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黒曜石 世界の旅
現在:ラボっ子OG
日本出発:2004年3月2日
いざ!アメリカ大陸へ
2月
*****ついにあさってから
*****黒曜石(OG)さん (2004年02月29日)
こないだラボっ子56年生まれ8人で湯坪から帰ってきたと思ってたら明後日からはアメリカ大陸縦断一人旅。大きな期待と小さな不安を持って出発します。
私の放浪癖が出始めて早5年、5年前の「生まれてきたからには世界中を見てみたい、世界中の人と会いたい」という思いは変わりません。
世間に逆流して物事を決める(就職とかね)ということは、けっこう勇気がいることだったけ
ど、おばあちゃんになった時、後悔しない自信はあります。私は私の人生を歩んでみせます(笑)ではいざ出発。いってきます。また途中で書き込みするね
*****寂しいけれど行っておいで!
*****ふしぎの国のアリスさん (2004年02月29日 22時01分)
アジアの旅が大好きな黒曜石さん、今までの旅でも多くのことを心に感じてきましたね。人の優しさを知り、世界の現実を知り、涙することもあり、その中で自分らしくあれと、多くのことの体験が黒曜石さんを強くたくましく( これって、女性に例える言葉? )したに違いない。
何か行動を起こすたびに、貴女の中の世界が小さくなって、自分の中に抱えていた
多くの問題が少しずつ解けていくことを確かめるために、終わりなき自分探しの旅にまた出るのですね。
健康にだけは気を付けてくださいよ。せっかくの目的も身体が倒れては元も子もないからね。
貴女のことを心配している人がたくさんいるってことをわすれないでね。そしていろんな人に出会って人生を学んできてください。
ルイス・キャロルさんが可愛いおばあちゃんになって孫に「思い出をおもちゃ
にしてお話をしたい」と掲示板に書いてたけれどまさにそれを実践しそう。
とにかく楽しんでおいで!
3月
*****アメリカにてLABOっ子パワー痛感
*****黒曜石さん (2004年03月30日 13時22分)
先生!私は生存してます!
書き込みするって言ったのにしなくてごめんなさい、ついついのんびりしすぎてました。
今はサンディアゴっていうメキシコ国境のすぐ上の町の中学時代友達(現在アメリカ人の妻)の家に泊めてもらってます。
まあ旅行というより、彼女目当てなので、ダラダラ日本での働きすぎてた疲れを取ってます。
もうそろそろって感じで4/8から一週間ほどサンタフェというインディアンで有名な町(え~日本では宮沢リエの写真集の方が有名、情けなし)に行く予定。行ったら報告するね。
ただその後、メキシコに行く行かないで、その友達ともめちゃって悩んでます。
アメリカ人いわく危険だそうだ、心配してくれるのはすごい嬉しい。必死で止めてくれるのは私のこと大事に思ってくれてるからだけど、一人でメキシコ行って何事も無く帰ってきた日本人けっこういるんだけどな。というのの繰り返し。
今の日本に充満している”世渡り上手”さで、どちらとも傷つかず、かつ私の思いどうりにすることはできる。
<周りの旅行者に聞いたら安全みたいだから来ちゃた>って後でメール送ることもできる。それが賢いやり方なのかもしれないけど、ラボしてた時ってそうじゃなかった。
ケンカしてまで話したこといっぱいあったし、それがラボの醍醐味だと思う。それにしても、
やっぱり言葉って難しい、日本語でさえも。
でも話さなきゃって思うのはラボのおかげです。うまく生きることよりも、強く生きることの方が大事だと私は思います。少し人より上手くいかなくても。だからお母さんになったら、子どもに要領の良さは二の次よ!ってこと教えたいな。 文、長すぎたかな?
*****元気でよかった!黒曜石さん!
*****ふしぎの国のアリスさん (2004年03月30日 22時28分)
やっとメールが来て、ちょっと安心しました。アメリカのお友達と再会してユ
ックリ生活を満喫しているようですね。久しぶりのアメリカはどうですか?の
びのびと暮らしているのでしょうね。お友達ご夫婦はお元気でしたか?サンタ
フェはいいけれどお友達がメキシコが危ないって言ったら、危ないんじゃない
の?黒曜石さんは美人でかっこいいんだから、人が危ないという所には行った
らダメ!もっと他のところに行きなさいよ。しっかりしているのは認めるけれ
ど、そこは日本と違うのだからやっぱり危ないと思う。
なんて言っても結局自分の思う通りにするんだろうね。
無事に帰ってきますように!!!
といつも願っています。
4月
*****おわー、びっくりしたー
*****黒曜石さん (2004年04月05日 09時45分)
どひゃ~!すごーい左下のページに私の部屋が出来てる~!こりゃ気合入れて書き込みしなっきゃと緊張です。
まず、報告。前にメキシコに行くと書いたが、友達夫妻の説得で、ペルーに行くことにしました。なのでメキシコ行きは延期、もしくは保留。
やっぱり、出来るだけ心配かけたくないし、その子のことかなり愛してますから、逆らえない、いい意味で。今は安全になっているらしいし、日本人経営の安宿もあり、そこでスペイン語に慣れようかなと。ペルーにマチュピチュっていう空中都市って言われている所があって、そこに
行くのが私の夢でした。
ここに行きたいと思ったのが放浪癖のは発端というか、私の余命が一週間になったら、
そこで飛び降り自殺したいって(笑)
世界遺産のひとつです。写真見てみて、すごいけん!ラピュタ~。
今日は時間があり、過去のアリス日記を読んでみました。
古い話で恐縮ですが、<生きる力>について私も良く考える。
日本は確かに生き難い国になっているのかも知れない。私も何度も歪んでるって感じることがある。逃げたくなることも山ほどあったし、逃げることもあった。大人が要求することはハードルが高すぎて、じゃあ、あんたはどうなのよ!って言いたくなった。
しかもその要求が腐れてるからタチが悪い(正確には腐れていると私が思うこと)
何が、正しくて、何が間違っているのか、そんなの本人にしかわからないのに。
こんな社会で、絶対大人になんかなりたくないって思った。
でも、それでも生きようとしている少年少女はいっぱいいます。
アリスが書いた、あのコカイン話はおかしいけど、そうまでして目を反らさないといけない事が彼らにはあったのかもと思う。でも自殺しないで、生きようとしている。
私にはそう思うな。
生きる力って、自ら死なない力なのかなって。
あと、上級レベルでは寄生しない力。これは、コカインで捕まった高校生はまだ持っていなかったのかもね。
実際、私もこの社会の価値観に多少ついていけないとこがある。
私の価値観を変人扱いされそうな今の日本。いいとこも一杯あるけどね、
前線ニュースとか好きよ、平和で。だから、世界に同じ価値観の人を求めていくのかも。
観光するのも、驚くこともいいけど、育った国も教育も違う人と、「そうよね~そうよね~」って共感するのが一番心が動く。
また、そういうのを求めて、旅に出るんだけど。
そして、こんな私を許して、励ましてくれる家族とみんなにすごく感謝します。
昨日、お父さんと1時間くらい話した、相変わらず友達みたいな関係で、嬉しい。殆どが共通の趣味である競馬の話やったけど、、、。
ハルウララが負けたらしい、武豊ぎらいの私としては朗報!!
*****見てくれた!黒曜石世界の旅!
*****ふしぎの国のアリスさん (2004年04月06日 11時04分)
黒曜石さんがこのHPを見てくれて嬉しい!
ペルーですか。まずは良かった!
早速私もインターネットでペルーを調べてみました。マチュピチュって空中都
市も写真で見ました。ずいぶん高い所まで登るのかな。空に近い都市のような
感じがする。酸素吸入しないといけないような感じがするのは何かの勘違い?
確かに世界の文化遺産と言われるような素晴らしい都市。何百年もの前に人々
が自分たちの生活のためにつくったのだろうか。ほんとに?
現物を目の当たりにすると圧倒されるだろうね。黒曜石さんが羨ましい。
アリス日記読んでくれてありがとう。そんな時間がユックリ取れるような毎日
を送って欲しいのが私の希望ですよ。
同じ記事を読んでもその人の価値観が違えば感じることも違ってくると言うも
の。同じ価値観を持った人と付き合いたいと思っているけれどそうは上手くい
かないのがこの世の中。価値観と価値観がぶつかり合っていくんだろうな。
黒曜石さんのように世界を歩くと自分の価値観だけでは計れないものに出会う
と思うが、それを楽しんで受け入れて欲しい。自己消化しながらね。
お父さんとユックリお話できて良かったね。どんなに貴女の声を聞くこと、そ
れで貴女を感じることがどんなに嬉しいか。私にはよくわかるよ。お父さんの気持ちに
なるだけで私も涙が止まりません。涙の中で書き込んでいます。時々は元気な
声をご両親に伝えてくださいね。まずは一安心。空中都市マチュピチュの写真を載せます。
実物を見てきて下さい。
空中都市 マチュピチュ
ナスカの地上絵 HAMMING BIRD
ナスカの地上絵 SPIDER
*****黒曜石さん (2004年04月17日 11時57分)
ニューメキシコ州のサンタフェに行ってきました。そこは、小さな町ですがギャラリーや美術館が200以上もあり、なにか不思議な空気が流れてました。
ユースホステルに泊まったんだけど、いろんな国のいろんな人っと話せてすごく楽しかった。
モンゴリアンのおじさんのアトリエを見せてもらったり、みんなでコロッケ作ったり。日本の料理でコロッケは評判がいい、9年前LABOでホームステイしたときお好み焼きを作ったけど、
カツオ節を魚っていったら気持ち悪がって、カツオ節をのけて食べていたのを思い出しました。
ネイティブアメリカンの村、プエブロが近くにあり、そのこともあってか本当にすさまじいエネルギーがあたりに満ちていた。足の裏から入って頭の上まで抜けるような空気。
だからアーティストが集まるのかも。
今回のアメリカで、やっぱり私にはアメリカは合ってないなとつくづく感じました。そういう予感はあったのだけれど、、、。この人、気が合うと思う人はみんなアメリカ人以外。しかもアメリカ人を嫌っている人が多かった。でもサンタフェの人はすごく優しかったな、ちゃんとゆっ
くり話してくれるし、何をしてもらうかではなく何を与えることができるかってことを考えて生きている。
「スペイン人や日本人は穏やかで、いい。アメリカの女を見てごらん、あいつらはくだらないことをよくしゃべるし、男になりたがっている」
というアメリカ人嫌いのアメリカ人に会った。彼はNY出身で喧騒をさけてこの地に流れ着いた。
彼はみんなにわかりやすいようにゆっくり話す。私たちも英語を理解するためという理由で人の話は最後まで聞き、ゆっくり話す。話に集中する。
こういうごくごく当たり前のルールが出来ていない自分に気がついた、英語のときは聞き取る為にすることが、日本語になるとはたして出来ているのだろうか。
その時「何かを手に入れると何かを失う」と高校時代に気づいた時のことを思い出した。
失わない為には力強く、静かな、動じない意思がいる。そう思った。がんばろう。
さて来週からは、ペルーです。アリスさん、写真ありがとうございま
す、うっとりと見てしまった。
こないだ、マチュピチュに日本人が土砂崩れで閉じ込められましたが、
もう大半は復旧したとの事です、心配されぬよう。
では、行ってきます!
*****サンタフェでの出会い
*****ふしぎの国のアリス
ずいぶん前にグラビア写真か何かで見たと思う。それでも、想像もつかないサンタフェ!!人も空気もそして流れる風も違うような気がする。その空気の中で黒曜石さんは自分を精一杯表現して溶け込もうとしている。そのエネルギーっていったい何なのかなぁ!って感じます。
熱い思いをいつまでも抱えている黒曜石さんにとって充実した毎日なのでしょうね。
日常とは違うからこそ、その空気の中で感じることは大切な『 何か 』だと思う。
「何かを手に入れると何かを失う」ことのないように頑張って!!
力強く、静かな、動じない意思を持っている貴方が大好きです。
*****コモエスタ(元気ですか)
*****黒曜石さん (2004年04月28日 02時51分)
アリスさんお元気ですか。
ペルーに到着しました。今はマチュピピュの近くのクスコという町にい
ます。ここはインカ帝国の首都だったところで、空気が違う、なんかも
のすごい大きなエネルギーが降りてきているようです。本当に元気にな
る。まるで今までずっと押し殺してきた魂を解き放たれたような、そん
な気分です。
ここからマチュピピュに行こうと思っているんだけど、そこに対する今
までの熱意が重過ぎてなかなか出発出来ないでいます。もったいないよ
うな、恐れ多いような、こんなちっぽけな私が行っていい場所なのかど
うか考えてしまう。いつか行ってもいい時期が来るのかな、それまでは
とっておいてもいいのかな。
だから先にボリビアに行くかもしれないです(笑)
P>S>あっしは高山病にも負けず、すごく元気です。
ラボっ子のみなさんがんばってください。ロミジュリの時期ですね~、
懐かしい。こっち(ペルー)は冬に向けて猛ダッシュですが、こんなと
こから春を感じます。いい発表を。
アリスさん帰国したらビデオが見たいです、おっしょいのO.A氏のも
見たかったし、あったら見に行くね。 チャオ
ホテル・パサダデルインカ。マチュピチュからウルバンバ川沿いに東方へ行ったところにある村・Yukai(ユカイ)にある
ホテル・パサダデルインカ
オリャンタイタンボ駅からマチュピチュへ向かう
子どものお土産屋さん
駅からはバスに乗り換え、ハイラム・ビンガム・ロードを通りマチュピチュを目指す
上部にある太陽の門カラマチュピチュ二入っていく
マチュピチュの建造物はすべて石で作られている
石の文明・インカを象徴している
段々畑・この規模で1万人は生活できた
太陽の門から歩いていくと、”神聖な広場”3つの窓を持つ神殿
主神殿。地震で右側が壊れている。この壊れた跡は、石と意思の間が寸分違わず接合するよう加工されている。インカの石工技術の凄さは計り知れない
マチュピチュの頂上にあるインテワタナ。日時計として利用
大広場
コンドルの神殿といわれる場所
コンドルの神殿と同じ場所にある石いす
恐らく、両側の穴に罪人の手を入れていた
*****黒曜石さん、ペルーからの便り! 4月30日 (金)
*****ふしぎの国のアリス
我がパーティのラボっ子OG,黒曜石さんは今ペルーのクスコにいるという。
クスコは遠い昔、インカ帝国の都だった所。その当時と同じ空気がきっと流れているに違いない。その空気を身体で心で彼女は感じているのだろう。
山岳地帯でもあるペルーには日本にないものが数多くある。建物は石がほとんど。食事は?水は?・・・・彼女のなんにでも好奇心を持ってぶつかっていこうとするその行動力に驚く。しかしながらあくまでも他国の地。多くのことに気を付け用心して訪問して欲しいと願う。
2006年6月26日インドへ旅立つ
10月
*****From:黒曜石
2006年10月5日18時44分
*****タイトル:私は元気です。
こんにちは、生きています笑 あのね、先生。こないだ出発前にうまく話せなかったのが気になってたし、インドがあまりにも強烈で、長い近況報告を書いたんやけど、掲示板じゃ長くなりそうやし、送ってもいいけど、いつ着くかわからんし、字汚いし。で、どうすればいいですか?掲示板でいいですか?今、デリーでネット安くて1時間20円くらいしかせんけん、入力は苦になりません。電車の予約待ってるだけだから暇なので。ではまた。チェックしてみます。
2006年10月19日 19時19分
*****From:黒曜石
掲示板文字数が多すぎてか書き込めなかったので、こっちに送ります。 谷Pのみなさん、お父さんお母さん、谷先生へ こんにちは、6月末のドンキホーテ発表の時にお邪魔したOGです。あのときは本当にありがとう。幸せな気持ちで日本をたつことができました。もう日本は寒くなってきたころだと思いますが年末にするテーマ活動は決まりましたか?私がいたところはインドの北の方なのでとても涼しくて過しやすかったです。これを書き込もうと思ったのがインドにきてちょうど1 ヶ月。水や食べ物のインド人とか空気に慣れてきたころです。と言っても最初の5日以外はずっとバシシトという山奥の温泉地にステイしていました。体を慣らすためもう一つはインドは7,8月モンスーンシーズンのため全土、移動や観光が少し難しいからで、ここ北部は比較的雨も少なく過しやすいからここにいたんですが、この理由後付けなので単にここが気に入ったからなのかもしれません。インドの首都デリーに着いて5日間でインド人を嫌いになりました。今思うと、デリーの人が嫌いになりました。直接何の被害も受けていない私でも感じるくらいデリーの一部の人はお金に対しての執着心が強くとても執拗(うっとうしく)であいさつされて挨拶し返すと何十メートルもついてきて○○を買わないかとか無視するまで話しかけてくるほどです。でもそんなデリーでのインドのイメージをバシシトは変えてくれました。小さな町なので一週間もいればローカルの人と顔見知りになります。今、声かけられたのどこの店の人だっけ?とこっちが思うほどです。道に牛が普通に歩いているとか物乞いがたくさんいるとか壮大な自然とか、びっくりすることは山ほどあったけどそれは写真集とか旅行記とかを見たほうが分かりやすいと思うのでやめておきます。バシシトでは滝に行ったり温泉に入ったり、バババックっていうカバンを作ったり、他のツーリストとかインド人と話したりボーっとしたりしていました。小さな町に1ヶ月もいてボーっとしていると物事を考える時間がとても増えます。なんで旅行に来るのか、なんで好きなのか、何のためにしているのかとか、なんでインドはこんな文化なのか、宗教とはなんなのか、言葉ってなんなのか。。。そんな終わりのないことを考えて考えてぐるぐる回って人類とはなんなのか。文明とはなんなのか、命って、生きるって、神って、何なのかとグルグル回っていくくらいです。たぶん海外というのは私にとって感受性を高めてくれる(考えるためのたくさんの心と気持ちのパワーをくれる)場所ってこともあって毎日が「感じて」「考えて」の繰り返しでした。またそれがお互いに影響しあって大きくなっていく感じでした。この感じることと考えることについてもいろいろ考えたっけ。。。なぜ旅行に行くのか、なぜ好きなのか、なにを得たのか得たものは何の為に使うのか6月末のあの日に話させてもらった事もいろいろ考えました。本当にみなさんには感謝しています。ありがとう。あの時うまく伝えられなかった旅行する理由や私の夢みたいなものを考え直すことができました。 続きはまた後で、一旦送信します、停電多いので。 |
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