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今日は一日暖かく、良い天気だっだ
一日桜を見過ぎたのか
お酒を飲んでいないのにふわふわして
桜の中にまだいるような気分でいる・・・・・
金曜日に千鳥ヶ淵の桜を見た
今日は満開のはずともう一度でかけた
中央線の窓から、沿線の桜が咲き誇っているのが見える
千鳥ヶ淵の桜も満開だ
金曜日の夕方より、火曜日の午前の方が人は少ない

30分ほど並んでボートに乗る事もできた
久しぶりに1時間、ボートのオールを握った
ボートから見る桜は堀の両側を同時に見る事ができて見応えがある
千鳥ヶ淵からすぐの山種美術館に行く
『桜さくらサクラ2009』展にゆく
http://www.yamatane-museum.or.jp/exh_current.html
サクラを主題とした日本画を展示していて
それぞれの画家の桜への取り組みを見る事ができて面白い
靖国神社にも寄る
このあたりで桜に酔っていることに気付く
ひと休みのため珈琲を飲んでぼんやり、休んで帰る
帰ってからもふわふわ感はまだなくならない・・・・・
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桜が満開だと朝刊に出ていたので、千鳥ヶ淵へと出かけた
九段下駅から千鳥ヶ淵を歩く
九分咲きというところか
お堀の水へ向かって枝を下げている桜の枝振りがよく
一部は満開の桜が美しい
半蔵門駅まで歩き、乃木坂の国立新美術館
『ルーブル展ー美の宮殿の子どもたち』展へまわる
(西洋美術館でも『ルーブル展ー17世紀の西洋絵画』
をやっているので紛らわしい)
こちらは『こども』を主題にした200点の展示だ
こどもを描いた絵画、彫刻、日用品ばかり
気楽に楽しく見る事ができる
ジャン=バプティスト・ルイ・ロマン大理石の彫刻『無垢』
ジョシュア・レノルズ 油彩 『マスター・ヘア』
シモン・ヴーエ チョークによるデッサン『少女の肖像』
ベーデル・パウル・ルーベンス チョークによるデッサン『少女の顔』
など
見応えがありました
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BSの放送で2時間の劇場版ではなく、
50分追加された完全版が放映されたのを見た
監督29歳の時の作品
舞台はシチリアの村の映画館
ロシア戦線から帰ってこない父を待つ、母と妹との暮らしをしている少年トト
映写技師アルフレードとの「友情」
事故にあったアルフレードに替わって少年映写技師となり、
青年に成長してゆくトト
転勤してきた銀行の支店長の娘エレナへの恋、愛情
思わぬ義務兵役
エレナと連絡が取れなくなる
傷心のトトに村を出るように勧めるアルフレード
「決して帰ってくるな」「手紙もだすな」と
トトは映画監督として成功する
しかし独身のままで、私生活では満たされていない
村には30年間帰ってきていない
アルフレードの葬儀に帰ってくるトト
初恋と別れの部分を削って、映画への愛、映画館への愛を描いた劇場版 1989年
初恋と別れの部分のフイルムを戻した完全版
2002年
評価の高かった劇場版と賛否両論が生まれた完全版
完全版では
エレナと会えなくなったことの裏に
アルフレードがトトを映画技師として終わらせたくない
貧しいシチリアの村から出して
才能を開花させてやりたいとの想いが働いていたことがわかってくる
エレナとの再会
アルフレードがトトに残した遺品のフィルム
観客としては、トトとエレナの恋が実ってほしいという気持ちになり
アルフレードの気持ちを理解しにくい
私を含めて今の観客は、
シチリアの貧しさ、閉塞感
そこからの脱出、
「才能開花」、「成功」という物語から遠く離れてしまっている
アルフレードの「勝手な」「ひとりよがりの」決断は
トトを不幸にもしているのだが
アルフレードは死ぬまでそこには想い至らず
トトの映画監督としての成功だけを喜んでいる
トトとしてはアルフレードを「怒り」「憎む」が
今となっては受け入れるしかない
アルフレードもトトの母親も、
トトの成功を喜んで30年を暮らしながら
自分たちはひっそりと生きてきた
思いのほか苦い映画であった
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この人たちはテレビのなかに住んでいるらしい
どのチャンネルだろうと
旅番組、クイズ、歌番組、スポーツ番組、ドラマ
そしてコマーシャルにと
どんなジャンルでも同じような人がでてきて
馴れ馴れしく、騒々しく、
話しかけ、食べたり、飲んだり、笑ったり・・・
同じ顔が毎日出てくる
視聴率を争っているかに見えて、
結果としては同じような番組が横並びに並ぶ
スポーツ選手を呼んで来て、仲間にしてしまったり
テレビの国の仲間どおしではしゃいでいる・・・・
みずみずしい感性、みずみずしかった感性も
あっという間に消費されてしまう不思議な国です
テレビというメディアを使った愚民化政策が
大きな隠された意図としてあるに違いない
大成功していますね・・・・
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中東文化センターの「ぺルガモンとシルクロード展」
トルコにあるぺルガモン遺跡はドイツのカール・フーマンによって発掘され
アクロポリスの丘にあった神殿大祭壇の見事なレリーフ
(ギリシャ・ヘレニズム芸術の傑作といわれる)は
ベルリンのぺルガモン博物館に展示されている
トルコの遺跡もベルリンのベルガモン博物館も見た事があるが
今回の展示では未公開品もあるとの案内を読んで見に行きました
ペルガモンエーゲ海沿岸にあり、
当時はギリシャ、ローマの文化圏であった事から
大祭壇に描かれた浮き彫りはローマの神々と巨人たちとの闘いを描いている
ペルガモンはアレクサンドロス大王の東征ののちできた
ぺルガモン王国BC281-BC133年の首都として
ヘレニズム文化のもっとも栄えた都市であった
ヘレニズム文化が仏教徒と出会ってガンダーラ仏教美術に結晶し
シルクロードをたどって日本にまで到達した
パキスタンで発見された菩薩像、仏陀立像ともに
2、3世紀につくられたものはアーリア人種の顔立ち、
ギリシャ風の薄い衣の襞が美しいものであった
展示の点数はあまり多くないが、質の高い内容で楽しめた
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ヒトラー暗殺事件を描いたトム・クルーズ主演のハリウッド映画
歴史、戦争、サスペンスというジャンルか・・・
それでも
かなり史実に忠実につくった映画らしいので見に行った
朝第一回の回はたった4人であった これはちょっと意外
ヒットラー自殺の1年ほど前に試みられた
ドイツ軍の将校による組織的な計画によって実行された
ヒットラー暗殺とその後の権力掌握作戦である
反乱など非常事態に備えて準備されていた『ワルキューレ作戦』を使って
権力を掌握する作戦であった
残念な事に爆発はしたがヒットラー暗殺は失敗に終わり、
権力掌握もできず
戦争を早く終結する事はできなかった
私の興味はヒットラーという圧倒的な力に
どのような組織的な抵抗が試みられたのかであった
言語が英語である事や主演が有名俳優である事はあまり気にならず
丁寧につくられた描写によって事件の経過を追う事ができた
将軍、警察長官を含め多くの人たちが関わった組織的な行動であったこと
暗殺失敗の原因、権力掌握失敗の原因などよくわかった
関わった人の多くと嫌疑をかけられた人までも
反逆罪として断罪され、戦争は続いた・・・・
ヒットラーは狂人だというドイツ軍将校である暗殺者たちの認識は
祖国ドイツのためにヒトラーを倒す、であった
しかしながら当時のドイツ国民、兵士たちはヒットラーを指導者として敬愛している
そのなかでの暗殺計画が持たざるを得ない困難・・・・
暗殺者たちの勇気、震え、思惑、小さなミス・・・・
ナチス親衛隊に対抗する『ワルキューレ作戦』実行の武装部隊は・・・・
映画会ー今日は『暗殺者のメロディ』へまわる
この映画会への参加は久しぶり
映画をめぐるレポートがいつも素晴らしいので来られる時には参加ししている
『暗殺者のメロディ』はジョセフ・ロージー の1972年の作品
原題 "The Assassination of Trotsky"
1940年メキシコ、メキシコ・シティーにおけるトロッキーの暗殺を描く
ジョセフ・ロージーはマッカーシズム/赤狩りを逃れてアメリカから脱出
イギリスへ亡命した監督である それ以来アメリカに戻っていない
革命家トロッキーはレーニンの死後
スターリンとの政争に敗れ、国外追放となり
この時点ではメキシコで活動している
トロッキーの最後の日々、暖かい人柄、卓越した能力が
リチャード・バートンによって描かれる
支持者によって守られた家に住んでいるが誰とでも会う
暗殺者はトロッキーの友人である支持者の女性の男となり
トロッキーに近付く
何度かのためらいの後暗殺が決行される
歴史のもしは無意味だというが
スターリンではなくとロッキーが政争に勝っていれば
スターリンの一国社会主義ではなく、トロッキーの国際連帯の方針から
ファシズムと闘えたかもしれないし
ヒトラーとソ連の取り引きによって、
反ファシズムの連帯が成立しなくなるという事もおこらず
現代史は大きく変わった事だろう
映画制作はつくられた年代にわかっていることをもとに忠実につくられた
その段階では暗殺の背景がスターリンの指令による事はハッキリしていたが、暗殺者の動機は不明であった
暗殺者をアラン・ドロン、利用される女性をロミー・シュナイダーが演じた
暗殺者の逡巡、理解できない男の行動へのいらだち、焦燥など
2人とも難しい役に努力している
しかしその逡巡、いらだち、焦燥は
当禅観客にとってこころよいものではなく・・・・
その後暗殺者の弟へのインタビューなどあり
暗殺者の母がバルセロナの共産党員であり、母に強く影響されていた事が
今ではわかっている
母はトロッキーの家の前に逃走用の車を止めて犯行の終わるのを待っていたという
トロッキーの叫びによって駆け付けた護衛によって暗殺者は捕まった
(スペイン市民戦争の時の共産党とトローッキー派やアナキストとの対立ががここにもつながっている)
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今日の仕事は井の頭公園の近く
2人で7時間をかけて終わった
庭から車庫に広がる大きな梅の木
花が終わったところなので枝を伐って全体を小さくする
この木は伸び放題に放置されていたのを
昨年から小さくし、形を整えている
ご主人が「自分で伐ってはいたのですが
高いところは手を付けられなて・・・」と言われていた
これだけ大きくなると個人での手入れは無理だ
私たちは安全ベルトを木の太い枝に掛け、ヘルメットを締めて、
万一落ちた場合に備えている
脚立は倒れないようにロープで木に固定している
万一の場合に助けられるように一人では作業しない・・・・
ウバメガシ
モッコク
ヒイラギ 塀の上の植え込み 刈り込みばさみを使って
アベリア、ツツジ 植え込み
ユキヤナギ たくさん花をつけているので手を付けない
裏の枇杷 こちらも大きくなりすぎていたのを
昨年から小さくし形をつくりつつある
裏のモチノキ 大きくなり過ぎているので四分の三ほどに小さくした
サカキ 祭事に使われているので、葉を残す
勝手に出て来ている笹を根元から切る
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午後から天気が崩れるとのことなので、午前中に散歩にでた
井の頭公園を経由して
井の頭公園のお茶の水を源流にしている神田川を歩く
桜はまだちらほらなので、人は少なく静かだ
久我山まで行って、井の頭通りを戻った
15000歩ほどになる
白木蓮、コブシなどはそろそろ終わり
ユキヤナギ、レンギョウ、ボケ、
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病気をされた先輩のお見舞いに東浦和に行く
まだ疲れやすいとおっしゃりながらも
一緒に散歩に行く事になり
見沼代用水をゆっくり歩く
西縁代用水、芝川、東縁代用水と3時間、二万歩ほど歩いた
植木屋が植栽している彼岸桜、桃、モクレン、ボケの畑があり
いっせいに咲いている
他にユキヤナギ、ヒュウガミズキ、トサミズキ、サンシュユなど
暖かい日だったが、夕方になるとだんだん風が冷たくなってきた
見沼代用水(みぬまだいようすい)は、江戸時代の1728年(享保13年)
幕府の役人 井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために、武蔵国に普請した灌漑農業用水
流路 埼玉県行田市付近の利根川より取水
東縁代用水路は東京都足立区へ
西縁代用水路は埼玉県さいたま市南区へ
見沼用水路は、水田の灌漑目的であったが、年貢米を江戸に運ぶ水路としても有用であった
1730年に、新田の打ち出しに貢献があった鈴木家および高田家の願い出により、水運利用が許可
用水路は江戸まで直接つながっていないので代用水と芝川を結ぶ運河、
見沼通船堀が1731年にやはり井沢弥惣兵衛の手によって作られた
代用水と芝川との高度差は3mあるため、パナマ運河と同じ閘門式運河で作られた
見沼通船堀は同方式で日本最古のもの
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技術研修のため市の公園の木を剪定
今日は急に暖かくなり、すぐ上着を脱いだ
ヒメコブシの花が咲きはじめている
公園近くの桃は花盛りだ
私の分担は
高い椿、 花の芽がたくさんついている
込み合った枝を透かせて木の向こうの景色が見えるようにする
今日の講師は「下から上に向かってやった方が形が決まる」
「花の芽がついていても70%は落としていい」
・・・・とは言ってもこれから咲く寸前なので気持ちにこたえる
木全体の美しさの方が大事という事であろうが
マテバシイ、欅(ケヤキ)の木の近くの木なので、ひとまわり小さくもした
サザンカ
2時半終了
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