幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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風の吹く日に・・・ [全1125件] 81件~90件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
東京国立博物館「国宝 土偶展」は今週が最終週2010/02/16の日記 02月16日 (火)
東京国立博物館「国宝 土偶展」は今週が最終週

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6908

東京国立博物館「国宝 土偶展」へは2月4日に行ってきました
大英博物館で2000.9.10-11.22に展示されたものです

縄文時代の土偶が日本全国に広がっていたこと
 国宝になっている土偶はそれぞれ長野県茅野市、函館市、八戸市で出たものです
 政治的にも文化的にも中央などまだなかったこと それぞれの地方がそれぞれ中央であった
丁寧な、力強い作品がたくさんあること
 岡本太郎の太陽の塔のデザインも縄文から来ていることがわかりました

どのように使われたのかはよく分からないが「祈り」「呪術」が込められているのだと思う

私のメモ
前13000年前にまでさかのぼれる
縄文早期 前7000-前4000年
縄文前期 前4000-前3000年
縄文中期 前3000-前2000年
縄文後期 前2000-前1000年
縄文晩期 前1000-400年
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昨日見た鳥たちは何を食べて生きているのか 2010/02/15の日記 02月15日 (月)
昨日見た鳥たちは何を食べて生きているのか
薮内正幸さんの「日本の野鳥1にわやこうえんにくるとり」よりの抜き書き

0.02.15私のメモ(●今日見たもの)に 加筆

1●ハシブトガラス 鳴き声 カアカア ハシボソガラスだと ガアガアと濁る
(食物)雑食性で何でも食べる
2●キジバト    群れない、一羽か二羽でいる 実際一羽でいるところを見た 首に縞模様がある
(食物)ツバキ、マツ、麦、粟、ひえ、豆の種子や野いばら、山桜の実.蛾の幼虫など
3●ヒヨドリ    渡りをする 今日はキャベツ畑に20羽近く群れでいて収穫後の残された芯を食べていた 

(食物)ミズキ、アケビ、ノブドウ、ナンテンなどの実 甘いものがすきでツバキの蜜を吸う
4●スズメ     減っている 今日は一羽見ただけ
(食物)イネ、アワ、ヒエ、エノコログサ、オオバコなどの種子が主食 
    夏には蛾の幼虫やツユムシなどの昆虫やクモを食べる

5●メジロ ツバキやサザンカの花にくる 今日は4羽ほど見た
(食物)昆虫やクモ 甘いものが大すき熟れた柿の実ツバキ、桜、梅の花の蜜を吸う

6●シジュウカラ  ツツピーツツピー 地鳴きジジジー
(食物)ゾウムシ、ハエや蛾の幼虫 バッタ、カメムシなどの昆虫、クモが主食 マツの種子も食べる

7●ムクドリ    集団になる
(食物)昆虫、クモが主食 サクラ、モモ、カキなどの実

8●ハクセキレイ   芝生や畑にいる 今日は道路の上を歩いていた
           波状に飛ぶ 尾で地面をうつような動き

9ウグイス    薮の中にいて姿を見せない
(食物)昆虫が主食だがカキの実も好む

10カワラヒワ   くちばしが太い 種を割ったりできる
(食物)イネ、アワ、ヒエなどの落ち穂 マツ、モミなどの種子 ヒマワリの種子は特に好む
    ほかにゴミムシ、蛾などの幼虫 昆虫やクモ

11●ツグミ     冬鳥 ツツツと歩いて、立ち止まって胸をはる
(食物)ナナカマド、ウメモドキなどの実,コガネムシ、バッタなどの昆虫、クモ、ミミズなど

12ワカケホンセイインコ 東工大付近から逃げ出して広がった 
            井の頭公園の桜にも来る

13モズ      猛禽類 縄張りがある カエル、トカゲ
(食物)昆虫、ミミズ、ザリガニ

14エナガ     薄いピンク シジュウカラやコゲラと一緒にいる 襲われないように群れになる

15キツツキ    ケラ 前の爪がふたつ 動きが速い

16オナガ     群れでいる カラスの仲間 ギーギー

17ジョウビタキ  羽に白い点がある 講師のお父さんは「紋付さん」と呼んでいた
18シメ      くちばしが太い

19●シロハラ

20●ドバト     カワラバトの仲間

このほかに千川上水で ●コサギが飛んでゆくのを見た
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昨日見た鳥たちは何を食べて生きているのか 2010/02/15の日記 02月15日 (月)
昨日見た鳥たちは何を食べて生きているのか
薮内正幸さんの「日本の野鳥1にわやこうえんにくるとり」よりの抜き書き

0.02.15私のメモ(●今日見たもの)に 加筆

1●ハシブトガラス 鳴き声 カアカア ハシボソガラスだと ガアガアと濁る
(食物)雑食性で何でも食べる
2●キジバト    群れない、一羽か二羽でいる 実際一羽でいるところを見た 首に縞模様がある
(食物)ツバキ、マツ、麦、粟、ひえ、豆の種子や野いばら、山桜の実.蛾の幼虫など
3●ヒヨドリ    渡りをする 今日はキャベツ畑に20羽近く群れでいて収穫後の残された芯を食べていた 

(食物)ミズキ、アケビ、ノブドウ、ナンテンなどの実 甘いものがすきでツバキの蜜を吸う
4●スズメ     減っている 今日は一羽見ただけ
(食物)イネ、アワ、ヒエ、エノコログサ、オオバコなどの種子が主食 
    夏には蛾の幼虫やツユムシなどの昆虫やクモを食べる

5●メジロ ツバキやサザンカの花にくる 今日は4羽ほど見た
(食物)昆虫やクモ 甘いものが大すき熟れた柿の実ツバキ、桜、梅の花の蜜を吸う

6●シジュウカラ  ツツピーツツピー 地鳴きジジジー
(食物)ゾウムシ、ハエや蛾の幼虫 バッタ、カメムシなどの昆虫、クモが主食 マツの種子も食べる

7●ムクドリ    集団になる
(食物)昆虫、クモが主食 サクラ、モモ、カキなどの実

8●ハクセキレイ   芝生や畑にいる 今日は道路の上を歩いていた
           波状に飛ぶ 尾で地面をうつような動き

9ウグイス    薮の中にいて姿を見せない
(食物)昆虫が主食だがカキの実も好む

10カワラヒワ   くちばしが太い 種を割ったりできる
(食物)イネ、アワ、ヒエなどの落ち穂 マツ、モミなどの種子 ヒマワリの種子は特に好む
    ほかにゴミムシ、蛾などの幼虫 昆虫やクモ

11●ツグミ     冬鳥 ツツツと歩いて、立ち止まって胸をはる
(食物)ナナカマド、ウメモドキなどの実,コガネムシ、バッタなどの昆虫、クモ、ミミズなど

12ワカケホンセイインコ 東工大付近から逃げ出して広がった 
            井の頭公園の桜にも来る

13モズ      猛禽類 縄張りがある カエル、トカゲ
(食物)昆虫、ミミズ、ザリガニ

14エナガ     薄いピンク シジュウカラやコゲラと一緒にいる 襲われないように群れになる

15キツツキ    ケラ 前の爪がふたつ 動きが速い

16オナガ     群れでいる カラスの仲間 ギーギー

17ジョウビタキ  羽に白い点がある 講師のお父さんは「紋付さん」と呼んでいた
18シメ      くちばしが太い

19●シロハラ

20●ドバト     カワラバトの仲間

このほかに千川上水で ●コサギが飛んでゆくのを見た
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武蔵野自然塾「初心者バードウォッチング」に参加してきました2010/02/14の日記 02月14日 ()
初心者バードウォッチング

近くの武蔵野自然塾であった「初心者バードウォッチング」に参加してきました
参加者はこどもたちとその親 10名ほど 二時間のプログラム

最初は講義 身近な鳥からイラストを見ながら簡単な説明
採集され、パソコンに保存された鳴き声を聞く

その後、双眼鏡の貸し出し、使い方の説明の後
自然園の北の畑を経て、立野公園、千川上水に沿ってバードウォッチング

使っていなかった自分の双眼鏡(9*30)も使って見る 
午前中は青空が広がり、風もなく、気持ちの良い散歩だった
雨が続いたので鳥もお腹が空いていたらしく
思いのほかにたくさんの鳥を見ることができた

私のメモ 間違えている場合は私の責任 ●今日見たもの
1●ハシブトガラス 鳴き声 カアカア ハシボソガラスだと ガアガアと濁る
2●キジバト    群れない、一羽か二羽でいる 実際一羽でいるところを見た 首に縞模様がある
3●ヒヨドリ    渡りをする 今日はキャベツ畑に20羽近く群れでいて収穫後の残された芯を食べていた 
4●スズメ     減っている 今日は一羽見ただけ
5●メジロ ツバキやサザンカの花にくる 今日は4羽ほど見た
6●シジュウカラ  ツツピーツツピー 地鳴きジジジー
7●ムクドリ    集団になる
8●ハクセキレイ   芝生や畑にいる 波状に飛ぶ 尾で地面をうつような動き
9ウグイス    薮の中にいて姿を見せない
10カワラヒワ   くちばしが太い 種を割ったりできる
11●ツグミ     冬鳥 ツツツと歩いて立ち止まって胸をはる
12ワカケホンセイインコ 東工大付近から逃げ出して広がった 井の頭公園の桜にも来る
13モズ      猛禽類 縄張りがある カエル、トカゲ
14エナガ     薄いピンク シジュウカラやコゲラと一緒にいる 襲われないように群れになる
15キツツキ    ケラ 前の爪がふたつ 動きが速い
16オナガ     群れでいる カラスの仲間 ギーギー
17ジョウビタキ  羽に白い点がある 講師のお父さんは「紋付さん」と呼んでいた
18シメ      くちばしが太い
19●シロハラ
20●ドバト     カワラバトの仲間
このほかに千川上水でコサギが飛んでゆくのを見た
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朝日新聞に谷川雁さんの記事が掲載されています 2010/02/13の日記 3 02月13日 ()
13日土曜日付朝日新聞全国版「BE」の「うたの旅人」という特集に、
河谷史夫記者による<谷川雁作詞「白いうた 青いうた」>が掲載されました

河谷さんは若いころから谷川雁に関心を持ち続けてきた新聞記者です
谷川雁への愛情と関心の深さがにじみ出た良い記事でした

カラー印刷で二ページを使っています
朝日をとっていない方は、ぜひ図書館に足を運んで、読んでみてください
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『竹内敏晴さんを偲ぶ会』2009/10/15の日記 4 10月15日 (木)
ラボ・パーティが身体とことばを考えてゆく上で
たいへんお世話になった竹内敏晴さんが9月7日に亡くなられた

私は仙台や名古屋でテューターや事務局員と一緒に
レッスンを受ける機会があり、
身体とことばについて、
ことばで伝えられない多くの体験をすることができた
また竹内さんの本からもたくさんのヒントをいただいた

ことばは表現活動の一部であり、
ラボ・パーティが表現活動を考えてゆくうえで
たくさんのことを教えていただくことができた先達であった


竹内敏晴さんを偲ぶ会があるとのことなのでご紹介しておきます

http://homepage3.nifty.com/karada/body_words/index.htm

以下引用

当初告知していた『お別れの会』は、実行委員会主催により賢治の学校にて、
下記のとおり『竹内敏晴さんを偲ぶ会』として開催されます。

◆  日 時  ◆
2009年10月18日(日)9:30~12:30

◆  会 場  ◆
NPO法人東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ
(立川市柴崎町6-20-37)

◆ お申込み ◆
参加をご希望の方は賢治の学校事務局までご連絡ください。
nfo@tokyokenji-steiner.jp
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映画『夏時間の庭 』2009/09/21の日記 09月21日 (月)
映画『夏時間の庭 』

   『夏時間の庭 』を吉祥寺バウスセンターで見ました


緑あふれるパリ近郊の広い庭、家とアトリエ
飾られたコローやルドンの絵
アールデコの家具や調度も美術館が欲しがっている貴重なものだ
日常の生活の中に、自然と芸術が快く息づいている
家族の思い出が詰まっている家である

この母の家は
元は画家であった大叔父の家であり、アトリエであった
大叔父の死後、大叔父を尊敬する母がずっと守ってきた

母の75歳の誕生日を祝うため
こどもたちや孫たちが集まって来ている
戸外に置かれたテーブルでの気持ちの良いお祝いの食事

折を見て、母は長男を呼び、コレクションのリストや置き場所を教えはじめる
自分の死後は、この家もコレクションも
こどもたちがしたいように処分していいと言い出す

長男はこの家を守ってゆきたいと応える

そして大叔父の巡回回顧展の後、母が突然亡くなってしまう

NYで暮らす長女,北京で暮らす次男にはそれぞれの事情があり
パリに住む長男の気持ちとは違って
結局家もコレクションも売られることに決まる
税金体策もあり、コレクションの一部は、オルセー美術館に寄贈されることに

その経過の中で、3人の兄妹、弟の衝突、和解・・・・
大事な母とともにあった楽しかった思い出を
いつまでもそのまま持ち続けることはできないという悲しみ・・・・

日ごろ、庭の花を生けて、使われていた花瓶は
フランスの印象派銅版画家フェリックス・ブラックモンの花器であった
オルセー美術館におさめられた花瓶の展示に
残念ながら庭の花はない

母が使っていた美しい机は、アール・ヌーヴォーの家具デザイナー、ルイ・マジョレルの作品
美術館の展示では、机の内側の精巧さを見せるため内側を見せている
そのため外側の装飾は見えなくなる、引き出しの中は当然からっぽであり
椅子は内側ではなく、離れたところに置かれている 
これでは使っている状態の展示にはならない

生活の道具が美術品として飾られてしまう不幸とも言える

この映画はパリのオルセー美術館の開館20周年記念企画作品なのだが
日常生活の中で、芸術作品が生き生きと使われたすばらしい様子を描き、
美術館に所蔵されることの幸運を描くと共に
美術館に所蔵されることの不幸もきちんと描いているところがすごい

長年、母に仕えた家政婦に長男が何か受け取ってほしいという
はじめは何もいらないと固辞していた家政婦は
毎日花を生ける度に母を思い出すからと
貴重なものではなさそうな硝子の花瓶をひとつ受け取って
大事に抱えて、帰ってゆく

実はフェリックス・ブラックモンの花器なのだが、
どうしても何か受け取ってほしかった長男はあえてそのことを伝えない
花を生けられる花瓶こそは展示された美術品としての花瓶より美しい
花を生けられた花瓶が生き生きと輝き、
老いを迎えはじめた家政婦の日々をなぐさめることであろう
>>感想を掲示板へ
不満に思える身近な人から 2009/08/21の日記 08月21日 (金)
不満に思える身近な人から

散歩のときに
掲示板で見かけた標語

「不満に思える身近な人から
自分は鍛えられ、磨かれてゆく」・・・・・ なるほど・・・・

不満に思える身近な人から
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NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」 2009/08/11の日記 08月11日 (火)
08月11日 (火)
NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」

太平洋戦争の開戦の鍵を握った大日本帝国海軍・軍令部
統帥権を持つ天皇に直轄しており、政府、予算、人事権を持つ
海軍省の下にあるのではなく、独立した機関である

連合艦隊ヘの作戦指導もここがおこなった
海軍におけるエリート中のエリートたちである
全ての基本作戦の立案・指導にあたり、絶大な権力を持った
『軍令部』の実態は、資料が殆どなくこれまで闇に包まれていたらしい

「海軍反省会」は戦後35年が経過した昭和55年から11年間にわたり、
この海軍の中枢、『軍令部』メンバーが中心となって行われた
メンバーが変わったり、特別に呼ばれたメンバーが発言しているときもある
その記録、400時間になるカセットテープが残された

しかしこのテープが一般に公開されることはなかった
70~80代になっていた彼らは、生存中は絶対非公開を条件に、100回以上にわたって話し合っている

反省とはいいながら公開できないということは、
天皇、国、国民を思うのではなく
天皇、国、国民より海軍が大事、
「海軍はアメリカとの戦争をしたくないとは絶対言えない」
「アメリカには負けると絶対言えない」という彼等の姿勢が
敗戦後も続いており、それがそのまま現れている

今回の番組は、遺族の手により公開されたこの400時間の録音を基につくられたドキュメンタリーである

番組は貴重な資料となる優れたものであったが
軍令部というエリート中のエリートの組織や個人の
思想的にも、人間的にも、貧困な、愚劣なレベルが明白にわかってしまうと言う意味では
やりきれない番組でもあった

ディレクターはこのような組織のあり方は、自分も含めて今も変わっていないと思うと
彼等だけを責められないと苦渋に満ちた顔で語っていた

確かに今も官民で続く問題の先送りや、大局を見ず、権限争いをするところ
空気によって組織が流され、個人は反対を言えなくなり、組織が動いてしまうなど
今も続いている

でも責任を問わずに
同じことを繰り返している日本、日本人が、これをどこかで改めなけば
またこの先も同じことを繰り返すことになる

敗戦まで指導部にあった男たちが戦後また指導的立場に立ち続けたと言う厚顔
『一度失敗したものは表に出てくるな』と言いたい
それを許してきたた責任、今も許している責任を考えざるを得なかった


3回シリーズ

8/9 日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし
 開戦に至る経緯、その裏で行った政界・皇族・陸軍などへの働きかけなど
 戦争を避けるべきだと考えながら、
 海軍に生きる人間としては、特に陸軍にたいして「戦争回避」とは言いだせなくなっていく
 空気が生々しく伝わってくる
 勝算がないと誰もがわかっていたのに・・・・
 そのおかげで日本は300万人の犠牲者を出し、それ以上のアジアの人々の犠牲者を出すことになった

8/10 日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙
 志願であって、命令ではなかったといいながら
 実際の特攻実施より1年以上前から数々の特攻兵器(回天、桜花、震洋、特四、伏龍など9を開発していた欺瞞
 特攻は作戦ではなかったと敗戦後も言い続けている

 神風特攻隊など、陸軍、海軍あわせての特攻の死者は約5000名
 人間魚雷回天の死者は89名、命中率は2%
 ミッドウェー海戦は危険だったが
 「山本五十六がやりたいといっているのだから、やらせよう」と情実で実施が決まってしまういいかげんさ
  勝算もない中で軍令部内で『一億総特攻』が叫ばれるようになってゆく

8/11 日本海軍 400時間の証言 第三回 戦犯裁判 第二の戦争
 戦犯として、陸軍からは6人の絞首刑があったが、海軍からは一人も出していない
 対策をたて、捕虜処刑の責任も現場指揮官の命令として、上部に責任が及ぶことを逃れている
 実際には命令を出していたにも関わらず・・・
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ドキュメンタリー映画『台湾人生』を見に行く 2009/08/07の日記 08月07日 (金)
東中野駅前ポレポレ中野に、ドキュメンタリー映画『台湾人生』を見に行く

酒井充子(あつこ)監督は30代後半の若い監督である
98年、初めて訪れた台湾で日本語世代の老人と出会い、映画製作を思い立ち
02年から7年かけドキュメンタリー映画を完成させた

日本統治下(1895~1945年)に青春期を送った「日本語世代」のお年寄り5人へのインタビューが
つなぎあわされ、まとめられている
インタビューの積み重ねの中で、
日本の統治から戦後の国民党独裁を経て現代に至る激動の人生をどのように生きてきたか
5人5様の人生から、台湾と日本の歴史、その中での台湾の人々の思いが浮かび上がってくる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人として生きた青年期、懐かしさ
同窓会のはじまりに歌う校歌斉唱は当然日本語

敗戦の中で軍国少年としてして皇軍に志願したこと、
軍国少女としてまなじりを決していたこと

悔しかった差別 たとえば日本人として志願してきているのに軍曹からチャンコロ(中国人をさす差別語)と蔑まれたこと
成績はよかったのに優等賞は日本人に授けられたこと
お茶や生け花もちゃんと習っている、今の日本人の若い人より日本人よ

敗戦により日本人であった自分たちが日本から見捨てられたこと

国民党独裁政権下での弾圧、軍隊による戒厳令、投獄、
逃亡した叔父の居所を吐けと拷問を受けたこと
白色テロによる暗殺で弟を亡くしたこと

日本人の友達はたくさんいる
だが日本政府には戦争中の働きについて「ごくろうさまでした」と一言だけは言ってもらいたい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
青春時代と日本統治時代が重なっていることによる懐かしさもある
国民党独裁政権下の過酷な体験の記憶によって、日本統治時代の記憶がより美しくなっていることもある
それでも
台湾と日本、国家と国民、国家と言語、国家と生活、国家と教育について
様々のことを深く考えさせる優れたドキュメンタリーであった
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