おにいちゃんが帰ってきているはずの、もとのおうちへ行ってみると、そこはあとかたもなく焼けて何も残っていませんでした。おかあさん、おにいちゃんも、どこにいったのでしょう、待っても待っても帰ってきませんでした。ちいちゃんという、小夜とおなじくらいの小さな女の子は、そうして遠い空のむこうへ行ってしまったんですね。
がの――お花ばたけのむこうにうかんだ、おとうさん、おかあさん、おにいちゃんのかげ、…笑いながらこちらに近づいてくる三人の像にむかって、ちいちゃんは行ってしまう。
小夜――60年前にあった戦争のことをもう一度考えてみる、いい機会になりました。亡くなった人の霊魂が帰ってくるという日本の夏ですし。candyさんにおしえていただいたご本です。ありがとうございました。

※あまんきみこ=作、上野紀子=絵「ちいちゃんのかげおくり」あかね書房



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4-2★アンデルセン生誕200年展

〔To: Hiromi~さん/06.03.29〕
きょうは、読書会のメンバーが4月末に文学散歩をする計画で、おとうさんか案内役になっており、その下見におとうさんといっしょに行きました。目白台の界隈を歩くのですが、まず、大曲のトッパン印刷に行き、印刷博物館を見学いたしました。「アンデルセン生誕200年展」は4月3日まで、もうすぐですので、この日でないと都合がつかないというおとうさんの事情がありました。この展覧会については、以前、奈良のcandyさんがご紹介くださっておりましたね。ぜひこれはラボの方がたには見ておいていただきたいもの。あとでおとうさんがオモテの日記でご紹介してくれるか、な? どうかな?
 アンデルセンの生い立ちと作品とを重ね合わせた展示になっており、さまざまな新資料にふれるというだけでなく、思いがけない新しい発見ができそうに思います。ずいぶんたくさんの内外の人がアンデルセンの作品の挿し絵を描いていますが、その点、伝統と文化の深みのちがいなのでしょうか、海外の挿し絵画家のものと日本のそれとを比べると、どうしても日本の画家さんのほうには力が足りない感じ。せいぜい黒井健さんの「マッチ売りの少女」と太田大八さんの「みにくいあひるのこ」「ナイチンゲール」くらい。そんなことも比べて見られる展覧会です。たのしいですよ。
 遺品のひとつに大きな革カバンがありました。トランクといえば、小夜の脳神経のまん中に焼きついているイメージがあります。宮澤賢治のトランク。賢治さんが妹トシさんの危篤の報を受けて、本郷・菊坂の下宿から急きょ帰郷することになります。そのとき童話作品をぎっしり詰め込んで持ち帰ったあのトランク。童話とトランクとは、なんだか不即不離の関係にあるような感じがしませんか。
小夜がいちばん好きなアンデルセンのおはなしは「人魚姫」です。 

急がないと、アンデルセンが帰っちゃう!
アンデルセンをもう一度、見直しませんか。
 だれがなんと云おうとも、やはりアンデルセンは「童話の王様」。王様のせっかくのお出ましとあらば、チャンスです、見過ごすわけにはいかないでしょう。
4月3日(月)で終わってしまいます。ここでは詳しいことは避け、急いでお伝えいたします。「読みつがれる童話 アンデルセン生誕200年展」です。わたしには、いま、詳しくご紹介する時間がないのですが (BBSのほうで少しふれました。以前、candyさんがご紹介してくれた企画です)、 “ものがたり”を大事にするラボのみなさんには、ぜひご覧いただきたい企画。
 靴屋のせがれとして生まれ、有名になりたいという夢をいだきつづけ、その夢を次つぎに砕かれてなお、「わたしの生涯は波瀾にとんだ幸福な一生であった。それはさながら一編の美しいメレヘンである」と自身が書く、挫折、挫折の繰り返しで織り成す波瀾に満ちた生い立ちとその作品とを重ね合わせて、童話の王様の宮殿へ分け入るひととき。これはラボのみなさんの歓びと感動のために用意された舞台です。
 東京・文京区・大曲の「印刷博物館」にて開催中。JR飯田橋駅から歩くと約15分、地下鉄江戸川橋駅からですと徒歩8分ほど。歩くにはちょっとつらいので、飯田橋または上野から都バスをつかって「大曲」で下車するのがいいでしょうか。真新しい、すてきなステキな博物館です。アンデルセンに関するたくさんの資料にふれられるというだけでなく、さすがに日本の印刷文化を最先端に立って引っ張ってきたところ、印刷とともに育ってきた絵本の世界をダイナミックに見せてくれ、フー~~ンとうならされます。パピルス、石ぶみの古代から、今日のハイテクによる最先端技術まで、出版文化を支えてきた印刷文化、文字と絵画による表現文化を、わかりやすく、楽しく見せてくれますので、子どもさんにもぜひ見せてあげたい。〔2006.03.30〕

〔To: candy さん/06.03.31〕
子どものこころとことばの教育にたずさわるものには、こういう機会にナマに近い形で作者にふれることは欠かせないように思いますね。ふれれば、やはり、これが、時代を超え、国境を超え、ことばの違いを超えて、不滅の宝であることがよくわかります。子どもの文学を子どもにどう伝えていくか、その課題への筋道がスッキリと見えてきたような…。
 たとえば、歌姫イェリー・リンドへ寄せるアンデルセンの切ない恋、むくわれることのない愛と、美しい傑作「人魚姫」。偏った読み方と云われるかもしれませんが、そんなふうに結んでイメージすると、思いはぐっと深まり、こちらのこころのなかでは涙がとめどなくあふれてきます。本を読んでいるだけでは感じられない世界が、天蓋ひろく開けていくみたいに。
 このあと、この企画がどこをどう巡回するのか、あるいはもう巡回しないのか、それは知りませんが、多くのひとにぜひ見ておいてほしいと願っています。


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4-1★チップス先生 さようなら=ヒルトン
   ――理想の教師像を求めて

小夜――淡々として退屈な、とくに何があるというわけでもない、平凡に思えるおはなしですが、なぜかシーンとこころにしみるところがありますね、チップス先生の生き方には。
がの――ジョージ・ヒルトンというイギリスの作家が書いたものです。1900年に生まれて1954年に亡くなっています。お父さんが教師生活を長くやっていて、貧困のなか、いろいろご苦労があったようですが、この小説はそのお父さんをモデルにしているような気がします。推測ですけど。
小夜――あら、1900年ですか。サン=テグジュペリと同じ年に生まれたんだわ。
がの――よく憶えていましたね。『星の王子さま』の作家と同じく、第一次世界大戦、第二次世界大戦の両方を見ている人、激動の時代を生きた人でした。平凡な作品といいますけれど、1934年、作者33歳のときに週刊誌のクリスマス特集号に発表した作品で、発表と同時にヨーロッパではたいへんな反響だったんですよ。映画にも二度なっていますし。
小夜――そうですか。でも、メリハリに乏しく、読むひとをドキドキさせて惹きつけるようなドラマ性があるわけでもありませんよ。たしかに、イギリスの伝統的なエリート教育がどんなふうにされていたのか、全寮制寄宿学校(パブリック・スクール)の毎日の生活がどんなものかを知ろうと思えば、なかなかいい材料と云えるのかもしれませんけれど。
がの――いやいや、新潮文庫 (菊池重三郎=訳) の初版が出たのが1956年ですから、ちょうど半世紀。おとうさんが書棚の奥から引っ張りだしてきたこの本が、昭和62年5月に出た71刷、そして読書会の皆さんが今回新しく買って読んだのが97刷、98刷でしたね。日本でもたくさん、たくさんの愛読者がいるという証しですよ。おとうさんはね、20年前には反戦ものとしてこれを読んでいましたが、どうやらそれはまちがいで、そういう観念を外して読んだとき、はじめてこの作品のすばらしさがよくわかったような気がしました。

記憶に残る先生
小夜――木曜日にあった「ふれあい読書会」、おもしろかったですね。おとうさんが皆さんに尋ねたじゃないですか、「振り返って、今もっとも記憶に残る先生って、どんなタイプの先生ですか」と。いつもはあまり発言することのない中学生のおねえさんたちも、活発に云ってくれました。
がの――いろいろ挙げてくれましたね。それを総合すると、何か一つのことをいっしょに汗を流してやってくれた先生、ということだったでしょうか。
小夜――頑固で融通のきかない先生、感情的になってよく子どもを叱るマイナス・イメージの先生のことを挙げるおばさまたちも多かったわ。
がの――よいにつけ、悪いにつけ、一本スジのスーッと通った先生。逆に、たいしたことでもない知識を大仰にひけらかし、知ったかぶりをして自分の虚栄にばかり走るような先生、忙しぶって何でも自分ひとりでやっているふりをしながら、ほんとうは自分の体面しか考えていないような先生は、ダメということでした。
小夜――ダラシなく甘やかすばかりの先生、子どもを理解しているようなポーズをとって、ずかずかそのこころに深入りしてくる先生、そういうタイプも嫌われました。とにかく、子どもって、いつも、先生にせよ親にせよ、本気になって自分のほうを向いていてくれるかどうか、自分のことを近くから本当の愛情をもって見ていてくれているかどうか、そのことにすごく敏感なんですよね。
がの――ほらほら、そんなところから、この『チップス先生 さようなら』がたくさんの人たちに読まれてきたわけが見えてきたじゃないですか。たしかに、平凡です、とりたてて優秀なところなんてない、ついに校長先生にもなれないまま終わる、ちょっとダラシない、風采もあがらない先生ですが、そんななかにもキリリとしたたたずまいがあり、三世代にもわたってみんなから慕われ、愛されてきた、そのわけが。
小夜――小夜が驚いたのは、退職して十年以上になり、老いてからだが動かなくなっていても、卒業していった何千人もの生徒の顔と名前をきちんと憶えていること。これって、すごいと思う。寮生活の、食べるのも寝起きするのもいっしょという教育のスタイルがそうさせるということもあるでしょうが、本気で、ゆるぎない信念で、一人ひとりの生徒と向き合い、教育というリンクで真剣に格闘し通した人でした。
がの――教育といいますがね、彼が子どもたちに伝えたのは、授業で担当したラテン語のことではなく、端的に言えば、礼儀と規律ですよね。ちょっと古い観念といわれるかもしれません。でも、時代に取り残されそうになりながらも、生徒一人ひとりが自分のアイデンティティを形成すべき根拠地、守りぬくべき伝統の意味、モラルの重要さを、この先生は徹底的に語りつづけました。それに、注意しておきたいのは、イギリスという国はほかでは信じられないくらい伝統を重んじる国だということね。
小夜――堅苦しいばかりでなく、よくシャレをいう人でもありました。生徒たちも、こんどはチップス先生がどんなシャレを飛ばすか、たのしみにしていたじゃありませんか。そして、ものごとのおかしさを決して見逃さないセンスをもった人。納得できないことがあればどこまでも追いつめて…。
がの――風体からして滑稽でしたね。古ぼけてボロボロになった教師服(ガウン)を着て、いまにも躓きそうな危なっかしい歩き方。鉄のフチの眼鏡をかけ、その眼鏡ごしにやさしい眼を向ける。話し方にもどこかおどけたようなところがあって…。
小夜――自然のままで、気取りや見栄というものを知らない人、野心や欲望とは無縁の人、何ごとにもなりふりかまわず一所懸命にぶち当たる人でした。

あざなえる縄/人柄を変えるもの
がの――一人の古風な教師の生涯の断片をていねいにつなぎ合わせて構成したような作品で、落ち着いた、恬淡な味で語られています。しかし、まったくドラマがないわけではありませんよ。抑えのきいた、まるでうす墨で描いたような画面に、いくつかの動きあざやかな線、印象的なドラマが描きこまれています。まわりが抑えられていますので、そこがよけいに鋭く生き、効果的にキワだって見えます。
小夜――先生は46歳のとき、キャサリンさんという25歳のすてきな女性と湖水地方のグレート・ゲイブル山で出会い、ひょんなことから恋をし、結婚します。おとうさん、この二人、考えられないような取り合わせだとは思いませんか。だって、男子校の舎監として子どもに伝統を語り、規律ばかりをいう、古くさく、おもしろ味のない、パッとしない男の人と、一方、女の人のほうは、それとは対照的に、若々しい理想に燃える、当世型のリベラリストですよ。
がの――そうそう。バツグンに聡明な、意識の高いひとで、イプセンを崇拝しているとありましたね。きっとこのキャサリンさん、女性の自立を宣言する『人形の家』や『ヘッダガブラ』などをしっかり読んでいたんでしょうね。ある日、決然と夫を捨て三人の子どもをすて、人形である自分を捨ててほんとうの自分を求めて家を出るノラのことは、先月の読書会でみなさんと読んだばかり。
小夜――女性の選挙権獲得の運動をしていたともありましたね、キャサリンさんは。ところで、おとうさん、男のひとって、すてきな女性に出会うと、あんなにコロッと性格まで変わってしまうものでしょうか。
がの――さすがのカタブツ先生もコロリと人柄が変わりましたね。包容力が出て柔軟になり、生徒とのコミュニケーションのとり方もたいへんじょうずになります。それにより、ウサンくさく、とりつきにくかった先生が、とたんに多くの生徒の信頼を得て慕われる存在に変貌します。でも、本質的な部分は変わっていませんよ。
小夜――教師の妻となったキャサリンさんの、ハツラツとした行動力が魅力的でした。伝統にしばられた学校に新しい風を送り、次つぎに旋風を巻き起こします。貧民街にある慈善学校の生徒を招いてサッカーの対抗試合をおこないましたね。良家の子弟を貧民窟の子どもたちに混じり合わせるなど、当時の常識ではとんでもないことでした。
がの――キャサリンさんに後押しされて明るい性格を取りもどしたチップス先生。しかし、充実した幸せな結婚生活は、2年あまりでプツリと断ち切られます。この世に生まれ出ようとする小さな命とともに、生徒や教師たちみんなに愛されたこのキャサリンさんは、あっけなく遠い世界の人となってしまいます。
小夜――天から降ったようなきらめきをもつ人でしたから、悲しいわ。ここは、すごくあざやかな印象を刻む描写でしたね。さらりとした淡彩画のようなストーリィの流れできていましたから。

人生をどう終える?
がの――老人のように気力を喪くした茫然自失の日々のなか、学校のおつとめはつづけられます。時代は、戦争へ、戦争へと、傾斜を急にしていきます。
小夜――軍人出身の若い校長先生が赴任してきて、能率をいい、経済性をいい、バリバリと学校の伝統を壊そうとします。そして、チップス先生の教授法は古くて時代に合わないと批判し、退職勧告をします。
がの――もう60歳になっていたこともありますけどね。しかし、毅然たる態度で校長先生の方針に抵抗します。そのはげしい言い争いを耳にした生徒からパッと噂は広まり、生徒、その親たち、理事会がこぞってチップス先生を擁護して立ち上がりますね。
小夜――感動的でした!
がの――その校長先生は追い出され、チップス先生は残りますが、そのあと65歳になって気管支炎を患ったのを機に、辞職を決意します。42年におよぶ教師生活に自分の手で幕をおろします。
小夜――学校を辞めても、学校とは道ひとつを隔てたところの家を借りて住みます。生涯を傾けた学校への思いの強さでしょうか。暖炉の前のイスに身をあずけて、たのしい数かずの思い出に浸りながら、新しい生徒たち、教師たちの往き来をずうーっと見守っています。ときには、新入生をお茶に招いて話をしたり、教師といっしょに食事をしたりも…。
がの――卒業生たち、若い教師たちが次つぎに戦場に駆り出されていき、死んで帰ってきます。乞われて再び学校に出るようになりますが、礼拝のときに校友戦死者の名を読み上げる役割を買って出ます。その声は震えてかすれ、なかなかことばになりません。
小夜――戦死者一人ひとりについての深い思い出が、先生の胸のなかにはくっきりと生きていますのでね。こんなイタズラをした子だった、あんなバツを与えた子だった、と。
がの――それでも、幸せそうな最期だったじゃないですか。朦朧とした意識のなかで、大団円のハーモニーを歌いあげる何千人もの大合唱、男の子ばかりの声がうずをなすのを、うつろに聞きながら、静かに最後の眠りにつきました。
小夜――よかった! むずかしい本でしたけれど、おとうさんとおはなしするうち、この作家がこの作品にこめた主張がスッキリ見えてきました。それに、おとうさん、なんだかとても羨ましそう。そんなにパッとした人生ではなかったかもしれませんが、質素で欲なく、時流に媚びない生き方、やはり、自分の信念に忠実に生きた人の、すてきな一生だったといえますね。
がの――そうかな。才うすく、運もツキもないおとうさんの小さな生き方にちょっとだけ通じるところがあるかな、遠くおよばないことばかりだけど。
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