Re: ラボにおける「言語習得」:語りの大切さ [ テーマ ] |
11月15日 (土) |
|
ラボで物語を楽しむ方法は、いろいろありますね。
①いろいろなお話しに触れるために、一回ずつ、パーティで仲間と一緒に
お話しに親しみながら、楽しむ方法。
②好きなお話しを、何回か楽しむ方法。
③他のグループが発表する物語を、観て楽しむ方法。
④家で、聴いて楽しむ方法。
⑤素語りとして楽しむ方法。
⑥そして、長期間、2,3ヶ月~6ヶ月かけて、じっくりと取り組みながら楽しむ方法。
その他にもいろいろな楽しみ方があると思います。
いろんなお話しに触れながら、なおかつ、じっくりと取り組んでいく。
自分だけで楽しみながら、それと並行して、仲間と一緒に取り組んでいく。
①~⑤までは、まぁ、幅広く物語に触れるためにいいのでしょう。
⑥は、ラボで誇れる言語習得方法として、他で簡単には真似の出来ない活動と言えると思います。
素晴らしいライブラリーを揃え、それを子どもたちが聴きながら、イメージを広げ、耳慣れてきた音を真似しながら、言葉を取り入れていく。
まさに自然習得ですね。
今の私のパーティでは、10月から中高大生達が「アリババ」に取り組んできていて、これまでは、その背景にある文化や歴史、人々の生活習慣や宗教まで、いろいろ調べながら、イメージを広げ、場面毎に自分たちで考えたことを身体で表現してきました。
ある程度の形が出来たところで、音楽CDに切り替えて、今は、身体表現に自分たちの言葉による表現を乗せながら、ある一つのテーマ活動を仕上げようとしている段階です。
語りを大切に、英語、日本語の音を大切に、気持ちを大切に、と言い続けてきて、24年。
ラボの物語は、演劇とは違います。
ここで、前に楽天で、あるテューターの質問に答える形で書いたことをコピペします。
*****************
テーマ活動と演劇は違う。
テーマ活動の中に、演劇の要素はあっても、それだけではない。
つまり、テーマ活動は単なる演劇ではなく、プラスアルファがたくさんある。
では、どこが違うのか。
① まず、テーマ活動は物語である。
だから演劇のような台本はない。
② また、演劇のように、演出家が居ない。
ラボっ子全員が、演出家のようなものである。
③ 演劇は誰かにみせることを前提にやるが、
テーマ活動は必ずしもそうではない。
しかし、発表会などをする場合は、見ている人に、presentationを
するので、どんなメッセージをプレゼントするか考える。
いいプレゼントができるように、ちょっと工夫したりもする。
④ そうそう、演劇は普通、一言語でするが、
ラボでは、英語と日本語で、あるいは他の言語でもやったりする。
⑤ いろいろな交流があり、いろいろなコミュニケーションが生まれる。
⑥ お互いに育ち合う。
⑦ 子どもの心の成長と同時に言語習得を目標にしている。
⑧ 一つの役を複数人数でやる。
まだまだあると思うけど、とりあえずここまで。
**********************************************
ここまでは以前に書いたものをコピーペイストしてみました。
今日はこの続きです。
さて、じゃ、なぜ、言語習得に、ラボで大切にしている物語なのか。
それは、私は、物語でなくてはいけない理由があると思うのです。
英会話学校とかで、生徒が勉強していくのは、ある状況設定の中で、決められたライン(文章)を覚えて、それをやりとりするのですが、それって、ほんとの会話と言えるのでしょうか。
ほんとに人は、そのラインの通りに会話をするのでしょうか。
それは疑問ですね。
人は言葉として、自分の考えを述べる前に、まず、心の中でいろいろ考えると思います。
その、考える部分が、物語の中のナレーションという部分だと思うのです。
ナレーションの部分は、人の言葉として、表面には出てこない部分なのですが、考えても見て下さい。
人は、一日の中で、朝、目覚めてから、夜、寝るまでに、言葉として、音として「放す」言葉は、どれだけあるのでしょうか。
実はほとんどは、ナレーションのような形で、いろいろ考えていたり、感じたりしているのではないでしょうか。
反対に、ナレーションがない部分で、会話だけが出てくることは、全くあり得ないと思うのです。
もちろん、単純な用足し英語と言われている、名前は?とか、今、何時?とか、あれしてとか、これしてとか、そんな言葉は、機械的に覚えていってもいいでしょう。
でもね、ほんとの会話というのはそんなものじゃないでしょ。
ということです。
自分の思いや、考えを述べると言うことは、いわゆるパターンプラクティスでは学べない。
それに、ちょっと想像してみて下さい。
きちんとした人間関係ができていない外国人の先生と、果たしてどれだけの会話がなりたつのでしょうか。
最初の何回かは、それは物珍しげに会話は成り立つでしょう。
しかし、どれだけお金を払って会話を学んでも、所詮、なじみのない人との会話には限界があり、決して、自分の本当の思いや考えを伝えるような会話は成り立たないはずです。
つまり、豊かな言葉のやりとりは、生まれないと思うのです。
言語習得というのも、実は、とても複雑な仕組みで、簡単にこうだからこういう風に習得していくのよという説明はできないものですよね。
でも、これだけは確かです。
会話をいくら、学んでも、会話は出来ないと言うことです。
だから、sentence by sentenceで、会話ばかりやっていても身に付かないのは当然のことで、やはり、心を耕す言葉を学んでいかないと、言葉は身に付かないのです。
ラボでは「言葉の芽」という事をよく言いますが、いろんな子どもがいろんなきっかけで、ちょっとした言葉に興味を示し、それを口に出していく瞬間がありますが、その言葉は、だれかに教えられたのではなく、その子が、ラボの活動の中から、学んでいく言葉ですね。(表現とかコミュニケーションとも言えますが。)
その芽がしっかり育って、大きな木になるかきれいな花が咲くのか分かりませんが、大きな木になるためにも、綺麗な花を咲かせるためにも、しっかりと根っこを貼らなければなりません。ナレーションの部分は、その根っこの部分だと思うのです。しっかり根っこを張るために、物語なのです。
あるいは、こうも言えるでしょう。
私はニュージーランドに行ったときに、マリーンさんという方に、ラボのお話しをしていたときに、こんなことを話している自分がいました。
Ice berg(氷山)を思い浮かべて下さい。
海水の上に見えるのは、ほんとに氷山の一部ですよね。
その下には、巨大な、海上の氷山の何倍もの大きさの氷のかたまりがあるはずです。
私たちが日頃話している言葉というものは、その見えている氷の部分で、海の下の見えない部分にある氷の部分というのは、私たちがラボで大切にしている物語なんです。
ラボライブラリーで語られる物語がどんなに大切なもので、言葉を習得していく上で、必要不可欠なものであるか。
そんなことを、一生懸命話していました。
長くなってしまいました。
ラボにおける言語習得について、ちょっと書いてみました。
なかなか的を得ていると思いませんか。
異論、反論、同意、同感。
なんでもいいので、ご意見下さい。
何を今さらでも、なんでもいいですよ。
*************************************
|
|
Re:Re: ラボにおける「言語習得」:語りの大切さ(11月15日)
|
|
|
まいにゃんさん (2003年11月15日 22時22分)
ラボにおける言語習得について、私はラボを知ってまだ日が浅く、子供
達が言語を習得していく過程をまだ実際にはみていませんが、サンサン
が書いてくださったこと、理屈ではなく、ハートでわかるような気がし
ます。子供達の心の成長と同時に言語習得があるんですね。物語という
土台、同じフイールド上で、言葉のやりとりをしていくラボのテーマ活
動は、単なる会話の応酬ではなく、心のこもった、心を耕す言葉なんで
すよね。テーマ活動発表は演劇ではないというのもよくわかります。で
も(サンサンさんのパーティの発表もそうでしたが)、素晴らしい発表
は、芸術作品を見ているかのように、見ているこちらも心が震えます。
そこには心のこもった言葉と自然な生き生きとした子供達の姿があるか
らなんでしょうね。でもそこまで子供達をひっぱっていくテユーターの
陰ながらの努力、導く力は大変なものなのでは・・・と思います。私も
これから頑張っていかなくてはなりません。これからもたくさん学ばせ
てください。
|
|
Re:Re: ラボにおける「言語習得」:語りの大切さ(11月15日)
|
|
|
みんとさん (2003年11月15日 23時29分)
同感です!そう、そうなのよ!と心で思いながら読みました。言葉にしていた
だいてありがとうございます。氷山の話はとてもわかりやすいとおもいまし
た。ラボはやはり言語習得をめざした活動。でも言語習得の深さを語るのはな
かなか難しい。それを自分の言葉にして語っていかなくては・・・。
|
|
Re:Re: ラボにおける「言語習得」:語りの大切さ(11月15日)
|
|
|
まんぎょどんさん (2003年11月17日 13時23分)
言語習得についてのサンサンさんのご意見に同感いたします。その分析にう
んうんと首を縦にふっています。小学校英語にとりくんで、ラボのラボライブ
ラリーを題材にあげることは本当にむずかしいことですが、それができてみる
と、本当にこどもたちには「ものがたり丸ごと一つ」をやることの意義を感じ
ます。学校ではなかなか4話ものや30分ものにとりくめませんが、それが有
効であり、これからの教育のなかで必要なことだと確信しました。
実際に、助言をなさってくださった先生は、「このH小学校の公開授業を現
場の中学校の先生に見てほしかった。そして授業を変えていかなくてはならな
い」とおっしゃって下さったとき、私達ラボ・テューターの役割りを感じまし
た。自分達がそれを自信をもってすすめ、広く社会に広めていく必要性を感じ
ました。これは、宣伝ということではなく、しっかりとした考えをもったこど
もたちを世に送り出ししていくという意味で・・・こころの中に漠然と思って
いたラボにおける「言語習得」について 具体的に意見をいってくださったこ
と 本当に勉強になりました。ありがとうございました。
|
|