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下記はMICKYさんのHPよりお借りしたものです。
小・中・高校と海外で過ごされたMICKYさんの経験から書かれたものです。
是非、読んでみて下さいね(^^)
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日本人の英語はなぜなかなか通じないのでしょうか?・・・
それは日本人が悪いのではなく、半分は日本という国土に原因があるように思えてなりません。すなわち、他国の人とは英語力以前に、コミュニケーション能力に雲泥の差があると感じるのです。
世界から日本を見ると、日本は何と珍しい国なのでしょう!
髪の毛はみんな黒、目は黒、話す言葉は(アイヌ語を除いて)日本中どこへ行っても日本語。一般的に宗教の違いには無頓着、おまけに島国で他国と隔たっている・・。こんな場所では、コミュニケーション能力も自己表現力も上達するほうがおかしい!
私の通ったNYの小学校は20名前後のクラスでしたが、覚えているだけでもアメリカ人、フランス人、イタリア人、スペイン人、ヒスパニック、アフリカンアメリカン、ユダヤ人、インド人、中国人、韓国人、そして日本人と、何カ国もの子供が共に学び、遊んでいました。髪の毛は金髪、赤、茶色、グレー、黒、ストレート、カーリー、ボールドなど。目はブルー、グリーン、ブラウン、ベージュ、グレー、そしてブラック。王冠のエメラルドや、海の底を固めたように美しい瞳を持つ人たちが世の中にいる事を知りました。
もちろん、話す言葉も色々、好きな食べ物や生活習慣も宗教も違う。だから学校ではクリスマス(キリスト教)を祝い、ハナカ(ユダヤ教)を祝い、アジア人と共にお正月を祝う。セサミストリートも、英語の日もあればスパニッシュの日もあります。(それを知らず、友達に注意されるまで私は水の事は英語で”アクア”と言うのだと信じていました。)
そんな中での生存競争は大変です!
カラフルな20色のクレヨンの中で、自分の色をアピールしていかないと使ってもらえないからです。
”自分はこんなにステキな色なんだよ”と自己をアピールする力を身につけていく。
また、”あなたとはこんな所が違うけど、こんな所は似ているね”と、違う人を見る事で自分を知り、自分と他人を冷静に見つめ、違いを認め合った上で仲良くしていく方法を見出していく。
これがすなわち、コミュニケーションのスターティングポイントではないでしょうか?
大学の時、日本の一流大学のTOEFL580点取っている留学生がいました
が、かわいそうに英語が通じず、ホームシックになってしまいました。
一方、彼女より単語力は明かに少ないスエーデンの留学生はすぐに友達が出来て、楽しいキャンパスライフを過ごしていました。
英語が通じない・・・それは英語力以前にコミュニケーション能力に問題があったのです。(ちなみにスエーデンの子は小学校から英語を劇遊びで学んでいました)
私がラボTになる前、他の英語教室の教育システムがやたらに「薄っぺらく」感じました。その時はまだ何が「薄っぺらく」て、どうして自分はラボTになったのかよくわかりませんでした。でも、このようなコミュニケーション能力を英語と同時に身につけるラボの教育法は、少なくともその時の私に「薄っぺらさ」を感じさせなかった理由の一つになっていたのだと思います
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皆さん、「帰国子女」と聞くとどういうイメージがありますか?
外国語が出きる、垢抜けてる(?)、明るい性格、積極的、人とちょっと違う、・・・などでしょうか?わりといいイメージが多いように思います。
実は・・・私は帰国子女で良い思いをした事はないのですよ。
時代もあったのでしょう、まだ$1、250円~300円の時代です。日本企業もN.Yと言えども今のように海外進出していませんでした。ですから、当然 帰国子女の数も今より圧倒的に少なく、「帰国子女」と言う言葉さえあまり知られていませんでしたし、「帰国子女受入校」なんてものはほとんどありませんでした。
そんな日本に帰国した帰国子女達は ー 社会に受けいれられなかったのです。
多くの友人が「違う」ということで仲間はずれにされ、先生から嫌われて、海外へ戻ったり ・・・ 自ら命を絶ちました。「がんばろうね」と励ましあった友人が、次の週末にはその子のお葬式で - 。
他国では受けいれられたのに、日本人でありながら自国に受けいれられず散っていく友 - 。
ほほをつたう一本の涙と、「どうして・・・」の疑問だけが 心の中で行き場を失い、ただ無気力に横たわっていました。
でも、私はとても恵まれていました。海外の事は絶対喋らない、英語の時間はJapanese-Englishで発音する、等の目立たない努力はしましたが、学校の友達は私の味方でした。新任の英語教師から、正解でも0点をつけられたり、トイレに落されたり(いや~ん汚~い)、男子生徒が「先生に英語聞くよりMICKEYさんに聞いたほうがわかる」などとんでもない事を言って、私が先生からひっぱたかれたりする事はありましたが、なぜか私は先生を責める気にはなりませんでした。そして、日本人を嫌いにもならず、自分の生い立ちを恨むこともなく、「いつかは理解してもらえる時が来る」と信じていました。
楽観的だったのか、心がマヒしていたのか・・・(^^;
そのようなことがあってTVでも取り上げられるようになり、又日本の海外進出に伴い帰国子女受け入れ体制も整ってゆき、現在に至っています。
そして今、私もこの歳まで図々しく生きのびているわけです。
こんな経験から、日本人に対して感じる事は沢山あります ―
アウトサイダーとして、そして日本人として。
「日本人の英語はなぜ通じない?」は、その中のほんのひとつに過ぎませんが、でもこれは私の大好きな日本人へ「ぜひ聞いてもらいたい、そしたら日本人てもっと素敵な人になる!」と言う想いがこめられています。
コミュニケーション下手でありながら、奥ゆかしさや思慮深さをあわせ持つ日本人。決して慢心せず、努力をし、工夫と協調性のある日本人。
そんな日本人が私は大好きで、自分が日本人である事を誇りに思います。
帰国子女であることを隠さないと生きてこれなかった昔がうそのように、今では私の図々しくも偉そうな意見に心を開き、メッセージを寄せてくださる沢山のテューター達、ラボママ・ラボパパ、そしてラボセンターの方々がいらっしゃいます。 - 生きてて良かった - !
”Where There Is A Will, There Is A Way."
私のモットーです。今大変でも、諦めなければ必ず道は開けるから ― 。 |
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