うのぱぱの
エリザベス朝演劇の劇場

グローブ座の内部(復元想像図)
シェイクスピアが活躍したエリザベス期の時代の舞台の造りというのは、青空天井だったという。つまり照明は一斉なく、昼間の太陽光の下で演技をするということだ。舞台も装置はほとんどなく、椅子を2つほど並べたらそれが玉座、というような調子だったらしい。現在の舞台のように、深夜の場面であれば青く暗い舞台にするとか、巨大な石柱を並べて古代ローマを現出させるなどということはなかったのだ。
語り手の性格はもちろん、時刻、季節、状況、雰囲気などを表現するものはセリフしかない。たとえば『ハムレット』第1 暮第1 場で、歩哨に立つバナードーとフランシスコーとの会話の中に、「いま12 時をうったところだ。休むがいい、フランシスコー」というバナードーのセリフがある。続けてフランシスコーが「助かります。なにしろひどい寒さで」といい、観客は、時刻は真夜中の12 時で、とても寒いときだということを自然に理解する。さらに、亡霊がこの時刻になると現われるという話題へと続き、冷気を含んだ夜の気配の表現が、この世ならぬものの出現という不気味さへの助走にもなっているというぐあいだ。
またシェイクスピアのセリフでは詩が多用されており、リズムをもっている。この独特の律動が観客を物語世界に引き込んで行っただろう。逆にいえば、太陽光線が唯一の舞台の灯りだったこの時代には、セリフが観客を魅了できるか否かの鍵だったし、シェイクスピアはことば魔力に長けていたということが、シェイクスピア劇が歴史に名前を残すことに貢献したのだろう。セリフが過剰に長いのも、この時代の舞台の特性に起因する。
この時代の劇場の特徴には、グローブ座を含むすべての劇場は小劇場だったということもあげられる。形はいろいろあって、四角とは限らず円形だったり八角形だったりするが、だいたい80 フィート(25 メートル)平方だったといわれる。これくらい狭いと現代の大劇場にみられるように大声を張り上げる必要はない。囁くような声から大音声で呼ばわる鬨の声まで、陰影に富むセリフ回しが可能だったはずだ。
シェイクスピア劇では独白が多用される。相手に聞こえては困るような心の声を、観客に聞こえるように話さなければならないという不自然さは、この頃の劇場であれば,今ほど違和感がなかっただろうと思う。さらにこの時代の舞台の特徴をあげるならば、舞台は張り出し(外舞台)を備え、その奥にカーテンでき仕切ることのできる内舞台、それに内舞台の上に設えられた二階舞台というように、三つの舞台から成り立っていた。

グローブ座平面図(想像)
構造が脚本に与える影響も大きい。現代の舞台のように緞帳や中割り幕といった装置はないので、この三つのの舞台をじょうずに使いながら場面転換をスムーズにする必要があった。例えば先ほどあげた『ハムレット』の冒頭。「亡霊が出現する場面は、おそらく外舞台だけ、内舞台との間の幕は閉まったままだっただろう。
第二場はガラリと宮廷内の広間のようなところに変るが、これは前場の終わりでホレーショ等が退場してしま
うと、そこで幕を開いて内舞台を出す。すると、内外両舞台を合わせた全体が広間ということになり、宮廷内の
場面が進行する」(中野好夫著『シェイクスピアの面白さ』より)。仰々しい舞台装置はなく椅子を二つだけで
玉座を表現する、という舞台の簡便さもあって、舞台転換はスムーズだった。
たとえば亡霊など,地獄に関係するものは「せりだし」という舞台下から競り上がってくる装置に乗って上がってくる。その場合,今のように電気仕掛けではなく大きなノイズが入ったことだろう。それを打ち消すために,雷鳴の効果音が使われただろう,ということがいわれている。
エリザベス朝時代の舞台の特徴が脚本に対して制約を課したことは確かだが、むしろその制約がシェイクスピア劇のセリフに磨きをかけ洗練させることができたのだろう。その研ぎ澄まされた原文を、日本語に翻訳することは残念ながらとても難しいように思う。名だたる名文家の労作はとてもすばらしいが、原文のもつリズム、メロディ陰影はどうしても消え去ってしまう。かといって日本人が本場のシェイクスピア劇に触れることもまた敷居が高い。しかし、私たちはその芸術の粋をライブラリーという形で享受することができる。これはすごいことではないか。
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