絵本の世界で遊べない子どもたち(傍観)ということについて書かれていたので紹介します。
何もしないで、じっとしている子どものことを積極性がないとか、消極的で行動的でないとか、物事に興味がないとか思ってしまう。
しかし、子どもたちは、じっと見る「傍観」しながら考えているのです。
その仲間に入れるかどうか?その遊びは自分でできるか?そのルールは知っているか否か?
じっと見ている傍観しているということは、物事に興味を示さないと否定的で低次元化していくという考え方でなく、
見るということは、単なる傍観でなく興味を持って見ているということであり、
いつか手を出そう、仲間に入ろうとする前提であるという肯定的な高次元化していくという考え方がある。
子どもの様子をいつも否定的に見るのではなく、発達の過程の中での様子と見る肯定的な見方をする。
「傍観」ということが、子どもの遊びの発達の最も低次の段階として位置付けられている分類法がある。
[「独り遊び」→「傍観」→「並行的遊び」→「集団遊び」(連合遊び→組織的遊び)
の順に高次元化していくという考え方。]プラッツの「グループ活動の発達より
「傍観」が遊びからの回避、遊びへの拒否として、遊びの反対のカテゴリーとして捉えるのでなく、遊びへの連続性を持つものとして認められているのが興味深い。
なかなか自分の思いを表現できないでいる子も、心の中でしっかりと考えている。
いつかその子が自分から表現できる日を、じっくりと待つことの大切さを改めて確認し、
そうやって受け入れてもらえることを実感できた子どもは、きっと自分の思いを表現できるようになるんだろうと思う。 |