幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 アリスの家族 Mercer Family
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 谷パーティの行事・活動
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boy



谷パーティの素敵な

先輩たちの部屋



ドリームタイム1

ドリームタイム2

ドリームタイム3

2002.1.6 谷パーティ30周年

OB・OGによる『DREAMTIME』



**OB/OGの部屋に移して**

***もっちさん*** (2004年03月31日)

OB/OGの部屋に何か載せるんやろ?
どんなんがいいかねぇ・・・_(._.)_

*** 題「ひねくれもの」***

私は物心ついたときにはすでにLABOに入っていた。
どうやらお姉ちゃんについていくようになって入ったみたい。
その頃は博多駅にあるLABOセンターでやってたハズ・・・。
その次の記憶は唐人町に昔アリスが住んでいたおうちに
お姉ちゃんと手をつないでLABOに通ってた。
バスおりてからアリスの家までの遠いこと・・・。
未だに大きくなってもあの道のりは遠いって思うから
小さい私にはキツイはずだよ。


そしていつのまにか西新のサニーの上に場所が移って・・・
通ってくる人も増えた。
私もお姉ちゃんの立場になり小さい子達の面倒を見たり
絵本のお話を読んだりするようになった。
でも相変わらずアリスにいたずらばっかりしてた・・・
後ろから殴ってみたり、怒られてぶすくれたり・・・
その頃の私は
「ゴメンナサイ」と「ありがとう」が恥ずかしくて言えなかった。
何でかは分らない。多分ひねくれものだったから・・・。


私は中学1年の時にアメリカにホームステイをした。
はっきり言って全然英語が分んなかったし、
さらに思っていることを言葉で伝えれないことが
悔しかったことを覚えている。
でもここで私は大きなことを学んだそれは「ありがとう」である。
日本では両親に何かを与えてもらう事は
どこかで当たり前のことと思って感謝の気持ちを忘れているのだが、
アメリカでは両親に映画に連れて行ってもらったり
何かを買ってもらったりすると必ず「ありがとう」と言う。
また子供が「ありがとう」を忘れていたら
両親は子供に言わせるのである。
まあ「ありがとう」を学んだからといって
私のひねくれ度合いが減ったわけでもなかったが・・・。


アメリカから帰ってすぐ私はLABOを辞めた。
理由は部活にのめり込んだというだけのこと。


それから7年後の大学2年生の時
私は7年前と同じアメリカの家に夏休みを利用し、
また約1ヶ月間ホームステイをした。
今回は英語が多少話せるようになっていて
自分でもビックリしたほどだ。
アメリカの両親は私を7年前と変わらず愛してくれて、
私の成長を心から喜んでくれた。
そしていつでも私が帰って来ていいように家の鍵を私にくれた。
日本のお祭のキーホルダーが付いていた。何でだろう・・・。


私は中学校、高校と英語が不得意だった。
他の教科の足を引っ張るほどに・・・
でも英語の発音だけはそれなりに自信が出来た。
これはアメリカに2度行ったと言うことだけではなく、
大好きな映画を字幕ばかりに目を取られずに
耳で英語を聞き取る事をしてきた事にもよると思う。
でもラボテープ、CDを聴くということを
小さい頃からしてこなかったら出来なかった、
むしろやらなかったと思う。
えへへ、ちょっと自慢・・・。


最近、もし私がLABOをしてなかったら・・・?と考えた。
多分私は今の私になってなかっただろう・・・
たまに普通の人がしないような発想や考え方もするけど、
だから何だ?という感じだ。
結局私は大きくなってもひねくれてて
相変わらず「ゴメンナサイ」が言うのが苦手だが、
私がこの性格でイイと思っているんだからいいんだろう・・・。
こんなひねくれものが警官になるらしい・・・。
最後、アリスに・・・長生きしろよ。



*** ふしぎの国のアリス ***

「長生きしろよ」・・・か!
人生どう転ぶかほんとにわからないけれど、
私は貴方たちに会えたことが嬉しい!幸せ!言葉にならない!
もっちが中学でラボをやめて部活に一生懸命になったことは、
それはそれで良かったことだと思っている。
だから今のもっちが存在しているのだから。
でもほんのちょっぴり寂しかったんだよ。
でもお姉ちゃんのゆうこが高校生まで頑張ってくれていたし、
時々はもっち、ラボに来てくれていたので顔を見ると安心だった!
社会人としてのスタートは厳しいと思うけれど、
少林寺拳法も会得して貴方の希望通りに、
進めたことの凄さは脱帽です。
その精神力と体力を持って
これからの日本社会の車輪の一人として、
頑張って欲しい!


*** Mari K. ***

幼児から大学生までラボっ子 (2003.12)

谷パーティのOBです。
私は大学2年の終わりまでずっとラボを続けてたんですけど、
思ってきたことはラボの良さは10年続けて
やっと子どもがラボの良さを感じることが出来るということ。
私は高校2年で「あっ、ラボの良さがわかった」と。
その時10年以上経ってわかったんです。


それがどういうことなのかというと、
私は佐世保でラボを始め大学で谷パーティに入りました。
それまで毎年サマーキャンプに参加してたんです。
小学1年の時から、見知らぬ家にポンと入って自己紹介から始まって、
仲間作りから始まって、というようなことを毎年毎年している。
Pの中でも大きい子が小さい子の面倒を見るのは当たり前の世界で、
小さい子は大きい子を見て、私もいつかああなりたいなと、
私もいつかはシニアになりたいなという思いでいた。


ラボの良さは人と人との交流であるということと
みんなの前で自分の意見をちゃんと言えるという事が大切です。
私は今、大学では児童教育学科にいて
グループワークがすごく多いんです。
その中で学生が意見をみんなの前で言えない人がすごく多いんです。
隣の人とボソボソ言うけど・・
ラボだったらみんなに向かって意見を言って
話が作られるのにボソボソしゃべって、
私がそこ、今何をいったの?って拾って行くんですよ。


ラボの中ではそうじゃない。
みんなが集ることに意義をもっている。
大学生はラボで集るとなると、
自分がやりたいことをやっているという目的意識を
一人一人が強く持っている。
こういう集りでも発言しないと存在意義がない雰囲気だったんです。
だからどうにか自分の言葉で自分の気持ちを、自分の考えを、
自分の企画をどうにか伝えよう伝えようという風に。
今思えば訓練されていたんですね。
病気のために途中3年遅れて大学生活に入って、
見知らぬ群れの中に入ってもやっていけるんですね。
それはラボの力だなと思う。


私が大学に入った時から小学校の生活学科の中に
『生きる力」というのがすごく重視されていて
『生きる力」っていうのは何なんだろうと思ってたんです。
けどそれは、ラボをしてれば勝手に身に付くものなんです。
人と人との交流の中で自分を出していく、
自分の力で関係を結び付けていく、
でもそれは1年や2年や3年では身に付かないんですね。
10年経って、「あっ、やっと私、ラボの良さがわかった!」
「ことばがこどもの未来をつくる」
ということばの意味がわかるようになったのは10年以上経ってから。
長い目で見て欲しいというのは大学生の一人一人が思っていること。
小2~小3の時、よそのお母さんから英語ペラペラ?って言われて、
いやそうじゃない、ラボは英語だけじゃないって、
私はその頃も人と人との交流をしに行くんだと思ったし、
英語の成績が関係あるとかないとか抜きにして、
小学校の時、やめていく人がいたんですね。
やっぱりすぐ成果が見えないから、
見えないものを心の中にどんどん培っているのに親が見てくれない。
この社会はしょうがないのかも知れないど、
目に見えるものばかりを追いかけて
ほんとに大切なものは目に見えないところに、身体の中に、
心の中にいっぱい詰まっているのにそれを見ようとしてくれなくって、
ラボやめていって、あっ、もったいない、もったいないと思っていた。
大学生になったらもっともっと大きく羽を広げていたのにと思います。
(2003,12 クリスマス会でのお話)


*** ふしぎの国のアリス ***

長くラボで育った子たち。
目には見えない大切なものを心の中に身体中に溢れんばかりに抱えている。
10年も20年もの間、SBをし、テーマ活動をし、交流をしながら
自分の持てる力を蓄えていっている。
いつも笑顔の時ばかりではなかっただろうに。
その努力を思うとラボが育てているなんていうのはおこがましくて、
軽軽しく言えないような気がする。
皆自分だけのさまざまな思いを持って育ち行くのだろう。 
[ 思い=重い ] なのかもしれない。


*** Mari K.***

***幼児から大学生までラボっ子***

***明日卒業します***

***りんさん*** (2005年3月24日)

こんにちは。
佐世保出身のOGです。
大学に入ってパーティに2年間お世話になりました。
このページができたときに1回書き込んだけど、
それ以来忙しくてこれが2回目です。

アリスお母さん、ぜんぜん連絡をしないでごめんなさい。
佐世保に戻る前にパーティにも行くつもりだったのに、
忙しくて結局行けませんでした。
この間は交換留学でカンザスにいる妹に会いに行ってきました。
元気に立派にやっていて、周りの人からも愛されていました。

久しぶりに覗いてみると結団式の地震の報告が載っていてびっくり!!
そしてなんだか鳥肌が立ちました。
ああ、ラボっていいな、もう一度ラボっ子に戻りたいな、
と心から思いました。
ラボの中にいた頃を思い出すと涙が出るくらい懐かしく、
胸が締め付けられるくらい愛おしい。

明日は大学の卒業式です。
病気のため3年生の時から2年半休学して、復学して2年半。
結局7年もかかりましたが、明日卒業です。
4月からは佐世保市職員の保育士として、保育の現場に立ちます。
あきらめず、長年しつこく思い続けてきた夢が叶います。
どんな世界が私の前に開けるのか、
どんな出会いが待っているのか、ドキドキワクワクです。

私ラボっ子で本当に良かった。
夏には私の同期の広場の仲間が就職祝いをしてくれて、
先月には上の年代が卒業祝いをしてくれました。
アリスお母さん、私の中にはたくさんラボの中で養われた
生きる力が詰まっています。
それは今、とってもキラキラ輝いて見えます。
これから社会に出て辛い事のほうが多いだろうけど、
ラボっ子だった頃の私が助けてくれる気がする。
自分を信じて、自分を見失わないよう、
そして支えてくれる周りの人への感謝の気持ちを
忘れずにいきたいです。

ラボっ子のみんな、私はあなたたちが本当にうらやましい。
長ーくラボを続けてね。
きっときっと心が豊かに、美しく、たくましくなれると思うよ。

ではではまた時々覗きにきます!!


*** ふしぎの国のアリス ***

春、「ラボの力」を持って、保育士になる貴女へ! (2005年3月24日)

りんさんへ
大学卒業おめでとうございます。
この7年という時間は、貴女にとってどんなに長かったことか。
幼児から高校まで佐世保でラボ。大学は福岡でラボ。
ラボ大学生活動は2倍も3倍も頑張っていましたね。
どこででもリーダーシップをもって活動していたが
身体をこわして、ラボも大学も治療のために
中止せざるを得なかった時の、貴女の辛さはどんなに大きかったか。
思い出しても悲しくなります。
でも、その後の貴女の頑張りようには脱帽です。
大学にも復学して、自分の夢と目的のために、
再び勉強に力を注ぐことが出来るようになった時は
本当に嬉しかったです。


そして、みごと大学を卒業!
心からおめでとうございます!


今春からはS市職員の保育士として現場に!
昨年、試験を受けたときの状況を貴女から聞いた時
多くの試験生の中で、
ラボの中で学んだこと、ラボの中で考えてきたこと、を柱として
これから自分が保育という仕事にどのように関わっていきたいか
という夢や希望を確固とした自信ある自分の言葉で語る貴女は
きっと輝いていた。
多くの試験生の中から貴女が選ばれたのは、自然のことだと思います。


小さい時からラボが大好きで、キャンプが大好きで、
テーマ活動が大好きだった貴女にとって、
保育士という仕事は大変だけれどやりがいのある仕事、
いつものように、ラボを楽しくやっている時のように、
自然に可愛い子どもたちと関わっていくことは素敵なこと。
自分が生まれ育った地で、ご両親のそばで、
ずぅ~っとやりたかった夢が叶うなんて素晴らしい!
悲しかった時のことを思うと、
ご両親のお喜びのお気持ちが伝わってきます。


2003年12月のクリスマス会に来てくれて
貴女が後輩や保護者の方々に語ってくれた言葉に
「生きる力はラボをしていれば、勝手に身に付くものなんです。
人と人との交流の中で自分を出していく、
自分の力で関係を結び付けていく。
でもそれは1年や2年や3年では身に付かないんですね。
10年経って、
あっ、やっと私ラボの良さがわかった!
『ことばがこどもの未来をつくる』ということばの意味が
わかるようになったのは10年以上経ってから・・・・」


貴女が語ってくれた言葉は優しさの中に
「ラボの力」を感じます。


*** Fumiko W. *** ラボOB女子**

幼児から大学生までラボっ子 (2004年3月)

今年度前期まででラボを卒業しました。
どっぷりつかっていたラボからはじめて離れて早半年。
今振り返るラボ人生。自分にとってラボとはなんだったのか。
ラボがあったから今がある。常々そう思ってきた。
実際親に理解してもらえずやめて行った仲間が大勢いる。悲しかった。
ここで自分の身近な存在に問うてみる。私の父にだ。
「パパさん、ふみちゃんってラボしとらんかったらどがんやったかな?」
答えは『・・・わからん。引きこもりになってたんじゃ?』
流石は親。よく分かってくれている。
そんな父も昔はラボ反対派だった。
「ラボは遊んでいるだけで
ちっとも英語が身についていない止めろ止めろ!」と。
理由はこんなエピソードにある。
当時すでにラボ歴12年目だった姉が、
中1最初の英語のテストで 「英語が覚えられない。」 
と部屋を真っ暗にして泣いていたらしい。
父としては相当ショックだった様だ。
理解しがたい長期活動に加えてこの事件!
こうして上記の反対意見になるわけだ。
だがそんな父も今では立派なラボ賛成派。
その最大の賛成理由はこの “現代” という時代が背景にある。
うちのパパさんが子供のことに好きだった遊びは 「柿泥棒」。
ガキ大将が役を揃える。見張る子、獲る子、逃げる子、怒るオヤジ。
皆の目配せがこの遊びの始まりの合図。
「今だっ!」「獲った!」「逃げろぉ~」「こぉらぁぁ~!」
でも次の日、子供達がこのオヤジにあっても
「こんにちは!」と元気に挨拶。
オヤジは「おぅ!」と答える。怒るオヤジも役割だ。
昨今ではなかなか見られなくなった光景だろう。
そんな中パパさんはガキ大将に憧れた。
いつも皆の遊びをリードする。
遊び仲間の中に幼児が居たら
「今日は缶ケリ」。このメンバーならばこの遊び、
というのを心得ている。
「こんなお兄ちゃんになりたい」と思ったそうな。
だがちょっと待て!何かと似てないか?
そう、ラボだ。これを仮にキャンプに例えてみる。
見張るヴァイスキャプテン(キャプテン補佐)
獲るキャプテン(皆を引っ張る)、
逃げる腕白大将(盛り上げ役)、
怒るテューター!?(必要な時にはね)。
そして皆の憧れのガキ大将=シニアメイト
(一人一人の事を考えながら全体を動かしていく)。
全ての人に役割があるこの遊びは、
まるでテーマ活動中のグループ活動を見ているようだ。
(勿論ラボで柿泥棒なんてしないけど。)
今も昔も子供はこのシステムの中に社会を見る。
横との繋がり、上下関係、年下の面倒を見ながら。
自分たちでルールを決め、話し合い、
即実行人の目を見て言葉を発し、心で体験。
どんな環境にも飛び込んでいける柔軟性を育む。
遊びの中で人との間合いを知る。
“現代”。街を見回してください。通り魔事件が相次ぎ,
防犯ブザー付のランドセルが売り場に並ぶ。
犯罪の低年齢化が進む一方。
今、毎日が沈むまで泥んこになって遊ぶ子を見かけますか?
または自分が親なら、
大人の目の届かないところで子供を遊ばせられますか?
私は怖い。
父も「昔は良いが今は怖い」と言う。
街にあるのは服屋とコンビニとスーパーばかり。
何処で遊び、何を知ればいいのか。おもちゃ?テレビゲーム?
これを考えた時に父はラボ賛成派になった。
「ラボが昔の遊びのかわりになっている」と。
20年の時をかけて理解してくれた。
私はラボで沢山学んだ。それが寒ぎがちな私の視線を上げた。
大きいお兄ちゃん、お姉ちゃんの様になりたいと思った。
もっと楽しくする方法を自ら考え意見を言える環境をいつもくれた。
やり遂げた時の達成感を教えてくれた。
顔は真剣でも心では楽しんでいた。
自分を受け止めてくれる大人や一緒に悩んでくれる仲間がいた。
沢山語った。沢山泣いた。沢山笑った。
言い尽くせないほどの事を見た、知った、体験した、
この経験は私の宝物。
そしてこの宝物をより輝かせたい。この気持ちが、私の原動力。
(おっしょいとんこつひろば文集より [九州支部大学生広場]2004.3)


*** ふしぎの国のアリス ***

しっかりもののFumiちゃん、大きなバイクを乗りこなし、
大学生活動にも勢一杯エネルギーを注ぎ、パーティ活動もきちんとして、
どんな時でも一生懸命でいやな顔ひとつせず、
笑顔いっぱいで肝っ玉母さんのように可愛いラボっ子たちを
包んでくれていました。
今考えると、きっとFumiちゃんが一番そうして欲しかったのだろうか
とも思っています。
私の小さな包容力では足りなかったかも・・・・・ 
いつも思い出すのは貴女の素敵な笑顔です。
まだまだ将来に向かって自分探しの時をつくっているのでしょうね。
学ぶ心を沢山持っている貴方のことだから、
夢を大きくひろげてくださいね。
パーティでは貴女の笑顔を待っています。




*** おひさしぶりです! ***

***Rio A.*** (2004年8月18日)

うっわ!超☆なつかしい!
偶然ページを見つけちゃいました。
谷パーティOGのリオ@社会人2年目です。
相当ご無沙汰しております。
そっかもうサマーキャンプの季節なのねー。
ってもしかしてもう終わった?!
世間はもう夏休み終盤なのね。。。(遠い目)
ま、あたし暑さに負けずがんばります。
また遊びにきまーす♪


*** ふしぎの国のアリス ***

Rioさんへ
嬉しい!!!よくぞ見つけてくれました。
これからはHPでお話ができるね。
どうですかラボの先輩、谷パーティのみんな楽しく頑張っていますよ。
時々はRioちゃんの近況知らせてくださいよ。お年賀状だけではダメです。
良かった!RioちゃんHPに気がついてくれて!
今年のお正月はみんな集りましたよ。
T土・K平・S知子・M美・Y子・M子・R紗・・・
Tは東京、Kは名古屋、R紗は福岡で社会人、S知子は東北で、
Y子は東京でとM子は福岡でこの4月より社会人、
みんな大きくなって!立派になって!もうとても嬉しいです。

このHPのページ一覧にある『黒曜石 世界の旅』は姪浜のY子ですよ。
現在は福岡に帰ってきていますけれど、また何かを考えているのかも?
同じページ一覧の『OG・OBの部屋』に
谷パーティ30周年の時のみんなの
『DREAMTIME』の写真入れています。これも時間があったら見てね。
Rioちゃんのラボへの思いもあったら書き込んでみてください。
楽しみにしています。
今年、会議で東京に行った時には就職する前のY子と食事をしましたよ。
また行きますので、その時は会えたらいいね。
ではお父さんやお母さんにも宜しくお伝えください。
このHPも見てくださ~いって言っといてね。
ではRioちゃん、また書き込んでくださいね。




***Tokiko N.***

***幼児から高校生までラボっ子***

***行ってきます!***

***ティーパーティさん*** (2005年4月1日)

こんにちは、ティーパーティです。
朝起きたら、3月から4月に変わっていました。
月日が過ぎるのってはやい。
今月の5日からフランスに一年行ってきます。

私が谷Pでお世話になったのは中3の秋からでした。
こう考えたらそんなに長い間私は谷にいたわけじゃない。
でも谷にいた3年半は私にとってとても密度の濃いものだった。
ラボ活動を本気でしだしたのも谷に入ってからだった。
先生、私ラボ大好きだよ。

高校生の頃、ラボを本気でやればやるほど、よく苦しくなった。
自分と正面から向き合わなくてはならなかったから。
できない自分から目をそらしたくて、受け入れたくなくて。
でも自分を自分で理解してあげないと前には進めなかった。
1年前東京にいる私に弟から「僕には盛り上げる力がないんだ」
とラボについて色々かなり悩んでいるメールが届いた。
弟からこんなに長いメールをもらったのは今までのところ
後にも先にもこれ1通だ。
弟も私と同じように自分を必死で受け入れて前へ進もうとしているんだと
思った。

高校を卒業して専門にいた1年間で、私は友達からも先生からも
「自分の考えをしっかり持っていてそれを言葉にすることができる」
といわれた。ラボの成果かな。
ラボをしている子ならそれは自然と身につく力だと今私は思う。

もっとラボをしていたかったな。
でも道が少しずつ開けてきたから前に進むよ。
つらくなったら沢山泣いてそれからまた頑張る。
帰ってきたら谷に顔出すね。
その時の私はきっとパリジェンヌ!!笑。

ではみなさま、ごきげんよう!!!


***ふしぎの国のアリス***

パティシエになる夢~~実現へ (2005年4月1日)


高校生の時からお菓子作りが大好きだったティーパーティさん、
パーティへもよく美味しいお菓子を作って持ってきてくれてましたね。
お菓子の学校で1年間学び、狭き門のフランス留学の切符を手にして、
あと数日で、日本を後にフランスへと旅立とうとしている。


最初の希望通りにパティシエになるために。


真剣に前を見つめて、学ぶ姿が目に浮かびます。
親元を離れてフランスで1年間学び、生活することに
心配はあるでしょうね。いえいえ、
貴女よりはお父さん、お母さんが心配しているかも。
どんなに忙しくても、元気な声を聞かせてくださいね。
とは言っても、R太郎は7月からカナダへ高校1年留学だし、
K子はもちろん日本で高校生ラボ。
フランス、カナダ、日本と家族が世界をまたにかけて生活している
なんてラボ的だなぁ~って思ってしまう。


谷Pに3年半しかいなかったなんて考えられない。
ずーっと、小さい時からいたような気がしているのは私だけ?
幼児期に東京で始まったラボが福岡まで続いて、
移動で谷Pに来てくれたこと、ほんとに感謝しています。
いつも明るいキャラの貴女が高1の時、
地区の中高生広場でSBが楽しくやれないと言って
パーティで泣いていた貴女の純粋さに胸がいっぱいになったことを
思い出しました。
どんな時でも、真面目で純粋な気持ちを持って、
そのままぶつかって欲しい。


きっとラボで育った貴女のことだから
「ラボ精神」にのっとってすべてを解決してくれることでしょう。
「自分の考えをしっかり持っていてそれを言葉にすることができる」
アリスの掲示板に書いてあるように、
学校のお友達や先生が貴女をそのように評価してくれていることは
間違っていません。とても嬉しい。
まさにラボ活動の中で子どもたちが身につけて欲しい
大切なことの一つなのですから。


フランスでは貴女の
パティシエになる夢や希望を実現させるために、
しっかりと学んできてください。
涙は1年後再会した時までとっておいてね。
今度会えるのがとても楽しみで~~す。
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