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船長いずこ へ――デ・ジャヴではない |
03月10日 (金) |
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秋燈は玲瓏、春燈はなまめかしい。
夜が深くやさしいのは秋だが、早春の宵は人が麗しい。
与謝野晶子の『みたれ髪』の一首
清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふひとみなうつくしき
ひさしぶりの書き込みだ。
日中にかたづけねばならぬ作業、やらねばにらぬ情報収集が多く
原稿を書いたりといった仕事はどうしても夜になる。
気があせるが、忙しいときほど落ち着いて仕事をせねばならぬ。
雑にやるとかえって手間がふえるからだ。
デ・ジャヴということばかある心理学のterminologyで
既視現象 既視感というやつだ。
ぜったいはじめてのはずなのに、なにかここにいたことがある、来たことがあるような気もちになるというやつだ。
英語でいえば I feel I've been here before.ということだ。
心理的時間感覚や距離感のトラブルだが,疲れていたりするとけっこうなるし、
ある種の神経症の症状としてでるときもある。また、デ・ジャヴと逆のジャメ・ビュー=未視現象、すなわちなんどか体験しているのにはじめてののような気がするというのもあるそうだ。
じつは、このところ、『はだかのダルシン』のおとな役、すなわちコンラ王や仇役のグンダー、ダガール軍曹などの音声をふきこむ英語の俳優さんのオーディションを連日行なっている。ぼくらの居場所にあわせてスタジオにきてもらったり、ラボセンにきてもらったりだが、選ぶほうも選ばれるほうもたいへんだ。
今回は当然だが、アメリカ英語でい人という注文がニコルさんからついている。
昨日も午後に男女約8名の俳優さんのオーディションがあった。いっぺんにはとても無理なので、2回にわけて1時30分と2時30分で行なうことにした。この日はひとつのタレント事務所とフリーの人だという。ただしフリーの人は一人は1時に、もうひとりは5時だという。
冒頭にも書いたが、午前中はあっというまにおわった。12時を5分くらいまわったところで、いまのうちに速攻でなにか食べないとやばいなと思っていると……。
受付の総務に案内されて190センチはあろうかという巨漢がはいってきた。
「えーっ、1時のはずなのに。まだ12時じゃん」と思ったが、まあ仕方がないと
902号室、通称北会議室にとおした。この部屋はまあ内輪のミーティング室だ。客をとおすところではないのだが、あまりめだちたくないし、ほかの部屋もあいてないのでここにした。悪いことに、引っ越しが近いからそここここに段ボール箱がおいてある。さすがに申し訳ないので「長年親しんだビルなのだが、今月いっぱいで引っ越すのだ。したがって、かたづけの最中なのでかんべんしてね」いった。
すると、男はなつかしそうに「もう、何年もむかしここで仕事をしたことがある。マザーグースの仕事だ」という。その瞬間、思い出した。それまで、たしかにこの男とは初対面のはすだが、どこかで見たことがあるなあというデ・ジャヴにおそわれていたと思っていたのだが、じつは単なるものわすれだったのだ。なさけない。「あなたはアルビオン座のアトキンスさんでしょう!」というと、大きな顔がくしゃくしやになった。握手は部屋にはいってきたときの儀礼的なものとは握力がちがった。
彼の名はスチュワート・アトキンス。もう25年もむかし、SK17『詩とナーサリー・ライム』が発刊されたころ、アトキンスさんはトゥィードル・ダムとディーというコンビでナーサリー・ライムの楽しいパフォーマンスをするアルビオン座を結成していた。ラボでし全国でおよびしたと記憶している。しかし、人の心はうつろいやすく、ナーサリー・ライムはラボのめそっどにすっかり定着したが、アルビオン座のことはしたい゛に忘れられていった。それから何年かあと、ぼくはアトキンスさんの相方の人が交通事故で他界されたことを新聞で読み。しずかに悲しんだ。
そのこを周囲に伝えたが、反応は「アルビオン座、ああそういえばそんな人いたっけ」というものだった。ぼくは、オーディションそっちのけでアトキンスさんにーまってて、なつかしい人たちわよんでくる」といって事務所にかけもどった。
オーディションの結果をここにかくわけにはいかない。しかし、アトキンスさんとはきっと近々スタジオであうような気がする。
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