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過去に書いたもののアップ② 03月26日 (金)
 少々手抜き気味ではありますが、ちょくちょく更新していることでご勘弁を…。今回はかいだんこぞうです。

都会の隙間に生まれるもの~The stair-goblin boy~

◎突然現れる異形の生き物
 かいだんこぞう。ラボライブラリーの中でもビジュアルイメージが強い話です。あの大砲の砲弾のような、見ようによってはかわいらしくも気味が悪くもある、インパクトの強いあのイラストをいかに超越するか、そこにこのライブラリーを取り組めるかどうかの分かれ目があると思います。
 このライブラリーの大きな特徴に、タケちゃん以外の人間がほとんど登場しないということがあります。じつは、タケちゃん以外の人間のセリフは、『5ねんあとには、きゅうこうでんしゃがとおるのだそうな』『このへんもかわりますねえ』という、おじいちゃんとお父さんの会話のみ。後は全て、タケちゃんの独白か、かいだんこぞうとのやり取りで進んでいきます。
 そもそも、かいだんこぞうって何でしょうか。自分自身では、「かげぼうしのおとうと」であり、「こどもの足音を食べる」といっていますが、何でたけちゃんの目の前に現れたかは一言も語られません。きっと理由があるはずなんですけどね?
 
◎ 舞台は階段
かいだんこぞうというくらいですから、舞台は階段です。昔の公団住宅の、暗くて無機質、かつちょっと薄気味悪い階段を想像してください。この階段、ライブラリーの中ではどんな紹介をされているかというと…「タケちゃんがトントンっと登ると」「バンバン」と音がし、「エッヘンというと」「オオウン」という空間なのです。ここはまさに異空間。あるものを別のものに変化させる特殊な空間なのです。では、なぜかいだんこぞうがでてきたのか? バンバンという音が、もともとはタケちゃんの足音であり、オオウンと言う声がタケちゃんのエッヘンだったりするのと同じように、何かが階段の中で変化してかいだんこぞうが生まれてきた、と考えました。その何かって、だから何なのさ!?

◎ タケちゃんってどんな子?
かいだんこぞうが登場する前の場面って、どんな場面だったか覚えてますか? 実は、あの衝撃的なナレーター、「タケちゃんには、まだ友達がありません。」というくだりなのです。引っ越してきたばかりでみんなに相手にされず、いつも一人ぼっちで遊ぶしかないタケちゃん像がさりげなく語られるのです。その直後、かいだんこぞうが登場します。でもなぜ? かいだんこぞうが登場するそのすぐ前にこんなナレーターが入っているのでしょうか。きっと、タケちゃんは寂しいのです。そして、その寂しさを埋めるようにかいだんこぞうが登場するのです。先ほどから話題にしていた、かいだんこぞうの元となる「何か」…。それは、タケちゃんの「友達がいなくてさみしいなあ」という気持ちが、階段という異空間で変化して生まれてきたのがかいだんこぞうなのではないでしょうか。つまりは、かいだんこぞうはタケちゃんの内面から生み出されたものではないでしょうか。

◎補完し合う関係性
 タケちゃんが対人関係がうまくいっていないことは、ナレーターではっきり語られています。でも、かいだんこぞうとタケちゃんは非常にしっくり会話しています。タケちゃんが話し掛けるのは、このライブラリーを通じてかいだんこぞうだけです。お父さんやおじいちゃんにさえ、手紙でしか語りませんし直接会話することがありません。ではなぜ、かいだんこぞうにだけはタケちゃんは饒舌なのでしょうか。タケちゃんにとって、かいだんこぞうはコミュニケーションをとりやすい要素がたくさんあります。一つは大きさ。30センチという小さなものなので、タケちゃんが優位に立てるのです。それから、表情がないということ。おそらくうまく自己表現ができないタケちゃんにとって、表情の全くないかいだんこぞうは気味悪くもあるが、気楽でもあるのではないでしょうか。手も足もない、最低限コミュニケーションするのに必要なだけの口が一つついている存在。それから、もっとも大きな点、タケちゃんはかいだんこぞうを養っているということ。タケちゃんの足音がなければかいだんこぞうは生きていけないという構図は、タケちゃんに絶対的なイニシアチブをもたらします。たとえば、子供の足音はきっと、タケちゃん以外にも聞こえるはずですよね。しかし、タケちゃんが田舎に行っている間、かいだんこぞうは何も食べていない様子で、すっかり弱っていました。これは、とりもなおさずかいだんこぞうとタケちゃんとが、お互いにしか通じない関係であることを表しているようです。かいだんこぞうはタケちゃんに足音を食べさせてもらい、タケちゃんはかいだんこぞうとの関わりで友達代わりの役目を受け持ってもらっている、補完し合う関係性が構築されているのです。

◎救済する行為、終わらない物語
 このライブラリーは、劇的なドラマはあまり起きません。かといって、淡々と日常生活が続くわけでもありません。ちいさな変化が、一定のトーンで語り継がれていくのです。その中で最も大きな出来事が、かいだんこぞうの変化です。タケちゃんが田舎に行っている間に、色が薄くなり弱り果てるかいだんこぞう。ここは、物語的にはタケちゃんとかいだんこぞうの決別のチャンスでした。しかし、タケちゃんはかいだんこぞうを救う選択をします。自らのインナースペースの象徴であるかいだんこぞうと、決別することができません。しかし、子供ってそういうものではないでしょうか? 自分自身の聖域を持ちながら、少しずつ外の世界に目を向けていく。タケちゃんもそうです。一気に、劇的に大人に成長はしません。しかし、最後のセリフに注目。「今度、先生に聞いてみようと思います」…。繰り返しますが、タケちゃんは30分の話の中で、ただの一度も他人に声をかけません。そのタケちゃんが最後に見せた変化。小さな小さな一歩ですが、最後に確実に一歩を踏み出していることでこのライブラリーはさわやかな感じを残します。

◎一人ひとりのかいだんこぞう
 このライブラリーの魅力は、かいだんこぞうそのものであるといえます。この、黒くて小さいものをどう捉えるか。個人の自由な想像力にそれはゆだねられています。面白いことに、自分の分身のように肯定的に捉える子と、妖怪や幽霊のように否定的に捉える子とがいるようです。みんなでぜひ、このことを話してみてください。また、あの黒い砲弾のようなかいだんこぞうから、いかにイメージを飛躍させられるかも、面白いポイントですね。絵をかいてみるといいのではないかと思います。
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