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2005/10/03の日記 10月03日 (月)
久しぶりに書き込んで見ました。いろいろ文章は書いているのですが、なかなかまとまったものとなると…。半年に一度の更新ですが、ご容赦の程を。
お時間があれば、見てください。

ラボっ子はドリームタイムに生きる
九州総局  山田 紀

 皆さんがこのライブラリーにもたれている印象はどんなものなのでしょうか。私が初めてこのライブラリーに出会ったのは中学3年生。受験の合間を縫ってパーティを続けているときでした。最初の印象は「なんてみょうちくりんなライブラリーなのだろう?」でした。極端なキャラクター造形、繰り返されることばあそび、強調される現代と過去の話。とっつきにくい物語という感想を持ちました。
 
それから時は流れて。

もともとよいイメージを持っていなかったライブラリーに再び出会う機会を積極的に持つこともせず、このテープ(当時はラボ・テープでした)は棚の奥でほこりをかぶっていました。それはそれは厚く降り積もって・・・。

あらためてこの物語に向かいなおしたのは、大学生になってからでした。しかも、自分自身で聞いたのではなく、地区の高校生たちが発表するテーマに選び、取り組んでいるのを見てのことです。

物語のテーマ性、考えられた構成、分かりそうでわからない「ドリームタイム」ということばの正体。いろいろ考えをめぐらせてみたものです。
物語のそこここに、物語の本質を語るような重要なことばが出てきます。とくに、3幕ではナレーターが、ドリームタイムそのものについて語っています。
それなのに。
わからない。
「すべての一日」「生きるために精一杯の一日」「過去と未来が、何の矛盾もなく、現在に溶けこむ」・・・説明はされている。だが、決定的なことばは語られない・・・

坂さんのレポートにあるように、この物語は一見親切です。各幕それぞれ位置づけが分かり易いし、極端にデフォルメされた発想や言動が、その場その場のテーマをくっきりと浮かび上がらせてくれます。
それぞれの幕の話はここで繰り返す必要もないと思いますが、ここでぶつかるのが4幕です。多くのラボっ子が頭を抱えてしまったのではないでしょうか。私もそうです。

この物語は数多くの相対する考え方が登場します。歴史観、文明観、征服者と被征服者。1~3幕は、きれいに流れていくのです。現在力のあるものが作り上げた歴史、優れていると思わされている科学文明、相容れないものを排除し、征服する人間。それらを「当たり前のもの」と信じ込んでいる交換学生たちは、現代文明の産物であるバスの車軸が折れてしまったことにより(当然、誰も直せません)、鉄の子宮から新たに生まれてきます。洋子が一番最後にバスを出るのは、子供と大人の差ですよね。
心音のようにクラッピングスティックを打ちながら、彼らはドリームタイムに生き始める。そこは、過去も未来も現在もが矛盾なく溶け合うところ。いわゆるタイムスケールでとらえることのできない、時制の違う世界。

ここで、「ドリームタイム」がファンタジックな雰囲気を持ってしまうことがままあるようです。ですが、そうではない。洋子たちがドリームタイムに生きられたように、我々にもつながっていなければならないはずです。我々の現代に、矛盾なく溶け込んでいなければならないわけです。

4幕では、コアラ・エリマキトカゲ・(クカバラ)・カンガルーの4つのストーリーが語られます。いいえ、語るのではありません。交換学生たちによって再現されます。
なんであんなストーリーなんでしょう。動物たちのドリームタイム・・・。

コアラがはじめて木の上で暮らし、コアラたり得たとき。エリマキトカゲが初めて首を(えりまきのように)ふくらませ、エリマキトカゲたり得たとき。カンガルーが我が子を袋に入れ、飛び跳ねてカンガルーたり得たとき・・・。
それはもっとも純粋にコアラがコアラであるとき。エリマキトカゲが純粋にエリマキトカゲであるとき。カンガルーがカンガルーであるとき。
そして、それらコアラ、エリマキトカゲ、カンガルーとしての誕生の瞬間は、一匹一匹の固体の誕生にすべてつながっていくのです。
ドリームタイムは、誕生以前に闇の中で、母親の肌をへだてて外界の物音を聴いている時に、もうはじまっている。

それは歴史や文明観、そのような「後付け」の思想に左右されない、すべての人間が等しく体験してきた時間。人間が、最も人間らしくありえた世界。そこで初めて目にする自然の景色は、私たちの中に等しく驚きをもたらしたのではないでしょうか。

そうした純粋に、生きることだけで精一杯の我々に戻るには、邪魔なものがいっぱいあります。1~3幕で捨てていくものですね。ここで物語がめでたく4幕に収斂されていきます。


最後に、ラボっ子としての思い込み。

ライブラリーを聴いても分かるとおり、パルバース氏はとてもラボのことを良く理解されておられます。国際交流プログラムが、物語の大きな背景ですものね。
そう考えて、最後のレッスンの幕を見てみましょう。交換留学生たちのやっていること・・・テーマ活動そのものに思えてきませんか? たくさんのラボっ子が、たくさんの同じ役をやり、同じ人生を共有し、再現し理解していく・・・。
パルバース氏は、「テーマ活動こそドリームタイムに生きる手段なのだよ」と、優しくラボっ子たちにメッセージを送ってくれているように思いませんか?

ほら、テーマ活動がやりたくなってきた。どこからかクラッピング・スティックがなっているのが聞こえてきましたよ・・・。
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