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おひさまのかけら「こどもの詩」20年の精選集
川崎洋編
詩集より(赤い字は 詩人 川崎洋さんのコメントです)
ママ T.D3才
あのねママ
ボクどうして生まれてきたのかしってる?
ボクね ママにあいたくて
うまれてきたんだよ
「これは3歳の大輔が私に話し掛けるように
言った言葉です。親バカでしょうが、非常に満ち足りた
気持ちになりました」と書き添えてありました。まいった。
おとうちゃん大好き O.T小1
おとうちゃんは
カッコイイなぁ
ぼく おとうちゃんに
にてるよね
大きくなると
もっとにてくる?
ぼくも
おとうちゃんみたいに
はげるといいなぁ
今朝、たくさんの「はげお父ちゃん」が
この詩を読んで、オーッというかん声をあげるのではないでしょうか。
ともだちになろう I.Y小1
ぱぱ まま
しょうがくせいはね
ほいくえんみたいに
なにもしなくてもともだちができるわけじゃ
ないんだ
じぶんで「ともだちになろう」
っていうんだよ
だれかがいってるのをみて
ぼくにもわかったんだ
ゆうきをだして
「ともだちになろう」って
いったとき
からだじゅうにビリビリ
でんきがはしったよ
だれにいったかは ないしょだよ
友達という存在の重さを教えられた気がしました。
ようちえん S.A6歳
ああ はやくおとなになりたい
おとなになったら
ようちえんのせんせいになってまた
まつえようちえんに
かようの
なんだか、こみ上げるものを感じました。
なみだ M.K小4
わたしがなくとき
心の中でおまつりがあります
たいこがたくさんあって
そのたいこを神様がおもいっきりたたくんです
そうするとむねにひびいて
なみだがポロリポロリとおちてきます
すてきな「たとえ」は、それだけで、もう詩です。
いつまでも若々しい神様を心の中に持っていたいなぁと思います。
つながっている H.Y小3
おじいちゃん おばあちゃん
せんそうで 死ななくてよかった
おじいちゃんがいなかったら
おばあちゃんがいなかったら
わたしは生まれていなかった
お父さんとお母さんの
子どもになれていなかった
わたしは 今 とってもしあわせ
ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんも、その前の
先祖からも、いのちはつながっています。
キリン S.S5歳
ぼくがキリンになったら
ママは キリンの
おかあさんになってね
そして
ぼくがまいごになったとき
ながい おくびで
ぼくをさがしてね
きっとだよ
お父さんもキリンになるのですね。キリンになっても
ビールを飲むのではないでしょうか。
むちゅう I.T小2
いっしょうけんめい
あそんでいると
じぶんのなまえ
わすれてしまいそうや
思わず「ああ」という声が口から出ました。
それほどの「遊び」が、今の世の中、こどもたちに、
たっぷりとあるのだろうか?ない(!)
読売新聞 編集手帳より
「なぜ 風は/ 新しい割りばしのように かおるのだろう」
詩人川崎洋さんの詩「なぜ」の一節である。
なぜ、海は色を変え、人はひとりの人を愛するようになり、
涙はうれしい時にも出るのだろう。
いくつもの「なぜ」のあと、詩は結ばれている。
「人はなぜ/ いつの頃からか/ なぜ/ を言わなくなるのだろう」
川崎さんは子供たちの書く詩に、大人の忘れた「なぜ」を見た人である
本誌くらし面「こどもの詩」には、選者である川崎さんの短い感想が
添えられている。
ある年の節分のころ、「まめまき」という題で二歳の女の子の詩が載った。
詩はただ一行、「おにあーそぼ」
鬼といえば厄介もの、「鬼は外」に疑問をもたない大人の耳には、
「鬼遊ぼ」は舌の回らぬ幼児の言い間違いとしか聞こえまい。
川崎さんは、「読んでじんとなりました」と書いている。
方言を採集して全国を歩き、言葉遊びの楽しさを説き、人づきあいの
潤滑油であった悪態の魅力を掘り起こす。
日本語の美しい遺失物を探しつづけた詩人ならではの選であり、評だろう。
川崎さんが七十四歳で急逝した。選者として二十二年間、
ときには殺伐とした記事で埋まる紙面に温かい言葉を添えたオアシスを
つくり、数限りない、「なぜ」を教えてくださった。
ありがとうございました。
ふしぎの国のアリスより
毎朝、読売新聞の子どもの欄を目にする時、思わずニコッと笑い、心が温かくなります
川崎洋さんのなにげない言葉に、その子どもの詩がよりふくらんで、素直な気持ちで
受け止められるような気がしてしまいます
詩人 川崎洋さんは2004年10月21日に急逝されました
ラボ・ライブラリー『大草原の小さな家』は川崎洋さんが日本語に関わってくださいました
あの物語を優しく包んでくれた言葉に思いをはせてしまいます
こんなことならば、もっとたくさんの関わりをもって欲しかったと
つい、わがままな気持ちを抱いてしまいます
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