幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 幕末漂流民が生きたしなやかな国際性
 再び幕末漂流民
 幕末漂流民のものがたり-その3
 幕末漂流民ものがたり-その4
 幕末漂流民ものがたり-その5
 An Introduction to Cultural Exchange
Welcome!
音吉たちが、嵐に遭って難破した宝順丸に乗って太平洋をあてもなく漂い、親潮(日本海流)に幸い流され北アメリカの米国とカナダの境界のネア・ベイというところに漂着したという話をはじめて聞いたのは、シアトルに居住していた折、Seattle PostーIntelligencerという地元の新聞にEveryn Iritaniという記者が”An Ocean Between Us”-変化する日米関係-という記事を連載で載せていた記事を目にしてからである。後に、これは単行本として発行され、ワシントン知事賞を獲得した。
Iritani氏は、日系2世であるが、父親は、馬鈴薯研究で有名なワシントン大学の名誉教授であもある。彼女は、アジアにおける経済、政治、文化等(いわゆるPacific Rim)についてリポーターとして健筆を振るっていたが、80年代に入って、日米経済摩擦は、高級自動車輸入へのスーパー300という関税で(300%という!)対抗するという決定で最悪の状態を迎えていた。日米首脳がバンクーバーで会談をすることになったが。ワシントンではアメリカの国会議員が日本製の車をハンマーで叩き壊すという!パフォーマンスがあったりした。そこで彼女は、太平洋を挟んだ(An Ocean between Us)日米両国の関係は、経済摩擦だけではなく、歴史的、文化的な影響を相互に受けつつ来た事を4つの実話を歴史的な資料にたって書いたのである。
 丁度池に小石を投げると波紋がたち、やがて岸辺にその波紋は到達するのである。それは、太平洋という大海であっても、同じ事。歴史の表舞台に登場しないが、しかし、人と人との出会いと別れ、が相互に確実に影響を与え合うのだという観点である。

 さて、われ等の音吉、久吉、岩吉たちは、パスポートも持たず!、自分たちの意図でも無くく、漂着したところがアメリカであるとも分からずに況や貿易や国際交流のためにでもなく漂着したのである。時に、1834年冬の季節風が最も厳しい季節にフラッタ-リー岬に押し上げられたのである。
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