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特集連載
第58回
モンゴルの文化を翻訳する

2016/9/13

西村 幹也/にしむら みきや

西村 幹也/にしむら みきや
NPO法人北方アジア文化交流センター しゃがぁ 代表

 NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがぁを主宰し,日本とモンゴルの文化交流に尽力されている西村幹也氏に寄稿していただきました。
 氏は少年時代にラボ・パーティに籍をおき,コミュニケーション力をみがいてこられました。大学ではモンゴル語を学び,かの地へ留学してモンゴルの人びとの人情にふれたことから深い友情が芽生え,一生をかけてモンゴルを研究し,その知見を発信し続けています。モンゴルと日本を結ぶ架け橋として,精力的に活動する氏のメッセージをお読みください。

「間違いを恐れない度胸」

 ラボ・パーティに行っていたのは小学4年生から中学2年生頃までだったと記憶しています。友だちに誘われて,なんだかよくわからないけどおもしろくて入会したわけです。英語を勉強している感覚はまったくなく,いま思えば,めちゃくちゃな英語を大声で恥ずかしげもなく叫んでいたんだろうなあと思うのですが,このときの外国語に対する姿勢というのは,韓国語だろうが,中国語だろうが,「とにかく話してしまえ!」という学習スタイルとなって自分のなかですっかり板につきました。当時は,とにかく聴いてまねして話す。文法もなんもすっとばして,とにかく,フレーズを覚えて使う。おかげで今でもかなりのセリフを覚えています。
 外国語を文字ではなく音で記憶をするようになった私は,同時に,多少間違えたって通じるときは通じるという,みょうな信念まで芽生えてしまいました。いまだに「間違ってかまわないから話しちゃえ!」という外国語学習を信じています。文法でも,発音でも,とにかく単語を並べてしまおう。言語学や音声学を研究するということならともかく,コミュニケーションが目的なら,否定はしませんが美しい発音と正しい文法であることは絶対に必要なモノとは思えないのです。とにかく音にたくさん触れ,間違いを恐れない度胸がたいせつだと思うのです。

文化を翻訳する

 この度胸だけを頼りに,モンゴル語を勉強することにした私は「たくさんの音に触れるため」に留学することにしました。このはじめての留学ははじめての海外経験でもありました。この時感じたのは,「ことばがむずかしい」ではありませんでした。それよりも,生活の違い,価値観の違い,習慣の違いなど,「なんでこの人たちは…」という疑問が生まれ,大きなストレスになりました。間違いなく,言語を翻訳したとしても理解できない壁というのがそこにはありました。いわゆるカルチャーショックです。留学に送り出してくれた大学教授は「バイリンガルではなくて,バイカルチュラルをめざせ」と仰ってたのですが,まさにその通りでした。簡単にいえば,ことばがわかっても,そのことばを使っている人びとの文化背景を理解しなくては,ほんとうの理解には及ばないということです。言語を翻訳するのではなく,文化を翻訳できなければいけないのです。しかも,彼らの「文化の文法」に則って…。
 モンゴル語では総称としての馬を「モリ」といいます。厳密にはこれは「去勢されたオス馬」です。ところが,馬全般を指し示すからといっても,草原でたくさんの馬を見かけとき「モリがいる」といってはいけません。全部が去勢されたオス馬ではないからです。こういう時には「アドーがいる」と表現します。「アドー」は馬群を意味します。子馬は「オナガ」と呼びます。母馬は「グー」,生まれて丸一年たった馬(2歳馬)を「ダーガ」,丸2年経っていたら「シュドレン」(3歳馬),以下「ヒャザーラン」(4歳馬),「ソヨーロン」(5歳馬),そして種馬を「アズラガ」と呼びわけねばなりません。他の家畜たちも同様に名前があります。また,彼らは「夏になった」というときに「地面の色が変えられた」と表現します。この表現から,「地面が変わった」のではなくて「地面は変えられた」のだということがわかります。地面はなにかに支配されていることを暗示しています。私はそのなにかを理解しなければなりません。このように,なにをどのように呼び分けるのかということから,彼らの世界はなにによってどのように構成されているか,を考えなければ彼らを理解することは不可能です。まさにパズルです。
モンゴルの夏  そうして,遊牧民たちの目に映っている世界を彼らが感じているように感じたいと私は願うようになりました。文化人類学の手法をもって彼らと生活を可能な限りともにし,同じモノを見聞きするという,長いモンゴルとのおつきあいが始まりました。
ゲル(モンゴルの移動式住居)のまわりに家畜がたくさんいることが彼らの幸せの風景

文化の多様性を認めあう

 間違いなく世界中の文化の数だけ,理解しにくい壁が存在しています。それらとの不理解を解消していくことはこれからの世界に求められていくのは必至です。そうでなければ,異なるモノを無理矢理同化するか,抹殺するかという愚行にいたります。今までの人類の歴史は残念ながらこれを実行してきましたし,今も進めています。私は語学留学の結果,遊牧世界と接触し,文化の多様性を認め合うことのたいせつさとむずかしさを思い知らされました。
 遊牧生活というのは日本には存在しない生活スタイルです。しかし人がなし得る可能性のひとつである以上,そこから学ぶべきことは多いはずです。異文化を学ぶことは自らの可能性を知ることだと私は確信し,モンゴル情報紙「しゃがぁ」の創刊にいたりました。
 「モンゴルというところがどんな場所で,どんな人びとが,どのような暮らしをしているのか」を広く知ってもらいたいと願いました。遊牧民に興味を持つ人びとが増えてくれて,遊牧民と友だちになりたいという人が増えてくれたらいいなあという漠然とした願いです。きっと,「あの人と話をしたい」とモンゴル語を勉強する人がでてくることでしょう。そして,その人は,伝えたいことや聞きたいことを伝え,聞くために,でたらめな文法と発音でモンゴル語を話しながらも仲良く大笑いをしているんだと思うのです。
 そう,ファーストコンタクトは間違いなど恐れない,ある種の度胸が必要なのです。そんな度胸はラボがつけてくれます。あとはどこへでも歩いて行けるんだと思います。モンゴルはとても広くていくら歩いても,旅が終わることはなさそうですが…。
大平原のまん中で,馬頭琴を弾く奏者 NPO法人北方アジア文化交流センター・しゃがぁ本部(北海道虻田郡京極町) 馬頭琴コンサート。日本全国どこへでもでかけていく。熊本県上益城郡山都町にて
※ 注 しゃがぁ=羊のくるぶしの骨。たくさんもっている家は裕福だとされる。モンゴル地域のおもちゃの王様で,さまざまな遊び方がある。子どもたちはお気に入りの「しゃがぁ」があり,たいせつにする。

おはなしをうかがった方
西村 幹也
西村 幹也(にしむら みきや)
 1966年,東京生まれ。東京外国語大学モンゴル語科卒。総合研究大学院大学文化科学研究科比較文化学専攻。中華人民共和国内モンゴル自治区内蒙古師範大学,モンゴル国国立民族大学,モンゴル国国立外国語大学に留学。1994年情報誌「しゃがぁ」創刊。1996年に任意団体「モンゴル情報紙しゃがぁ編集室」を設立。日本とモンゴルを行き来し,さまざまなメディアや企画を通じてモンゴルの情報を発信する。2008年「しゃがぁ編集室」改め,「NPO法人北方アジア文化交流センター・しゃがぁ」を設立,初代理事長となる。
 現在,情報誌「しゃがぁ」をはじめとする各種メディアの発信,モンゴル国内のツアー,モンゴル遊牧民の音楽を日本に紹介するコンサート活動,また羊蹄山麓に「北方アジア遊牧民博物館」を建設(2016年10月8日オープン)するなどして,モンゴルの文化の発信と日本との文化交流に尽力している。

「NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがぁ」
公式サイト
http://www.shagaa.com/index.php/8-npo/1-npo01
「同」フェイスブック
https://www.facebook.com/NPO.SHAGAA/
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